みすずかる

信濃国を代表する山の一つ、浅間山の麓にひろがる避暑地・スキー場、今ではショッピングモールでも知られる軽井沢。麓の横川から急勾配で一気に登ってきた信越本線の碓氷峠、通称「ヨコカル」が廃止されてから15年になる。その理由は整備新幹線として建設された北陸新幹線(長野新幹線) の開業による並行在来線の経営分離で、軽井沢~篠ノ井間は第三セクターの しなの鉄道に引き継がれた。
電車はJR東日本から近郊形115系1000番台と急行形169系を譲り受け、車号もそのままに軽井沢~長野間で運用されている。JRの115系と相互乗り入れし、「あさま色」189系が定員制通勤ライナーの〔しなのサンライズ・サンセット〕として乗り入れる。しな鉄の標準塗装は、ガンメタリックにリンゴをイメージした赤を添えたもの。

クハ115-1012 しなの鉄道

クハ115-1012

  • しなの鉄道 西上田←上田 2012-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO800

JR線からは「急行」という種別自体が消滅寸前だが、それは急行形車両にもおよんでいる。JR東日本の地区でも近郊形やJR新型、波動用としても183・189系によって淘汰され、残るは山梨県の富士急行としなの鉄道だけになった。富士急行のものは「フジサン特急」、もとジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」車両(165系)なので、オリジナル形はここが最後の砦であった。
そんな169系も老朽化を理由に3月改正で定期運用を終了、4月27~29日の「ありがとう・さようなら169系」イベントの臨時・団体運行をもって引退となる。以前は〔しなのサンライズ・サンセット〕で長野まで乗り入れ、また長野県内のイベント列車にも駆り出されていたが、新型保安装置を搭載しないため2011年からJR線での運転ができなくなり、軽井沢~小諸間の列車やイベント用としての運用にとどまっていた。

クハ169-19 しなの鉄道

クハ169-19

  • しなの鉄道 屋代←千曲 2009-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

東海道線の急行電車として登場した153系を、山岳線向けに出力増加と抑速ブレーキ・耐寒装備を搭載したのが165系。同時にモーター出力を増強した平坦線用の163系も計画されたがグリーン車サロ163しか製造されず、165系が直流区間の急行電車の決定版になった。この165系をベースに、専用補機EF63を要した碓氷峠を12両編成で通過できるよう、協調制御回路を追加したのが169系である。1966年に試作車が165系900番台として登場、翌年から信越急行向けに増備されている。
碓氷峠を通過する列車は電車でも無動力扱いとなり、EF63重連の強力な登坂性能と発電ブレーキに頼って急勾配を上り下りしていたが、厳しい重量制限から一列車8両が限界で、輸送力のネックだった。169系の結果から特急電車も協調対応することになり,489系と189系が登場した。協調対応車は系列一位を"9"に統一していたが"9"はそれ専用というわけではなく、それ以前から159系 (中京向け修学旅行専用電車) がいたし、後に119系419系が登場したのはご存じの通り。横川~軽井沢間の運転操作はEF63の高崎方運転台で行われ、協調車もふくめ機関車から力行・ブレーキなどすべてが制御された。
1986年に信越本線の急行が廃止されると169系はサハ165を組み込んで4両編成となり、飯田・上諏訪~松本~長野間に新設した急行〔かもしか〕に転用、この際に座席を新幹線0系の廃車発生品に換装した。陳腐化が進む急行に新たな付加価値をつける試み (キハ54 527~529による急行〔利尻〕もそのひとつ) だったが長続きせず、1988年には快速〔みすず〕に格下げ、そして1997~98年に12両がしなの鉄道へ転身を遂げた。

クモハ169-6 しなの鉄道

クモハ169-6

  • しなの鉄道 西上田←上田 2012-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO800

115系同様の しな鉄標準塗装だった169系も国鉄色リバイバルの流れに乗り、2008年9月にS52編成が期間限定で湘南色に塗装変更された。近郊形より緑色の面積が多く、クモハ・クハ幕板の緑が緩やかに切れ上がっていく国鉄直流急行色が再現されており、ローズピンクとクリームの交直流急行形との違いにも注目したい。当然JRマークはつかないわけで、固定窓が黒Hゴムであることに目をつぶれば、それは急行全盛期の姿そのものだった。
2009年3月に予定通り しな鉄色に戻されたが2010年に国鉄色へ再復帰、さらにS51編成が坂城(さかき) 駅での静態保存決定を受けて国鉄色化、4月10日にはS52と組んで6両の国鉄急行が信濃路を快走した。27~29日のラストランでも国鉄色6連、途中から しな鉄色のS53を併合した9連で花道を飾ることになる。

しなの鉄道の車両は各系列とも電動車ユニットが東京 (軽井沢) 寄りになっていて、高崎線へ持って行くと東北・上越線 (東海道線に合わせている) とは編成が逆向きになる。JR東日本長野総合車両センター車の編成向き (中央本線での向き) に合っているが、もともと碓氷峠の急勾配で非常ブレーキをかけた時の車両浮き上がりなどを防止するため、重い電動車を可能な限り麓側に置いた結果である。
高崎・吾妻線185系特急のグリーン車が渋川・前橋側に寄っていたのも同じ理由 (普通列車で碓氷峠を通過する運用があった) だが、今改正で田町車両センターの特急車が大宮に転属、7連が共通運用になることから〔踊り子〕と同じ編成中央に揃えられている。169系引退とあわせ、碓氷峠の面影がまた歴史の中へ移っていくことになった。

この記事へのコメント