「昔」をつなぐ ~ レトロ客車2011: 後編

レトロ車両が現代に走るための装備については前編でも記したが、旧客ならではといえた手動の客用扉についても安全対策が行われている。かつては電車でさえ客扱い中にホーム反対側のドアを開けてサボ(行先票) 交換なんてこともできたのだが、いま過失でもそんな事象があれば即おわび文が出るくらいだから、扉を開きっぱなしで走らせるなど到底無理な話 (なので各扉に係員が張り付いて、しっかり閉めてから発車するようになっていた)。
具体的には、戸板に家庭の玄関 (開き戸) でもおなじみのドアクローザーが取り付けられ、一斉鎖錠装置も設置された。開けるのは人力に頼ることになるが、いったん開いた扉は電磁石で固定され、発車時に車掌室から戸閉め装置を操作すると保持力が切れて自動で閉まり、その後ロックが掛けられる。各車側面には戸閉めを確認するための側灯が追加された (中央の「:」)。JR北海道の旧客にも同様の装備が施されている。

スハ43系が標準で履くTR47系台車は乗り心地の評価が非常に高かったが、台車枠が鋳造のため重く、列車重量を増加させる問題があった。後に10系寝台車が旧客台枠を利用して増備された際にスハ43はそちらへ台車を提供、同車にはさらに旧い車両からTR23系台車 (スハフ32も履いている) が振り替えられた。この変更で重量区分が「ス」(自重40t級)→「オ」(35t級) に変わったため、オハ47形として登録されている。
乗り心地は多少悪くなったとされるが、勾配区間の多い地区、とくに「横軽」碓氷峠を含む信越線系統などでは有効であった。スハフ32についてもローカル線への転用で重量制約が多くなるため、さらに軽い台車へ振り替えた過去もあり、こうした「取替えっこ」は旧客全盛期には頻繁に行われていた。

オハ47 2246

オハ47 2246

  • 上越線 渋川←八木原 2011-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

車号部分をよく見ると「・オハ47 2246」と点がついてるが、もちろんゴミではない。この「●」こそ、碓氷峠の貴重な証人である。
信越本線の横川~軽井沢間には国鉄では最急勾配の 66.7‰ 区間があった。1,000分の66.7 すなわち水平延長150mにつき10mの上昇という急傾斜で、車体台枠や台車・連結器にかかる力は大きくしかも偏ったものとなる。開通以来のラックレール方式 (アプト式) を廃し、EF63補機による粘着運転の開始を前に行われた試験の結果、同区間を通過できる車両は台枠等の強化はじめ各種の通過対策を施した車両に限定することになった。これを識別するため対策車につけたのが「●」(Gマークと称する) だった。
長野新幹線の開業で横軽区間が廃止された後は無用な記号となり、該当車であってもその多くは全検などを機に削除された。その一方で〔北陸〕14系は碓氷峠と縁がなくなった後も全車標記していたし、〔能登〕489系に至っては国鉄色への復帰が横軽廃止後にもかかわらず「●」が付記された (それをしておいてなぜ雨樋を赤に塗らなかったかは謎だ)。高崎セの旧客では、7両のうちスハフ32とオハ47 (3両とも)、オハニ36 (下記) が横軽対策車であることがわかる。

窓際のテーブルにビン入り飲料を並べ、下にある「センヌキ」を使って王冠を開ける……想像するだけで楽しくなる鉄道旅行の光景だが、そうやって入るものがあれば出て行くものもあるわけで、便洗面所の整備も今後の運行で避けて通れない課題だった。一時期は特急列車でも珍しくなかった「垂れ流し」は2001年までに全廃、循環式汚物処理装置を装備していないトイレは撤去または閉鎖された。
レトロ列車ではダイヤ上長時間の運転となることも多く、このためスハフ42 2173のトイレには循環処理装置が整備されていた。今般の再整備では機器配置などの見直しからオハ47の設備を使うことになり、トイレは洋式 (真空吸引式だという!) にリフレッシュされた。左デッキ部の白色ガラスがトイレで、床下に抜き取り口が見える。一般に車端床下に吊り下げられる「トイレタンク」は見あたらず、洗面所内に置かれているようだ。

オハニ36 11

オハニ36 11

  • 上越線 後閑←沼田 2011-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

高崎方編成端に連結されるオハニ36 11は、中・小型木造客車の刷新として戦後に鋼体化改造を受けた60系の一員。車籍登録は1955年 (オハニ63として)→1956年だが、台枠に限っていえばその齢は大正時代から続くものといえる。なお「木造」といっても全部木で作ったわけではなく、台枠ほか基幹部位については当初から鉄鋼が用いられた。鋼体化改造車とは、そういった戦前の木造客車から台枠をつぎはぎして鋼製の大型車体を載せたものを指す。
優等列車に連結する目的があったため客室は43系に準じ、台車も当初のイコライザー形TR11系からすぐに10系客車などが採用したTR50系に振り替えられた。軸距 (台車2軸間の長さ) がぐっと短くなり、ブルトレ客車でおなじみの姿に近くなっていることがわかるだろう。右半分の荷物室に続いて車掌室が設置される緩急車で、JR線で一般旅客が乗車できる唯一の荷物 (合造) 車だ。中央にはトイレが設置され (使用停止)、床下には排泄流し管が残っている。

オハニ36以外の車両は車号いずれも2000を超えているのだが、国鉄といえどそこまで大量に増備していたわけでない (客車一形式の最大製造数はオハ35の約1,300両)。電車ではごく一般的な電気暖房、要するに電熱ヒーターも備えた一般型客車を、一律に原番+2000の車号として区別したからだ。この区分は10系客車そして「レッドトレイン」こと50系客車も従っている。
客車暖房の基本形は、蒸気機関車自身あるいはEL・DLに搭載した蒸気発生装置 (SG) から熱源供給される「蒸気暖房」だった。しかし電気機関車牽引であればそちらから電気をもらって暖房するのが効率的だから、とくに暖房用電源を簡単に作れる交流電化区間で電暖が普及していった。
昨今旧客の運転機会が限られていたのは、冷房もさながら暖房が使用できないのでは冬季の運転に支障をきたすからという事情があったのだが、今般機関車・客車とも蒸気暖房の整備が行われることになっている。雪の舞うホームで、客車の編成端から白い水蒸気が漏れ出す光景が見られるのも、もうすぐのことかもしれない。

この記事へのコメント

2011年10月22日 20:04
こんばんは。

高崎の旧客はカラーリングもさながら昔の姿そのものですよね。旧客が現役時代そのままの姿に近い状態で使用されているのは素晴らしいと思います。ただ、側扉の施錠装置が最近になって取り付けられたのは意外でした。
先月上越線に遠征した際にも、水上駅でこの旧客をじっくりホームから観察しましたが、一部は車内が近代化されていた車両も見受けられましたが、オハニ36は客室・荷物室共にじっくり観察しました。
荷物室も車販用のワゴンやダンボールが積まれており、荷物室としても有効に活用されているようで、上手く車両を利用していると感じました。

北海道の旧客のように、石炭ストーブなどを用いた暖房を持つ旧客のみが運行されてきた昨今ですが、今回のC61復元にあわせて、旧客を整備した際にSGを復元して使用可能としたところも、現存する旧客では唯一蒸気暖房を使用できる客車として、新たに注目を浴びることになりそうですし、蒸気が床下から出ているところをぜひとも見てみたいものですね。
2011年10月26日 22:29
785@NE-501さん こんばんは。

高崎の旧客は客車全盛期の姿をそのままにとどめる車両として、以前から撮っておきたいと思っていたのですが、ようやくC61とともに記録することができました。
オハニ36荷物室は本来の荷物置き場としてのほか物販スペースとしても活用されているようですね。荷物合造車というとキハユニ26に乗ったことがあるのですが、なぜか途中に連結され、編成中央にがらーんとした空間ができあがっていたのをなんとなく覚えています(笑)

これまたなかなか見る機会のなかった蒸気暖房についても今般整備されるとのことで、すでにC61には供給用のパイプやホースなどが用意されていました。寒い中にも暖かそうな光景を見られるのも今から楽しみです。
teru
2011年11月01日 23:36
こんばんは!
いつもにも増して力の入った記事、まだ、良く読んでいませんが、勉強になります。SGといえば、真岡鉄道のSL列車に乗車した時のSGに感動したのを思い出しました。やはり煙、香り、音、風・・・今の『電車』に欠けているものが、『列車』にはありましたね。
2011年11月05日 21:53
teruさん こんばんは。

客車で蒸気暖房を使用している列車といえば、真岡鐵道が知られていますね。よく冷えた冬晴れの日に撮ってみたいと以前から思っていました。
年中SLを運行しているから見られる光景ですが、この旧客でスチームの吹き上がりが近々見られるようになるとは、感慨深いものがあります。また一度くらいは暇をつくって〔SLみなかみ〕あたりで(12系でもまあ良し)、大型SLの牽引感覚を味わいたいですね。

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