キハ・ミニ

日本国有鉄道が最後の全国ダイヤ改正を実施したのは1986年11月1日のこと (もう四半世紀前になるのか……)。2階建て新幹線100系の本格デビュー、荷物・郵便輸送の終焉――鉄道発祥の地・汐留駅の廃止、閑散な幹線のローカル線化 (函館本線山線の優等列車全廃、石北本線の上川~白滝間で普通列車がわずか1往復に減少…もこのときだった) などが目についたが、一番の目的は分割民営化の下準備であり、新会社への承継を見越した車両の転配が全国規模で行われた。
同時に国鉄は経営基盤の弱い北海道・四国・九州の三地区に向けた新系列車両を製造し、改正から民営化直前にかけて順次投入した。キハ183系500番台キハ185系といった特急形だけでなく、キハ54や今回取り上げるキハ31・32もこの一群である。いずれも全国共通運用を考えず地域の実情にあわせた形とし、くわえてワンマン運転がいつでも始められるよう設計していた。

キハ58系以降の国鉄気動車は搭載機器の多さなどから全長 21,300mm (車体長20,800mm) という長尺車体が標準となっていたが、キハ31の全長は 17,750mm (同17,250mm) キハ32は全長 16,300mm (同15,800mm) とコンパクトな車両になった。全長20m未満の旅客車が新造されたのはひさしぶりのことだった。ちなみに国鉄~JR旅客車では車体端部~連結面間を250mm取っているので、たいていの場合車体長は車両全長から 250×2=500mm 引いた値となっている。
キハ31は九州地区に配置され、JR九州によっても若干増備された。勾配区間の多いローカル線の走行性能と、もはや必須となっていた冷房化の両立を図るため、車体は軽量ステンレス構体を採用。エンジンこそ効率の高い直噴型を新規採用したが、その他台車や変速機は廃車品からの転用、ドアや冷房・ヒーターなどにバス用部品を使うなど、コスト低減に腐心して出来上がった車両といえる。

キハ31 13

キハ31 13

  • 肥薩線 西人吉←人吉 2008-5
  • D200, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO100

1980年代から九州の普通列車は電車・気動車ともアイボリーに青帯の「九州色」となり、同形もそれに準じて青フィルムを貼った。ただしステンレスの車体で濃い目の色は暗く見えるという理由から、若干明るめの色が使われている。これはJR東日本など他社でも同様だ。
中央部の赤いJRマークは九州ならでは。JR各社は発足時、国鉄形の車体へJRマークを貼り付けたが、他社がおおむね先頭車への無彩色マーク (白/灰/黒) だったのに対し、JR九州は九州色全車に白フチ赤色マークを貼り付け、ささやかな個性を主張した。カラーマークは他社も追従し、鉄道模型用のJRインレタにも追加されたものだ。

小窓が整然と並ぶ客室は、転換クロスシートが1-2列で並んでいる。国鉄承継車は新幹線0系の発生品で、片方を1人がけとした。
この座席 (W-12, W-70形)は国鉄末期~JR初期にかけて各地に広がった。というのも、1981年から0系の座席が簡易リクライニングシート (D-23,D-32) へ変更され、2,000両以上が在籍していた従来車の座席も交換開始したことで余剰品が発生したからだ。地方線区向け車両の新製・改造コストを抑制しつつ「アコモ」の大幅改善も図るには、ちょうど良い出物だった。
北海道ではキハ54の急行仕様車 (527~529) に採用され、四国では185系の中間車キロハ186形の普通座席に配置。キハ185形のリクライニングシートに若干劣る見返りとしてシートピッチを拡大し大型テーブルも設置された。青函快速〔海峡〕向けの50系5000番台は投入がJR化後だが改造は民営化以前に済んでおり、規模で言えば一番多い転用先だったかと思う。この転換クロスや簡易リクライニングなど、新幹線で何回も座ったことのある座席に地方で再会すると、なんだか懐かしい。

キハ32 1

キハ32 1

  • 予讃線 伊予横田←西大洲 2008-10
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

キハ32形はキハ54形0番台とともに四国へ投入された。さらに小規模な地域輸送に的を絞り、当時の国鉄旅客車では最小の車両となった。このころ続々と誕生した、特定地方交通線転換の第三セクター鉄道向け「レールバス」の設計手法が取り入れられた車両でもある。一目でわかるミニサイズだが、形式32は語呂ではなくキハ30・31ときた次の番号を使っただけのこと (後にJR西日本がキハ33を登録した)。
現在は四国共通の水色ストライプ塗装だが、投入当初は配備された3県の車両基地ごとにそれぞれ橙(松山)、藍(徳島)、赤(高知) の太帯を斜めに入れた大胆なものだった。キハ54は橙のみの同デザインで松山と高知に、高松には121系電車が新製投入されている。
車内はロングシート。キハ54 (0番台) もオールロングだが、そちらは着座位置を明示した独立バケットシートで、4~5人ごとに袖仕切りも入っているので、座席の幅広さでいえばキハ32が圧倒する。キハ31もそうだが、普通列車向けに横引きカーテンの採用は当時としては異例のことだ。

いずれも制御回路は従来車と共通のため、他形式と併結した姿は現在でもめずらしくない。キハ32が自分より5mも長いキハ54と連結して走ると、兄弟で二人三脚をしているようだ。

この記事へのコメント

2011年10月31日 22:16
こんばんわ

ゴーヨンに似ていますね!
ステンレスにお顔の輪郭が白くって。

アレが
むかしの新幹線の乗り心地なんですねー。
なんにも背景知らずにおりましたが
また狙って乗りに行きたいです。

しばらく留萌線ごぶさたですし♪
2011年11月05日 21:52
Anさん こんばんは。お返事遅れてしまいました。

北海道形のキハ54とこの31,32は、同時に設計されただけあって正面の見た目よく似ていますね。側面はキハ54の0番台も含めて全く様相が違うのが興味深いところです。

道内キハ54というと、新幹線出身の転換シートが今なおよく使われていますね。世界のシンカンセンで使われるにはちょっと…な感じだったのですが(もっとも当時の外国人観光客なら1等~グリーンが標準だったかもしれず)、平べったい背ずりや素直なスプリングの座布団など、あっさりした座り心地がなんとなく心地よく思えたり。
最初から背ずりが適度に傾いているので、リクライニング座席を起こしたときの圧迫感に近い感触がないのも利点と言えば利点でしたが。

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