差し挟まれて候

国鉄~JR電車(四国・貨物を除く)における形式称号の冒頭には、「モ」「ク」「サ」のいずれかが来る。それぞれ電動車・制御車・付随車であり、とくに制御電動車は「クモ」を称する。
「モ」と「ク」の意味するところが「モーターのモ」と「駆動のク」であることに異論は少ないだろうが、「サ」の起源は諸説あって確定していなかった。主(あるじ)に仕える「さぶら(侍・候)うのサ」とか、英語で付随・従属を意味する「subordinate のサブ→サ」とか。その中で個人的に納得のいく説は、「差し挟むのサ」だった。どこでその説を知ったのか憶えていないけれど、このように他の車両に両端を挟まれている状態を明快に示している。

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サハ481-503

  • 北陸本線 芦原温泉←丸岡 2007-5
  • D200, AF Nikkor 50mm F1.4D
  • ISO100, 1/200, f5.6
  • RF2007-08-051

鉄道ファン2009年5月号(p.132-133)に掲載された「鉄道車両知識の小箱―汽車会社の1968年版手帳から―」は、その紛争(?)に決着をつける資料のひとつといえるだろう。そこには「サ」は「さし挟んで走る」と明記されていたからだ。「ク」が「くっついて走る」という説明なのは意外だったが、歴史的には「ク」から「サ」が分離したものだそうで、それなりに合点もいく。
汽車会社こと汽車製造株式会社は1896年に発足した、日本でも最も歴史ある鉄道車両メーカーだった。1972年に川崎重工と合併して社名は消滅したが、戦後は電機や電車も製造しており、実は開業当初の新幹線電車製造にも携わっている。

車体の軽量化とモーターの強力化で、非電動車の数は増える傾向にある。たとえば首都圏を席巻するE231系の付随車サハE231は、モハユニットの各575両に次ぐ545両。車体見付はモハとほとんど同じで、他系列でもコスト削減のため電動車と車体構造を共有する例がほとんどだが、たいていはその目的で新造されたものだ。
いっぽうで「電装解除車」というジャンルも存在し、これは字のごとく電動車のモーターや制御器を取り外して「ク」「サ」にしてしまったものだ。戦中戦後の混乱期とか、ローカル私鉄などでよく行われたものの、電車のシステムが確立したあとの国鉄ではほとんど例がない。それが21世紀にもなって、しかも特急形車両でやっていたというのは意外も意外で……。

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サハ481-604

  • 北陸本線 丸岡←芦原温泉 2007-5
  • D200, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D
  • ISO125, 1/250, f5.6
  • RF2007-08-051

485・489系電車の付随車はサハ481・489。〔雷鳥〕を筆頭とする北陸特急の長大編成中にグリーン車サロ、食堂車サシとともに組み込まれていた。しかし東北特急向け増備では勾配対応のためサハは製造されず、また国鉄末期の短編成化において先頭車改造の種車にどんどん使われていった。一部は系列を越えて183系に入り、またJR化後は先頭車化とともにグリーン車への格上げも多く行われている。
それが2003年の〔スーパー雷鳥〕から〔しらさぎ〕への転用時にサハが必要になったときには、本来のサハはもとより、代用で使ったサロまですっかり底をついていた。そこでやむなく余っていたモハを電装解除し、新たにサハが作られたのである。
600番台はモハ484形200番台からの改造車。特徴的な高圧機器類が全部なくなって、集中式クーラーが中央に残った屋上は、他車とまるで違う姿を見せている。いっぽうの500番台はサロ481から、700・750番台はモハ485から。大阪方1号車のクロはなんらかの改造車、金沢方9号車も珍車・希少車ばかり……〔雷鳥〕の今の姿は、転用に転用を重ねた北陸特急の歴史をもあらわしている。

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