セクション

東海道本線と北陸本線の結節点である米原駅。東海道線はJR東海と西日本の境界駅であり、新幹線とあわせて一日中乗り換え客の絶えることがない。
京都方面から来た新快速電車は編成の一部を切り離し、実態は各駅停車となって北陸本線へ直通する。そこから2つめの駅は上下線のホームがずれて配置され、両者の間にも妙な空間が存在する。この田村駅も、かつては交通の要衝であった。

北陸本線の動力近代化は、北陸トンネルをはじめとする敦賀付近の線路改良と電化によって達成されたが、電化方式は仙山線で技術試験が行われていた交流電化 (20,000V) が採用され、最初の実用化区間となった。周波数は西日本地区の商用電源にあわせ60Hzで、電気機関車ED70形が投入されている。1号機は現在長浜駅近隣の「長浜鉄道スクエア(北陸線電化記念館)」で静態保存。
1957年、最初の交流電化区間はこの田村から敦賀までの区間で、米原~田村間は蒸気機関車 E10・D50形、のちにディーゼル機関車で連絡していた。田村駅の妙な空間は、そのころの引上・機回線の名残だったわけだ。常磐線で交直流車上切り替えの技術が確立した後の1962年に、坂田~田村間へ交直流接続のデッドセクションを設置した。全線電化・複線化はその後1969年に完了している。電気機関車は交流機ED70→EF70が継続し、この区間でDE10が20系寝台特急〔日本海〕を牽引したことは有名で、その後も客車急行は牽引機交換の目的で停車する田村で客扱いをしていた。
湖北の主要市街である長浜では京阪神へ電車直通の要望が高まり、地元負担で米原~長浜を直流に変更して1991年9月に新快速電車の乗り入れを果たした。このとき交直セクションは長浜~虎姫(とらひめ) 間に移設されたが、同年4月に急行〔きたぐに〕で大阪から富山へ抜けたから、一度だけ坂田-田村セクションを通過していたことになる。自由席の乗車で、車内がほぼ真っ暗になったのは憶えている。

クモハ521-2

クモハ521-2

  • 北陸本線 坂田→田村 2013-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

そんな歴史の面影はすっかりなくなっていて、田村は無人駅となり、坂田~田村間も田んぼの中を直線の築堤で突っ切るのみ。言われなければここが交直セクションだったとは気づかないだろう。
〔SL北びわこ号〕を狙いに訪れたこの日は雪模様であったが、時折頭上に明るい雰囲気も感じられた。時折強く降る雪の中、もと交直セクション部にさしかかったのは2両編成の普通電車。立ち客の多くは撮影地へ乗り込む面々だろう、むろん自分自身もそのひとりだ。悪天候でも帯色のあざやかな青が目立つ。

クハ520-4

クハ520-4

  • 北陸本線 虎姫←河毛 2008-4
  • D200, AF Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO160

521系は北陸本線の国鉄形475・419系に代わる車両として、2006年の敦賀直流化と同時にデビューした交直流電車。223系 (5000番台)の車体・客室に交流機器を追加した形で1編成2両ユニットを構成する。パンタグラフを含め高圧部はクハ520側にまとめられ、同車も機器を満載するのが特徴。降雪地域を走るため、床下機器は683系と同様にカバーで一体化されている。
第一次車は滋賀県と福井県の費用負担によって製造されたもので、当初の運転区間も米原~敦賀~福井だった。以前は昼間の長浜発着新快速に接続して区間運転していたが、しだいに新快速が近江塩津まで直通 (敦賀へは同駅で湖西線新快速へ乗り換え) するようになり、現在では朝と夜のみ米原駅へ顔を出すほかは、敦賀以北が運転の中心となった。

クモハ521-2

クモハ521-2

  • 北陸本線 王子保←南条 2010-3
  • D700, AF Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

2006年には湖西線経由で敦賀へ新快速を直通運転させるため、北陸本線も敦賀までを直流方式に転換、同線の交直セクションは2度目の移転をすることになる。湖西線・永原~近江塩津間の交直セクションと、これ以前に小浜線も直流電化されたため敦賀駅構内に設置したセクションは、いずれも撤去された。
東北地区や北陸本線が交流電化となった理由は北陸線電化記念館内で説明されている。直流電化より変電所数を大幅に減らしてそれらの保守コストを軽減できること、車両価格の上昇も列車本数つまり車両数が少ないことで相殺できるため経済的と当時は判断されたわけだ。しかし技術の進歩で直流でも経済的に電化できるようになったため、北陸本線に接続する電化路線はすべて直流で進められた。本線は交流だから、北陸を走る電車は交直流が必須となってしまい、現在では交流電化がむしろ負担となっているようにも見受けられる。

521系は2010・2012年の増備により富山まで運用範囲を拡大し、北陸の地域輸送の中核を担っている。北陸新幹線金沢開業後は在来線引き継ぎ会社への転籍 (新製含む) も視野にある模様。なお北陸本線は新潟県側の糸魚川~梶屋敷間にも交直セクションが存在するが、新幹線開業後の旅客列車は流動の少なさから気動車1~2両で運転されることになっている。

この記事へのコメント

2013年02月25日 00:01
田村駅の真ん中のだだっぴろい空間、以前は線路があったのかな?と思っていました。デッドセクションが田村駅付近だったと聞いてはいましたが、その頃機回し用の線があったのですね。
田村、長浜、米原・・・SL時代の要所だった駅も、新幹線や湖西線の開通で停まる特急もほとんどなくなってしまったんですね。
2013年03月01日 00:13
さくらねこさん こんばんは。

田村駅と交直セクション跡については、私も最近まで記憶や知識が断片的なものでしたが、〔北びわこ〕のため実際に降りて、後で資料など調べてみてなるほどと思い返したものです。いっぽうの長浜-虎姫セクションの跡も、いまやどこにあったのかまったくわかりません。
関西~北陸の流動が湖西線に移ってから優等・貨物列車の数も減り、交通の要所だった駅が面影も少なくなっているのは寂しい感じもします。しかしそれと引き替えに普通(新快速)の本数が増加したことで、途中駅の利便性は圧倒的に良くなっていますね。〔北びわこ〕の撮影に鉄道を活用できるのもその恩恵で(笑) 坂田駅はいまでもかなり小さめな駅ですが、かつては普通(客車)列車にさえ通過される存在だったのです。