ニノ国電

国鉄改革・分割民営化の過程で消滅したものはいくつかあるが、そのひとつが鉄道荷物輸送。形式称号「ニ」「ユ」の存在が示すとおり、郵便輸送とならんで鉄道の黎明期から歴史を刻んできた。
鉄道手荷物輸送 (チッキ。旅客荷物の受託輸送) と小荷物輸送は、昭和中期まで郵便小包とならぶ小口輸送の主役だった。小荷物輸送では差出人が荷造りした荷物を発駅に持ち込み、宛先人が到着日に着駅窓口で受け取るのが基本。幹線では専用列車 (時刻表にも旅客列車の後に掲載されていた)、ローカル区間では旅客列車に併結した荷物車または合造車、時に客室の一部を仕切って運んでいた。
現在の宅配便から見ると国鉄の荷物輸送は著しく低レベルなもので、「国鉄離れ」と宅配便の発達によってシェアを大きく落としていく。民営化直前の1986年11月ダイヤ改正で荷物輸送・郵便輸送がごく一部を除き全廃され、鉄道唱歌にも歌われた新橋→汐留駅の歴史もここで幕を降ろしたのである。

電車での荷物輸送はローカル線むけの旅客合造車からはじまり、幹線長距離運用を開始した「湘南電車」80系で郵便・荷物専用車クモユニ81形が新製された。その後旅客電車の新性能化で荷物車も刷新が必要となり、113・115系と連結運転できるようにした荷物電車が1960年代に登場する。クモユニ74・82、クモニ83形など、いずれも通勤電車の礎となった国鉄63→72系の足回りを利用して専用車体を載せたもの。103系のような面構えの荷電が、ときに長大編成の先頭で風を切っていた。

クモニ83006

クモニ83006

  • 東芝府中事業所 2011-1
  • D200, AF Nikkor ED 18-35mm F3.5-4.5D, ISO200

1980年代にはこれら荷電も115系なみの性能を持った新型141・143系に置き換えられた。1986年にはそちらも用途を失い、一部は車両基地の牽引車となり、また一部は単独運転もできる特徴を買われ旅客車クモハ123形となった。
クモニ83006 (←モハ72107) は、廃車後国分寺の鉄道技術研究所 (現・鉄道総合技術研究所=JR総研) に搬入されて水色の試験車となり、2008年に湘南色ほぼオリジナルに塗り直され東芝府中事業所へ移送されている。
ここ東芝府中工場の鉄道事業は、EH500などの電気機関車、鉄道電装品などの開発・製造が行われている。ふだんクハ103-525 (イラストが描かれていたが現在はオレンジ色) と連結されて事業所柵内にいる同車は、車両新製出荷などのタイミングで表へ出てきて、横を走る武蔵野線からもその姿を見ることができる。荷役に適した大きな扉、室内のガラス保護棒といった荷物車ならではのスタイルが、そのまま保たれていた。

この83006と1番ちがいの005 (←モハ72098) はさらに奇妙な運命をたどることになる。国鉄末期の時点で旧型国電 (つりかけ駆動) の営業車は鶴見線・小野田線のごく一部で残るに過ぎなかったが、1988年になって005をふくむ3両がJR西日本で改造され、クモハ84形として旅客営業をはじめてしまった (1996年に廃止)。瀬戸大橋線の開業でメインルートから外れた宇野線末端区間に投入されたもので、JRで新形式登録された唯一の旧型電車だった。

この記事へのコメント

2011年02月06日 09:09
おはようございます。貴重な走行風景ですね!。
国鉄時代、鉄道手荷物での思い出です・・・戸塚駅、今の西口バスターミナル付近に窓口があって、母親と手荷物を預けに行った記憶があります。懐かしいですなぁ。
2011年02月06日 09:12
ところで、珍しくD200ですね。本務機は入場中でしょうか。こちらのD200は、まだ検査したことがありません、さすがにラバー部がもげてきました。
2011年02月07日 01:56
鉄道での荷物輸送、私も懐かしいです。子供の頃、母の田舎からの荷物は近くの国鉄の駅に届いていました。「駅に荷物が届いているよ」という会話が懐かしいです。
その頃、駅は列車に乗るためのものだけでなく、荷物の他にも弘済会(駅の売店)に切手を買いに行ったり、マンガ雑誌を買いに行ったりしました。コンビニ、というほど取扱商品が広いわけではないですけど、便利なお店でもありましたね。
少女フレンドとかマーガレットとかの週間の少女マンガ誌は、本屋より駅の方が近かったこともありますが、駅の売店の発売が1日早かったので買いに行っていました。
2011年02月07日 01:58
PS:みなさんにご案内に伺う前に別館の期間限定再開を見つけてくださってありがとうございます。1日1羽ラストランまで「雷鳥写真館」、アップできるかな
2011年02月08日 18:17
こんばんは。

荷物輸送、懐かしいですね。
本来の使い道ではないにせよ未だにクモニ83006がしっかりと見られるとは驚きました。
一度じっくりと眺めてみたいものです。

こちらではもっぱらオユやマニといった客車ばかりで、稀にキハユニを見かけた程度ですが、苗穂の今では高層マンションが建っている場所に荷物ホームがあったこともよく覚えています。
2011年02月08日 22:16
teruさん こんばんは。

駅から荷物を送ったことがあるんですね。私はその経験はありませんが、実家からたしか鉄道荷物で菓子類がよく届きました。が、いつも箱が凹んでいたような…。大きな駅ではホームに(魚市場ではおなじみの)ターレットが走り回り、私の近辺では「田舎のスーパーカー」なんて呼んでたり(笑)
なおコレ走行写真…じゃないんですね厳密には。タネはありますが画像にエフェクトかけたのでもありません。まあなかなか表に出てくれないという点では、貴重なものではあります。
ちなみに本務機も仕事?してます。グリップゴムが伸びてきました(笑)
2011年02月08日 22:37
さくらねこさん こんばんは。

弘済会という文字を見てこちらも懐かしくなりました。(キヨスク/KIOSKの前身です) いまみたいにコンビニの氾濫する前は、駅の売店がなんでも扱っているお店という感じでしたね。
漫画雑誌など定期刊行物も鉄道で運ばれるのが一般的でしたから、市中の本屋さんよりは駅のほうが早く売り出せたわけですね。古い鉄道雑誌RF,RJを見ると、表紙の片隅に国鉄の荷扱に関する特別扱承認の表記がありました。
JR化後も「弘済」という語句を目にすることのできたのがJR時刻表の弘済出版社ですが、これも2001年に交通新聞社へ統合され、そういったところでも国鉄の時代がしだいに遠なっていることを感じます。

「雷鳥」写真館、3月までの1枚1枚楽しみにいたしております。
2011年02月08日 22:41
加藤さん こんばんは。

いつのまにか仲間になっていた府中のクモニ83。いつもは柵の向こう側にいるのが、たまたますぐ近くまで出てきていたので、無理やり撮ってみました(笑) 標記字体に若干の違をのぞけばほとんど同じ外観で残っていたのには、私も正直驚いています。
正面はこの左側が若干改造されているそうですが右側はほぼオリジナルで、「大阪」とか「糸崎」とかシブい字幕をわざわざ出してたりします(笑)

私自身荷物は直接出したり受け取ったりした経験がなく、荷物列車もそんなに見た経験はありませんが、電化する前の筑肥線では郵便荷物室を通路扱いしたキハユニ26が編成に挟まっていたことは憶えていますね。
かなり減ってきましたが、各駅の片隅に荷貨物を扱っていた側線跡、近くに日通の営業所とか農協がセットになっている地方駅を見ると、鉄道が物流の主役だった頃を思い起こさせます。
2011年02月13日 15:21
こんにちは。あれれ走行写真じゃないんですか!。こんどタネ教えてください。鉄道荷物。各駅停車の荷物列車が走っていたんでしょうね。当方本務機、ますます快調、さすがニコンですなぁ。
2011年02月15日 22:00
teruさん こんばんは。

タネは明かせばなんということもないもので、とりあえずじっくり考えてみては、と(笑)
その昔は大手私鉄でも荷電が走ってましたよね。ほとんど見る機会がなかったのが残念です。

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