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みんなの「エイプリル・スペシャル」ブログ


白の記憶―青函点望

2016/04/01 00:00
春・夏に青森を訪れたら、この列車は外せなかった。最後の急行列車、最後のJR客車列車、そして最後のブルートレイン車両。青函連絡船の深夜便を受け継ぐ形で誕生した急行〔はまなす〕は、JR世代でありながらも国鉄の雰囲気を残しつつ、2016年3月22日の北海道新幹線設備最終切換を前に海峡線旅客列車のしんがりをつとめあげた。
いつものように油川の撮影場所に腰を据えてそのときを待つ。右手踏切の警報器が鳴り出し、右側から赤いED79に牽かれてブルーの客車が乾いた音を立てて通り過ぎていった。

スハフ14 555

スハフ14 555

  • 津軽線 油川←津軽宮田 2014-5
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO200


この画像は単なる白のべた塗りではありません。そう、心の眼で見てください……というわけではないが、最近はよくしたもので、高度な画像処理でこの絶望的な状況もなんとかできたりしないかと思ったものである。画像(RAW) の現像に際しディヘイズ (かすみ除去) 処理をかけてみると、なんと! 真っ白な画像の中から車体の形が浮き出てきた。それにしても、自分で言うのも何だがよくここまで止めたカットがあったものだと。
津軽線付近は海が近いせいか夏場は市街近くでも霧が良く発生し、同列車や〔北斗星〕を狙う撮影者を悩ませていたようだ。この日も宿を早朝に抜け出して、青森駅付近の晴天に気をよくして車を進めていたが、突然の真っ白なベールに立ちはだかれてはなす術もなし。すこしくらいは見えてくれないかという願いも空しく、ほぼ定刻どおりに列車は音だけを残して走り去っていったのだった。

画像

ED79 58−ED79 59

  • 津軽線 油川←津軽宮田 2014-5
  • D7100,AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO200

太陽が高くなるにつれて霧は徐々に晴れ上がってきた。そんな中に現れたのはED79 50番台重連の貨物列車。元の画像はやはり乳白色だらけだが、今度はなんとかそこから浮かび上がらせることができた。貨物用の50番台は、当代青函連絡の主役EH800の暫定投入と入れ替わりに、一足早く運用を退いている。

14系客車500番台は、北海道内の夜行急行列車の体質改善を目的に臨時特急用の14系座席車を耐寒耐雪化したグループで、1981年2月に函館本線(通称山線経由)の急行〔ニセコ〕に投入。後に寝台車も加わり、札幌から北海道各地に向けブルートレインが走ることになった。

スハフ14 555

スハフ14 555

  • 千歳線 島松→北広島 2014-5
  • D7100,AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO400

外見では乗降口の折戸が凍結予防として引戸に変更されたのが最大の特徴だ。扉の片方は荷物置場部に引き込まれるが、もう片方は客室座席部まで食い込むため、窓幅がすこし狭められているのも目に付く。一部車両は扉の窓に「自動ドア」と注記しており、登場時は10系寝台客車と併結していた歴史を語る。車両自体の空調は電気式 (スハフのディーゼル発電機から) ながら、蒸気暖房の配管も通っていた。550番台はオハフ13に発電機を搭載した車両で、〔はまなす〕では函館・千歳線上で車掌室を函館側に向けて連結されていた。

冒頭の画像iについては、画像を調整しても結局車号は判別できなかった。ならばなぜ書いてあるのか? という疑問への答えは単純、その夜札幌へ飛んで翌早朝の下り列車を迎え、うまく同一車を記録できていたというわけだ。
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幻走

2015/04/01 00:00
2015年3月14日、上野東京ラインの開業が首都圏JR線の運行に大きな変化と影響を与えたのはご存じの通り。つづいて山手線では特徴的な顔面が話題をさらったE235系の先行製造車も登場。その山手線ではホームドアの整備が着実に進められているし、新駅開業を見据えた田町車両センター跡地の整備もはっきり確認できる。東京の鉄道風景は、これからさらに変化を遂げていくのだ。

サハE230-31

サハE230-31

  • 中央本線 飯田橋←市ヶ谷 2009-12
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO400

混雑を極めた東京首部の電車で、乗降のスムーズ化を狙って投入されたのが6扉車。一時はかなりの路線に浸透したものの、元祖の山手線はホームドア整備のため104両ものサハE230を総取り替え、京浜東北線はE233系の車体拡幅にくわえ上野東京ラインで混雑度が下がると見込まれて6扉車は設定されなかった。山手線からスライドしてきた埼京線も、やはりE233系に6扉は作られず、10連に最大3両の6扉車を連結する東急田園都市線でも、ホーム安全柵の整備を名目として6ドア車両の全廃が発表された。
現在、JR線で6扉が日常的に見られるのは中央・総武緩行線である。E231系0番台に各編成1両が組み込まれていたが、上野東京ラインの常磐線 (取手快速) を増強するため三鷹車両センターから松戸セに3編成を移籍させ、かわりにE231系500番台が10両転属(1両はE235系に改造編入)してきた。E235系の量産が本格化した場合は、さらなる転入で6ドアが押し出されそうな気配で、4扉車は転用するとしても、かつての切り札は幻の車両と消えゆく運命なのだろうか。

……という車両の写真がヘンなのは、撮影地の区間を見れば気づくかもしれないところだが、今年ははやくも満開を迎えた外堀のソメイヨシノ並木道からのショットである。花盛りを終えた木々は、すぐ葉がしげって「抜け」を悪くするから、こういったシーンを見られるのは冬場限定 (それだって毎年変わる枝振りによっては……) だし、下の水面もすこし風が吹いただけで波が立って鏡にならなくなるから、意外に難しい条件だったりする。

クハ200-129

クハ200-129

  • 中央本線 飯田橋←市ヶ谷 2009-12
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO400

快速線には、この時点ですっかり少数派になっていた201系の姿もあった。2段サッシの「田窓」や4ドア両脇の戸袋窓も、首都中心では幻になった車両要素のひとつ。そういえば戸袋窓の広告ステッカーの裏がJR西日本で青くなったのは、「グリーン車と間違う」と言われたからだという話もあったようななかったような (大阪近郊で普通列車グリーン車など、もう数十年連結されていないのだが?) 飯田橋駅も急カーブ上のホームを解消するためこの付近に構内が移設されることになっており、こんな光景が撮れるのもそう長くはなさそうだ。
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TSUBAME-2014

2014/04/01 00:00
毎年のように勢力を減らしつつある国鉄形・国鉄色。代わりにJR・私鉄限らずステンレスやアルミの無地な装いの車両が増えてきた一方で、往時の車両塗装をイメージしたリバイバル車両が各地で登場してきいる。それは鉄道に並ぶ公共交通機関の代表、バスについても同じ流れのようである。

2013年12月、東京発着の高速路線バスを多数運行するJRバス関東は、東京駅八重洲口再開発事業のひとつ「グランルーフ」の完成およびJRハイウェイバスターミナルの新装を記念して、「青いつばめ」と「赤いつばめ」2種類の復刻デザイン車両を登場させた。かつての国鉄高速バスのデザイン、および高速車両試験車の塗装をイメージしたものである。前者で採用されたカラーはのちに一般路線 (特急・急行) にも適用されたが、後者は試験車に使用されたのみで「幻の塗装」であった。
鉄道省が日本国有鉄道に改組した際、管理下の自動車線も国鉄バスとして設立、このとき公募で動輪とツバメを組み合わせたシンボルマークが設定された。東京湾岸線 (東京駅〜東京ディズニーランド) の新設を機に導入された現行塗色には動輪から独立した大きなツバメのイラストで飾られ、以来「つばめマーク」は国鉄バスを承継したJRバスのシンボルとして、西日本JRバス(関西地区) の一般路線車を除くほぼすべての車両に掲げられている。

H654-08416 JRバス関東

H654-08416

  • JRバス関東 高速鹿島線 宇宙通信センター←鹿嶋市役所 2014-1
  • D700, AF Nikkor 35mm F2D, ISO200

バスの走行撮影は鉄道より、いや路面電車よりも難しい。高速道路はまず不適だし、一般道路にしても街路樹・歩道・ガードレール等邪魔ものだらけ。しかし地図と路線を調べていくうち、茨城県鹿嶋市付近でもしかすると可能かも? という場所を見つけた。ならば鹿島神宮に参拝してみようという名目(?)で 東京駅八重洲口、JRハイウェイバスターミナルから鹿島神宮ゆきに乗り込んだ。東京−鹿島線〔かしま号〕は水郷潮来バスターミナル(潮来IC)〜鹿島コンビナートを経由して鹿島神宮駅までを結び、朝は10分、昼間も20分間隔で運行される人気路線。鹿島神宮は鹿島線の終点駅 (厳密には鹿島サッカースタジアムまで) だが、都心連絡に関して同線は完全に蚊帳の外となった。

この「青いつばめ」のふるさとは福島県にある。
東北本線の白河と水郡線の磐城棚倉(いわきたなくら) の間は、かつて白棚線(はくほうせん) という鉄道で結ばれていた。私設鉄道の買収国有化路線だったが戦時中に不要不急線と休止されて戦後も復活できず、最終的に路盤を専用道路化し国鉄自動車線として歩むことになった。廃止された鉄道・軌道の代替あるいは災害の仮復旧として、線路敷を専用道路とするBRT: バス高速輸送システム (Bus Rapid Transit) がところどころ導入されているが、その先鞭ともいえるケースである。
1957年の転換当初は白棚高速線と称した。といっても日本の高速自動車道が開業する (首都高速=1962年 名神高速=1963年) 前のこと、いまの高速(路線)バスとは意味が異なる。線路敷地を完全舗装した国鉄バス専用道路を、まだ路面事情の悪かった一般道より速く走れることが由来とされる。東名高速線の開業(1969年) で名称から「高速」が取れた白棚線は、民営化でJR東日本、翌年JRバス関東へ承継され、現在も東北線と水郡線を連絡する路線として運行されている。

L527-99503 JRバス関東

L527-99503

  • JRバス関東 白棚線 温泉口←番沢 2014-2
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G VR ED, ISO200

そんなバスに新白河から乗ってみることにした。朝を除くと1時間おきの運行で、東京方面の〔やまびこ〕〔なすの〕からおよそ20〜30分での接続となる。駅前からしばらく直進し、右折する広い国道が線路跡地を拡幅利用したもので、中心部から離れるにつれ道幅は狭くなるが、長い直線に大らかなカーブ、緩い勾配は鉄道由来のものとわかる。やがてバスは国道から離れ、狭い一本道へ乗り入れた。ここから専用道区間である。もとが単線で道幅もバス1台分しかないが、ところどころ待避所が設けられてバス同士の離合はそこで行われる。閉塞はない。
小ぶりな築堤の道路を、バスは50〜60km/h程度で走る。舗装は凹凸もあるうえ、ガードレールや橋の欄干もほとんど設置されていない。重量のある、つまり慣性も大きい大型自動車をそのスピードで操るのは難度がかなり高そうに思える。専用軌道を維持するコストは道路にしても無くなるわけではなく、現代の道路整備を考えると専用道の速度的優位性はどうにも薄い。おなじように専用道を設定した各地の代替バスもいつしか並行道路に飲み込まれてしまい、白棚線も一般道編入や災害廃止(放棄) などで、現在の専用道は転換当時の1/3以下になってしまった。

そんな白棚線専用道も当時はほかにない条件の道路だったわけで、高速バス開発のモデル線に起用されたのだった。高速バスには高馬力と耐久性、高速域での連続走行とバスストップから短距離で本線に合流できるエンジン性能が要求され、国鉄とバスメーカーが共同で開発した車両をここで長期試験したのである。そうして実用化された車両は「国鉄専用型式」として、〔ドリーム号〕を筆頭とする国鉄高速バスに長年受け継がれてきた。
「赤いつばめ」車両のほうは東京〜館山・白浜間〔房総なのはな号〕の特定便に投入されていたが、現在は終了している。現時点での運用は現在公式に明らかとされていないが、「赤いつばめ」を白棚線専用道で走らせるイベントなどもそのうち行われそうな気がする。



◆4月1日特別企画「エイプリル・スペシャル」 バックナンバー
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イチバリキ!

2013/04/01 00:00
蒸気機関や内燃機関 (ガソリン・ディーゼルエンジンなど) の出力を表す単位として使われてきた「馬力」。文字通り、ウマ1頭が継続的に荷重を牽引するときの仕事率であり、1英馬力(HP) =745.7W(ワット)、1仏馬力(PS) =735.5Wである。現在の国際単位 (SI) ではこれら機関の出力、あとは空調機の能力 (kcal/h) などもワットで示すのが本来の姿だが、慣習的にPSやkcal/hで示されることが多い。
国鉄時代、ディーゼルカーのエンジン定格出力は180〜220PS (130〜160kW) 程度で、キハ65やキハ181系搭載の12気筒ターボエンジン (DML30HS形) が繰り出す定格出力500PSは、気動車としては破格の大出力であった。だがその後の性能向上は長足で、NN183 (キハ182) に搭載された改良型は660PSまで向上、キハ261系に至っては460PS×2で、その出足は国鉄時代の電車も上回るほどになる。
そんな高馬力の列車を横目に、わずか1馬力で人を運ぶ鉄道といえば……そう、馬車鉄道。旅客・荷貨物運搬の馬車をレールと鉄輪に置き換えた、鉄道の原型と呼べるものだ。

北海道開拓の村 馬車鉄道

リキ − 1

  • 北海道開拓の村 旧ソーケシュオマベツ駅逓所前←旧浦河支庁庁舎前 2012-10
  • D700, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO400

札幌市郊外の丘陵地に開設されている「北海道開拓の村」は、その名の通り開拓期の建物を移築保存し、当時の文化に触れることができる文化施設。その園内メインストリート中央にはレールが約500mにわたって敷かれ、札幌馬車鉄道をモデルとした二軸客車を「リキ」と「アラシ」2頭の道産馬(ドサンコ) が交替で引っ張る。
訪れた日はリキが牽引機(?) で、「性格: おとなしい」とある紹介文の通り、ゆっくりと客車を走らせていた。軌道は複線区間もあり、夏のハイシーズンには2両と2頭がすれ違う光景が見られるそうだ。雪に埋もれる冬期間は、馬車鉄道のかわりに馬そりが運行される。
「でも、これって所詮は遊覧鉄道でしょ?」 事実、私もそう思っていたのだが、折り返し休憩中の客車妻面に貼られたエッチングの銘板――この時点で只者ではない雰囲気が――をのぞき込んでみると、「北海道開拓の村 馬車鉄道車輌第1号 / 製造年月 昭和56年11月 / 製造所 日本車輌製造株式会社…」 うん、これは立派な鉄道車両だ。足回りを改めてみれば、ゲージは762mmとナロー標準、二軸車ながら軸ばねにコイルばねを使用し、手ブレーキとはいえ車輪踏面シューという一般鉄道車なみのしっかりした形態である。その他諸元は全長=4130mm 全幅=1712mm 重量=2t 定員=18人 (2両とも)。

784-80

784-80

  • 東海道新幹線 新富士→三島 2012-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

日本車輌製造 (日本車輌・日車) は、愛知に拠点を置く鉄道・輸送機器メーカーで、1896年創業という鉄道車両製造の老舗である。新幹線をふくむJR東海・名鉄の車両を数多く製造し、他JRグループ・私鉄に三セク、様々な事業体への納入実績もある。2008年にはJR東海の連結子会社となり、超伝導リニアL0系先行製造車の一部も受注している。N700系0番台のラスト (Z80編成) にN700Aのトップ (G1編成) も日車製だ。
鉄道車両工場は飯田線・豊川駅近くにあり、そこからの新車甲種輸送はメディア等にも取り上げられ、広く知られるところになった。かつては東海道新幹線車両も浜松工場まで甲種で運ばれていたが2004年限りで終了、以降はトレーラーによる陸送 (担当は日本通運) となっている。こちらもテレビCMなどで有名になり、N700/Aの輸送日は深夜にもかかわらず沿道に大勢の見物客が繰り出すのだとか。



◆4月1日特別企画「エイプリル・スペシャル」 バックナンバー
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秘境駅へ

2012/04/01 00:00
雪の降りしきる北見峠の麓。石北本線の特急〔オホーツク〕を撮ったあと、人通りの少ない国道から左折すると、正面に木造の建屋が現れた。上白滝(かみしらたき) 駅。通年営業駅としては最も停車頻度が少なく、一日に上下一本ずつしか列車が停まらない。

北海道の普通列車はそもそも多くはなく、手元にある古本の時刻表とくらべても札幌圏で飛躍的に増えた程度の違いしかない。旧国境を挟む山間部は列車数もさらに少ないのだが、上川〜白滝間は国鉄最後の1986年11月改正で普通列車がたった一往復に削減されてしまった。しかも上川発が早朝、遠軽発が夕方という一見不思議な設定。
この状況は当時の鉄道ジャーナル誌でもレポートされた。真相は、その時点で人家のなくなっていた上川方の利用はもはや期待せず、白滝地区から丸瀬布・遠軽方面へのわずかな通学需要に応じるため一往復が残されたということだった (1992年までは土曜の下校対応に白滝〜奥白滝の延長運転があった)。事実、峠の上川方に位置した天幕(てんまく)・中越(なかこし) 駅は2001年にそれぞれ廃止・信号場化されている。遠軽方の奥白滝も、同時に信号場となった。

上白滝駅

上白滝駅

  • 石北本線 2012-3
  • D700, AF Nikkor 35mm F2D, ISO200

道内の駅は大半が無人駅。待合室に車掌車の廃車体を使った通称「ダルマ」とか、簡素な板張りプラットホームだけの「朝礼台」も数多い。そんな中でいまも姿をとどめる上白滝駅舎は、かつて貨物・荷物も扱っていた歴史を偲ばせる。
引き戸を開けて待合室に入ってみる。すき間から侵入した雪の吹き溜まりはあるものの、中はこぎれいに片付けられて、駅ノートと暇つぶし(?)のマンガ本が並んでいた。天井には排気管が渡され、中央にストーブが設置されていたことがわかる。
列車で来ることがきわめて困難なところから「秘境駅」とも扱われるが、駅のすぐ前を国道333号が通り、付近に住宅もあるので駅を訪れること自体はたやすい。「降り鉄」としては、白滝から国道を3km歩いて唯一の上り列車4626Dで旭川へ抜けるのが定番コースのようだ。国道は旭川と遠軽・紋別を結ぶ「中央道路」として開削された歴史ある幹線道路に属するが、旭川紋別自動車道 (通行無料) の開通で交通が完全に転移してしまったため、こちらもすっかり閑散としている。

キハ54 501

キハ54 501

  • 石北本線 留辺蘂←相内 2012-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D+TC-14E, ISO200

この区間を通る普通列車はもう一往復ある。それが特別快速〔きたみ〕で、旭川〜北見間に1988年から設定されている。キハ54 500番台を投入して特急なみの運転時分を誇るが、長距離路線バスへの対抗から料金不要の快速列車とされた。当初は502〜504を専用とした2両編成で、車内サービスとして飲料自販機を設置し、新聞も備え付けられていたという。
旭川〜遠軽間を「18きっぷ」だけで移動する手段は、これを加えても一日1.5往復 (下り普通列車では日着が無理)。その先の常紋越え (生田原〜金華) も普通列車は希少……きびしい道のりだ。
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海をわたる鉄道

2010/04/01 00:00
鉄道は水没区間を走ることはできない。それは当然のことだ。しかし地盤のきわめて緩い場所、たとえば北海道など開拓地の湿地帯や河川敷などでの物資運搬では、最も手っ取り早く造れるのはじつは鉄道だった。雑誌でそれを取り上げたものを見たのだが、まともに走れるのかと思うほどぐにゃぐにゃの軌道が印象的だった。まあ速度が必要とされないところだし、その程度で問題ないのだろう。
今回取り上げるのはそういうものではなく、本当に水の上を走っているJR系鉄道路線。正確には昨年まで……と書けばお気づきの方も多いだろう。日本三景・安芸の宮島へ行く 宮島航路 (宮島口〜宮島) は、JR西日本系列会社が運航する鉄道連絡船の末裔だ。

青函や宇高のように車両継走を行った本格的な連絡船と趣旨は異なるが、宮島航路も国鉄〜JRが直営してきた、れっきとした鉄道連絡船だった。その歴史は非常に古く国有化が1906年、それ以前も山陽鉄道 (現在の山陽本線) の連絡航路として宮島への観光客を運んでいた。瀬戸内海には、ほかに仁堀航路 (仁方[呉線]〜堀江[予讃本線])、大島航路 (大畠[山陽本線]〜小松港) という国鉄航路もあったが、大島は道路橋の完成によって1976年に、仁堀は民間航路に押されて1982年に廃止されている。余談だがその民間航路でさえも、昨今の事情から廃止に追い込まれてしまった。
「一本列島」の完成と引き換えに青函・宇高両航路が廃止された後も、本航路はJR唯一の連絡船として残存、「青春18きっぷ」でも乗れる船として知られていた。しかし2009年2月にJR西日本は子会社のJR西日本宮島フェリーを設立して同年4月1日に経営を移管、国内の鉄道連絡船はその歴史に幕を下ろしたのだった。時刻表などでは民間航路扱いとなったが、18きっぷ・フルムーン等での乗船は引き続き可能となっている。

みやじま丸

みやじま丸

  • JR西日本宮島フェリー 宮島口←宮島 2009-8
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

現在の宮島航路には、みやじま丸・みせん丸・ななうら丸の3隻が就航し、となりの松大フェリー (広島電鉄系) とともに昼間15分 (多客時10分) 間隔で出航する。みやじま丸は2006年に新造船へ交代、エンジンで発電機を回し、インバータ制御のモーターでスクリューを回す最新鋭の電気推進船となった。海を行く電気式気動車といってもいいかもしれない。
強い左右対称性を持つこの形の船が港に泊まっていると、どっちが前だかわからくなりそうだ。実際、この船は操舵室を船首・船尾両側に備え、どちら向きにも進むことができる両頭船だ。ちなみに図面上はこちら側が左舷とのこと。昼間の宮島ゆきは厳島神社大鳥居沖に接近するサービスを行っており、1階のバリアフリー室からも世界遺産の威容が存分に味わえる。
両頭船自体は従来から短距離フェリー向けに存在するもので (同航路ではみせん丸も該当)、入港時の旋回を省き時間短縮に貢献している。さらにみやじま丸では推進がモーターであることを活かし、推進ポッド (スクリュー) は360度全方位に回る。つまり横方向に移動することだって可能というユニークな船で、その先進性と環境性能の高さから2006年シップ・オブ・ザ・イヤー小型客船部門賞を受賞した。
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踏切注意

2009/04/01 00:00
画像黄色い菱形に、煙を吐く汽車のシルエット。前方に踏切があることを示す道路標識は、そのものの虎縞警報機・遮断機と並んで、踏切の情景には欠かせない存在だ。
蒸気機関車というものは鉄道のシンボルとして間違いのない存在だけれど、日本の鉄道路線から本当の意味での蒸機牽引列車が消えて久しく、なのに標識だけ汽車が走っているのはおかしい……と、電車をモチーフとした新しいデザインが1986年に制定された。
もっとも、違和感があるのは「汽車」に限った話ではない。道路標識に出てくる車をよく見ると、どれもクラシックカー並みの古典的なスタイルばかりだが。この汽車にしたって、戦前のいわゆる「B6」スタイルだよな…… (真岡鐵道 天矢場−茂木 2005-11)


画像

警戒標識 (踏切あり)

  • 久留里線 横田−東横田 2008-9
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D
  • ISO200, 1/250, f5.6

画像久留里線を横断するここの踏切は、上方に大きな四角い案内板を掲げ、「踏切」と丁寧に書いてある。運転免許を持つ人なら踏切でどうしなければならないかわかるはずだし、また踏切を見落とすことなどありえない。なのにそんな看板が存在するということは……。ちなみにこれは菱形でなく、文字も追加されているから、厳密な意味での警戒標識ではないが、本当の標識はちゃんと手前に菱形で設置されている。




……というのが4月1日ならではのネタでございますが、そこで終わるのもなんなので、ではこれに一番近い車両はと考えてみることにした。パンタグラフがついている電車で、ドアが両端に寄っていて、単行の運転ができて、二段サッシでもなく……となると、現役車両においてこれはかなり近いと思うが、どうだろう。

画像

HK100-3

  • 北越急行ほくほく線 犀潟←くびき 2009-2
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D
  • ISO200, 1/200, f9

ほくほく線は六日町〜犀潟(さいがた)を結び、越後湯沢から直江津までのショートカットを形成する。地図を見るとよくわかるが、定規で引いたような一直線の路線だ。その途中、鍋立山(なべたちやま)トンネルの掘削は世界にもその名を知られる難工事だったが、21年もの歳月を経て貫通した同トンネルの完成によって工事が進み、1997年に第三セクター北越急行の路線として開業した。
当初から北陸連絡の特急が高速で走れる軌道を整備しており、実際に特急〔はくたか〕は最高160km/hというスピードを誇る。そしてウサギの「ほっくん」を掲げる普通電車HK100形も高速かつ高加速性能をもって、迫るタカから脱兎のごとく次駅まで逃げ切るのである。トンネルが多く車窓を楽しめる区間が短いが、それを逆手に取って車内天井に映像を投影する設備を備えた「ゆめぞら」も登場した。

鉄道公団建設の新規ローカル線は、ほとんどが高架とトンネルで構成されており、同線も例外ではない。自社線内に踏切は、JR線に並行するたった2ヶ所しかないんですけどね……。
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復活国鉄形蒸機!一刀両面 (鉄道ファン連載)

国内で活躍する動態保存国鉄蒸気機関車、16両(2014年10月現在)各機を両側からとらえたサイドビュー写真と、宮田寛之名誉編集長のみどころ解説でお送りするシリーズ。

2015年8月号では「番外編」と題し、このたび鉄道博物館に収蔵展示されたEF55形1号機を取り上げます。復活後は「ムーミン」とも呼ばれた、電機としては異例の前後非対称・流線形のボディを振り返ってみました。



当ブログの「蒸気機関車」各エントリもご覧ください。


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