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みんなの「小田急」ブログ


SE: Legendary

2017/01/01 00:00
冬晴れの日、小田原北部の足柄平野に足を運んだ。箱根から連なる山々の向こうに、雪化粧した富士山が朝日を浴びている。右側から酒匂川を通過する車両の規則正しいジョイント音が聞こえてきた。しばらく後にバーミリオンオレンジの車体が宅地の向こうから飛びだし、平野を突っ切っていく。小田急ロマンスカーLSE 7000形。小田急現役特急最古参の展望席つき連接車は現在も2編成が在籍し、新宿〜箱根湯本間を往復している。

デハ7003 小田急

デハ7003

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2016-11
  • D500, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO125

SE車(Super Express) 3000形の後継車として、1980年に登場したLSE。LはLuxuryの意で、NSE車 3100形のイメージと編成定員を引き継いだ上で車内をグレードアップ、人気の展望席は10席から14席に増加した。
前頭部は横から見るとエッジが効いていて前方から見るとラウンド形状。塗装はSE車からのイメージを受け継ぐオレンジバーミリオン・白とグレーのスリートーン、腰のグレーを貫く白い細帯はNSEの3本から2本となっている。第24回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞したLSEは全4編成が製造され、1987年のHiSE(10000形) 登場まで同社のイメージリーダーをつとめた。
回転クロスシートはリクライニングが追加されたが、背もたれを倒すか戻すかの二択しかない「簡易リクライニング」である。当時の国鉄特急ではまだまだリクライニングなし回転クロスが多く、近くを走る185系も転換クロスシートだったから、それでも上等なほうだった。客用乗降扉はようやく(?)自動ドア化され、デッキ・客室間も仕切られた。乗車口を限定したホームでの特急券改札はその後も続けられたので、乗降口の折戸は手で開け閉めもできるようになっている (引戸式のEXEやMSEには個別ドアスイッチが取り付けられている)。
1995年からのバリアフリー対応工事を含む大規模更新の際に外装もHiSE同様のワインレッド基調にイメージチェンジされ、NSEの引退でオレンジ色のロマンスカーはいったん消えた。2007年にSE車登場から50周年を記念して1編成が登場時の塗装にリバイバル(ただし展望席窓のガラス枠が黒だった)。2012年には別の1編成も旧塗装へ復帰し、保安装置更新の際に展望席窓も銀枠というほぼオリジナルの姿に戻った。

デハ7003 小田急

デハ7003

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2008-10
  • D700, AF-S Nikkor 70-300mm F4.5-5.6G ED VR, ISO200

〔さがみ〕〔えのしま〕といった脇役に回されていた晩期のNSEと違い、LSEはいまでもVSEと肩を並べて箱根まで走っているから、たまに乗るのも一般席ばかりだ。登場時はぜいたくな仕様だった客室も、シートピッチや座席背もたれ高さ、照明の使い方など、今の車両に比べると質素に感じるのは事実。座面に腰を下ろすと、さすがにくたびれ感は隠せない。
後継車にもかかわらずバリアフリー対策の見地から先に引退せざるを得なかったハイデッキ式のHiSEとRSE(20000形) の後も引き継ぎ、現在に至るまで主軸を任されてきたLSE。同社唯一の抵抗制御車両であり、車齢も高くなっていたので去就が気になるところだったが、昨年11月に新型ロマンスカー70000形の製造と2018年のデビューが発表されたことで区切りが見えてきた。VSEの連接車ではなく通常のボギー車となり、RSE以来の7両編成となる70000形(愛称未定)の車体カラーはバーミリオンオレンジ。伝統と伝説は受け継がれていく。

開成駅の東口には「ロンちゃん」がいる。1999年まで活躍したNSE 3100形の先頭車として静態保存された車両の愛称だ。当初移動式のテントで車内公開時以外は覆われていたが現在は撤去され、本線を通過するLSEと一瞬の競演もみることができる。
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あしたの街へ

2012/12/30 00:00
放射冷却の進んだ翌朝に都市部でも見られる、澄み切ったあけぼのの空。夜明けにつれて空は天頂の深い蒼から、地平線の茜色へとなだらかな階調を描く。「東の野にかぎろひの立つ見えて…」万葉集にも詠まれたこの時間の空は、かつてエル特急〔はつかり〕のイラストマークにも描かれたグラデーションだ。
その色がオレンジ色に変わると、まもなく日の出の時刻を迎える。日の出時刻は6時50分台。複々線で多摩川を渡る小田急小田原線は、冬至前後のこの時期に朝日を背景にしたシルエットになる。
窓越しの朝焼けが得られる時間だが、7時ともなると急行電車は乗客の数で抜けが取れないので、比較的空いている各駅停車が狙い目。ここは走行する場所も関係してきて、梅ヶ丘〜登戸間の複々線は急行線が内側、緩行線が外側なので、河原から見上げるアングルでは台車まできれいに抜けるのが上り(新宿ゆき)緩行線に絞られる。

クハ2053 小田急

クハ2053

  • 小田急小田原線 和泉多摩川←登戸 2012-12
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D+TC-14E, ISO800

車内がすでにいっぱいになってきた急行や、通勤ライナーとしての一面もある特急ロマンスカーの合間を縫って、緩行線を上ってきたのは2000形。セミワイドドアというべき1600mm両開き扉を持つ8両編成で、各駅停車から区間準急までを担当する車両である。通勤4扉としてはめずらしく車端が戸袋窓で終わっているのは、かつてのHE車(2400形)両端のクハを連想させる。モノトーン的なオレンジの画面の中、各停を示すLED行先表示器の青地が引き立って見えた。

このアングルは、フィルムカメラの時代にも同じようにして撮っている。(写真=Nikon F5, AF Nikkor ED 80-200mm F2.8D, RDPII, 1999-1) 当時は多摩川の複々線化工事が始まる前で、橋梁はデッキガーダーの文字通り「鉄橋」、その位置も今より低かった。レールも定尺25mで電車通過のたびにジョイント音でにぎやかだったし、ことに12.5mの連接車であるNSE〜HiSEが渡るときに河原いっぱいに響くドラミングは独特な力強さも感じたものだ。
太陽が川面の上にあらわれた直後、1000形の各駅停車が渡っていく。同じ大きさの窓が連続するのは、これまた独自の2mワイドドア車だった。

あっという間に太陽は橋梁、そして車両の上を越えていき、回りの明るさも急激に強くなっていく。快晴。一日がまた良い日であるようにと願う時間である。



◆2012年の新規記事は今回で終了いたします。
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増殖

2012/04/14 00:00
10月に復原工事が完成する東京駅丸の内口赤れんが駅舎。壁面を覆う仮囲いが外されたというので、日曜夜に東京へ帰着したついでに見てみることに。半世紀近く慣れ親しんだ南北の直線屋根がドームに変わってどうなるかと思ったが、暗闇に浮かび上がるその姿は威風堂々という言葉がふさわしい。
その一方で、後ろのプラットホームに出入りする列車はすっかり様変わりした。旅情を誘うブルートレインの姿はすでになく、通勤・近郊電車もステンレス車のみ。3月改正でJR東海373系の乗り入れが終了し、6月ごろまでには唯一の3ドア・211系も撤退する予定だ。

クハE233-50

クハE233-50

  • 中央本線 飯田橋←市ヶ谷 2011-2
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO800

E231系に続いて、JR東日本が首都圏で大量増備中の一般形電車E233系。東京駅発着列車も中央線快速、京浜東北線、京葉線で車種が同系に統一され、つづいて東海道線への投入が進んでいる。
同系は2013年度から埼京線に、2014年度から横浜線に投入されることが明らかになった。いずれも国鉄205系電車を置き換えるもので、拡幅車体による定員増と省電力・メンテナンスフリーおよび高信頼化がねらい。国鉄最終期になって通勤電車決定版として登場し、首都圏のJR各線ですっかりおなじみだった205系も、ずいぶん隅のほうへ押しやられてきた感がある。武蔵野線直通という形で、現在もコソッと(?)京葉地下ホームへ乗り入れてはいるが……。
前頭部は、E231系では近郊タイプ (俗に1000番台) が衝撃吸収構造、それ以外の通勤タイプが前面強化構造であったのに対し、E233系は通勤タイプも衝撃吸収構造を採用、表情も同じになった。運転室が広がったぶん、直後の乗降扉位置が大きく下げられている。またJR東日本では同系から乗降扉にもラインカラーを貼り付けるようになった。

クハE232-3010

クハE232-3010

  • 東海道本線 二宮←大磯 2012-3
  • D700, AF Nikkor 28-80mm F3.5-5.6D, ISO200

中央線快速・青梅・五日市線でデビューしたE233系は、車内液晶モニターをワイドタイプにした京浜東北1000番台、グリーン車とセミクロスシート車を組み込んだ東海道3000番台、モバイルインターネット環境(WiMAX) を整備した京葉5000番台、とマイナーチェンジを受けながら増備され、いつのまにか総数2,000両を超す一大勢力になった。そんな中でちょっとした異端児なのが、常磐線各駅停車用の2000番台だ。

クハE232-2011

クハE232-2011

  • 常磐線 柏←北柏 2011-4
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

まず目につく違いが車体幅。千代田線の車両限界に対応するため拡幅車体でなく側面はストレートに立っている。前面も非常口設置をはじめ他の番台とは表情がまったく違う。
それらに加え、客用ドア自体の間隔がわずかに狭くなっているのも注目点だ。言われなければ気づかない程度の差だが、車端と窓のスペースに違いが見えることがわかる。車体長さが違うように見えるのは縮尺ミスではなく、クハE233(232)-2000は他車より15cm (車体長で21cm) 長い。
2000番台の車体寸法は、同じく千代田線に乗り入れる小田急4000形と同じ。これは同形が日本鉄道車両工業会が定めた「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」に準拠しているため。ただし機器類はE233系をベースにしている。その4000形の寸法に従っているE233系2000番台は、「逆輸入版」といったところか。

クハ4051 小田急

クハ4051

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2009-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO320

同ガイドラインのステンレス標準車両の代表は東急5000系で、同系もまたE231系が技術ベースとなった。現在東急線を走っている車両は、東急グループの鉄道車両製造部門であった東急車輛製造の設計・製造。901系→209系のころから東急車輛とJR東日本の関係は深くなり、のちに設立された新津車両製作所で製造開始した同系やE217系・E231・233系には、東急車輛の技術や製法が色濃く反映されている。E233系2000番台は全車東急車輛製である一方、小田急4000形の一部は新津所で新製された。
日本におけるステンレスカーのパイオニアであり、多数の車両を生産してきた東急車輛製造は、今般東急からJR東日本に売却され、4月1日に新津車両製作所とともに新会社「総合車両製作所」として発足している。
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ロマンスをもう一度

2012/03/10 00:00
1987年12月23日、赤と白の鮮烈なロマンスカー小田急10000形 "HiSE" がデビューした。平日だったはずだが新宿駅と登戸付近へ見に行った記憶がある (注: まだ「昭和」だったときの話です)。それから四半世紀。
小田急ではJRグループと同日の3月17日に全線ダイヤ改正を行う。この改正では通勤車5000形とHiSE (11両連接)×1とRSE×2 の3編成が引退するほか、LSE, HiSEも1本ずつがすでに廃車となっている。代替に製造したMSEは4両+6両の実質1編成なので、特急ロマンスカーは創設以来の縮小体制になるわけだ。改正ダイヤを見ると、平日日中・土休日で設定本数が減らされている (小田原線に土休日も快速急行を設定したところが大きい)。

1990年前後、観光バスや当時隆興しはじめた高速路線バスでは、2階建てなみのビューポイントを持つスーパーハイデッカー車両が導入されはじめ、これに対抗する意味もあって鉄道車両もハイデッキ構造の車両がブームになっていた。端緒は国鉄末期のキロ182-500で、キハ84系〔フラノエクスプレス〕が続いた。JR化後もクロ212〔マリンライナー〕グリーン車、キハ71系〔ゆふいんの森〕、251系〔スーパービュー踊り子〕などが相次ぎ登場。座席部分だけかさ上げした構造の車両も、キハ85系を筆頭に数多く製造または改造されている。

デハ10001 小田急

デハ10001

  • 小田急小田原線 開成→栢山 2008-10
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO200

そんな時期に登場した小田急10000形は、伝統の連接構造・前面展望席とハイデッカーをあわせ持つ車両。エッジを立てたシャープなラインや、側窓の連窓風処理も当時の鉄道・バスで流行ったスタイルだ。
客室床面はLSEの床面から約40cm高い。SEやNSEはスロープをつけてまで台車間床面をぎりぎり低くした車両だったが、それは小田急創立以来の悲願だった新宿〜小田原間60分運転をめざすためであった (ちなみに未だ達成されていない)。車両限界の制約からも空調機器が床下に置かれ、結果重心位置はLSE以下としている。展望席以外はハイデッキで統一し、中間車は入口から2段のステップを上がって客室に入る。
座席は背もたれ固定の回転クロスシート。LSEはもとより、国鉄でもリクライニングシートを全面的に採用しだした後では異例だが、乗車時間が1時間台に収まるためなくても良いと判断されたらしい。かわりに背ずりの傾きを比較的大きくし、増備車は背面にテーブルを設置した。とはいえ他の車両に見劣りする印象はぬぐえず、結局RSE以降はリクライニングシートになっている。

箱根観光としてはシーズンオフにあたる年末に登場したHiSEは、1988年の第31回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。この頃は各地の第三セクター車両にくわえ、国鉄〜JRのジョイフルトレインが多数エントリーされたが (候補車数45。次年第32回はなんと62!)、ロマンスカーの安定した人気が選定につながったとも考えられる。ただ翌春には近鉄21000系「アーバンライナー」がデビューしており (第32回受賞車)、競合したらどうなっただろう。

デハ1032 長野電鉄

デハ1032

  • 長野電鉄長野線 朝陽←附属中学前 2012-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

長野電鉄へ移った1000系「ゆけむり」を、改めて眺めてみた。イメージは同じと思いこんでいたけれど、並べてみれば色使いの差異に気づかされる。VSEと入れ替わりに2編成が離脱し、4連に短縮されて譲渡された。
バリアフリー対応については、段差がない展望席をあてることで対応した。それなら小田急でもそうすれば……と思ってしまうが、編成途中のハイデッキ部にトイレがあるので、それではダメということだろう。長野電鉄の車両にはトイレがなく、2100系(←JR東253系) も洗面所は閉鎖されている。

クハ30557 小田急

クハ30557

  • 小田急小田原線 伊勢原←愛甲石田 2012-1
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO200

2002年からはじまったロマンスカー・箱根キャンペーン「きょう、ロマンスカーで。」駅貼りの特大ポスターに登場したのは、当時最新のEXE (エクセ: Excellent Express 30000形) ではなくHiSEだった。1999年からEXEが〔はこね〕の主役をつとめ、HiSE,LSEは途中駅重視の特急〔サポート〕に回される。しかしそのころ箱根への旅客が急激に減っていた。その理由として「ロマンスカー=展望席」という認識が広く定着していたこと、EXEではその期待に応えきれないことが一因に挙げられた。
2003年のダイヤ改正で〔はこね〕はHiSEとLSEが優先的に充当されるようになり、イメージリーダーに復帰したHiSEが2005年のVSEにつないだのである。「ロマンスをもう一度」はキャンペーンのCMテーマ曲で、同社にとってももう一度の期待をかけたものだといえる。

ラインのはっきりしたスタイルとあざやかな色調で、HiSEはいろんな角度から見栄えのする車両だった。最近撮影の機会も減ってしまったが、2005年に決まった引退方針から6年もよく走ってくれたと思う。おつかれさまでした。
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芙蓉を仰いで

2012/02/25 01:00
「青春18きっぷ」がまだ5枚つづりだったころは、大学生協で1〜2枚買って日帰り旅行するのが好きだった。とあるよく晴れた冬の朝に、東京から113系電車に乗って国府津へ、115系にのりかえ御殿場線へ。その先ふたたび東海道線→身延線→中央線と富士山を車窓右手に巡る旅は、御殿場が近づく頃に第一回のハイライトを迎える。
御殿場線は、もともと東海道線の一部として建設された。輸送の大動脈であるため早期に複線化されたが、急勾配の続く難所であった。丹那トンネルが開通したことで支線に格下げされ、戦時中には金属供出などのため複線の片方を外されてしまう。いまではすっかりローカル線だが、現在も残る腹付けの路盤や煤けたトンネルに往時がしのばれる。全線電化も1968年と遅く、直前までマンモス蒸機D52が奮闘していた。

松田からは新宿発のロマンスカー〔あさぎり〕が乗り入れてくる。1959年、同駅付近に小田急との連絡線が建設され、キハ5000・5100形気動車が特別準急「銀嶺」「芙蓉」(ぎんれい, ふよう: いずれも富士山の美称) として御殿場まで直通を開始した。
電化を機に SE (Super Express) 3000形を改造短編成化した 通称SSE (Short SE) による〔あさぎり〕と交代し、1968年には連絡急行となる。これは国鉄線を急行、小田急線内を特急に準じた扱いとして、料金もそれぞれ同等とした。定員まで急行券を発売する「座席定員制」で、国鉄のマルスに組み込まれなかったうえ座席指定制の箱根ロマンスカーとも違う特殊な列車だった。山麓らしさが漂う「あさぎり」の名は、特別準急のひとつ「朝霧」が引き継がれたもので、富士山西麓の朝霧高原に由来する。
SE車の老朽置き換えを機に、小田急とJR東海は沼津から西伊豆地区の観光振興を狙って相互直通列車運転の協定を結んだ。これに従い両社が専用車両を製造し、1991年に〔あさぎり〕は御殿場〜沼津間が延長されて種別も特急列車となった。

クハ371-101

クハ371-101

  • 小田急小田原線 伊勢原←愛甲石田 2011-10
  • D200, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO125

両社はそれぞれ2往復ずつ担当するが、ご覧のとおり塗装はもとより車体の基本構造も違う。沼津でこれに接続して西伊豆方面へ向かう東海バス (小田急系列) の特急「スーパーロマンス号」は、左右両側面を両者のカラーで塗り分ける奇抜な車両だった。
JR東海の371系はパールホワイト地に窓周りの青と、明らかに新幹線100系を意識してデザインされた車両だ。特徴はなんといっても大きな窓で、正面の曲面ガラスはもちろんのこと、側窓は1mを超える天地寸法だけでなく下辺の低さも特筆もの。外から座席ひじ掛けが見える車両なんて、それまではなかった。同社在来線特急の副称「ワイドビュー」こそついていないが、面積からいえばこの車両が一番ワイドビューだ。
7両編成が1本だけ製造され、〔あさぎり2,3,6,7号〕のほかに所属基地(静岡) との回送を〔ホームライナー〕として営業、さらに平日夜は浜松まで足を伸ばすなど走行距離は意外に長い。予備車がないため、検査時は2本製造した小田急が〔あさぎり〕全列車を担当する。
国鉄電車の系列標準では十位の"8"が特急形で、"7"が使われるのは475系以来であった。急行形の数字だが、新たに登場する可能性はなかったし、先んじてJR東日本で"5"を使っている。百位"3"は〔しなの〕381系と、きっぷ等に見る会社識別番号の"3" (JRグループを列挙すると東海は3番目) からのつながりだろう。

デハ20002 小田急

デハ20002

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2009-8
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO200

通常 1,4,5,8号を担当する小田急は RSE (Resort Super Express) 20000形を投入。371系と仕様統一のため連接車や2階運転台は見送り、ただし前代の10000形 (HiSE) からハイデッカー構造を引き継いでいる。塗装は白をベースに水色とピンクを配した淡い色調。前述の通り2本在籍するので、〔あさぎり〕に使われない編成は箱根特急にも充当された。
特急車両としてのグレードは水準以上だが、それまでのロマンスカーを見慣れた目にRSEのスタイルはずいぶんな変化と感じたもの。このころ全国の鉄道会社が競って新型車両を登場させていたので、歴代受賞を続けていたブルーリボン賞の記録もどうなるかと思ったが、フタを開ければ371系も下して第35回 (1992年) の受賞車となった。

サロハ371-101

サロハ371-101

  • 小田急小田原線 伊勢原←愛甲石田 2011-10
  • D200, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO125

もうひとつ〔あさぎり〕の特徴となるのが、編成中央に2両連なるダブルデッカー車両だ。階上席は横2-1列のグリーン車 (小田急区間の呼称は「スーパーシート」)、階下もまた2-1列の普通席 (RSE4号車はセミコンパートメント) である。
サロハ371形は、2階建て部分の下半分を膨らませた複式断面と、縦方向の連窓というおもしろい構造だ。RSE車は「サハ」形式だが、前述の通り2階は特別席と扱いJR線内ではグリーン車となる。一端は車内販売基地で、かつてグリーン/スーパーシート席ではシートサービスも行われた。他方端の貫通路は2階部で直接つながり、これも両者だけに見られる独自の構造。

サハ20152 小田急

サハ20152

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2009-8
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO200

すでに触れた通り3月17日のダイヤ改正で〔あさぎり〕はMSEに置き換えられる。運転初日は1991年3月16日であったから、22年目ちょうどでの区切りとなる。桜が咲く谷峨駅で行き違う光景も、もはや思い出がたり。
LSE (7000形) より後に登場した HiSE (残1本) とRSEが引退せざるを得なくなった事情は、ハイデッキ構造により車両更新時に求められるバリアフリー化への対応が難しいことにあった。371系は平床でバリアフリー対応工事も済ませているが、当の〔あさぎり〕とくに末端部での利用が低迷しているため、潮時と判断されたのだろう。
気になる引退後の処遇は、371系が団体用に転用との話。RSEは富士急行が取得の意向を示しているらしく、実現すれば見える向きは若干違うがふたたび銀嶺とともに歩む車両となる。
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蒼の時間

2012/02/18 00:00
東京メトロ千代田線。常磐線から直通して都心へ向かい、大手町・日比谷・霞ヶ関そして国会議事堂前と、文字通り千代田区主要部を貫く基幹路線のひとつ。終点の代々木上原では小田急小田原線に接続し、一部電車は多摩急行として小田急と相互直通運転を行う。
その小田急といえばすぐ連想されるのが「ロマンスカー」。箱根への観光特急として広く知られるが、じつは通勤列車としての役割も担っている。1967年に夕刻の新原町田 (現・町田) 停車を開始し、特急券を買えば定期乗車券でも利用できるようにしたのがはしりだった。現在、夕方の通勤時間帯には新宿発1時間3〜4本の〔ホームウェイ〕が設定され、ゆとりの空間と時間が手頃な値段で手に入るとあって、平日はそのほとんどが満席で発車していく。国鉄がこれを見習い、上野着特急の回送列車を使って1984年に上野→大宮で運転開始したのが〔ホームライナー〕だった。
地下鉄からの着席通勤需要にも応えるため、小田急は2005年に千代田線直通専用特急車の開発を決定、2008年にデビューしたのがMSEこと60000形電車。狭義の「地下鉄」で料金を要する列車が走るのは初めてのことである。

クハ60551 小田急

クハ60551

  • 小田急小田原線 伊勢原←愛甲石田 2011-11
  • D200, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO100

MSEとは Multi Super Expressの意。デザインはVSE (50000形) を監修した建築家の岡部憲明氏が続いて手がけた。地下鉄の狭断面トンネルにおいては編成両端の貫通路または非常扉設置が必須であること、乗り入れに関するいろいろな制約から展望席構造にならなかったが、前頭部はVSEのイメージを引き継ぎ、内装にもVSEとの共通点を多く見出すことができる。最近ではよく目にするようになったAEDを、はじめて列車内に装備した車両としても意義深い。
車体塗色は同車が「フェルメール・ブルー」と呼ぶメタリックな青。画家フェルメールは作品に鮮やかな青色を好んで用いた。腰にはVSE同様、「小田急ロマンスカー」のシンボルカラーであるオレンジバーミリオンの細帯。連接車ではなく、前々代の EXE (30000形) と同様の6両+4両分割組成で最大10両編成となるが、各7本ずつ製造されたEXEとは違って6連のほうが製造数が多い。
使用列車は千代田線直通の箱根特急〔メトロはこね〕〔メトロさがみ〕そして夜間下りの〔メトロホームウェイ〕。現在は新宿発着列車の設定がないが、他編成が整備入場中の代走または観光シーズンの臨時列車として入線することもある。
ロマンスカー車両は鉄道ファンの支持が高く、SE車から代々ほとんどの形式が鉄道友の会ブルーリボン賞を獲得してきた。MSEも2009年第52回の受賞車両である。EXEは受賞を逃したが当該年のBR賞は「該当なし」で、車両としての得票数はトップだったそうだ。

デハ60401 小田急

デハ60401

  • 小田急小田原線 新松田←渋沢 2008-10
  • D700, AF-S VR-Nikkor 70-300mm F4.5-5.6G, ISO200

地下鉄線を有料特急が走るというだけでも珍しいものだが、もっと変わった列車があった。臨時特急〔ベイリゾート〕。この列車は千代田線の霞ヶ関から分岐する地下連絡線を通って有楽町線へ乗り入れ、新木場まで足を伸ばした。そこから京葉線に乗り換えて隣駅が葛西臨海公園、2駅先が舞浜である。
この連絡線は、有楽町線の初開業区間 (池袋〜銀座一丁目) に本格的な検修設備がなく、全検などを千代田線の綾瀬車両基地で行うため回送線として建設された。地下トンネルの途中分岐なのでその存在は一般にほとんど知られることがなく、旅客として通過できるのは同列車が最初だった。
名前の通りTDRへのアクセス列車という位置づけなのだが、時間帯の問題があったうえに有楽町線のホームドア設置工事が始まるため2011年秋で設定を終了、今般3月のダイヤ改正で廃止となってしまった。一度乗ってみたいとは思っていたのだが……。

60000形は信号保安装置に千代田線ATCだけでなくJR東海のATSも装備しており、このためMSEは近々御殿場線へ乗り入るという噂が立っていた。はたして今改正で、 RSE (20000形) と371系 (JR東海) で運転していた〔あさぎり〕(新宿〜沼津) をMSEに置き換え、平日1往復減のうえ新宿〜御殿場間に短縮される。御殿場〜沼津間に限って自由席が1両設定されていたものの利用が振るわず、実際に先日利用したときもガラ空きだったので、区間廃止もやむを得ない。
その一方で江ノ島線〔えのしま〕にも〔あさぎり〕と併結の形でMSEの定期運行が開始されるため、3月以降同形は小田急の車両が走る区間のすべてに顔を出し、フラグシップのVSEを補完して文字通りマルチな活躍を見せることになる。
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1111

2009/11/11 00:11
きょうは11月11日。鮭の日、チーズの日、ピーナッツの日、きりたんぽの日、もやしの日、電池の日、配線器具の日、靴下の日 (ペアーズデー・恋人たちの日)、下駄の日、ライターの日、サッカーの日、折り紙の日、宝石の日 (ジュエリーデー)、煙突の日、磁気の日、介護の日、コピーライターの日、西陣の日、そしてポッキー&プリッツの日……ということで強引に、プリッツをかじりながらゾロ目について取り上げてみたい。

多数の車両を抱えるJRグループではさすがにゾロ目車番、車号111や1111を名乗るものも多い。そのなかでいちばん長かったのは、横須賀・総武快速線を走った113系のクハ111-1111。同車は平成11年、横須賀線開業111周年および同線からの113 (111) 系引退を記念し、特別に111編成を名乗ったうえで、11月11日午前11時11分に大船駅を発車する臨時列車 (横須賀ゆき・11両編成) の東京寄り11号車をつとめた、まさに1づくしの車両だった。
私鉄に目を向けると、1000系 (形) という「キリ」のいい系列・形式は好んで使われ、大手私鉄を中心にその系列に属する1111を掲げた車両もある。2009年度の車両配置表を読み進めると、小田急・京王 (井の頭線)・京急 (新1000系)・名鉄 (パノラマSuper)・近鉄に在籍車が見つかった。そこから今回は、小田急の1111を選んでみた。

デハ1111 小田急

デハ1111

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2009-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO320

小田急の通勤車といえばロイヤルブルーの帯でおなじみだが、これはまた特急車なみに派手な色使いだ (ステンレス車なのでフィルム貼り付け)。箱根登山電車 (箱根登山鉄道) の車両塗装にあわせたもので、同社線の小田原〜箱根湯本間の各駅停車に使用する1000形の一部が専用車となった。
登山電車というからには急勾配が特徴だが、その同線にどうやって通勤電車が? と思われるかもしれない。ただ正月恒例「箱根駅伝」の中継をご覧になった方なら、雰囲気としてお分かりいただけるだろう。箱根湯本までは勾配やカーブも比較的緩やかで――といっても都心の路線から考えれば十分きついし、同駅を出たとたんに最大の80‰が待ち構えている――もちろんロマンスカーも箱根温泉の玄関口として乗り入れている。
この乗り入れは1950年にはじまった。登山電車の軌間は1,435mm、小田急は1,067mmなので、レールを三本敷く「三線軌条」を採用したのが特徴だった。1982年には通勤形20m車も入線できるようになり、さらに2006年には同区間の全営業列車が小田急車での運転になった。分岐器などの複雑な構造が珍しい三線軌条も、車庫のある入生田〜箱根湯本の一駅間に縮小されている。

クハ1254 小田急

クハ1254

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2009-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

こちらが1000形本来のスタイル。同社にとってはじめてのステンレス車両だったが、従来の鋼製車と併結する機会がとても多く、連結しても違和感の無いような設計がなされた。こうして見ても、梨地仕上げと呼ばれるつや消し処理の外板、側面雨樋の位置が高い張上げ風の屋根肩、扉・戸袋を含め高さを統一した窓の並び、扉も省略せずつながった帯など、各所に入念なデザインが光る。個人的にはもっとも美しいステンレス車両と評価している。
景気や輸送情勢の変化などを考えれば致し方の無いことだが、最近登場する車両は同社を含めどこも同じように見えるし、実際共通設計化はかなり進んでいる。こだわりのある通勤車両というのは、もう登場しないのかもしれない。


■参考 大手私鉄車両ファイル'09 鉄道ファン2009-9付録
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線路をまもる

2009/08/30 00:31
毎日私たちが通勤で利用する鉄道が、時刻どおりに運転されることを前提にできるのは、車両が定期的に検査を受けて故障を未然に防ぐ努力が続けられているためだ。それは線路施設についても同じことが言え、定期的に深夜 (需要の少ないところでは昼間) の保線作業が行われる。
そのために必要なデータを実際に走行しながら集めるのが、検測車とよばれる車両だ。新幹線総合検測車「ドクターイエロー」「East-i」はいまや一般にも広く知られた存在で、在来線向けでは高速軌道検測車マヤ34が長年活躍してきた(1959〜)。これを用いた検測列車 (区分は試運転) は「マヤ検」と呼ばれ、機関車に牽かれて走る沿線には、甲種輸送同様ファンが集まってくる。
私鉄ではこのマヤ――最近では本州三社の新型検測車――を借りたり、保線機械で夜間に測定したりしている。いっぽう最近では自前の検測車両を用意する大手私鉄も出はじめた。

開成付近の定番地でロマンスカーはじめ小田急車を撮っていた休日。突如画面左から見慣れない、しかし一瞬でそれとわかる車両があらわれた。クヤ31形「テクノインスペクター」を先頭にした検測列車だった。

クヤ31

クヤ31

  • 小田急小田原線 開成→栢山 2009-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

2004年に登場した同車は、電化鉄道の要である軌道と架線 (パンタグラフが当たるトロリー線) の状態観測を走行しながら行う総合検測車。「ドクターイエロー」を筆頭に、編成単位で軌道と電気を検測できるものは従来からあるが、クヤ31は1両で双方を測れるはじめての車両となった。
「走る精密機器」ともいえる高価な検測車を導入する意義は、時間短縮も当然ながら、営業列車と同じ速度で走ることで実態に合ったデータを得ることにある。また測定を昼間に行えば、夜間の保線により時間を当てられるというメリットも考えているのだろう。昼間に走っても構わなくなったので、私たちがその姿を目にする機会も増えたのだ。新幹線「ドクターイエロー」も700系ベースになって以降は営業列車との速度差が無くなり、夜間中心だった検測が昼間に行われるようになっている。小田急では土休日にも走行するので、路線規模も考えると撮りやすい存在ではある。

クヤ31の車体デザインは3000系に準じており、前面はほぼ同じ。ただし設計製造が東急車輛で、側面上部 (いわゆる幕板) の扱いなどに日本車輌の設計 (下: クハ3550形。3555は東急車輌製造) との違いを見ることができる。車体に検測機器を満載するので扉・窓の数は極端に少なく、当初無装飾だった壁の部分には愛称決定後「TECHNO-INSPECTOR」の大きなロゴが貼り付けられた。ちなみに車体見付は反対側もほとんど同じ。
屋上のパンタグラフは測定専用で、近くにそれを撮影するカメラと投光器が設置されている。下を見れば軌道のゆがみを検出するセンサーを装着した台車のゴツさにも、検測車ならではの姿を感じ取れる。

クハ3555

クハ3555

  • 小田急小田原線 開成→栢山 2009-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

自家用検測車の先例は東急電鉄の架線検測車デヤ3000形で、現在は7200系改造を含むデヤ7200形3両編成で総合検測が行われている。ほかの大手私鉄でも導入例が増え、京王電鉄のクヤ900形「DAX」、相模鉄道モヤ700形、近畿日本鉄道モワ24系「はかるくん」が、それぞれ縁の下で自社の屋台骨を支えている。
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風のむこう側

2009/07/16 23:45
1999年7月16日の特別運転を最後に、小田急ロマンスカーの一形式が引退した。3100形「NSE」。もう10年になるのか……約2年間、NSEの姿を追いかけ、毎週のように通い詰めたことが懐かしく思い出される。
1963年登場のNSEは、1957年に登場し一世を風靡したSuper Express(SE) 3000形の後継・増備車で、言うまでもなくNはNew。名鉄パノラマカー(1961年)や新幹線0系(1964年)と同世代の車両である。SEの連接構造(当時8連)を進化させた11両連接で、最大の特徴は運転台を屋上に設置して最前面を乗客に開放したこと。パノラマカーともども、イタリアの特急「セッテベロ」をモデルにしたという。

デハ3181

デハ3181

  • 小田急小田原線 栢山←富水 1999-6
  • F5, AF Nikkor 50mm F1.4D, RDPII

小田急ロマンスカーの前面形状は、その時々の流行を反映している。当時は自家用車やバスなども、ふくよかな曲線と飛び出したライトケースで構成されていた。シャープなLSEやHiSE、空力的に洗練されたVSEと比べると、時代の変化がわかりやすい。ちなみにライトケースの突起は単なる装飾でなく、衝撃吸収のダンパを内蔵して万一の場合に備えていた。
NSEは計7編成が増備され、新宿〜小田原ノンストップの〔はこね〕、町田停車の〔あしがら〕など、箱根特急を中心に活躍した。それまで私鉄では特急などフラッグシップとして活躍できる期間は10年〜20年、その後普通車に格下げというのが当たり前だったから、SEとともに30年以上にわたって走り続けた実績だけでも名車と呼ぶに差し支えないだろう。
晩年のNSEは小田原までの〔あしがら〕〔さがみ〕中心に充当され、ラストの直前までは比較的すいていた。展望席指定で2列目に乗ったこともあったが、そのころ空席の多い列車はホームで座席無指定の特急券を発売しており、それを持って展望席直後の予備席と思われる座番(C・D)に腰掛けていたことのほうが多い。

デハ7004

デハ7004

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2009-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D

1979年に登場したLSE(L=Luxury:豪華な)はNSE引退前後の更新工事で塗装がHiSEに合わせられたが、2007年の開業80周年を記念して1編成が登場時の塗装に戻された。2008年3月までの期間限定のはずだったが、全検入場を経て現在も維持されている。
足柄平野の中を走る開成〜富水は周囲が開けた水田で、当然この付近の撮影数が最も多かった。そんな場所も10年も経てば宅地化が進行し、線路際には安全対策の名目で柵の設置も増える。「最後の楽園」だと思っていたこの場所も、かなり撮影しづらくなってしまったなと思う。

高速電車のはしりでもあるSE車は登場翌年の1958年、第1回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞する。そもそも同賞はSE車を表彰する目的で創立したものだ。会員の投票を基準とする選考に変わってからも NSE (第7回)、LSE (第24回)、HiSE (第31回)、RSE (第35回: R=Resort)、VSE (第49回: V=Vault) とロマンスカーは立て続けに受賞してきた。SEを名乗らず汎用車として登場した EXE (Excellent Express) の年(第40回) は該当なしとなったが、車両の得票数では最多だったという。
そして2009年(第52回) は地下鉄直通ロマンスカーMSE (M=Multi) が獲得し、近鉄と並ぶ私鉄最多・7回目の受賞となった。ロマンスカーは各時代の鉄道を代表する車両だったし、将来登場する車両もまた時代を象徴するものになっていくのだろう。


◆1997年に開業70周年記念としてNSEを改造した特別車両「ゆめ70」は残ったが、その後の稼動実績は少なく、2000年4月にさよなら運転を行い廃車解体された。
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走る喫茶室

2008/10/20 23:00
以前は新しいレンズとかフィルムを導入すると、まず小田急線の開成付近で試してみることが多かったけれど、最近は「新兵器」を投入しても試写する間もなく実戦……という形が多くなってしまった。ほんとうは安定した天気の下で試写し、性能や性格をはっきりさせておきたいところなのだが、やりたいことが多すぎてなかなか叶わない。
このさき狭い場所や暗い場所での撮影が多くなると踏んで導入した新しいカメラも、デビューは曇り空の久留里線だった(久留里線については後ほど…)。性能は折り紙つきだったので何も心配していなかったが、実際に撮影してみると、大きなボケや豊かな階調表現は久しく使っていなかったリバーサルフィルムに通じるものがあると感じた。そしてなにより圧倒的ともいえる高感度域の安定度には、もう打ちのめされっぱなし。
予定した〔富士〕に乗るため九州まで行った後、小田急ロマンスカーVSE・MSEなどを撮りに、ひさしぶりに足柄平野に足を運んだ。

画像

デハ50001

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2008-10
  • D700, AF-S VR Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G
  • ISO200-0.3, 1/320, f11

2005年に登場した50000形VSE (Vault Super Express。2006年鉄道友の会ブルーリボン賞)は、「小田急ロマンスカー」の再定義ともいうべき車両で、連接車(空気バネ制御による車体傾斜)・前面展望席・丸みのある大柄な車体に幅広の連続窓と、外観だけでも確固たる要素を持った車両だ。vault(ボールト)とは丸天井の意で、実際に客室天井が高くそして丸い。
VSEのアイボリーホワイトは本当に明るく、みごと晴れ上がったこの日は暗いほうのレンズで絞っても絞ってもハイライト警告が出てしまう。14bitのRAWが幸いして、ぎりぎり階調が保たれたようだ。

「ロマンスカー」の愛称はもともと京阪電気鉄道が元祖で(その他山陽電鉄, 京浜急行, etc.)……と主張する方もいらっしゃって、それもまあ否定できない事実だけれど、後発の小田急がロマンスカーブランドの代表たり得たのは、単に車両や客室にとどまらない総合的なサービスがあったからこそといえる。
いまでは短距離の気軽な利用が多い小田急の特急ロマンスカーだが、往時は新宿〜小田原間無停車で、その間にウェイトレスが注文を取り、紅茶はじめ飲み物や軽食・デザートを自席まで運んでくれる「シートサービス」が行われていた。担当は日東紅茶と森永で、日東の「走る喫茶室」という愛称がロマンスカーとともに定着した。喫茶という言葉自体、最近使われることの少ない「昭和の言葉」かもしれないが、実際SE(前3000形)やNSE(3100形)の車内には昭和の雰囲気が色濃く漂っていたように思う。

画像

デハ50201

  • 小田急小田原線 新松田→渋沢 2008-10
  • D700, AF-S VR Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G
  • ISO200, 1/200, f10

私鉄特急の供食サービスも縮小気味で、小田急でも1990年代に2社が相次いで撤退、現在は〔(スーパー/メトロ)はこね〕〔あさぎり〕でワゴン車内販売を行っているが、VSEでは3・8号車の売店を基点にシートサービスを復活させた。
NSEの引退(1999年)までは、ほとんどの列車に車内販売が乗務していた。〔さがみ〕〔えのしま〕などあまり売れ行きもよくなかったと思われるが、ドアを手動扱いとするための保安要員としての意味もあったようだ。事実、SE・NSEでは本当に手動だったから。
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タイトル 日 時
遠くなった庭
遠くなった庭 私が本格的に鉄道撮影に取り組みはじめた時期は、ちょうど小田急ロマンスカーNSE(3100形)の最終期にあたり、毎週のように沿線に出ていた。足柄平野を走る開成付近は新しいフィルムやカメラ・レンズなどを試写する場としてもよく使っており、「庭」というかホームグラウンドみたいなものだった。 そんな「庭」にも最近はとんとご無沙汰。ほかに撮りたいもの、撮るべきものが増えすぎてなかなかケアできないこともあるが、撮影自体がやりづらくなっているという事情も無視できない。田畑が残る開成〜富水付近でも沿線開発が進み... ...続きを見る

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2008/09/29 22:30

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復活国鉄形蒸機!一刀両面 (鉄道ファン連載)

国内で活躍する動態保存国鉄蒸気機関車、16両(2014年10月現在)各機を両側からとらえたサイドビュー写真と、宮田寛之名誉編集長のみどころ解説でお送りするシリーズ。

2015年8月号では「番外編」と題し、このたび鉄道博物館に収蔵展示されたEF55形1号機を取り上げます。復活後は「ムーミン」とも呼ばれた、電機としては異例の前後非対称・流線形のボディを振り返ってみました。



当ブログの「蒸気機関車」各エントリもご覧ください。


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