ひかりの彼方

1987年の夏、東京駅八重洲口コンコースにひとつの車両模型が展示された。東海道新幹線100系の次世代車両として開発が進められていた、仮称「スーパーひかり」の前頭部モックアップだった。
100系に似たとんがり鼻につづく車体はハイデッキ構造で、曲面ガラスの側窓から富士山や浜名湖の眺望を楽しめるものとされ、さらに客室先頭部は小田急RSEのような展望席という大胆なデザインだった。200km/h基準で引かれた東海道新幹線のダイヤは1986年から220km/hに引き上げられたが、折からの好景気と輸送の競合でさらなる高速化機運も高まり、この「スーパーひかり」で最高300km/h走行を目指していたという。

323-56

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  • 東海道新幹線 新富士←三島 2012-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

私も実際に見学して、クーラーが不調なのかやたら暑かったのを憶えている。リニアのモックアップだったかもしれないが……。それはともかく実現したらすごい車両になるなと思ったけれど、やはりそこに至るまでのハードルは高すぎたようだ (現在N700系でも東海道は270km/hであることに注意)。結局これは幻の車両となり――それで果たせなかったコンセプトが〔あさぎり〕371系に反映されたともいえる――、方向を大修正して開発されたのが300系。アゴの突き出した前頭部、低い屋根、小さな窓、巨大なパンタカバー……モックアップとはまるきり正反対だった。
1990年に試作車9000番台が登場し、試験走行を経て量産車が1992年に最高速度270km/hの〔のぞみ〕(東京~新大阪 2往復) としてデビュー。翌年から博多へ乗り入れ、毎時一本体制になった。そのころ東京から小倉まで乗ったことがある。高速走行の揺れは大きく、最初から最後までとにかく必死に走っている感じで、新関門トンネルを抜けて小倉へ降り立った頃には疲れてしまった。
そんな経験と、当時の〔のぞみ〕特急料金 (全車指定) がかなり高かったことから、100系がいる間はそちらを、その後は500・700系とくに山陽区間は RailStar を選んで乗るようになっていた。あるとき300系〔ひかり〕に乗ったら最高速度の違いなのか、後日受けた乗り心地改善工事の効果か、別の車両のように感じたものだ。

325-3708

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  • 東海道新幹線 小田原←新横浜 2012-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

100系で取り入れたサービスの新機軸、2階建てや個室・食堂そして大きな窓を捨てた300系の増備で、東海道新幹線は大量高速輸送に特化するという意識がはっきり見てとれた。変化はじつは100系から始まっていて、JR東海の増備車では2階建て食堂車がグリーン車の座席増に回され、かわりの供食設備として階下 (厨房だったところ) に「カフェテリア」を開設。0系などのビュフェより簡易な設備で、持ち帰り用に小分けした惣菜や軽食などを販売していた。
これが300系では7・11号車の「サービスコーナー」になる。車販基地 (画像左側) にミニカウンターを併設し、弁当・飲料やお土産品を購入できた。編成2ヶ所に置いたのは8~10号車のグリーン車を普通席客が通り抜けないよう配慮したもので、東海道新幹線の開業初期あるいは151系特急〔こだま〕でもビュフェで一等車をはさんでいた。

786-725

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  • 東海道新幹線 新富士←三島 2012-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

700系以降は自動販売機と車販準備室だけとなり、品川駅が開業した2003年10月改正で300系のカウンターも閉鎖されてしまった。乗車時間が短くなるほど席を立つ機会は少なくなるし、それに駅ナカ・駅チカの充実で乗車前になんでも買えてしまうから、車内で何か買うという動機付けにも乏しくなったのが新幹線旅行の現状だろう。どちらがどちらの因果かはっきり決められないが、サービスの面でも300系が舵を切った向きは現在の時流に沿ったものだといえる。

300系が採用した低重心軽量化の思想と、それを実現するための規格 (軸重11.3t以下、16両編成で1,323席の定員など) は、後継の700系・N700系にも受け継がれた。それらの試作車にさきがけ試用した新機構もあるし、逆に300系へフィードバックされた要素もある。当初大型カバーで覆われた下枠交差式パンタは試作車登場時は5基、量産車で3基搭載して後に1基を撤去、最終的には700系とほぼ同じシングルアームになった。
また同系は登場から引退の日まで全車が16両編成で組み換えも行わない、新幹線の営業車両として初めての例となる。MTMユニットという組成から編成の自由度が乏しく、さらに山陽〔ひかり〕の〔さくら〕化で700系 RailStar が〔こだま〕に回る現状では、300系を改造する必要もなかったからだ。JR西日本が製造した3000番台の代替には、JR東海から700系を移籍させることで対応する。

328-3018

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  • 東海道新幹線 小田原←新横浜 2012-3
  • D200, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

車両に対する思い入れは人それぞれ、私にとって300系が惜しむべき車両かと問われると難しいところだ。それでも、かつて表富士の撮影地を颯爽と飛ばした姿がしだいに遅くなり (新富士に停まるので)、その数が急激に減って、そして見られなくなるということに、時代の移ろいを感じずにはいられない。
1月終わりに乗った〔こだま〕豊橋→米原 (3000番台) が、私にとって300系の乗りおさめ。飯田線からの乗り継ぎ時間が短く、あわただしく特急券と駅弁を買ってホームに降りたところへ「鉄仮面」とも呼ばれるあの表情が近づいてきた。駅などでカメラを向ける人は多くなったが車内は空いており、M車車端で独特のインバータ励磁音を味わう。JR世代でありながら、客室設備とその造作を細かく観察すると、どこか国鉄の残り香を漂わせる車両でもあった。
関ヶ原~湖東はめずらしく快晴。N700系だらけの今となっては金魚鉢といえるほど大きく感じる窓を額縁に、雪を抱いた伊吹山の姿がおさまった。

この記事へのコメント

2012年03月24日 19:50
こんばんわ
すっかりご無沙汰しております

300系は
わたしの大好きな新幹線!

在京時代、名古屋からの出張帰り
先輩と、帰りの列車を決めずに
来た列車に乗ることにしてましたが
当時一般にも話題のN700系が先にやってきましたが
先輩は話題先取り、それにのって帰りました。

わたしは300系くるまで数本ねばりましたが
粘り負け!?
700系で帰ってきました(苦笑

速さを追求した
シンプルな形が気にいってました。
2012年04月01日 00:05
Anさん こんばんは。こちらもご無沙汰になっております。

300系がお気に入りだったのですね。私としては当初の印象にずっと引きずられ、500系を筆頭にその後の車両のほうが好みではありましたが(苦笑) それでも現在の新幹線の基本となる車両であったことは間違いなく、その使命を果たして引退することに感慨を覚えています。
JTBの大型時刻表は「○系で運転」と書いてあったので判別は簡単でしたが、ここ数年は〔こだま〕ばかりで、最近だとそれも毎日700系で代行と、実際には見る機会が減っていました。あまりに少ないので午後に〔ひかり〕があることも気づかなかったほどで(笑)