パンに関する3題

世界初の寝台座席兼用電車「月光形」581系電車の登場 (1967年) から半世紀近く経った。現在残る581・583系はJR東と西に計42両。最後の優等列車運用を続ける〔きたぐに〕3編成に、東北地区で国鉄色のまま残る波動輸送用2編成 (1編成は近日廃車と報じられた) と、終焉近しの気配が漂う。

特急用としていくつかの問題を抱えていた581・583系は、国鉄輸送の需要減で早々に整理の対象となった。東北新幹線開業の1982年から夜行列車が大幅削減した1984年にかけて、同系の運用は大幅に減少。余剰車両は地方近郊路線の列車近代化にむけ奇手とも言える近郊化改造が行われ、九州・東北には交流車715系、北陸には交直流車419系として、第二の人生を歩み始めた。
715系が引退した後も、北陸419系は独特の姿で北陸ローカル輸送につとめてきたが、北陸本線の敦賀直流化と同時に投入された521系電車の増備・北進にともない、3月改正をもって引退する模様である。同地区の急行形475系は、一部淘汰と平行して青一色への塗装変更が進められているが、419系にその動きが見られないのは……と思っていたが、車両の経年や使い勝手の面を考えると、ここらへんが潮時なのだろう。
敦賀方でクハネ581から改造されたクハ419については2回取り上げているが、ほかの車両もなかなか個性的な風貌をしている。

クハ418-7

クハ418-7

  • 北陸本線 丸岡←芦原温泉 2007-5
  • D200, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO125

715系の4両編成に対し419系は3両固定となった。このためモハネ583は運転台を取り付け直江津方のクモハ419に、敦賀方はクハネ581が不足するぶんサハネ581からも改造されてクハ418が登場した。種車のデッキ部分は運転室に置き換えられたため、扉はクハ419の位置にあわせ2つとも新設されている。
新設運転台は非貫通で、傾斜した3連窓は103系あるいは荷電のような面構え。正面が切妻で平板な顔つきの電車は「食パン」と称されることが多いが、715・419系のそれは屋根高さから額が広く、その別称にいちばんふさわしい車両といえる。山型食パン電車といってもいいだろう。

モハネ582-106

モハネ582-106

  • 磐越西線 翁島←猪苗代 2011-8
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

モハネ582は485系でのモハ484に相当する。上から下まで電気機器類がぎっしり詰まった「走る変電所」は、その重量などを考慮して、モハ484もそうであったが先頭車化改造は1両も行われていない。国鉄色のブルー・クリーム (スカ色と同じ) は新幹線0系と同じ塗りわけで、東海道・山陽新幹線から接続する夜行特急としての役割をアピールしていた。
そのモハネ582とモハ418を比較すると、前位(左側) の洗面所が出入口と客室に変わり、後位側のパンタグラフがなくなっていることに気づく。跡には何も載せられず、屋根に大きな段差がついているのが目立つ。
初の特急電車151系特急電車は、電動車1ユニットに2つのパンタグラフを持つ。その後の特急電車と157系も、185系で1パンとなるまで2パンのスタイルを続け、架線電圧1,500Vの直流区間では2個パンで走っていた。これは高速走行や空調使用での電流増加を考慮したためだが、のちに1パンタで直流120km/h走行も支障がないと判断され、第2パンタは降ろして運用するのが常態化していた。ただしJR西日本では湖西線区間で130km/h運転を行う〔雷鳥〕、きのくに線の381系〔くろしお〕で2パン運用が復活している。
交流区間については架線電圧が20,000Vとはるかに高く、パンタ1つで集電にまったく問題がないので、九州の485系は早期に第2パンタを撤去した。新幹線も風切り音を引き起こすパンタ数は減少一途をたどり、〔はやぶさ〕E5系に至って320km/hでも集電装置は編成で1箇所となる。

モハ418-2

モハ418-2

  • 北陸本線 丸岡→春江 2009-2
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

屋上大半がパンタと高圧機器で占められているモハネ582は、モハ484-200のように集中型の大型クーラーを載せるわけにもいかず、客室両端に計3個の床置式クーラーが置かれた。モハ484-0番台と同じ方式である。近郊形改造でもクーラーはその場所にとどまった上、洗面台側も客室化しているので客室がクーラーにはさまれ分断するという、奇妙な構造になってしまった。
一見不自然ともいえる改造の跡があちこち残る客室は、次期車両までのつなぎとして改造費もできるだけ抑えたいという意図の反映でもあった。だが北陸ではご覧の通り、種車の新製が1970年前後だったから、すでに改造後の車暦のほうが長くなっている。改造図面が引かれた時点で、同系がここまで長く使われることは予想もしなかったに違いない。715・419系は当時の国鉄財政を反映した珍車として、種車とともに後々まで語り継がれることだろう。

……で、残るひとつのパンは? このようにカメラを左右にゆっくりと振る動作を、パン (パンニング) といいます。

この記事へのコメント

2011年02月19日 23:52
「パン」といえば、食パン列車!アタリ~(笑い)
最初見た時、たしかに食パン!って思いました。4-5年前までは米原駅にも来ていましたが、もう今は敦賀以東しか走っていませんねぇ。
今日はまた敦賀まで往復してしまったのですが(笑)、敦賀駅そばの線路に419系は2編成いました。
2パンタをあげて走る「雷鳥」の姿も、もう1ヶ月を切ってしまいました。(涙)
2011年02月24日 21:25
さくらねこさん こんばんは。

パンと言えばやはりコレ、ですね(笑) まさに食パン電車の名にふさわしい、そして前と後でぜんぜん顔の違う715・419系電車。このような珍車が今まで残っていたのも奇跡的と言いましょうか……。
敦賀までの電化変更で、もう米原まで来てはくれなくなりましたが、需要の少ない区間ということで敦賀~福井近辺ではよく見られました。混雑区間では乗り込みづらくちょっとヤな電車でしたが、空いていれば実にゆったりした乗り心地を味わえる電車でもありました。
それもまもなく見納め、湖西線で2パンの〔雷鳥〕もまた見納めですね。

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