とでんのある風景

「トデン」

とだけ聞くと、たいていの方は東京都交通局の路面電車・通称「荒川線」を思い浮かべることだろう。しかしながら四国では別の「とでん」が走っている。
土佐電気鉄道。高知市内と両隣の南国(なんこく) 市、いの町に軌道を伸ばす電鉄会社は1903年創立、翌年から高知市街で電車の運行を開始した。合併などで一時期別の名称になったことはあるものの、現存する鉄道事業者としてもっとも古くから存在する社名だ。
高知駅前から桟橋通までの桟橋線、東の後免町へ伸びる後免線、西は伊野への伊野線を合わせた延長は25.2kmで、軌道区間に限れば現在日本一の営業キロとなっている。かつては土讃線の後免から後免町を経由、安芸(あき) まで鉄道線の安芸線も営業していたが、モータリゼーション進展と国鉄阿佐線の建設決定により廃止され、用地の一部を譲った。阿佐線は徳島県の牟岐(むぎ: 牟岐線) から室戸町を経由し後免(土讃線) へ至る予定だったが、海部(かいふ)まで牟岐線として延長したのみで建設凍結となり、最終的に三セク路線として阿佐海岸鉄道 (海部~甲浦:かんのうら) と、西側の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線 (後免~安芸~奈半利) だけが開業している。

611 土佐電気鉄道

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  • 土佐電気鉄道後免線 長崎←小篭通 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO160

よさこいで有名な播磨屋橋の脇にあるはりまや交差点には、全国でも珍しくなった複線どうしの直角クロッシングがある…とか、後免線の一条橋~清和学園前は100mに満たない日本最短の駅間距離…とか、海外から電車を譲受イベント用などに走らせている…とか、伊野線の郊外部は単線で末端部はタブレット交換しながら運転する…とか、ほかにも数々の特徴がみられる土佐電鉄。その中で一般にもよく知られるのは「謝る電車」ではないだろうか。
市街から後免町へ向かう電車の行先表示は「ごめん」とかな書きしたもので、さらに「ごめん」と筆書した赤い菱形の板まで前面に出して走る (一部車両を除く)。伊野ゆきは「いの」と表示しているものだから、市中心部では電車どうし「ごめん」「いの」と言いながら(?)肩を並べる光景が繰り広げられる。ちなみに後免町で接続するごめん・なはり線の後免町は、故やなせたかし氏によって「ありがとう駅」の愛称がつけられている。

後免線の郊外区間は水田の広がるのどかな風景だった。7月にははやくも刈り入れが行われる早場米の産地は、かつて年二回の稲作(二期作)が盛んだった地域である。後免線は全線複線で、大半は二車線道路の脇に軌道が敷設された実質専用軌道。端部でも15分間隔で運転され、地域の気軽な足になっている。
600形は現在も30両が活躍する同車の主力車で、丸みのあるボディに前面2枚窓、前中扉というスタイルは、都電の後期主力車7000形(登場時)をモデルとした。7000形自体はいまも都電荒川線で活躍中だが、車体更新で外観は大きく変わった。200形も都電6000形をモデルにした形である。

213 土佐電気鉄道

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  • 土佐電気鉄道後免線 小篭通←長崎 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO160

地方の公共交通は人口減少による収益の悪化に直面している。高知でもそれは例外でなく、さらに土佐電鉄の電車とバス(一部子会社の土佐電ドリームサービスが運行)、それに高知県交通のバスが競合していた。このため将来を見据えた公共交通の見直しが行われることになり、10月に土佐電鉄と土佐電ドリームサービス、そして高知県交通が統合される。
三社はそれぞれ会社分割を行った上で承継資産を統合した新会社を設立し、これに自治体が出資。土電と土佐電ドリームおよび県交通は清算され、ことし開業110年を迎えた土佐電鉄は、登記上はその歴史を終えることになった。設立される新会社の名称は「とさでん交通」、県外では「とさでん」とされることの多かった略称が、新たな地域の顔とてスタートすることになる。

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