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鉄道車両の側面(サイドビュー)写真を集めています。
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ちかてつ?

2012/01/28 21:00
新幹線〔あさま〕で東京から約1時間半、長野駅在来線ホームは信越本線および直通する篠ノ井線・飯山線・しなの鉄道の車両が出入りし、車両形式も115系から189系、383系、キハ110系そしてHB-E300系と豊富だ。
長野電鉄の始発駅でもあるのだが、駅前に出ても電車の姿は見えない。長電長野駅を含む市街中心部は、地方都市では珍しい「地下鉄」区間なのだ。1981年に長野〜善光寺下間が道路下へ移設されたもので、実態は長いトンネル扱いである。狭義の地下鉄では必須の前面非常扉は不要だが車両自体の難燃化が求められるため、対策として東急から初代5000系を購入して (→2500・2600系) 旧来の車両を置き換えた。

デハ8501 長野電鉄

デハ8501

  • 長野電鉄長野線 朝陽→附属中学前 2012-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

現在長野近郊区間の主役は8500系。東急8500系を導入改造したもので、車体外観は東急時代をほぼ保っている。一時期東横・新玉川線沿線の住民だった私にとって、なじみの深い車両である。
東急8500系は新玉川線・営団地下鉄半蔵門線(当時)の直通運転向けに1975年から製造された。広義では8000系の一員で (混結可能)、8000系自体も地下鉄乗り入れに対応していたが、半蔵門線直通で決めた規格へ設計変更した8500系が、田園都市線へ大量投入されたのだった。
東急車輛製造製のオールステンレス無塗装車体は、切妻前面に腰の赤帯以外の装飾が一切ない。ベースの8000系は当初それすらつけない無垢な車両だった。側面も社紋が取り替えられた以外の変化がほとんどなく、初期ステンレスカーらしい「ひだ」の多い外板に機能美を感じる。最近の長電は小田急からロマンスカー10000形 (→1000系「ゆけむり」)、JR東日本から253系 (→2100系「スノーモンキー」)を導入、いずれも塗装をオリジナルに近く保っていて、新たな「動く鉄道博物館」になってきた。ちなみに写真のデハ8501は東急時代の車号も8501、つまりトップナンバーである。

モハ3505 長野電鉄

モハ3505

  • 長野電鉄長野線 朝陽→附属中学前 2012-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

かつて営団日比谷線で活躍した3000系がやってきた。こちらにも何度となくお世話になっている。1998年の長野オリンピックを控え、老朽化し冷房化もできなかった2500・2600系などを置き換えるため、日比谷線への03系投入で押し出された同系が1995年に長電へ譲渡され (→3500・3600系)、一時期は同社の最大勢力だった。
1961年に登場した営団初のステンレス車だが、鉄鋼の骨組にステンレス外板を貼り付けたセミステンレス車体で「スキンステンレス」とも呼ばれる。外板はやはり歪み隠しのコルゲーション加工がされているが、東急車輌製とはすこし違った形で、また正面の丸み、とくにオデコの形状から「マッコウクジラ」とも称された。実際、営団から引退する際にマッコウクジラのラッピングを施されたこともある。赤帯は長電のカラーとしてつけたもので、営団時代はこちらも全身無塗装 (色帯は等級制を連想させると嫌ったという)、のちに制定された地下鉄ラインカラーで日比谷線=シルバーにおさまっている。
モハ3500形の床下にソロバン玉のように並んでいるのは、起動時モーターへの電圧電流制限に用いる抵抗器。当時主流の抵抗性御車は抵抗段切り替え時の前後動や粘着性能の低下が避けられなかったが、同系は77段という超多段制御で、得られる最大加速度は4.0km/h/s (1秒間に時速4kmを上げられる) という国内トップクラスのスムーズな加速が売りだった。その一方で営団時代は冷房がなく、抵抗器が発生する大量の熱で夏場の暑さには閉口したもの。

3000系は中目黒から東急東横線に乗り入れ、8500系も東横線で走ったことがあるから、時を経て信州の地で再会を果たしたことになる。どちらも地下鉄向けの車両で、長野地下駅で肩を並べるのも何かの縁だろうか。それにしても3500系、長野線ではめっきり見かけなくなった。ここに来た一番の目的である「スノーモンキー」、引退迫るもと特急車2000系の合間に来る普通電車は8500系ばかりで、1往復しか来なかった。
木島線の廃止以降からすでに勢力は縮小しており、3月限りで長電の創業区間だった屋代線が廃止されると活躍の場はさらに狭められる。ただ終点側・信州中野〜湯田中(ゆだなか) 間は30〜40‰の勾配が続き、8500系は現時点で同区間に乗り入れできないので、しばらくはその姿も見られそうだ。
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四国のワン・ツー・ワン

2012/01/21 00:00
JR旅客6社のうち路線規模・保有車両とも最小の会社であるJR四国。母体となった四国の国鉄路線は、本州とは宇高航路・仁堀航路 (1981年廃止) で連絡された独立網で、末期まで電化区間もなかった。1988年4月、北海道に続き本州と線路が直接つながったものの、島内JR線を走る車両は現在でも独自の味付けが濃いものとなっている。
JR四国はグループ各社のなかでは独自性が強く、まず1988年に予讃本線・土讃本線などの「本線」呼称を廃止。1989年に試作した制御付振子気動車TSEを2000系と命名、その後もキ・クモ・ロ・ハといった形式称号をつけなくなった。またJRグループ各社は正式名称に鉄ではなく「金へんに矢」を使っているが、JR四国のみ「鉄」としている (各社Webサイト、あるいは旅行商品パンフ等をよく見るとわかる)。

クモハ121-1

クハ121-1

  • 予讃線 みの←高瀬 2009-5
  • D700, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO200

121系は国鉄による三島会社立ち上げ支援の一環として配備された、日本国有鉄道最後の新系列であった。四国の国鉄電化は瀬戸大橋の開通が見えてきた1987年3月に高松〜坂出間と多度津〜観音寺・琴平間ではじまり、そこでデビューした同系は現在も香川県内のローカル輸送に使用されている。
基本性能は105系、車体寸法・構造は205・211系、接客設備は119系にあわせたもので、台車はじめ部品を廃車車両から流用するなど、いかにも国鉄最終期らしい寄せ集め的な車両といえる。当初は赤14号を帯色 (現在の京葉線が同色) としていたが、JR発足後にコーポレートカラーの水色 (京浜東北線E233系よりすこし明るい) になった。ただし写真のクモハ121-1+クハ120-1は昨年末にワンマン対応改造が行われ、その際に赤帯へ戻った。

予讃線では松山方面への特急〔しおかぜ〕高速化にむけて観音寺〜松山〜伊予市間を直流電化することになり、1990年の伊予北条〜伊予市間先行電化にあわせて7000系電車が投入された。両運転台電動車(クモハ相当) 7000形と制御車(クハ相当) 7100形。7000形1両でのワンマン運転も可能である。
すこし前に登場した気動車の1000形とスタイルが似ており、2つの片開き扉を運転台すぐ後ろに設置した上で中央に両開き扉も設け、ドア枚数が"1-2-1"となった。客室は長距離の乗車にも配慮してクロスシートを千鳥状に配置している。単行運転できるJR電車は、新製車両としては同系が初。車両長21.3mという長尺も、電車としてはめずらしい。

7015 JR四国

7015

  • 予讃線 伊予和気→三津浜 2008-10
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

いま私は横浜近辺に縁があるので、東海道本線の複々線区間で併走する電車を眺める機会も多いのだが、そんなとき屋上パンタグラフが架線に追従して動く姿につい目が行く。トンネルや立体交差をくぐるときにはパンタがぐっと屈み、通過後サッと戻るのがおもしろい。
地方で古くに建設された路線になると、とくにトンネルが客車・気動車向けの車両限界ぎりぎりに作られていたため、そのままでは架線を張ることはできない。予讃線も愛媛県に入ったとたんに増える大小のトンネルが電化の障害となった。このような場合は路盤を掘り下げ、あるいはトンネルを掘りなおして対応するのが普通だが、莫大な費用がかかる。そこでJR四国では特殊な方法でトンネル内の架線を天井ぎりぎりに張り、車両の屋根も低くしたうえで小型のパンタグラフを搭載した。
このような対策は、同じように車両限界を制限して電化した中央本線や身延線が知られるところだが、予讃線はそれよりさらに小さいJR最狭なのだ。そんな特殊性もあって四国へ乗り入れる他社の電車は少なく、松山まで来ることができるのはJR西日本・東海の「サンライズエクスプレス」285系しかない。
ちなみに一般的な電車はパンタグラフを折り畳んだ状態でも非電化区間の車両限界からはみ出しているため、非電化区間を通過させる必要に迫られた場合は、パンタはじめ屋上の突起物を前もって取り外した上で運搬することになる。
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なのはな

2012/01/10 00:00
新幹線〔さくら〕で新大阪から4時間、鹿児島中央駅はホームの先がすぐ車止めになっている、文字通りの「終着駅」。東京駅の終端標識から延々線路が連なっているのか、と思うと感慨深い。
直下に交わる在来線ホームから発車する指宿枕崎(いぶすきまくらざき) 線は、名前の通り指宿を経由して枕崎まで、全長88kmのJR最南端路線である。1930〜34年に指宿線として開業し、1960〜63年にかけて枕崎まで延伸して現線名となった。その輸送形態は鹿児島市近郊で20分間隔、指宿(山川)まで1時間に1本、末端区間は1日わずか6往復。全線およそ80km (札幌から)、段階的に先細りする輸送量、現時点では気動車運行という点で、学園都市線 (札沼線)にも共通するところがあるだろうか。

オホーツク海に流氷が押し寄せようかというころ、このあたりではもう菜の花が咲き誇る。毎年1月に指宿市で開催されるのは「いぶすき菜の花マラソン」 (ことしは8日に行われていた!)、指宿枕崎線の快速列車も〔なのはな〕の愛称を持ち、黄色いディーゼルカーが軽やかに走っている。

キハ200-501

キハ200-501

  • 指宿枕崎線 喜入←中名 2011-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

キハ200系はJR九州がはじめて新規開発した気動車で、1991年の登場。3扉転換クロスシートという、811・813系電車と同等の客室構造が採用された (増備車の一部はロング [上写真も] またはロング+転換クロス)。電車のような軽快な姿であり、実際450PS (331kW) の高出力エンジンと新型変速機によって電車に匹敵する性能を持つ車両だ。国鉄形との連結を考慮しない設計のため、連結器も電車と同じタイプを採用しているが、キハ201系とは違って電車との併結はできない。
最初の投入は筑豊本線〜篠栗線――現在の福北(ふくほく) ゆたか線で、屋根やクーラーまでカンパニーカラーの赤一色に塗って〔赤い快速〕の名でデビュー。485系に続く「赤いシリーズ」として、指宿枕崎線への投入当初も「赤いなのはな」だった。これは1995年の「いぶすきキャンペーン」以降黄色に塗り替えられている。
はじめは都市部に近いところで性能を活かしフリークエントサービスを行ったが、そのような区間はさらに利用が増えて電化されたため、現在ではローカル区間へと勢力を移すことになった。そのなかで特徴的なのは日豊本線の超閑散区間である佐伯〜延岡間で、単行運転できるという理由から両運転台キハ220が電車と交代してしまった。

キハ220-1102

キハ220-1102

  • 指宿枕崎線 中名←喜入 2010-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO320

2004年の九州新幹線の部分開業時には、指宿アクセス列車として〔なのはな〕が活用されることになり、指定席が連結された。指定席車にはキハ220形から1両が改造され、これを組み込んだ列車が特別快速〔なのはなDX〕。座席は回転クロスシートに取り替え、中央扉を埋め込んで〔はやとの風〕〔いさぶろう・しんぺい〕同様の外向きベンチを設置した。
2011年の九州新幹線全通で〔なのはなDX〕は特急〔指宿のたまて箱〕に昇格したが、すでに触れたとおりキハ47から改造されたため、同車は現在熊本へ異動している。
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みなみ風

2012/01/01 00:00
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いします。

昨年はいろんな意味で鉄道の意義を問われた一年だったろうか。東北の大動脈となり、そして大きな試練を受けた東北新幹線も、「つなげよう、日本。」をキーワードとして復旧が進められた。関係者の努力によって4月29日に全線が再開通し、9月の平常ダイヤ復帰で〔はやぶさ〕の300km/h運転も復活。各編成の先頭車には、「がんばろう日本」とともに大型ステッカーが現在も貼り付けられている。

782-8003

782-8003

  • 山陽新幹線 姫路→西明石 2011-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

2012年は山陽・九州新幹線〔さくら〕からはじめたい。瑞穂の国を代表する花であり、最初の特別急行列車にも使われた伝統ある名称が、〔みずほ〕と一緒に帰ってきた。
2011年3月12日のダイヤ改正で博多〜鹿児島中央間が全線開業した九州新幹線は、静かな滑り出しとなったが五月連休ごろから旅客数が回復し、「くまモン」が招く熊本はじめ南九州への需要を取り込みつつある。来る3月17日改正で〔さくら〕がさらに増強される予定だ。
山陽〜九州直通運転には、すでに東海道新幹線の主役となっているN700系をベースとした専用車が用意された (7000番台=JR西日本, 8000番台=JR九州。以下「さくら編成」)。基本性能は0・3000番台 (0=JR東海, 3000=JR西日本。以下「のぞみ編成」) に準じ最高運転速度も300km/h、輸送需給から8両編成に短縮したうえで九州区間にある35‰急勾配に対応するため全電動車となっている。

781-7006

781-7006

  • 山陽新幹線 姫路←西明石 2011-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

デザインは木村一男、水戸岡鋭治両氏 (それぞれJR西・九のデザイン顧問) の手による。青磁をイメージした白藍色の車体は東海道・山陽車のパールホワイトとは一味違う輝きで、光線によっても色合いが変わって見える。腰に巻いた藍色帯の上下には、金色の細線がさりげなく添えられている。車内も のぞみ編成とは異なる落ち着いたインテリアが特徴で、普通車指定席は700系7000番台 "RailStar" を受け継いだ、横2-2列というグリーン車なみの設備だ。
RailStarは全普通車であるがこちらは半室グリーン席が設けられ、レッグ・フットレストとAC電源設置でグレードを引き上げている (普通席は前後壁と窓側席にコンセントを用意)。車内でノートPCなどを使う人が増えて (かくいう私も昨年から使用し、時々車内に持ち込んでいる)、サービス電源は優等車両に欠かせなくなってきた。現在はスマホ・タブレットなどの高機能携帯機器が普及しつつある段階だから、そのうちUSB給電ポートが用意されるかも……。

783-3003

783-3003

  • 山陽新幹線 姫路←西明石 2011-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

さて、ここで年頭いきなりの「まさがいちがし」でありますが、のぞみ編成と さくら編成の外見上の違いは?
色とロゴ以外で目立つところは、座席列が1つ少ないことだ。のぞみ編成では300・700系と全定員はもとより各車の座席配置も統一させているため、1・16号車はほかよりわずかにシートピッチが狭い (中間車の1,040mmに対し両車は1,023mm。もちろん回せる)。さらに戸袋との干渉を避けるため、運転室側の数列ぶんは窓だけ中央寄りにずらしている。対する さくら編成では普通車全席が1,040mmピッチとなり、窓のずれもない。
専門的なところでは台車の仕様が異なり、のぞみ編成はJR東海の標準仕様にあわせたが、さくら編成はJR西日本500系などでも使用する方法を採用した。車輪表面のディスクブレーキは新幹線ならではだが、その光り具合の差がわかるだろうか。全Mの さくら編成は当然台車もモーターつきで、その影も確認できる。

N700系7000・8000番台は、鉄道の国際デザインコンペであるブルネル賞 第11回最優秀賞を共同で受賞、2011年グッドデザイン金賞にも選出されている。またJR九州で展開した「祝! 九州」CMはカンヌ国際広告祭はじめ世界的な広告賞を受賞し、世間の評価も非常に高かった。改めて、鉄道の担う役割と影響度の大きさを感じるところである。
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2011/12/26 00:00
10月末の日曜日、都電荒川線のとある電停。すぐ脇の交差点にカメラを手にした人々が集まり、その様子に興味をもった通行人も加わって人垣が膨れ上がっていく。
やがて道路の向こうから、ケーキ店の化粧箱をイメージした白い車体の電車が現れた。車両には大きなデコレーションケーキが飾られている。都営交通100周年を記念して、都電で33年ぶりに復活した「花電車」だ。

花電車とは、記念行事や大きな祭の期間に装飾を施して走る路面電車のこと。使われなくなった2軸の「単車」、電動貨車や入換動車などを改造し、台枠の上に造花や人形などを満載して電飾で派手に仕立て上げた。すぐ上から電気を取れるから、電球も好きなだけ使えたわけだ。
路面電車の相次ぐ廃止とともに花電車の数も減ってしまったが、「博多どんたく港まつり」が有名な福岡市では、市内の路面電車を営業していた西鉄がトラック改造の「花自動車」を走らせている。厳密には花電車ではないが、貸切電車または一般車両に電飾を取り付けて運行するケースもあるし、ラッピング車両も広く考えればその一員といえる。

花100 都電

花100

  • 都電荒川線 王子駅前→飛鳥山 2011-10
  • D700, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO250

都電に帰ってきた花電車はその名も 花100形、7500形(7510号) からの改造車である。7000形と同じく荒川線で長く主役を勤め、1984年からこちらも車体更新改造も受けてイメージを一新したが、老朽化が進んで新型車両に置き換えられ、ことし3月までに全車除籍された。
花電車への改造では車体の側板を撤去し、もと客室部が装飾スペースとなっている。ついこの間まで乗客を運ぶ現役車両だったとは言われなければ気づかないだろうが、運転台は種車をそのまま使った密閉式で (この種の車両は運転台が吹きさらしであることが多い)、フロントマスクに以前の面影が見られる。屋根も残っており、昨今のトロッコ車両――風っこやノロッコ号のような改造法といえるだろう。
車体の改造は今年はじめに済んでいて、3月には荒川車庫へと搬入されていた。東京市が路面電車事業を買収し、電気局として運営を始めたのが1911年8月ということで、花電車も6月〜8月にかけての運行を予定していたのだが、震災と電力事情の影響で延期され10月にようやく運転となった。

花100 都電

花100

  • 都電荒川線 飛鳥山→王子駅前 2011-10
  • D700, AF Nikkor 35mm F2D, ISO400

今回のテーマはもちろん、100周年を祝うバースデーケーキ。大きなチョコに "100th Happy Anniversary" の飾り文字、イチゴとロウソクの脇には一世紀間に走った東京の交通 (電車・バス・地下鉄・新交通システム) のオブジェが並ぶ。ちなみに東京都は路面電車(都電)・高速鉄道(都営地下鉄)・バス(都営バス)、だけでなくモノレール(上野動物園)・新交通システム(日暮里・舎人ライナー)と、国内最多5種類の交通機関を運営している。都道府県が交通局を持っているのも、長崎県(県営バス)とともに国内2例だけだ。

運転時期が予定より遅れて日の短い季節になったため、後半は日暮れから夜にかけての運行となった。きらめく灯りは、ことしは特に暖かく感じる。戦後高度成長期を迎えるまで街の夜は今よりずっと暗かっただろうから、花電車の放つ光はさらにまぶしく輝いていたに違いない。



◆2011年の新規記事は今回で終了いたします。
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光の機関車

2011/12/17 00:00
国鉄の路線から蒸気機関車の姿が消えたのは1975年12月のこと。14日、室蘭本線でC57 135牽引による旅客列車の最終運転に続き、24日にD51 241牽いる夕張線 (いまの石勝線) の石炭列車が、本線運転の締めくくりとなった。
折からの「SLブーム」と、消え去るものを惜しみ懐かしむ多くの声によって、役目を終えた機関車は各地で静態保存された。筆頭は梅小路に代表される国鉄〜JRの博物館収蔵機だが、そのほかにも公園・学校から民営施設・個人まで、全国各県へ (沖縄県にまで!) 持っていかれた。形式としてはD51やC11といった多数量産されひろく親しまれたものが多く、そういう意味ではことし復活したC61など、よくそんなマイナー形式が残っていたものだと今にして思う。

蒸機に限った話ではないが、たとえ静態保存でもその姿の維持には丁寧な保守と、なによりお金がかかることは間違いなく、保存機たちの現状はそれこそピンキリである。OBの方々はじめボランティアによって手厚く保護され、明日にでも走り出せそうな良個体もあれば――最低その程度でないと動態復元の候補にもならない――、打ち棄てられ部品も無くなりボロボロになったものも。現役当時はふつうに使えたアスベストの残存問題も深刻で、そんな事情から保存両数は少しずつ減ってきている。

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C11 292

  • 新橋駅前SL広場 2011-8
  • D700, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO200

都区内でもっとも簡単に見られる保存蒸機というと、新橋駅「SL広場」のC11 292だろうか。日比谷口駅前に設置された同機は、京浜東北線の北行電車からも容易に見ることができるし、TV街頭インタビューが良く行われる場所柄、画面にチラと登場することも。屋外露天に置かれている割に、その状態は悪くなさそうに見える。
1972年から当地で保存されていて、当たり前のように置かれている車両であったから、本線を何百回と通過してもほとんど関心も持たないまま今まで来ていたのだが、あらためて眺めてみるとちょっと印象が違う。ボイラー上部に載った蒸気ドームと砂箱のカバーが四角いのだ。このスタイルは「戦時型」と呼ばれた簡易工作の名残である。
戦時中に急増した鉄道貨物輸送に応えるため、国鉄は大型機D51, D52のほか支線の小単位輸送向けにC11も増備する。車両メーカーのほか国鉄工場でも大量生産し、とにかく早く両数を揃えるため形態は二の次とされた。鉄鋼資材の不足からデフレクターやランボードなどを木材で代用し、ボイラー自体も粗雑なつくりで、5年も持てばいいという非常設計だった。
粗製と酷使で疲弊しきった戦時型は、戦後混乱期を脱すると本来の設計で整備しなおされたが、性能に関係しない部位についてはそのままとした車両も多い。いま真岡鐵道・JR東日本で活躍するC11 325は角ドームのまま保存され、復活整備時にようやく標準型へ復帰した。292号機もデフは鉄板に交換されたが各所の面取りは省略され、カクカクしたスタイルを残している。

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C11 292

  • 新橋駅前SL広場 2011-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

そんなC11もホリデーシーズンを迎えてイルミネーション装飾が施され、11月21日から点灯を開始した。本物と同形状に機関車の輪郭を描く電飾は、ご丁寧にドームまでしっかり角型をなぞっているのがおもしろい。今年のテーマは (昨年とほぼ同じという)「宇宙に飛び立つスペーストレイン」で、約2万個のLED・ライトアップとオリジナル音楽で行きかう人々を楽しませている。2012年1月7日まで。
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ミルクとチョコレート

2011/12/10 00:00
JR京都線 (東海道本線) の下り電車で高槻(たかつき) を出発すると、しばらくして車窓右手に大きな茶色の壁が出現する。その正体はことし2月、同場所にある明治製菓大阪工場の壁面へ設置された巨大チョコレート、その名も「ビッグミルチ」。
明治チョコレートといえば、1編成をチョコレート色に装った「山手線命名100周年」E231系が記憶にまだ新しいが (しかしあのとき撮ったサハE230-503,504はもう北長野へ旅立ってしまった)、この巨大看板も見てみたい、なんとか画面に取り入れられないかと思っていた。
大阪側から普通電車で摂津富田(せっつとんだ) に降り、駅から約10分ほと歩くとチョコレートのかけらが見えてきた。近づくほどに笑ってしまうほどの大きさだ。もはや壁にしか見えないが、同社ではこれを「世界最大のプラスチック製広告看板」としてギネス世界記録に申請中。高さ27.6m×幅165.9m、「明治ミルクチョコレート」に換算すると約38万枚分になるという。

JR京都・神戸線はアーバンネットワークの基幹路線であり、北陸特急街道の発着点でもあるから被写体には事欠かない。とはいえ背景の関係上、ここは白っぽい車両のほうが引き立つような気がする (逆に長岡京コスモス畑はステンレスや濃い色の車両が似合う)。
画面右手は住宅で隠れ、すぐ左に架線柱がかかる。高槻停車の新快速や普通ならまだいいが、100km/h以上でいきなり視界にあらわれる特急電車へすばやく照準を合わせるのは、やはり容易ではない。

クロ683-4511

クロ683-4511

  • 東海道本線 摂津富田←高槻 2011-10
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

右からライチョウ色 (冬羽) の683系4000番台が飛び込んできた。681系から続くJR西日本 交直流形特急の決定版で、これの増備により2011年3月改正で485系〔雷鳥〕がすべて置き換えられた。
ほかの番台との違いは、6両+3両で運用していたのから9両編成になったこと、パンタグラフが下枠交差式からシングルアーム型に変更されたこと、衝突安全性を高めた設計から車体隅の造形に若干変化が見られることなどがある。サービス面では座席の改良とグリーン車全席へのAC100Vコンセント設置などが行われた。
それらよりも印象が強いのは、大阪方の先頭形状が変わったこと。編成の自由度を高める目的で、それまで流線形であったクロ683についても高運転台貫通形に変更した結果だ。ただし現時点でこちら側への増結は検討されていないので貫通路は整備されず、ふさぎ板を貼り付けてある。順序は逆だがクハ481-200やクハネ581の一部でも同じような車両が登場した。趣旨はわかるが中央になにも置かれないのっぺりした顔にはどうも馴染めず、両開き扉を設置した従来車のように鼻筋があるだけでも違うものだなと感じる。
右端にチラと見える小窓は、本来喫煙ルームとして設計されていたものだ。登場前に全車禁煙化が決定したため「空白地帯」となってしまい、結局携帯電話通話スペースとして開放されている (公衆電話は置いていない)。

京阪間を通る特急列車は〔サンダーバード〕〔はるか〕が主なものだが、京都総合車両所との回送で福知山線〔こうのとり〕、きのくに線 (紀勢本線)〔くろしお〕〔オーシャンアロー〕も通過する。
国鉄時代、阪和・紀勢線の列車は阪和電気鉄道のターミナルを受け継いだ天王寺発着であったが、1988年に開催された「なら・シルクロード博」向けの臨時快速として、梅田〜西九条〜安治川口間の貨物ルートを活用した新大阪〜西九条〜天王寺〜奈良という経路で直通運転を開始。翌年には天王寺駅に関西本線〜阪和線の連絡線が完成し、〔くろしお〕の一部列車が新大阪・京都へ乗り入れるようになった。
天王寺発着列車には新幹線からだと新大阪・大阪・天王寺と3回も乗り換えを要するし、乗継割引が適用できない。比べて新大阪なら乗り換えは1回、乗継割引も効く。どちらが便利かは言うまでもなく、現在定期列車は新大阪・京都発着に集約された。

クロ380-2

クロ380-2

  • 東海道本線 摂津富田←高槻 2011-10
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

紀勢本線はとくに紀伊半島南部で急曲線の連続する隘路であったから、電化とともに振子車両の381系が投入され、〔くろしお〕はエル特急となった。クロ380は客室グレードアップを行った〔スーパーくろしお〕に連結するパノラマグリーン車としてサロ381から改造された車両で、サロは全車先頭車化あるいは普通車と設備交換され廃形式となっている。
パノラマ車両は283系〔オーシャンアロー〕にも引き継がれているが、〔くろしお〕の取替えで投入される287系は683系4000番台同等の先頭車となってパノラマ形でなくなる (さらに普通車合造となりグリーン席は大幅に減少)。振子車両でもないが、低重心設計と加減速度アップで補われるという。制御付自然振子の実用化で各社に波及した振子車も、構造の複雑さゆえにコスト上昇が避けられず、今では退潮傾向となってしまった。

上の画像より背景のチョコが大きく見えるのは、カメラ位置を後退させ焦点距離を伸ばした結果で、望遠圧縮効果の妙である。こうしてみるとそびえ立つ巨大チョコはなかなかの迫力。
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平成23年3月東北地方太平洋沖地震により被災された皆様に、謹んでお見舞い申し上げます。あわせて、被災地の一日も早い復興をお祈り申し上げます。



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