ナンバーワンとオンリーワン

偶然にせよ狙った結果にせよ、試作車やトップナンバーの車両または編成が撮影記録に加わると嬉しいものだ。後続する量産車と姿形が違うこともしばしばだし、そうでなくても「1」という数字がついているだけで独特の存在感が放たれ、他車と別格に見えてくる。そんなこともあってか、それらの動向については注目されることが多い。

国電の代表・103系電車はまず4両×2編成が車号1から製造され、それらが900番台へ改番された後にあらためて量産車が1から振られていった。量産車トップのクハ103-1は1964年製造。1964といえば東京オリンピック、東海道新幹線の開業年のことだ。急増する首都圏の通勤需要に対応し、新性能電車の始祖101系のコスト面などを見直して登場した103系は、このあとのべ3,000両以上が製造され、「電車王国」を象徴する車両となっていく。
山手線に投入されたクハ103-1は1976年に大阪の森ノ宮電車区へ転属、大阪環状線の注目車両として31年間も働き続けた。正面窓下に車号"1"を掲示して、編成写真でも一目で判別できる主張の強い車両だった。2007年には日根野電車区へ異動、製造当初同じ編成にいた2と久々にペアを組んで、阪和線の普通電車を中心に使われてきた。
大阪環状線での車両撮影は無理と予想していたから、阪和線転属はチャンスと思っていたのだけれど、なかなか阪和線のみを狙いに行く機会もできず。紀州鉄道からの戻り、たまたま紀州路快速の車窓から日根野で折り返す普通電車に"-1"を見つけ、急遽途中下車して撮りにいったものだ。

クハ103-1

クハ103-1

  • 阪和線 津久野←鳳 2009-9
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G. ISO200

特別保全工事を早期に受けて戸袋窓が埋め込まれてはいたものの、それ以外はオリジナルの形態を比較的残す車両である。東京にいたら205系あたりにあっさり押し出されただろうし、更新が遅れたら形態が大きく変化したかもしれず……奇跡的に今日まで生き残った国電の1両といえる。この撮影をした直後同線が運転見合わせになってしまい (南海への振替輸送で大阪に戻った)、私にとっても奇跡的な邂逅(かいこう) の一枚だった。ことし3月改正の直前に運用を離脱し、同30日付で除籍されている。

常磐線・綾瀬~取手間の緩行線は東京メトロ千代田線へ直通する。地下鉄直通と車上信号式ATCを要することから専用車両が投入されてきた歴史があり、国鉄末期~JRでは203系が主力で活躍してきた。老朽化などにより新鋭E233系2000番台への置き換えが進み、今年度中には完全に淘汰されると思われる。
203系はそれまでの専用車103系1000番台を代替するため開発、抵抗制御車の消費電力や排出熱といった問題を早急に解決する必要から、201系で採用したサイリスタチョッパ制御を軽量アルミ合金車体に搭載。すでに実績のある技術を使ったため試作車はなかったが、トップナンバーを編成に5両も含むマト51編成が量産先行車で、外見では車号標記が国鉄電車では珍しいナンバープレート (しかも緑字) になっているのが特徴。
203系投入で押し出された車両は一部が105系に改造され、和歌山・広島地区で元気に走っている。

クハ203-1

クハ203-1

  • 常磐線 柏←北柏 2011-4
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

203系は終始松戸電車区~松戸車両センターに所属し、他線への乗り入れはもとより編成の組み替えも行われなかった。幕板にあったJNRマークが消えたのを除けば、形態も登場時からまったく変わりがない。移り変わりのはげしい国鉄車両にあって、同系は異例の存在であった。
6月除籍の同編成を含む廃車された203系の一部は、最近日本の中古通勤電車を積極的に導入しているインドネシアへと譲渡される模様。

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