「今」を走る ~ レトロ客車2011: 前編

ことし6月にC61形が本線復活を果たした、ということで喜び勇んで上越線へ行ったのはハドソン機だけが目的ではない。牽引される旧型客車を収集する機会も、以前からずっとうかがっていた。
高崎車両センターにはJR東日本の現役旧型客車7両が集結している。ブルトレ・ジョイフルトレインを含めた客車が絶滅しかかっている現状ではまさに「虎の子」とも言える存在だし、JR全社を見回しても営業できる旧客は13両だから、もう立派な鉄道遺産である。今回のC61復活に先立ってこれら客車も徹底的に再整備され、復帰第一弾〔SL C61復活号〕で大型急客機の雄姿に花を添えた。
きょう10月14日は「鉄道の日」、今回は鉄道創始期から連綿と続く客車列車の姿を、前後編に分けて眺めてみたい。

JRに限らず鉄道路線を営業で走る車両は、新鋭車両だろうが旧型車両だろうが、安全に運行できる装備をしなければならない。旧型車両を動態保存する上では物理的な寿命のほかに保安上の限界も障害となり得るもので、現在の安全基準を満たせないため廃車や休車となってしまう車両も少なくはない。
今回のC61形にしても現在の保安規程に適合するために見えるところ、見えないところで巧みに手が加わっていて、たとえばホームグラウンドの高崎近辺では必須の保安装置ATS-P装備 (ATS-Ps併設)、発電機やバッテリーの大容量化、これらによる重量増とブレーキ保安の関係から最高運転速度が75km/hに制限されている。

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スハフ32 2357

  • 上越線 渋川→八木原 2011-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

水上方に連結されているスハフ32 2357は1938年製造、JR東日本で現役最古の車両である (JRグループではマイテ49 2が同い年だが、そちらが若干早く落成した)。連結面の三面折妻と丸屋根、リベット打ちの外板接合部。1ボックスあたり2つの小窓がずらり並ぶ外観は、他と明らかに容姿が異なり非常に目立つ。「走るサロン」的なマイテと正反対の内装は扇風機すらついていない質素な造りだが、あふれんばかりのレトロ感が漂う同車は旧客編成の中でも一番人気という。
端部にツノのようなものがついているが、これは列車無線アンテナ。国鉄では分割民営化を前に列車無線の整備を加速、JR発足時には四国地区 (1988年前後に整備された模様) を除くほぼすべての運転台に無線機の設置が完了した。機関車や先頭車の屋上に載ったアンテナは、とくに模型などで国鉄時代とJR時代を切り分ける重要なアクセサリーだ。これは蒸気機関車も例外ではなく、JR本線を走行したことのある車両はすべて装着している (当然ながら58654号機も)。JR東日本では客車の乗務員室にも無線機を整備(現在デジタル化も完了) したため、スハフ32にもアンテナが立っているわけだ。
こまかい点では、平軸受温度監視装置の配線を機関車との間でつなぐジャンパ連結器がある。蒸気機関車にとって軸受の焼き付きは致命的な故障となるため、隣接する客車から軸受の温度上昇がないか観測できる万全の体制が整えられた。別地域へのSL回送の際には、部品等の運搬を兼ねて同様の機能を持つ伴走車 (オヤ12) が連結される。

窓下にところどころ並ぶ三本の縦線「|||」は三等車を表す。もともと客車には腰部に1~3本線を付記した 一等=白・二等=青・三等=赤の帯が引かれていた。塗装費削減のため赤帯は早期に廃止され、二等級制へ移行したとき記号も書かれなくなったが、客室等級を示す イ・ロ・ハ だけが、二等級制を経て現在のモノクラスに至るもなお グリーン車(ロ)・普通車(ハ)の形式称号として残っている。一等の白帯はマイテ49に、三等の赤帯はJR北海道スハシ44と真岡鐡道〔SLもおか〕用50系に、それぞれ見ることができる。

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スハフ42 2173

  • 上越線 後閑→沼田 2011-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

戦前から戦後復興期にかけて完全鋼製車として製造されたオハ35系を、優等列車向けに改良したものがスハ43系と呼ばれる一群である。車体は木造鋼体化改造車60系の流れを汲み、切妻の連結面は工作の簡易化を図った結果だ。全客室のスハ43と車掌室を持つスハフ42が基本形式で、照明を明るくしボックスシートのピッチを広げ、座席自体もすわり心地を改善、夜行での仮眠に座席通路側へ頭もたせを設置するなど、居住性の向上に注意が払われた。
スハ43系は全国の急行列車に広く使われ、それらが電車や気動車に置き換えられたあとはオハ35系などとローカル線の長距離普通列車、いわゆる「鈍行」に転じ、国鉄末期まで現役を保った。茶色 (ぶどう色2号) やインクブルー (青15号) の客車がのんびり走る姿は、古きよき時代の点景だった。

乗務員室内にみえる白い輪は手ブレーキハンドル。留置した車両が勝手に動き出さないように車輪を押さえておくもので、ハンドルの回転が床下のチェーンないしワイヤで台車に伝えられ、ブレーキをかける。走行中の列車を緊急に停止させるには車掌室内に備えられたブレーキ弁が使用されるが、この両者を備えた客車・貨車が「緩急車」と呼ばれ、形式に「フ」が追加される。 (テ・ニ・ユ・ヤ・ヨを除く)
一方の台車脇 (スハフ42では左) に黒く丸い物がぶら下がっているが、これは車軸発電機。ブルトレ以前の客車電源は自給自足が原則で、車輪の回転をベルトで伝えて発電した電気を蓄電池 (床下中央の箱) に貯めておき、照明・放送と扇風機などの電源をまかなっていた。暖房するほどの能力はさすがにないので、機関車から蒸気または電気の供給を受けている。これについては次回触れたい。

群馬DCの一環「頑張るぐんまの中小私鉄フェア (9月18日)」での展示に、スハフ42 2173とオハ47 2266が上信電鉄高崎車両区に貸し出され (といっても高崎セとは目と鼻の先)、スハフ42はデキ3のお供に下仁田まで1往復した。上信線で客車列車が運転されたのは10数年ぶりだという。



参考: 「C61 20号機の復元工事を終えて」井上修, 鉄道ファン2011年8月号, 交友社. (初出=JREA 2011年5月号, 日本鉄道技術協会)

この記事へのコメント

2011年10月17日 22:28
こんばんわ

こちらのような
古い客車で窓を全開にして走ってるときに
窓から入って車内でこだましてる
いろんな音を聞くのがまたいいんですよね

ヨン丸くんはちょっとモゴモゴしてるので
ハイパワーな特急に比べれば
旅鉄にはもってこいな旅仲間なのですが
この客車はもっと軽快ですよね♪

北海道のノロッコもまた
車内はほとんど骨組みだけなので
鉄音たのしめます
teru
2011年10月17日 23:58
こんばんは!
スハフ32 2357は1938年ですか・・・親父の歳とほぼ同じです(^^;。そんなベテランも安全装備は最新式、とても参考になりました。
乗りたいものですが、もう数年後?。それから大井川方面も興味がわきます。
2011年10月22日 00:09
Anさん こんばんは。

昨今、ローカル普通列車でさえ窓を開けられる機会はなかなかないものです。なもので、道内や北東北のキハ40など非冷房車に乗ると、窓を思い切り開けて一定のリズムを刻む走行音を楽しんでいますね。真夏はさすがに勘弁ですが(笑)
北のトロッコは「流氷ノロッコ」にちょっとだけ乗り、簡単な内装がトロッコらしく感じました。
2011年10月22日 00:10
teruさん こんばんは。

昭和初期の生まれというと、だいたいそういう世代ですね(苦笑) そんな歴史ある車両でも、基本性能はもちろん、きちんと現代の安全装備がされていることで、安心してレトロ車両の旅を楽しめるというわけです。
旧客は、はるか昔に山陰本線西端で乗った記憶があるのですが、いまや客車ですらほとんど乗る機会がないです。今を走る旧型客車、一番体験しやすいのはやはり大井川でしょうかね(観光列車の色合いが非常に濃いようですが)。

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