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みんなの「気動車」ブログ


風が吹いている

2015/07/07 00:00
高城町を出た仙石線の電車はトンネルを抜けると、水田を見下ろす築堤に出る。ほどよい高さにある線路と付近の景色は、103系を狙ったころと変わっていないようだ。
冷たい風が吹く中、いつものように線路に並行して構え、電車がやってくるのを待つ。右から205系のカラフルな電車があらわれた。「マンガッタンライナーII」だ。萬画の街、石巻は石ノ森章太郎の出身地で、氏の生み出したキャラクターを1両ごとにあしらったラッピング車両である。
仙台に戻ると、発車案内に〔スーパーひたち〕上野ゆきの文字が。夕方にもまだ早く、浜通りをたどる4時間の道のりにもすこし誘惑されたけれど、以前にも乗っているし…とあっさり東北新幹線に切り替えて2時間で東京に戻った。2011年2月のことだった。

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クハ204-3102

  • 仙石線 高城町→手樽 2011-2
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

震災で大きな被害を受けた仙石線が2015年5月30日、ついによみがえった。休止中だった高城町〜陸前小野間の運転を再開、あわせて東北本線と仙石線を連絡線で結んだ「仙石東北ライン」も正式に開業した (書類上はダイヤ改正日の3月14日に開業)。これは東北本線の松島駅近くで仙石線が近接する場所にわたり線を設けたもので、従来から保線用に線路がつながっていた (ただし向きが逆) のを活用、拡張して営業路線とした。分岐点は松島駅構内扱いで松島〜高城町間に0.3kmの営業キロが設定されるが、旅客は両駅を直接行き来することはできない。
連絡線を挟んで前者は交流電化、後者は直流電化だから交直セクションが設置……とはならず、渡り線は非電化のままで、通過する営業車両は同ライン開業に向け登場したハイブリッド気動車HB-E210系となる。キハE200HB-E300につづき回生電力吸収用バッテリを搭載した電気式気動車で、JR東日本ではすでに手堅い構成といってもいいかもしれない。同社は今後キハ40系列の置き換えとして純粋な電気式気動車の新製を計画している。
車両はE721・SAT721系と同様の3ドア式。しかし同系のような低床構造とはならず、新潟地区に投入されたE129系と似た車体で、屋上もバッテリなどがあるため残りは客室内に機器室として置かれている。山側に偏っているのは、塩害対策に海側の眺望・採光も意図したものだろう。気動車列車扱いなので列車番号は「D」、車内放送で「この電車…列車は、仙石東北ライン…」と言い直すのが印象に残った。

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HB-E212-4

  • 仙石線 高城町→手樽 2015-5
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO125

すこし高い位置にある線路のロケーションは幸いにも不変だった。風が吹き続ける中、電車や気動車の撮影に立った道路は海岸から最短約300mで、記録によればすぐ後ろまで浸水したらしい。ひととおり撮影して手樽に戻り、やってきた石巻ゆきは「マンガッタンライナー」初代編成である。以前は土休日の一部快速列車に固定されていたが、5月改正以降の快速は仙石東北ライン直通のみに設定され、電車はすべて各駅停車となった。ただ高城町から仙石東北→仙台方面へはあまり接続が良くないので、松島観光なら従来通り仙石線が速くて便利だ。
陸前富山から海岸線にさしかかると防波堤がかさ上げされ海は見えにくくなったが、つぎの陸前大塚からは景色が広がった。移設区間にある東名(とうな)、野蒜(のびる) 両駅の周囲はまだ区画のみ整備された状態で、丘の切れ目から見える海岸方向はまだ時が止まっているかのようだ。
吉田・鳴瀬川橋梁の手前で旧線と合流、この橋は2000年に河岸整備の一環および強風による運行支障で移設されていたものである。国鉄時代から仙石線の線路改良は、石巻線と別駅舎だった石巻駅の移転統合 (1990年)、仙台市中心部の地下化とあおば通延伸 (2000年)、多賀城付近の連続立体交差 (2012年完成)、と細かに行われてきた。

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クハ204-3108

  • 仙石線 高城町←手樽 2015-5
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO200

ひさしぶりに電車のマンガッタンライナーを迎えた石巻駅はにぎわっていた。不通区間の代行バス (松島海岸〜矢本間) とは別に三陸自動車道経由の直通路線バスが走り、都市間連絡を担っていたが、仙石線の全線再開により便数を減らすこととなった。またマンガッタンライナーは暫定的に石巻線キハ40へのラッピング車として運転していたが、こちらも本家にバトンを渡し、同線はキハ110系に車両置き換えとなっている。
駅移設により一足早く再開した石巻線の女川まで、そのキハ110で往復してから再び仙石線へ。仙石東北ライン快速は2両だとさすがに混雑していた。鳴瀬川の土手に上がると、移設区間の丘陵地から降りてくる電車・気動車が、陸前小野までずっと眺められる。河口に目をやると、海岸には松がまばらに並んでいる。風は変わらず吹き続けていた。
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DとMと

2015/02/28 00:00
気動車・ディーゼルカーの性能が電車と変わりなくなったからだけではないだろうが、最近では電車でないものを「電車」と呼ぶ人は少なくない。車両側でもそれは言える話で、電気式ディーゼルのDF200とか、ハイブリッド車両や畜電池車といった、架線のないところをモーターで走れる車両も増えてきた。
とはいえ特殊なものでなければ列車番号末尾Mの電車列車は非電化区間には入ってこず、逆にDの気動車列車は電化区間でも平然と走る。運用の都合、需要の関係から電化区間だけを走る気動車は以前から「架線下DC」などと呼ばれてきたが、名古屋近郊の武豊(たけとよ) 線も全区間に架線が張られたことで、そこを行き交う列車は架線下DCになった、といってもこれは一時的なものだが。

キハ75-501

キハ75-501

  • 武豊線 東浦→亀崎 2014-6
  • D7100, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO160

武豊線は東海道本線の大府から分岐して知多半島の武豊に向かう路線で、大府の南方でまっすぐ南へ向かう同線に対し、東海道本線のほうが東へ曲がり、こちらが分岐線のようにも見える。これは東京〜神戸間鉄道の建設時に中部地区への資材運搬を目的として、武豊港から大府への線路がまず敷設されたことによるもので、途中の亀崎は現役では最古とされる明治生まれの木造駅舎を持つ、伝統ある路線である。
そんな歴史とは裏腹に、名古屋からそう遠くないところにありながらこれまで非電化単線で、西を走る名鉄線に対して一般形気動車が細々と行き交うローカル線だった。それが1999年に強馬力キハ75形の投入などで輸送改善が行われ、2010年には全線電化が決定した。
名古屋から東海道線で約20km、そこから武豊線が約20km。電化・非電化の直通運転と、その比率は烏山線に近い同線だが、こちらは手堅く電化してふつうの電車に走らせる方法を取った。電化設備を追加しても、近郊の路線と車両を共通化するメリットが大きいということだろう。電化は2015年3月、ダイヤ改正に先立って3月1日から気動車が一斉に電車へ置き換えられる。

キハ25-101

キハ25-101

  • 武豊線 東浦→亀崎 2014-6
  • D7100, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO160

そんな武豊線に2011年から新形式が入った。形式はキハ25、かつて国鉄一般形のキハ20系で片運転台タイプの車両をキハ25形としており(形式1位の5〜8が片運転台)、二代目にあたる。2両編成で走るスタイルはご覧の通り313系電車とそっくりで、車内も同じ配色で転換クロスシートが並ぶ。車体外観は客用ドア下部に張り出しがついて、パンタグラフの代わりに排気管がある程度の差異だ。
昨年夏に訪れた段階で武豊線はすでに架線も張られており、そこに電車のような形をしたキハ25が行き交う光景はまったく違和感がなかった。名古屋からの直通快速はこれまで同線の主役だったキハ75。キハ25投入で一部は関西本線・参宮線の快速〔みえ〕の増車にまわっていて、残る車両も追加増備のキハ25-1000番台(ロングシート仕様)とともに高山本線や太多線などに転じ、国鉄形キハ40系および鋼製キハ11形を置き換える予定 (ドア下の張りだしはステップになる)。新幹線を含む電車は211系のごく一部をのぞき国鉄形は一掃、機関車・客車に貨車もすべてなくした同社の車両は、JR世代のステンレス・アルミ車でほぼ占められることになる。
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星めぐりの旅

2014/10/14 00:00
10月14日は鉄道の日。「陸蒸気」の汽笛からはじまった日本の鉄道はやがて電車と気動車が主流となり、都市近郊のみならず長距離輸送を動力分散型でまかなう世界的にも珍しい国である。その頂点に立つ新幹線は、10月1日に開業50周年を迎えた。いっぽうで蒸気機関車の復活運転も各地で行われ人気を博しているが、近年で牽引すべき客車がほとんどなくなっているという課題がある。
釜石線でこの春から復活運行がはじまったC58 239〔SL銀河〕では、牽引される車両を気動車つまり動力車とした。これは急勾配区間で力行することで補機の代わりとするものだ。連結器の互換性があることから客車列車のうしろに気動車をぶら下げて回送するといったことは国鉄時代にはよく行われたし、特殊な装置で電車と併結して動力協調運転(総括制御)する例もあった。しかし蒸機と気動車の動力協調ははじめてのケースといえる。

〔SL銀河〕の名は、宮沢賢治の代表作として知られる「銀河鉄道の夜」から取ったものであり、当の釜石線の愛称「銀河ドリームライン釜石線」も同じ由来だ。花巻〜釜石の各駅および山田線の釜石〜浪板海岸間(休止中) にはエスペラントの副名称がつけられているが、今般のSL復活に合わせて釜石線の駅名票が新デザインに切り替えられた。
列車は土曜日に往路(花巻→釜石)を運転、日曜あるいは月祝日に復路が運転される。いずれも昼間の走行であるから、ポスターに載っているような満天の銀河下を走る写真 (釜石線の代表的な撮影スポットでもある宮守橋梁)にはならないけれど、11月末の今季運転終了後にナイトクルーズ企画が行われる。

「旅客車」はJR北海道から購入した「PDC」ことキハ141・143系である。「レッドトレイン」こと50系客車グループのうち、北海道向けに製造された51形(オハフ51)にディーゼルエンジンなど動力機器を装備して気動車化したもので、もともとは客車なのだった。郡山総合車両センターで改造、2014年1月に落成しC58とおなじく盛岡車両センターへ配属された。

銀河鉄道の夜


漁に出たきり戻らない父と病床に臥す母のため、学校に通いながら働きに出て生計をつなぐジョバンニは、クラスメートと遊ぶ暇もなく浮いた存在であった。(父は密漁で捕まっているのだと)からかう周囲の中、カムパネルラだけはさびしい笑いを浮かべるのだった。
銀河についての授業があったその夜は「ケンタウル祭」銀河のお祭りで、子供たちが烏瓜(からすうり)の灯りを川に流しに行く。そこでも仲間に加われず、丘の上でジョバンニはひとり星空を見上げ銀河のかなたに思いを馳せていた。そのとき突然「銀河ステーション」という声とともに目の前が真っ白になって……


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キハ143-701


列車は深い藍色から水色へと移り変わる8段のグラデーションで夜空を表現し、金色で東北のゆたかな自然と星空を表現する。作中カムパネルラが持っていた銀河鉄道の地図もモデルであろう。
星座イラストは打ち抜き型を車体に貼り付けてあり、陽光を受けて輝きを見せる。4つの星座は「銀河鉄道の夜」ストーリーの中核となり、銀河(天の川) 周辺に見える星座である。釜石方4号車は はくちょう座。夏の夜空高くに見ることができる、代表的な夏の星だ。

いつの間にか銀河鉄道に乗っていたジョバンニは、目の前にカムパネルラが座っていることに気づく。彼は同級生のザネリはじめ他のみんなは走ったけれど追いつかなかったと語った。列車は銀河に沿って、北十字(はくちょう座異名)から南十字星へまっすぐに走っていく。
白鳥の停車場で二人はプリオシン海岸へ行き、発掘作業を見学する。戻った二人は不思議な鳥捕りの人と相席になる。売り物を分けてもらったがそれはお菓子としか思えなかった。


キハ143-701はもとキハ143-155←オハフ51 27。編成内で唯一ボルスタレス空気ばね台車を履いており、450ps出力機関から1台車を2軸駆動している。窓がなく星座の描かれた部分は、宮沢賢治ギャラリーとSLギャラリー、ショップおよび車椅子対応トイレとなっている。
SL牽引中PDCの運転台ではブレーキハンドルが抜かれ、上り勾配で必要に応じPDC側のノッチを投入する。逆に連続下り勾配では機関車のブレーキを使いすぎると動輪のタイヤが緩むおそれがあるので、機関車のブレーキは緩めてPDCのブレーキだけで降りてゆくという、従来の客車と同じ方式が取られている。

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キサハ144-701


3号車の星座は わし座。α星アルタイルは はくちょう座のデネブ、こと座のベガを結んで「夏の大三角」を形成し、またこと座ベガとアルタイルはおなじみ七夕の星である。
客車の動力車改造は国鉄時代にもキハ40(先代)という旧型客車改造車(!)があったが、重量のかさむ車体に非力なエンジンで成功しなかった。それよりは軽量な50系の車体と出力の増えたエンジンによって、実用的な車両となった。
JR西日本でも同グループのオハ50を種車にしたキハ33形が登場したが、運転台取付のためドア移設などを要し、改造は2両にとどまっている。北海道のPDCは種車をすべてオハフ51形とした。オハフ50・51は両端に車掌室とトイレを持っており (逆にオハ50・51はどちらもない)、これを運転室に充てることで改造の手間を省いた。運転台のないキサハも同じくオハフを種車としている。

列車では検札が行われた。切符を買った覚えのないジョバンニが何でもいいからとポケットから出した一枚の紙が、幻想四次元を自由に旅行できる切符であることが判明する。鷲の停車場を出ると鳥捕りの人はいつの間にか消えて、かわりに幼い姉弟と家庭教師が乗ってきた。
3人が乗った客船が、突然氷山に衝突して沈没したのだという。船体は大きく損壊し、限られた救命艇には子供たちしか乗せられない。混乱の中、家庭教師も一度は子供を助けようと救命艇に向かうが、そこで目にした運命の別離を前に、いっしょに主のみもとへ向かうのが本当の幸せではないかと感じ、子供たちの手を取り海中へ沈むことを決心した。


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キサハ144-702


2号車の星座は いて座。いて座そのものは物語に直接登場していないが、「銀河の祭り」がいて座のモデルであるケンタウロスの祭で、そのほかごく初期の稿には「鉄砲の上がる方角」として いて座の名が出てくる。
種車はキサハ144-101←キサハ144-151←オハフ51 33で3度の改番を経た車両である。当初キサハでは唯一トイレを残した151として改造され、のちに撤去された。

妖しく光るさそり座の赤い火が車窓に見え、少女はさそり座の話をはじめる。砂漠の中、毒針で獲物を捕るさそりは逆に敵から襲われ逃げる途中で井戸に落ちてしまう。そのとき自分の業の深さにはじめて気づき、みなのほんとうの幸せになるならと神にその身を差し出すと誓った。
南十字星(みなみじゅうじ座)、天上が近づいてきた。降りたくないという弟に、神のみもとに行くのですからと諭す家庭教師。ジョバンニたちはほんとうのたったひとりの神さま、ほんとうのさいわいとは何かを語り合った。


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キハ142-701


花巻方1号車は さそり座。日本では夏の夜空の地平近くに見える、赤い星(アンタレス)を持つ星座である。窓のない部分は、月と星のミュージアム およびプラネタリウムが設置されている。
こちらの動力は320ps出力のエンジン2基で、各台車の1軸ずつを駆動する。エンジンはJR東日本仕様に交換された。気筒ブロックが水色に塗られているのが特徴である。学園都市線電化後のPDCは、キハ143形のみが室蘭本線へ転属した以外は多数が海外譲渡・解体となっており、キハ141形は廃形式となった。キサハ144もいちど廃形式となり、〔SL銀河〕の2両が登録されて形式復活した。

PDCは勾配区間での動力補助のほかにも役目があって、それは東北本線・盛岡〜花巻間の回送でC58「を」牽引することである。盛岡から釜石線方向は花巻でのスイッチバックとなり、転車台は盛岡と釜石のみ整備されているため、同区間では編成後部に逆向きC58を連結して回送される。SL逆向き輸送は速度制限があり、花巻空港駅で長時間停車するので、一日片道運転の列車だが回送も含めれば回数は稼げる。

南十字に到着した列車から、子供たちを含むほとんどの乗客が降りて行った。「ほんとうのしあわせ」を探しに行こうと誓った二人を乗せた列車は、石炭袋と呼ばれる暗黒星雲へ進路を取る。
そこにお母さんがいると話すカムパネルラ。しかしジョバンニには見えず、なんとも言えずさびしい気がした。もう一度カムパネルラにいっしょに行こうと言ったジョバンニが振り返ると……


撮影: 東北本線 石鳥谷←花巻空港 2014-3, D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO200
出典: ちくま文庫「宮沢賢治全集 7」ISBN4-480-02008-X, 1985, 筑摩書房
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電車がきます

2014/06/07 00:00
宇都宮から東北本線で2駅、宝積寺(ほうしゃくじ) から分岐し烏山(からすやま) まで走る烏山線は、関東でも残り少ない非電化路線。宝積寺や大金(おおがね) といった縁起の良い駅名もあり、線内7駅と同線を走るキハ40 1000番台(8両)には七尊のシンボルマークが掲げられている。
これまで全列車の番号が気動車を示す"D"だった同線に、今般2014年3月改正では"M"の列車番号が登場した。"M"は電車を示す列車番号のひとつ、架線のない路線に電車は来るのか? その答えは、同線でデビューした新型車両“ACCUM(アキュム)”にある。

電車もときには自走できない区間へ乗り入れる。山陽時代の151系〔つばめ〕がEF30・ED73牽引で交流電化の九州へ足を延ばしたのは有名だし、80系電車の準急〔草津〕は当時非電化だった長野原線(→吾妻線) へC11あるいはC58の牽引で乗り入れていた。必要になる照明・空調の電源は、連結器の違いを吸収する控(ひかえ)車などから供給される。485系和式電車「リゾートエクスプレスゆう」は俗に「ゆうマニ」と呼ばれるマニ50を連結して水郡線などに乗り入れ、また同系カーペット車両「NO・DO・KA」やE655系ハイグレード車両「和(なごみ)」は編成内にディーゼル発電機を装備し、直接機関車に牽引される。いずれも当該区間では「客車列車」扱いとなる。
ACCUM最大の特徴は、架線なしでも自走可能なことだ。電化区間では架線電力で走行と同時に床下のバッテリーを充電し、非電化区間では電池を使用、終点の駅でふたたび充電する。このように最小限の電気設備でローカル線の「電化」が可能となることが、蓄電池方式の利点といえる。
構内入換や鉱山などでバッテリーロコを使用する例はあるものの、動力とサービス電源を長時間供給するには相当な容量の電池が必要になる。小型軽量で大容量、急速充電可能で高効率のリチウムイオン充電池の進化によって、はじめて本格的な蓄電池車の運用が可能となったのだ。なおACCUMの愛称は、蓄えるという意味の英単語 accumulate から取られたものである。

キハ40 1007−キハ40

キハ40 1007−キハ40 1004

  • 烏山線 下野花岡←宝積寺 2014-4
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

烏山線の列車は、大半が東北本線に乗り入れ宇都宮まで直通する。電化・非電化区間とも適当な距離があることから蓄電池車のテスト路線に選ばれ、烏山駅構内に配電設備を建設して試験車両クモヤE995-1「スマート電池くん」による実地試験が行われた。ちなみに同車はディーゼルハイブリッド試験車として登場し、いったん除籍後燃料電池駆動試験車にもなっていた。
この結果を基に実用車両第一弾として登場したACCUMの正式名称はEV-E301系、EVはクルマではElectric VehicleであるがこちらはEnergy storage Vehicle (車体ロゴはEnergy Accumulating Vehicle)。EV-E301, E300の両形式とも片方の台車にモーターを架装し、国鉄式の標記では「クモハ」にあたる。現在は2両編成1本だが、将来は烏山線の全列車を同系に置き換える計画という。

ACCUMの運転は一日3往復 (1往復は線内折り返し)、時刻表では前述の通り列車番号の"M"で判別可能だ。まずは乗ってみようと、上越線からE7系(これも試乗)→E5系のリレーで宇都宮へ。LED式発車案内にも「ACCUM」の文字が表示されていた。
待つことしばし、宝積寺方からACCUMが到着。架線下でパンタをかざした車両は何の変哲もないローカル電車である。ACCUMは総合車両製作所(J-TREC) が製造する新型ステンレス車体“sustina(サスティナ) ”第二弾だ。第一弾である東急サハ5576のようなアルミ合金製車体そっくりのフラット外板でなく、外見はこれまでのステンレス車と変わっていない。車内の雰囲気はいまどきのJR東日本車に共通のもので、3扉ロングシートでトイレはない。
やがて時刻となり、おもむろに起動したACCUMは宝積寺まで架線集電で走る。烏山線のりばへ転線すると、運転台に「強化架線区間に入ります。」と自動音声が流れた。同駅では烏山線内折り返し列車が急速充電を行うため、ACCUMが停車する位置だけパンタと触れる架線 (トロリ線) を太くして、電流容量を増加させているのだ (パンタ2基を使うのも充電電流確保のためである)。いっぽう終点の烏山では、地下鉄などでよく使われる鋼体架線が急速充電をサポートする。
停車すると運転士は電源を架線からバッテリーに切り替えるが、客室内でそれがわかるのは車端部に設置されているエネルギーモニタの表示内容くらい。続いてパンタグラフを降下させ、2分停車ののち発車。右にカーブを切り東北本線と別れると「稲妻マーク」架線終端標識を通り抜け、電車は青空の下を走りだした。
検査時にはキハ40で代走することになるため運転速度は変わっておらず、ACCUMはゆったりとジョイント音を刻んでゆく。ワンマン運転となり、途中駅では運転台直後しか内側から開かないので戸惑う地元客もいるが、それで発車が少し遅れてもすぐ取り返せそうだ。上りと交換する大金の手前、鴻野山(こうのやま) で試乗を終え、首都圏色 (キハ40 1004: 大黒天) と旧標準色 (1007: 寿老人) のペアで来た道を戻る。

EV-E301-1−EV-E300-1

EV-E301-1−EV-E300-1

  • 烏山線 下野花岡→宝積寺 2014-4
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

宝積寺から徒歩20分、築堤にかかる直線区間にカメラを据える。春の西日が線路北側へ回り込んできた。さきほどのキハ40が烏山へ向かうのを撮ってさらに待つこと40分、左手からACCUMが現れた。
屋上パンタグラフ・スリ板のホーンや床下のリチウムイオン蓄電池のプレートを含め、緑色を基調とする車両の中で両開き扉の中央が黄色く目立つ。最近の車両は視覚バリアフリーの目的で扉内側に黄色いテープを貼っているが、ACCUMでは戸当てゴム自体を黄色くしているのだった。屋上のパンタグラフが降りているのに何食わぬ顔で走っていく電車はどこかヘンだが、ローカル線の新たな近代化策として、やがてふだんの風景になるのだろうか。
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ゼロマエ・□マエ

2014/05/24 00:00
「なんだこの列車は!?」
そう言ったのは、ほかでもないJR四国である。2014年3月、四国の南西、宇和島と窪川を結ぶ「しまんとグリーンライン」予土(よど) 線に、なんと新幹線が走り出した。……といってもその実体は、在来線ローカル気動車を新幹線の始祖0系に見立てて運転するというもの。同線で1984年から運行しているトロッコ列車〔清流しまんと号〕、2011年から運行開始したフィギュア列車「海洋堂ホビートレイン」につづく予土線3兄弟 (とこれまたJR四国自身が宣伝している) の末弟が、「鉄道ホビートレイン」だ。
四国は2013年まで軌間可変車両(フリーゲージ) 試験車が長期耐久試験をしていたくらいで、整備新幹線は基本計画の域を全く出そうにない。そんな地域と新幹線の縁は、1964年開業の東海道新幹線計画を推進した第4代国鉄総裁 十河信二(そごう・しんじ) が愛媛県生まれであること。出身地に近い伊予西条駅(西条市) の「四国鉄道文化館」には、0系実車(21-141) のカットモデルも展示されている。

キハ32 4

キハ32 4

  • 予土線 伊予宮野下→務田 2014-4
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO250

鉄道ホビートレインへの変身は、巷で言われる「魔改造」の域に達していた。愛媛・高知県のローカル運用についているミニDC キハ32の1両 (キハ32 3) 全体をアイボリーと青でラッピングし、さらに0系の前頭部を模したお面を取り付けたのだ。
いまどきの新幹線は運転台が意外に低いけれど、0系や200・100系などは高運転台である。種車のキハ32はワンマン運転に適した低運転台で、この改造でも位置は変わっていない。最初に披露された予想イラストでは種車の前面に覆い被さるようにあの特徴的な「団子鼻」が描かれており、いったいどう処理するのかと思っていた。実車はまたまた予想の斜め上を行くもので、ボンネットの上半分は素通し、「光前頭覆い」の部分もメッシュで抜くことで、運転士の視界を確保している。運転台の表現も窓枠のみで、種車の行先表示を見通せるようになっている。
マニア受けは絶対しないだろうと思った車両だが、四国各地でお披露目ののち営業開始した同車の評判はなかなかのようだ。車内は「鉄道ホビー」の名の通り、棚に飾られた鉄道模型や床面に大きく描かれた古車両の形式図など鉄道一色で、客席の一角には0系が当初装備した転換クロスシートが4席配置されている (自由席)。

キハ32 3

キハ32 3

  • 予土線 伊予宮野下←務田 2014-4
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO250

こんな面白い車両を撮りに行かずにいられるか! と思うのはいいけれど、この予土線という路線は東京からとてつもなく遠いのだ。県庁所在地の松山・高知までもともかく、そこまで航空機でショートカットしたところで、そこから車でまだ1〜2時間はかかる。鉄道を乗り継ぐならなおさらのことだ。とはいえそれほど行きにくい場所であるために、豊かな自然が同線の走る四万十川流域にあふれていることも事実といえる。

同車の撮影にあたってもうひとつ問題になったのが、車両の向きだ。0系顔は連結器を隠すため、他車との連結を考慮して反対側は従来通りの「平たい顔」のまま。そして同車は0系顔を窪川に向けている。撮影の容易さ、光線の当たりでは窪川10:04発宇和島ゆき(12:17着) の4819Dが最適と思われたのだが――とはいえ現地に行くと予想通りにいかないのも常――、この列車だと平たい顔を先頭にして走ってくる。団子鼻を先頭に、かつ左向きで進行となると、宇和島13:10発近永ゆき4822D[土休日のみ]か、宇和島15:37発窪川ゆき4824Dしか撮れそうにない。そのうえ東方向へ向かう列車は北側から狙わざるを得ず、なんとか探り当てたポイントもピーカンだったら描写の厳しそうなところだった。
その本番に先立ちロケハンを兼ねて訪れた江川崎に近い緑濃い山間。エンジン音を響かせ、木々のむこうからファインダーにひょいと現れた単行の「0系」、しかも平たい顔に0系正面のイラストを描いたシュールな姿には思わず吹いてしまったけれど、改造内容は意外に(?)ちゃんとしたもので、屋根上は矢羽根形の検電アンテナ (平顔側にも!)、前面足もとはVラインに排障器も再現され、ヘッドライトは種車のシールドビームから導光する。後進時にフィルターをかぶせることで後部標識灯になるギミックも、「手差し」ではあるが本家通りだ。

キハ54 4ートラ152462

キハ54 4ートラ152462

  • 予土線 吉野生←松丸 2014-4
  • D7100, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO160

現在は(若井〜)川奥信号所〜北宇和島間の路線となっている予土線は、宇和島〜近永間が1914年に軽便の宇和島鉄道として敷設されたもので、予讃線よりも先に開業した南予地区初の鉄道だった。1933年に国有化され、江川崎〜川奥〜窪川は1974年に開業し全通した。「鉄道ホビートレイン」は予土線の開業100周年、全通40周年を記念した車両でもある。宇和島〜江川崎で軽便由来の曲がりくねった線路は、高知県に入ると一転して鉄道公団建設の高規格線路に変身し、四万十川の蛇行をトンネルと大型橋梁で一気に串刺ししていく。
日本最後の清流の風を肌で感じるトロッコ列車〔清流しまんと号〕は、屋根とベンチを設けた無蓋貨車トラ45000形 (トラ152462)をキハ54が牽引する。JRで一般客の乗れる二軸車両はこれと北海道のヨ3500くらい。ワム80000をトロッコ化し客車に編入した釧路湿原の「スタンディングトレイン」ハテ8001は昨年度除籍されたそうなので、JR線の二軸トロッコは同車が唯一となる。
2013年10月には水戸岡鋭治氏の手によってリニューアルが行われ、牽引車をキハ54 4専任とし、全身を山吹色にまとった新生〔しまんトロッコ〕として土休日に1往復運転される。



◆本記事が300回目でした。
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じぇじぇじぇ! J・ダイナー

2013/11/30 00:00
食は旅の楽しみの一つ。駅弁などを買い込み座席で食べるのもいいけれど、ちゃんとしたテーブルに載った温かいものを味わえるのは食堂車ならではのサービスだ……と言いたいところだが、いま時刻表でナイフとフォークのマークなんてほとんど見ないし、食堂を意味する「シ」の形式を持つ車両も絶滅寸前まで来てしまった。時代の流れといえばそうであるが、1980年代まで新幹線〔ひかり〕のほとんど、多くの在来線特急に(エル特急にも)日本食堂→J・DINER が営業する食堂車が連結されていたことを考えると、やはりため息をつくしかない。
そんななかで今年は食堂車の新形式が登場した。ご存じ「ななつ星in九州」。贅を尽くした豪華編成は食もその旅を特色づけるもので、最大定員30の7両編成にダイニングカー・ラウンジカーの2両が連結されている。
いっぽう北東北の八戸線でも10月から食をテーマにした列車、「TOHOKU EMOTION 〜東北レストラン鉄道」が走り出した。「ななつ星」とおなじく、旅行商品として催行される団体臨時列車の扱いとなる。こちらはキハ110系を改造した3両編成。改造車とはいえ新デザインの車両を撮りに行く機会をうかがっていたが、車両登場のニュースを何気なく眺めていると、“キハ110-701+キク112-701+キハ111-701”…キクシ!?「じぇじぇ!」 まさかの食堂車2形式目だった。

キハ110-213

キハ110-213

  • 磐越西線 堂島←会津若松 2013-4
  • D7100, AF Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO125

キハ100・110系はJR東日本が1990年から投入した新型気動車。非電化ローカル線も多く抱える同社が、老朽化し馬力も足りない国鉄形気動車の置き換えとサービスアップを狙い開発したもので、従来国鉄形との連結は考慮せず、軽量車体と直噴エンジンによって電車に匹敵する走行性能が得られた。なお後継であるキハE120形・キハE130系との併結は可能。
ラインナップは16m級のキハ100・101と、20m級のキハ110・111・112。このうち101は左沢(あてらざわ) 線用のロングシート車、キハ111・112は片運転台どうしでペアを組む (幅広貫通路を設けているのもこれまでにない仕様である)。室内は101を除きセミクロスシートでキハ100・110・111にトイレを設置、当然ながら全車冷房となり窓は固定化された。
この車両にはじめて乗ったのは磐越東線だったが、始発・郡山のスタートダッシュだけで、これまでのディーゼルカーと全く別次元だと理解できた。その後も多少の勾配をものともしない力強い走りだったことは、いまでも印象強い。
スカート部に銀色のパイプが並ぶ量産先行車 (TOHOKU EMOTIONの種車にもなっている) は釜石線の急行〔陸中〕むけに製造されたほか、秋田新幹線工事期間中の迂回列車として設定された特急〔秋田リレー〕にも充当された(300番台)。山岳区間を中心に投入されているが首都圏近郊の八高線 (高麗川〜高崎) でも運用されており、見に行くのは難しくない。

キハ111-701

キハ111-701

  • 八戸線 八戸→長苗代 2013-10
  • D7100, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO125

TOHOKU EMOTIONの運転開始は「ななつ星in九州」の営業開始と同じ週だ。限られた時間の中で両方狙いたいところだがスケジュールがきつい。「ななつ星」をテッパンのテンパル(天拝山−原田) で一撃後、福岡→羽田→青森と一気に飛ぶしかないのか……と思っていたのだが、公表された「ななつ星」詳細なダイヤを確認しようとして見えた文章が「ただし、2013年10月19日〜20日を除きます」……「じぇじぇじぇ!?」 土曜日の行先は決まった。そのあと北海道へ渡り〔SLニセコ〕(編成にはオハシ47という車両が連結されている) を撮ろうという、別な意味での欲張りプランである。
秋晴れの空の下、始発駅の八戸近くに構え列車を待つ。予想時刻から少し遅れて、左から白い列車がゆっくり近づいてきた。キハ110そのものも白めの車両だが、TOHOKU EMOTIONは真っ白なボディで、そこにレストランの外装をイメージしたレンガ状の模様がほどこされている (線がゆがんでいるのは陽炎のせいだけではない)。八戸方1号車は個室ダイニング、久慈方3号車は開放室のダイニングで、中央2号車には厨房とオープンキッチン、カウンターを設置。3両編成全体がひとつの食堂車だといえる。

キクシ112-701

キクシ112-701

  • 八戸線 八戸→長苗代 2013-10
  • D7100, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO125

もともとローカル向けと扱われていた気動車の食堂車は特急形のみの存在で、制御付随車「キクシ」も初登場。水の確保を第一とする厨房のため、およそ食堂車の床下は水タンクで占領され、初のディーゼル特急では食堂車を付随車キサシ80としていたが、その後編成出力向上のため走行エンジンを搭載したキシ80では水タンクを床上に置かざるを得ず、食堂定員はキサシ80の40に対し8名減の32だった。キハ181系ではエンジン強馬力化の余裕でふたたび付随車 (キサシ180) となっている。
キクシ112の定員は0、座席のない食堂車というのもめずらしい。それでいて運転台がある (まず使用されないだろうが) 車両だが、かつての電車食堂車は編成ほぼ中央に位置することもあり、車両基地で分割後の移動に用いる簡易運転台が準備されていた。当車の床下には依然エンジンが搭載されているが、これはサービス電源用である。

終点の久慈はことしの連続テレビ小説で話題沸騰(といいつつ私自身は見る機会がなかった) の地であるが、八戸線を含む当地も震災の被害を受けたところである。海岸近くを走る区間の多い八戸線が全線復旧したのは被災から1年後。線路沿いには高台へ上がる避難はしごが設置されたほか、並行する国道にも浸水区間・浸水予想区間などの標識が目に入り、あの脅威があらためて迫ってくるのだった。
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さらば青春の旅

2013/03/18 00:00
2005年5月、私は札幌から〔スーパー宗谷1号〕に乗った。終着駅に着くと、当時のJR線 営業キロ19,844.0kmの全線完乗を達成する予定の列車である。小雨も降っていた道中はいつのまにか雲が消え、クマザサの向こうに利尻富士の姿がかすんで見えた。
前日は帯広から広尾へ向かい襟裳岬、JRバスで様似、日高本線〔優駿浪漫〕で札幌へ、前々日は北見→池田で北海道ちほく高原鉄道を乗車。そこまでも「周遊きっぷ」北海道ゾーンを手に、東京から新幹線・東北・津軽海峡線、函館・室蘭・千歳線・石北本線と乗り継ぐ、のべ2,450kmの陸路であった。

キロハ261-203

キロハ261-203

  • 函館本線 岩見沢→峰延 2007-12
  • D200, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO125

3月16日改正を機に、今回もさまざまな車両が節目を迎えたが、年度をまたぐ4月までに旅客営業もいろいろ改定される。1月かぎりでプッシュホン予約・空席紹介サービスが、改正をもって東海道・山陽新幹線ミュージックサービス、JR東海在来線特急の車内販売が廃止された。来る3月23日からは全国ICカード乗車券 (Kitaca, Suica, PASMO, TOICA, manaca, ICOCA, SUGOCA, nimoca, はやかけん, PiTaPaのストアードフェア部) の共通化がスタートし、オレンジカードの発売が3月31日で終了。そして「周遊きっぷ」が、ゾーン券が3月31日有効開始のものをもって発売を終了し、1998年の発売開始からちょうど15年でその歴史を閉じることになった。JR線のりつぶしとともにあった周遊券・周遊きっぷも最近疎遠、というより使う気にならなくなっていたが、この報に一抹の寂しさは感じざるを得なかった。
「トクトクきっぷ」―最近では「お得なきっぷ」として案内される、特別企画乗車券 (きっぷに○囲みの企が掲示される) は、その存廃が各社の意向で決定できるものだが、周遊きっぷはそれらと違い乗車券制度の一環として成立し、JRグループの総意で発売されてきた。


周遊きっぷは以前の周遊券(周遊乗車券) 制度を引き継いだもの。周遊券とは一定の条件を満たした周遊形式の旅程 (国鉄・私鉄・バス・船舶) において運賃・料金が割引となるオーダーメイドの乗車券で、前身の「遊覧券」として戦前からの歴史があり、戦時中断を経て1955年から発売されていた。旅行会社で発売され、きっぷは旅程順に券を綴った冊子・クーポン形式であった。新婚旅行向け「ことぶき周遊券」という商品の存在は、鉄道が交通の主要手段だった時代を感じさせる (のちに一般向けグリーン周遊券となる)。

キハ261-103

キハ261-103

  • 函館本線 深川←納内 2010-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

周遊券は発行に手間がかかることから、一定ゾーンを自由乗降区間とし、主要駅からのゆき券(A券)・周遊区間+かえり券(B券)をセットにした均一周遊券 (→ワイド周遊券) を翌1956年から発売、周遊区間を限定したミニ周遊券が1970年から加わった。均一周遊券は駅でも発売され、急行列車自由席に乗車でき、のちにワイド券は周遊区間内の特急自由席にも乗れるようになった。ほかに北海道・四国・九州へ片道航空機利用の立体ワイド周遊券 (→ニューワイド周遊券)、有名景勝地を観光バスのように巡るルート周遊券というものもあった。
周遊きっぷはこれらを統合し、アプローチ券(ゆき券+かえり券)+ゾーン券のセットで販売されるセミオーダーメイドの乗車券。券面には○に遊の文字が示されるが、これは周遊券制度を引き継いだことを由来とする。周遊区間はあらかじめ決まった67のゾーンから1つだけ選ぶが、その「入口(出口)駅」まで行き帰りのコースは、発着駅が同一かつゾーンを通過しない営業キロ201km以上の片道乗車券が成立すれば自由にできるのが特徴であった。私が目をつけたのは実はこの部分で、たとえば九州に行くのに伯備線・木次線・芸備線、帰りには山陰線・三江線とか姫新線・因美線・播但線なんてルートを選択し、未乗区間の走破を効率よく進められた。ワイド・ミニ券時代の往復ルートは2〜3コースに制限されていたが、駅ですぐ発売してもらえるので、東京で四国の券を買って旅行をはじめ、岡山で別の券を買い足して九州へ、なんてこともやったものだ。
ゾーン券は北海道ゾーンの5日・10日間を除き一律5日間有効、アプローチ券の有効期間は同区間の乗車券と同じ (ゾーン券の有効期間と1日以上重ねる必要がある)。アプローチ券は原則片道運賃の2割引・学割3割引だが、経路が東海道新幹線を含み600km以内のものは割引が5% (学割2割引) という、かなりの人に厳しい制約も存在した。他方、あくまでも乗車券であることから使用期間の制限がなく、最繁忙期の帰省にも有効であった。

スハネフ14 507

スハネフ14 507

  • 千歳線 島松→北広島 2008-5
  • D200, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO160

長所と短所を承知のうえ使いこなせばとても強力なきっぷなのだが、やはり旅程の組み立てや購入方法がわかりにくいのが欠点だった。みどりの窓口へ買いに行っても、不慣れな係員を煩わせる (行き帰りが直行ルートであっても…) のが常だったから、JR全線完乗が済むと使う機会もぐっと減った。旅の組み立てが変わって、航空路線や新幹線で直行ののち現地で必要な乗車券やフリーパスを購入するようになったことも大きい。周遊きっぷ自体も販売不振からゾーンの縮小が続き、最後まで残ったのはわずか13ゾーンである。
それにしても、「都区内フリーきっぷ」の廃止や、「青春18きっぷ」の動向については世間やマスコミが騒ぎたてているのに、周遊きっぷについてはほとんど反応がないことが、このきっぷの現状を如実に示している。もうひとつ手間のかかるきっぷと言えば「レール&レンタカーきっぷ」だが、こちらはレンタカー予約をインターネットに任せ窓口は乗車券発行のみとすることで打開を図っている (私にとってはけっこう有効なはずだが、なかなか使用機会がない……)。

2日間かけて北海道を縦断した私はバスで宗谷岬へ、その夜は〔利尻〕のスハネフ14で札幌へ。そういった夜行列車も寝台車も今や思い出語りでしかなく、考えてみれば寝台・夜行もあのときの〔富士〕以来乗っていないのだった。なくなるものに対してただ惜しんでも仕方ない話だが、しかし鉄道だけでほとんどJR・私鉄の全線走破ができたのは既に廃止されたものを含むさまざまな企画きっぷの存在あってこそで、ある意味幸運だったと言えるかもしれない。
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フラワフワラフワフワフラフラ

2013/02/03 00:00
JR西日本・加古川線と神戸電鉄粟生線、そして北条鉄道が集結する粟生(あお) 駅。かな書きこそ「つ」に一歩譲るものの、ローマ字表記では"Ao"と2文字で日本最短となる (ほかに飯井, 頴娃, 小江)。
分岐する北条鉄道は、もともと国鉄北条(ほうじょう) 線だった。国鉄再建法に基づく特定地方交通線の第一次指定を受け、第三セクター会社を設立して1985年に再出発したもの。おなじ加古川線の厄神(やくじん) から三木(みき) に向かう三木線も同時に三木鉄道に移管された (2008年に廃止)。

2003年冬に同線を訪れたときホームに停まっていたのは、路線バスの顔をしたミニ気動車。フラワ1985と称する、富士重工製のレールバス「LE-Car II」であった。「フラワ」という形式名は、沿線にある兵庫県立フラワーパークが由来。ファンの間ではいまでも著名な南部縦貫鉄道のレールバス (キハ10形) に似た形であるが、それや二軸貨車とは異なり、転回可能な空気ばね式一軸台車を2個装備したボギー車に属する。
三木・北条鉄道を含め、第三セクター創始期にそれら各線やローカル私鉄へ投入されたLE-Car IIはもう全滅しかかっていたから、1両だけ残っていた同車に乗れたことは幸運だと思った。が、走り出すとこれがなかなかのスピードで、小柄な車体が空気ばねで大きく揺さぶられる。約30分で終点の北条町に着いたら気分がすぐれない。独特の乗り心地に暖房も影響したのか。

フラワ2000-1 北条鉄道

フラワ2000-1

  • 北条鉄道 網引→粟生 2013-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

レールバスはレールの上を走るバスという名の通りだったが、バスボディを流用した車体は経年の劣化も早く、また小型車体は輸送力が一般的な鉄道車両に劣ることからすぐに大型化し、台車も一般的な二軸ボギー台車に替わっている。北条鉄道でも2000年から後継のフラワ2000形を導入し、2008年には廃止された三木鉄道からほぼ同形の1両を譲り受け、レールバスを置き換えた。
除籍されたフラワ1985 全3両のうち2両は紀州鉄道に譲渡されキテツ1形となった。バス窓も特徴の古典的ディーゼルカーとして知られたキハ600形の老朽置き換え用で、これで紀鉄は正調レールバスが営業運転する唯一そして最後の路線となった。
この「レールバス」への再会に、ひさびさに御坊(ごぼう) を訪れてみる。当日の車両はキテツ2、もとフラワ1985-3。北条線で乗った車両だった。

キテツ2 紀州鉄道

キテツ2

  • 紀州鉄道 御坊←学門 2013-1
  • D700, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO250

きのくに線 (紀勢本線) の普通列車と互いに接続を取る紀州鉄道線、乗客一人で発車するとすぐに左へ大きくカーブを切る。簡素なレールのジョイントを通過するたび「ドシン、ドスン」と大きな音を立てて車体が大仰に揺れるから、これはまたすごい乗り心地かと身構えていたが、直線区間に入ってもスピードは上がらず、田畑の中をゆっくり走って学門(がくもん) に到着。運賃が120〜180円と安く (地下鉄の初乗り運賃は東京を除けば200〜210円) 本数もそれなりにあるから気楽に乗れる鉄道といえるのだが、しかし全長2.7kmは健康な人なら歩けない距離ではないのもまた事実。

フラワ1985→キテツ1の車体は1980年代の富士重工バスボディを基にしたもので、前面が一般路線バス、側面が観光バスの風貌という折衷型。出入口の折戸はもちろんバスのもの。老朽化や排気ガス規制のからみもあって、路線バスとして走っている車両もほとんどなくなった貴重品である (富士重は鉄道車両・バスボディとも生産終了) が、その足回りが二軸車というギャップもまた興味深い。雪とは縁遠い地域の車両なのにスノープラウを装着しているのは、車両への加重という意味合いが強いようだ。
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遠野物語

2012/10/20 00:00
チェールアルコ(花巻: 東北本線) 駅から分岐し、フォルクローロ(遠野) を経て太平洋岸のラ・オツェアーノ(釜石) を結ぶ「銀河ドリームライン」、正式名称は釜石線。前身である岩手軽便鉄道は宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のモチーフになったとされ、ガラクシーア・カーヨ(宮守) 駅近くの石積アーチ橋・宮守川橋梁は撮影スポットのひとつである。かつては山田線および東北本線を経由した循環急行も存在したが、現在は3往復の快速〔はまゆり〕3往復が盛岡まで直通する。

10月14日「鉄道の日」を前に、ホットなニュースが飛び込んできた。JR東日本では東北復興支援として、盛岡市内の公園で静態保存されているC58形239号機の現役復帰を決定、2013年度冬季から同線で〔SL銀河鉄道号〕を運行開始するとのこと。順調に行けば同形では363につづく2機目の復活 (現在は静態保存の1号機を含めると3機目) となり、本線運転可能な蒸気機関車は16両になる。プレーリー形 (Prairie: 1C1/2-6-2) の中型貨客機であるC58は427両が製造され、D51, 9600につづく多数派であった。
この話自体は月初め頃から噂として耳にしていたから、実際のところ特段の驚きはなかった。それもいいけど貴重な電気機関車 (EF58とか55とか…) のほうもなんとかならないものかと思ったりするわけだが。しかしサプライズは牽引する車両にあった。客車4両編成は、JR北海道の学園都市線で活躍してきた「PDC」キハ141系を購入・改造して使用するというのだ。

キハ141-4

キハ141-4

  • 札沼線 石狩当別←北海道医療大学 2009-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

これは、釜石線内にある連続急勾配区間で蒸機単機では牽引力不足だが、上り坂で客車も力行すれば補機連結が不要になる、という理屈である。客車の整理が進んでおり、牽引するのに適当な車両が見当たらないという現実的な理由もありそうだが。それにしてもまさかのPDC再活用とは。
鉄道模型の世界では動力車の数が現実よりずっと少なく、軽量なNゲージの場合は新幹線フル編成でもM車1両ですむ。しかし真鍮製の大型モデルになると機関車だけでは牽引力が不足するので、本来動力車でない客車や貨車に動力ユニットを組み込むことがある。俗に「ユーレイ」と呼ばれているが、模型世界のユーレイが現実化してしまうところが興味深い。もともと客車として製造された車両だから、違和感の少ない編成が期待できそうだ。

キハ142-12

キハ142-12

  • 札沼線 石狩太美←あいの里公園 2010-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

民営化後も札幌圏にはED76+50系51形の列車が残っていた。電車化で余ったこれら客車を気動車化したキハ141・142は29両が改造され、市街地化と教育機関誘致が進んだ学園都市線 (札沼線) に投入された。種車は無動力のキサハ144 (5両) も含めすべて緩急車オハフ51からの改造。オハフ50・51は両端に乗務員室と業務用室およびその出入台を持ち、そのスペースを活用することで改造コストを抑えている。1994年からは450psの強馬力エンジンを搭載したキハ143 (11両) となった。
種車が同じで改造メニューも似たようなものだから、各形式の外観の違いは少ない。キハ143はのちに冷房化改造されて屋上にクーラーが載り、足元が141・142のコイルばね台車からボルスタレス空気ばね台車に変更されている。キハ141・142は非冷房のまま朝夕ラッシュおよび冬季限定とされ、キサハは冷房化されてキハ143の増結車になった。

キハ143-152

キハ143-152

  • 札沼線 石狩太美←石狩当別 2010-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

6月の札沼線電化・第一次ダイヤ改正で余剰となったPDCを含む車両群は、すでに一部が海外へ譲渡された。10月下旬の完全電車化・第二次改正で キハ141・142・キサハ144は全車撤退、キハ143は室蘭本線に移り711系電車と交代することになっている。
現在、北海道内のSL列車でも一部を除き補機にDE10または15が連結されているが、JR東でPDC協調方式が採用されるということで、将来的に影響が及ぶのか興味のあるところ。
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上下と左右 -その2-

2012/09/17 00:00
輸送単位の小さいJR四国では、2〜3両編成の特急もめずらしくない。その中でグリーン車を1両も取れないので、現在の旅客列車グリーン席は普通車との合造になっている。
列車本数が少なく長編成だった昔はグリーン車を1両使っていた。特急列車はキロ180、予讃・土讃本線の急行列車にはキロ28。徳島方面の急行は普通車のみだったが、グリーン車を連結することになって、需要と普通席とのバランスを考慮してキロ28の室内半分を普通席 (ボックスシート) としたキロハ28が1両だけ登場した。
その後、四国のキロ28・キロハ28は設備をそのままに普通指定席へ格下げ充当することになった。ちょうどその頃土讃本線の〔土佐〕に乗って、くたびれてはいたが抜群の座席に喜んでリクライニングしたら外が見えなくなってしまった。まだ背の低かった時分である。振り返れば当時は夜行急行列車もずっと多かったし、寝台料金は出せないけれどできるだけ楽に仮眠したいという要望の受け皿として、グリーン車の存在意義はあったように思う。

閑話休題。分割民営化の直前に登場したキハ185系のグリーン車は合造車キロハ186で、その後キロ180がキロハ28とおなじように合造車化 (キロハ180) され、全室グリーン車は〔ムーンライト四国〕オロ12とジョイフルトレイン「アイランドエクスプレス」オロ50だけとなった。後者は185系のキロハ186をキロ186に改造した「アイランドエクスプレスII」に代替わりしている。

2002

2002

  • 宇野線 妹尾←備前西市 2009-5
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO400

四国の新世代特急として開発された制御つき振子気動車2000系は、試作車のTSEはモノクラスだったが、量産車は松山・高知方の非貫通形先頭車2000形(2002〜)にグリーン席を設置した。形状はTSEの2001とほぼ同じで、前方にグリーン席を設け、デッキ越しだが右側席からは前面展望もできる。定員は18 (6×3)+16 (4×4)で、普通席部分はあきらかに面積が狭い半個室空間だ。なお、2001へのグリーン席追加は行われていない。
10年ほど前、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線から岡山へ向かう2000系〔南風〕に乗り継いだのだが、困ったことに当時禁煙指定席が1号車16席だけで、すぐ埋まってしまうのだ。やむを得ずグリーン券を買ったものだが、指定席を使える割引きっぷで自由席を使わざるを得ないケースは多かったらしい。現在は全車禁煙であり、「アンパンマン列車」である2004 (ばいきんまん号), 2005 (ドキンちゃん号), 2007 (グリーン), 2030 (オレンジ: 土佐くろしお車) の4両は普通席を「アンパンマンシート」として発売している。

瀬戸大橋線とともに運転を開始した岡山〜高松間の快速〔マリンライナー〕。あらかじめ宇野線に投入された新型近郊電車213系が使用され、高松方にはパノラマグリーン車クロ212が連結されていた。
本四連絡と同時に岡山の近郊電車でもあった〔マリンライナー〕は混雑が常態化し、2扉の213系で対応するのは難しくなっていた。そこで3扉タイプの車両を代替投入することになるが、乗り入れに伴う車両使用料精算の関係からJR四国とJR西日本の両社で製造・保有することになった。それ自体は珍しくないが、特徴的なのは3両+2両編成として3両が四国、2両が西日本の保有であること。関西地区で当時増備されていた223系2000番台をベースとし、JR西は223系5000番台、四国は5000系を名乗る。交代後も混雑が解消しなかったため223系は関西からサハ223を借りて3連としていたが、いわゆる「千円高速」などの影響で利用が減少したため、現在は元に戻っている。

5102

5102

  • 宇野線 妹尾←備前西市 2009-5
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO640

四国の5000系 高松方にはクロ212に代わる二階建て車両5100形を連結する。デッキ前後と階上をグリーン席 (指定席)、階下を普通指定席としている。構体はJR東日本の二階建てグリーン車をベースとし、非貫通形のフロントマスクに続く部分は4×1列の前面展望座席 (マルスでは列車名「マリンパノラマ」)。後位側は車椅子対応席 (1-1列) と洗面所を配置する。
普通指定席も回転リクライニングシートのため、グリーン席との差異が無いように見えるのだが、じつはシートピッチが微妙に変えられている (普通席は背面テーブルもないそうだ)。ちょうど写真の背景が抜けているので、よくご覧いただくと背もたれのズレに気づいていただけるだろう。しかしながらこの変更のため「グリーン席のほうが」窓割とわずかに合っていない、というのがちょっと惜しいところか……。
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タイトル 日 時
ステップからフラットへ-2
ステップからフラットへ-2 富良野線からの帰りは札幌へ。この時期に北海道へ来たからには、もうひとつ「学園都市線」の様子を眺めておきたい。非電化ながら札幌近郊を走ることで急激に利用の伸びた学園都市線 (札沼線) は、6月1日に札幌〜桑園(そうえん) 〜北海道医療大学が電化。今回は第一次開業として約7割の列車を電車へ置き換え、10月には石狩当別までの全列車を電車化する。二段階スケジュールは1982年の東北新幹線みたいだ。 電化にあわせて新型車両733系が投入され、先立って長期試験されていたアルミ車735系アルミ車や721・7... ...続きを見る

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2012/07/14 00:00
ラベンダーの風
ラベンダーの風 北海道のほぼ真ん中を走る富良野線。官設鉄道によって旭川から釧路へ向け建設が進められた同線は根室本線より先に下富良野(→富良野) へ達した (1900年) が、その滝川〜下富良野間開業 (1913年) で支線となった。かつて旭川駅は操車場→旭川運転所が構内にあったため富良野線のりばだけが遠く離れ、駅本屋から連絡地下通路を延々と歩かされた。駅周辺の再開発と高架化によって2010年に函館・宗谷本線と統合され、のりかえは格段にしやすくなっている。 もともと優等列車は急行〔狩勝〕の一部が乗り入れる程度で... ...続きを見る

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2012/06/23 00:00
はこだてブルー
はこだてブルー JR北海道の電化区間は6月からの学園都市線を入れてもまだまだ限られているし、2両以下を組める電車も在籍しないので、ローカル区間の普通列車は気動車が基本となる。「津軽海峡線」の函館〜中小国間も電車は特急のみ、かつての快速〔海峡〕は衰退期にあって異例の客車列車だった。 現在、函館運輸所の普通列車むけ車両はすべて両運転台・ワンマン対応のキハ40形700・1700番台で、需要に応じた編成を組んで函館本線 (長万部まで) と江差線で運用されている。白地に萌黄色の腰帯を巻いた北海道標準色は、サブカラーが他... ...続きを見る

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2012/05/19 00:00
秘境駅へ
秘境駅へ 雪の降りしきる北見峠の麓。石北本線の特急〔オホーツク〕を撮ったあと、人通りの少ない国道から左折すると、正面に木造の建屋が現れた。上白滝(かみしらたき) 駅。通年営業駅としては最も停車頻度が少なく、一日に上下一本ずつしか列車が停まらない。 ...続きを見る

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2012/04/01 00:00
なのはな
なのはな 新幹線〔さくら〕で新大阪から4時間、鹿児島中央駅はホームの先がすぐ車止めになっている、文字通りの「終着駅」。東京駅の終端標識から延々線路が連なっているのか、と思うと感慨深い。 直下に交わる在来線ホームから発車する指宿枕崎(いぶすきまくらざき) 線は、名前の通り指宿を経由して枕崎まで、全長88kmのJR最南端路線である。1930〜34年に指宿線として開業し、1960〜63年にかけて枕崎まで延伸して現線名となった。その輸送形態は鹿児島市近郊で20分間隔、指宿(山川)まで1時間に1本、末端区間は1日... ...続きを見る

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2012/01/10 00:00
キハ・ミニ
キハ・ミニ 日本国有鉄道が最後の全国ダイヤ改正を実施したのは1986年11月1日のこと (もう四半世紀前になるのか……)。2階建て新幹線100系の本格デビュー、荷物・郵便輸送の終焉――鉄道発祥の地・汐留駅の廃止、閑散な幹線のローカル線化 (函館本線山線の優等列車全廃、石北本線の上川〜白滝間で普通列車がわずか1往復に減少…もこのときだった) などが目についたが、一番の目的は分割民営化の下準備であり、新会社への承継を見越した車両の転配が全国規模で行われた。 同時に国鉄は経営基盤の弱い北海道・四国・九州の三地区... ...続きを見る

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2011/10/29 21:00
変わらぬ秋
変わらぬ秋 常磐線 E531系普通電車で茨城県のローカル私鉄、ひたちなか海浜鉄道へ向かう。あの日からほぼ半年が過ぎていた。県内の鉄道路線は津波被害こそ免れたものの路盤陥没や施設損壊などの被害が多発、もっとも早く復旧した常磐線も水戸・勝田まで運転再開したのは3月31日のことだ。 ひたちなか海浜鉄道湊線では金上(かねあげ)〜中根間の築堤脇にあった溜池が崩壊し、大規模な路盤流失が発生。ほかの区間も多数の線路損傷を受けて全線運転休止を余儀なくされた。再開のめどが立たないという深刻な話まで耳にしたが、関係者の尽力に... ...続きを見る

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2011/09/30 00:00
房総を行く
房総を行く JR内房線に乗って千葉市のすこし南に位置する市原市へ、中心の五井(ごい) に降りると迎えてくれるのがクリームと朱色に塗られた気動車たち。カラカラと乾いた音を立てるエンジンがやがて吹き上がり、列車は房総の丘陵地へと進路を向ける。 小湊鐵道は五井から上総中野(かずさなかの) まで約40kmを走る全線非電化路線。久留里線と並び東京から最も近いディーゼルカー運行区間だ。しかも同社に在籍する気動車は、いまや骨董品ともいえる縦型ピストンのDMH17形エンジンを搭載。この音だけでも聞きに来る価値は十分にある... ...続きを見る

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2011/07/25 00:00
イブ■□タマ
イブ■□タマ 鹿児島中央を起点に薩摩半島を周回し、カツオ漁港の枕崎へ向かう指宿枕崎(いぶすきまくらざき) 線。本州南端の鉄道路線で、開聞岳を仰ぐ西大山がJR最南端の駅となる。閑散区間のため鉄道での訪問にはハードルが高いが、やはりこの駅には列車から降り立ちたいところ。 途中の指宿――「砂むし」で知られる指宿温泉の玄関口までは比較的列車本数も多い。1992年にキハ200形の快速〔なのはな〕がデビュー、新幹線開業の2004年から指定席車両を連結した特別快速〔なのはなDX〕が運転されていた。これを置き換えて3月改正... ...続きを見る

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2011/06/10 00:00
Take the "A" Train
Take the "A" Train 「A列車で行こう」。ジャズ・スタンダードナンバーの代表にあげられる一曲、また1980〜90年代にパソコン用鉄道シミュレーションゲームとして一世を風靡した (かくいう私も一時期ハマったもので) タイトルでもある。 今秋、熊本の三角線にJR九州の新たな観光特急が走り出す。その名も〔A列車で行こう〕。三角(みすみ) は熊本市の南西に位置する宇土(うと) 半島の先端にある町で、天草五橋または観光船などで向かう天草諸島の玄関口だ。 三角線に特急が走るのは初めてのこと。天草(Amakusa) へのアクセ... ...続きを見る

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2011/05/25 00:00
ぬくもり
ぬくもり 津軽海峡線を適当なところで切り上げて、次はどうしようか。地図と時刻表を比べて津鉄のストーブ列車に行けそうだと、五所川原へ足を運んだ。津鉄こと津軽鉄道は五所川原から津軽中里間まで20kmの路線で、途中には太宰治ゆかりの「斜陽館」がある金木(かなぎ) や、桜の芦野公園が有名。五月連休前後、芦野公園駅を覆うように咲く姿が素晴らしい。 凍りそうな道、時折視界を覆うほどの雪に阻まれつつも、なんとか金木近くの開けた場所に着いた。開けた、ということは当然風も強いわけで、車のドアを開け閉めするのも慎重になる。... ...続きを見る

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2011/01/29 00:30
海幸・山幸・川幸
海幸・山幸・川幸 日豊本線の夜を走りぬいた特急〔ドリームにちりん〕宮崎空港ゆきは、暗闇が明けるころ延岡に着く。私はそこで1両の軽快気動車に乗り換えた。向かうは神話の里・高千穂、旧国鉄高千穂線を三セク移管した高千穂鉄道高千穂線に乗って、終点からバス経由でこれも三セクの南阿蘇鉄道で熊本方面へ抜ける予定だった。 前日から降り続く雨で線路すぐ脇の五ヶ瀬川は茶色い濁流で満たされ、路盤崩落でもしていたら命は無い……と覚悟させる緊張の旅路。運転士も同じ心境だったかもしれない。途中の日之影温泉から一転トンネルだらけとなり、飛び... ...続きを見る

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2010/11/20 00:30
古豪と新風
古豪と新風 11月6日、国鉄特急形の歴史にひとつの区切りが加わった。特急〔はまかぜ〕に使用されてきたキハ181系がこの日限りで定期運行を終了、翌日から新型キハ189系に置き換えられている。ダイヤ改正でもなんでもない時期の、しかも土日にかけて車両交代となったのは、6日が山陰冬の風物詩ズワイガニ漁の解禁日だったから。キハ189系の投入自体、当初来年 (おそらく3月改正) から運転開始という計画が、今期のカニシーズンにあわせ前倒しされたものだ。 ...続きを見る

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2010/11/12 23:50
エキチョーさん!
エキチョーさん! 駅長とは、いうまでもなく駅で一番偉い人で、駅を代表する人。ことに地方の中心駅では地域を代表する人物とされ、駅本務以外に忙しい日々を送る方も多いとか。最近は合理化による無人駅の増加や駅管理の集約で駅長の数は減る傾向だが、いっぽうで人間以外の方(?)が駅長として着任し、それが集客に結びつくケースも増えているようで……。 ...続きを見る

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2010/11/05 00:00
銀の道はるか
銀の道はるか 兵庫県の山中にある生野(いくの) 鉱山は銀の産出で遠く戦国時代から賑わい、明治時代には物資運搬のため鉱山と姫路を結ぶ高規格の道路が整備された。やがてその役目は播但(ばんたん) 鉄道―いまの播但線に取ってかわられ衰退したが、その歴史を振り返るべく「銀の馬車道」と呼んで沿道各所の観光整備が進められているという。播但線を走る車両にも「銀の馬車道」ラッピング車が走っている。 現在の播但線 (姫路〜和田山) は途中の寺前まで電化区間で、ワインレッドの103系3500番台が走る。福知山線や姫新〜因美線、伯... ...続きを見る

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2010/10/25 23:00
みどりの風-II
みどりの風-II 10月14日は鉄道の日。当時の新橋〜横浜間 (いまの汐留〜桜木町間) で正式開業した日本の鉄道は、「汽笛一声新橋を……」の歌にもある通り前半は蒸気機関、後半は電気と内燃機関 (ガソリン・ディーゼルエンジン) を動力として発展してきた。 現在JR東日本の各地区で一般臨時列車として運転されるジョイフルトレインは、電気鉄道の代表格といえる新幹線駅から非電化区間のローカル線へ、内燃動力車 (=気動車・ディーゼルカー) で乗り入れる。〔リゾートしらかみ〕をはじめ、その多くはキハ48形気動車改造の展望車両... ...続きを見る

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2010/10/14 00:50
みどりの風
みどりの風 今回の会津地区訪問で最も撮りたかったのは「ばす」とC57 180なので、それらを軸に移動スケジュールを立てていた。喜多方〜会津若松間で会津若松ゆき〔ばんえつ―〕、そこから会津鉄道「お座トロ」を撮って喜多方に向かい、ふたたび〔ばんえつ―〕(新潟ゆき) という構え。 旅には携行版の小型時刻表を持って行く。最近はケータイで全国の駅時刻表を調べられるから、貨物を狙うのでない限りこれで十分だ。その本文前方にある黄色い臨時列車のページを何の気なしにめくっていると、なんとこの日は只見線でトロッコ列車「風っこ... ...続きを見る

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2010/09/10 00:00
ばす・おん・れーる
ばす・おん・れーる 「レールバス」――rail (鉄道) なのか bus (バス) なのかよくわかりにくい言葉だが、現在も時刻表のJRページに混ざって載る第三セクター鉄道ページの一部、「全便レールバスで運転」という注釈に気づいた方も少なくないだろう。 レールバスとは、きわめて閑散な区間の輸送にむけて西ドイツ(当時) などで実用化された小型車両で、バスのボディと鉄輪を組み合わせたものだ。ただし DMVや軌陸車と違い、鉄道軌道専用である。 国内では南部縦貫鉄道のキハ101・102 (1997年まで営業し現在は動態保... ...続きを見る

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2010/08/30 23:00
i-s' Eyes
i-s' Eyes JR東日本の在来線は営業キロで6,000km余り。複線(以上) を考慮した本線の軌道総延長は約9,600kmに達する。広範囲にわたるその路線網を守る総合検測車両は、現在ではE491系電車「East i-E」(イーストアイ・ダッシュE) とキヤE193系気動車「East i-D」(ダッシュD) の二形式が分担している。先に登場した新幹線総合検測車「East i」 E926形と同じ白地に赤帯というイメージで、1編成ずつの在籍。両者とも車両検査時以外はたいていどこかの路線を検測して回る、縁の下を支える... ...続きを見る

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2010/06/20 00:00
優駿の道
優駿の道 道央太平洋側の拠点港をもつ中核工業都市・苫小牧を起点に、海岸沿いに長く伸びる日高本線。「本線」と名乗ってはいるが、もともと軽便(馬車)鉄道だったところで、支線も富内線 (鵡川〜日高町: 1986年廃止) しかなく、現在は145kmという長大な盲腸線状態。急行も国鉄末期に廃止されて、現在は全線で3時間以上を要する。終点の様似からJR北海道バスで1時間走ると襟裳岬で、さらに巡って1987年に廃止された広尾線代替バスに連絡している。 ...続きを見る

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2010/06/01 23:50
思い出ほのかに
思い出ほのかに 毎年恒例の 鉄道ファン 特集「JR車両ファイル」。この一年間、JR車両にあったダイヤや車両の変化を振り返ろうと誌面を開けば、「えっ? そんなものまで?」と驚くような廃車や廃形式、運用離脱の報を見つけてしまう。とくに国鉄形の衰退が著しい昨今、一覧表に冷たく記された処遇に心が痛むこともある。 大糸線北部で活躍してきたキハ52も、そんな車両だ。昨年末に北陸へ寄ったとき、計画に組み入れるかどうか迷ったけれど、結局高山本線のキハ58系列を優先していた。今改正でキハ120に置き換わることが発表されており、... ...続きを見る

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2010/05/21 10:00
学都の顔、札沼の主
学都の顔、札沼の主 昼下がりの札幌から、学園都市線キハ201系で北海道医療大学へ向かう。 「学園都市線」の愛称を持つ札沼(さっしょう) 線は、札幌のとなり桑園(そうえん)〜新十津川(しんとつかわ) 間76.5km。「沼」は留萌本線の石狩沼田で、もともとそちら側から先に開通したのだが、赤字が著しい区間だったために新十津川〜石狩沼田間が1972年に廃止され、今の姿になっている。近年札幌市内 (札幌〜あいの里公園間) は住宅開発が進み、また愛称の通り沿線に教育機関が多くなったことで通勤通学客が急増した。JR化後には桑園... ...続きを見る

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2010/05/15 00:00
風の町へ
風の町へ 富山市中心部から南に15km、現在は同市に編入されている旧八尾(やつお) 町は、毎年9月に行われる「おわら風の盆」が最近とくに著名だ。アクセスのひとつである高山本線は同時期の列車増結・増発に加え、大阪から特急〔おわら〕がキハ181系気動車で長躯乗り入れることでもファンの注目度が高い。 定期の特急はJR東海から乗り入れる〔ひだ〕のみで、猪谷(いのたに)〜富山間のローカル列車はJR西日本の小単位輸送向け車両 (いわゆるレールバス) キハ120形でまかなわれている。前後で面の色が違う風変わりな300... ...続きを見る

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2010/01/27 23:00
キハとキハ
キハとキハ ディーゼル特急の編成などを眺めていると、気動車は先頭車も中間車も普通車「キハ」グリーン車「キロ」だ。電車に比べ小単位で分割併合も頻繁にあったこと、重量と出力の関係でほぼ全車両が走行用エンジンを搭載することから、走行動力つきの車両は運転台の有無や数 (形式の下一桁で区分) を問わず「キ」で統一されている。「キク」という称号も存在するけれど、これは運転台があり走行動力を持たない気動車のことだ。見た目電車のクハと同じだが、制御方式・電気回路の違いから両者は厳然と区別される。 かつては電車でも編成の増... ...続きを見る

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2009/12/05 23:10
北の大地に30年
北の大地に30年 国鉄色183系の引退興行と見られていた今回の道内一周、名目としては「183系特急形気動車登場30周年記念」だった。道中様々なトレインマークを掲出して走行し、途中駅での「幕回し実演」など見所も多かったようだ。同系登場を機に気動車特急のイラストマーク化がはじまったので、たしかに登場時にとても近い出で立ちであったといえる。 キハ183系は、酷寒地での運用で疲弊したキハ80系の後継車として開発された道内専用車で、1979年に試作車が登場。翌80年から10両編成〔おおぞら〕でデビューし、1981〜198... ...続きを見る

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2009/11/30 23:45
ラッキー☆セブン
ラッキー☆セブン 11月21〜23日の三連休、特急形気動車キハ183系の登場30周年を記念し、波動用の国鉄色4両編成を使用した道内一周ツアーが組まれた。公式にアナウンスこそなかったものの、この運転が4両にとって最後の舞台であるということがほぼ事実として噂されていた。 国鉄色のスラントノーズキハ183をきちんと記録したいと思い続けたところ、ようやくこの時期になって訪れる算段がついた。22日朝の〔おおぞら〕を狙い、前夜〔スーパーとかち〕で入った帯広から行動開始。十勝川鉄橋の近くで普通列車などを使い、アングルの「追い... ...続きを見る

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2009/11/26 23:45
wideviews
wideviews JR東海の在来線車両は、ステンレスまたは白地塗装にコーポレートカラーのオレンジないし湘南色の帯という姿で全社的に統一され、東海道新幹線の青、駅名票などの国鉄書体とならんで同社を印象づける。2008年度中に機関車・客貨車を事実上全廃したJR東海では、このあと313系を増備して電車からも国鉄形を一掃し、新幹線を含む在籍電車のほとんどがJR生まれとなる予定だ。 同社が在来線特急としてはじめて製造したのが1989年登場のキハ85系。動力機器に米カミンズ社の強力ディーゼルエンジンを採用し、従来キハ82系... ...続きを見る

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2009/10/30 22:30
オールドタイマーの秋風
オールドタイマーの秋風 ローカル鉄道の郷愁を誘うアイテムはいくつかあるが、こと車両に関してはニスまたはペンキ塗り内装や木貼りの床、そして「バス窓」ではないだろうか。 「バス窓」は正式名称ではないが広く通用する客室窓の一形態で、開閉可能な一枚窓の上に明かり取りとしてHゴム押さえの固定窓を配置したスタイルをいう。戦後路線バスなどで採用が進み鉄道や路面電車へ波及したことから、いつしかそう呼ばれるようになった。アルミサッシのユニット窓を使うようになって、ずいぶん前に採用は止められたけれど、自動車と鉄道車両は寿命が倍以上異なる... ...続きを見る

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2009/10/07 00:30
ミキサンの再就職
ミキサンの再就職 ひたちなか海浜鉄道で もと三木鉄道のミキ300形が運行を開始、週末中心に運用されているというので乗りに行った。まずは勝田からキハ205、同社の国鉄形では唯一の冷房車。いつも通り中根で降りると周囲は黄金色の田んぼが広がり、時折冷たくも感じる秋風に稲穂が揺れていた。 ...続きを見る

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2009/09/10 23:00
遠い日の光
遠い日の光 水戸から常磐線で一駅、勝田を起点に阿字ヶ浦(あじがうら)へ伸びる ひたちなか海浜鉄道湊(みなと)線。終点近くの海水浴場が賑わいを見せる夏季には、かつて上野からの直通列車も乗り入れていた。もとは茨城交通の鉄道線で、経営悪化から廃線の危機に直面したが (近隣の日立電鉄・鹿島鉄道は廃止されてしまった)、受け皿の第三セクター会社が設立されて2008年4月に再出発している。 同線では国鉄形キハ20・22系統の車両がいまなお現役であり、平日と日曜日を中心に懐かしい国鉄色塗装車が入れ替わりで登板する (週末... ...続きを見る

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2009/07/13 23:00
紫煙と通勤
紫煙と通勤 房総半島では現在でも「スカ色」とよばれる紺とクリームの113系が多数走っている。211系3000番台が転入し、今後は209系の投入が予定される房総地区で、先日113系の1編成が緑とオレンジの「湘南色」に塗装変更された。年度中に数編成が塗り替えられる予定という。 さらに久留里線で走るキハ35系(キハ30形)も、7月の1両を皮切りに今年度中に3両全車が国鉄標準色へ塗装変更されることになった。公式情報ではそれ以上のことは何も触れていないが、それが意図するところはなんとなく予想がつく。 ...続きを見る

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2009/07/01 21:00
FURIKO de SHIKOKU 2009
FURIKO de SHIKOKU 2009 JR四国の路線網は855.2km(営業キロ)とグループ内で最小だが、その大半の区間に振子特急が走る。1990年代以降急速に整備された高速道路との競合がはげしく、対抗策として特急列車の高速・多頻度化がすすめられた。予讃線〔しおかぜ・いしづち〕に8000系電車、〔宇和海〕と土讃線〔南風・しまんと〕に2000系気動車、高徳線〔うずしお〕にはN2000系(130km/h対応)と振子車がそれぞれ投入され、現在のJR四国は「振子王国」といってもよい。そのさきがけが、1989年に登場した制御つき自然振子気動車... ...続きを見る

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2009/06/21 21:00
ギラリ!
ギラリ! ここで紹介している各車の画像は、ちゃんとお見せできる画面にするためいじり倒している。具体的には露出の調整・傾きの補正・トリミング(縮尺の統一)など。後処理を前提としているので、このサイドビューアングルに限った話ではないが、私の場合デジタル写真はほぼRAWで記録している。JPEG同時記録も可能だが、容量を確保するため使っていない。 だから、車体の白い黒いというのは実はそれほど問題ではない。白のほうがうっかりすると飛んでしまうから気をつけているけれど、程度の問題だ。一番厄介なのは…… ...続きを見る

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2009/06/15 22:00
再発信・再発見
再発信・再発見 人吉盆地の中央を、球磨川とともに一本の鉄道路線が伸びている。その名もくま川鉄道、特定地方交通線の第三次指定となった湯前(ゆのまえ)線を引き継いで1989年に開業した。 同線もその歴史は肥薩線に劣らず古く、開業は1924(大正13)年。終点の湯前から九州山地を越えて熊本〜宮崎の連絡鉄道となる構想だった。宮崎県側の杉安・妻〜佐土原(さどわら・日豊本線)間は妻線として開通し、その間は国鉄バスが「鉄道路線の先行開業」という名目で連絡していた。しかし妻線は特定地交線の第一次指定を受けてあっさり廃止され、... ...続きを見る

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2009/05/20 23:00
黒い爽風
黒い爽風 1976年に登場した佐世保線のエル特急〔みどり〕は、485系の4両編成(グリーン車・クロ481を連結)。同時に設定された長崎線の〔かもめ〕(8両)と併結し、また旅客需要や駅の有効長の関係で同系の最小単位(当時)となったわけだが、11〜13両のグリーン車+食堂車込みがあたりまえだった国鉄特急の中で、たった4両の「ミニ特急」と話題になった。 いま4両編成の特急を「たった」とは言わない。それどころか3両や2両という編成まで平気で走っている。しかし気動車でも急行形以上の車両には両運転台車がなく、ゆえに... ...続きを見る

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2009/05/10 23:10
百年の旅
百年の旅 ことしの大型連休中は九州を訪れていた。JR九州の特急車両を撮り集めるのが第一の目的だが、そのほかにも門司港レトロ観光線「やまぎんレトロライン」開業による乗りつぶし記録の回復、それから今年全通100周年を迎え、〔SL人吉〕の運行も始まった肥薩(ひさつ)線を訪れるためでもあった。 肥薩線はその歴史をいまに伝える鉄道施設も数多く、鉄道そのものがひとつの観光資源といえる。九州新幹線の開業時から全通をにらんでリニューアル車両の投入が重点的に行われ、九州といえばおなじみ「水戸岡デザイン」の車両が集う線区で... ...続きを見る

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2009/05/06 08:30
カラフル!
カラフル! 最近、首都圏のスーパーなどでも「北海道味物語」というカップラーメンが販売されている。映画「旭山動物園物語」公開記念企画のひとつで、売り上げの一部が寄付され「あさひやま"もっと夢"基金」に充てられるという。 日本最北の動物園――旭川市旭山動物園の沿革、危機と復活について、ここであれこれ話す必要もないだろう。いま名実ともに日本の動物園を代表する存在である。 JR北海道でもJR特急往復+バス+入園券をセットにした「旭山動物園きっぷ」を発売し、札幌圏からの誘客に努めてきた。さらに、2007年春季開園... ...続きを見る

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2009/02/21 11:00
ふるさと
ふるさと 北海道から九州まで、非電化ローカル区間でひろく活躍したキハ20系気動車。キハ52形は、そのなかで勾配線区向けに2エンジンを搭載した車両である。 国鉄時代、一般的な気動車の駆動は1エンジンで車軸1つだった。すなわち1両で動力を伝えられるのは車輪1個に過ぎない。エンジンを2機載せて2軸駆動すればパワーも向上するという理屈だ(そのぶん重くなるが)。車長(連結面間)はキハ20の20.0mから21.3mとなり、外見では窓が1列増え、トイレの向かい側床上に水タンクを設置している。 ...続きを見る

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2009/02/10 22:30
国鉄からのおくりもの
国鉄からのおくりもの 国鉄が1986年度予算で新製した車両の多くは北海道・四国・九州地区に配置された。これは厳しい経営が予想され、また老朽・陳腐化した車両を多く抱える北海道・四国・九州地区新会社(現JR北海道・四国・九州)の経営基盤を確実にするためとされた。 具体的には、北海道へ気動車キハ183系500番台・キハ54、四国へ121系電車と気動車キハ185系・キハ54・キハ32、九州へキハ31(415系1500番台もその意味合いが大きい)。いずれもそれまでの「広域転配」を前提とした全国共通の設計から脱却して地域の実態... ...続きを見る

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2008/11/25 23:00
空にいちばん近い列車
空にいちばん近い列車 JR線最高地点を走る小海線は、沿線に清里・野辺山・八ヶ岳そして小諸と著名観光地を持ち、以前ほどではないにせよ夏期には特に賑わう「高原列車」だ。「空にいちばん近い小海線」の名は伊達ではなく、JR駅標高十傑の実に9位まで独占する。 同線へ2007年に投入されたキハE200形は、世界初の営業運転となる「ハイブリッド鉄道車両」。実用化を見極める長期試験として、ふだんは中込〜小諸間、ハイシーズンには小淵沢〜野辺山間を中心に運用されている。 ...続きを見る

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2008/11/05 23:30
サギだ!
「証城寺の狸囃子」に送られて木更津を出発し、なだらかな房総の山へ分け入る久留里線。東京駅からもっとも近いJR非電化旅客線であると同時に、只見線とならび「タブレット閉塞」を使用しているJR最後の路線だ。信号機こそ色灯式になっている(腕木式信号機はJR営業線には現存しない)が、横田・久留里の両駅では、列車行き違いの際に悠長なタブレット交換の光景を見ることができる。 使用車両はJRで最後の3両となった通勤形気動車キハ30と、もともと両数が少ないキハ37それにキハ38。これらが一度に見られる貴重な路線... ...続きを見る

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2008/10/30 00:30
夢の彼方へ 〜惜別〔まりも〕
ほぼ同時期に登場した781系電車(1978年)と183系気動車(1979年)は、互いに意識したのか前頭部の表情は対照的だ。どちらも着雪防止を図ったものとされるが、781系が「丸み」で構成されるのに対し、183系は「く」の字型前頭部に四角いライトケース・タイフォンシャッターと直線づくし。そのいかめしい姿は「スラントノーズ」と呼び親しまれるようになった。 スラント(slant)とは「斜めに」のほかに「(目の)つり上がった」という意味あいもある(俗語でもあるようでこれ以上詳しく書けません)。正面から... ...続きを見る

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2008/08/29 23:08

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復活国鉄形蒸機!一刀両面 (鉄道ファン連載)

国内で活躍する動態保存国鉄蒸気機関車、16両(2014年10月現在)各機を両側からとらえたサイドビュー写真と、宮田寛之名誉編集長のみどころ解説でお送りするシリーズ。

2015年8月号では「番外編」と題し、このたび鉄道博物館に収蔵展示されたEF55形1号機を取り上げます。復活後は「ムーミン」とも呼ばれた、電機としては異例の前後非対称・流線形のボディを振り返ってみました。



当ブログの「蒸気機関車」各エントリもご覧ください。


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