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みんなの「電気機関車」ブログ


赤の時間―青函点望

2016/02/01 00:00
津軽海峡線の朝は早い。午前4時すぎ、おそらく保線のために取られている空白時間の明けるのを待って、青森・函館両方から貨物列車が青函トンネルへと流れ込む。本州に上陸した上り列車は5時半ごろ、まだ眠りから覚めない青森の市街へ到着する。
貨物列車の牽引を担当するは東北の主役「金太郎」ことEH500。赤いマンモス電機の行き交う姿はしかし、3月21日で急に途切れてまう。翌22日から行われる「地上設備最終切換」で、青函トンネル区間が北海道新幹線への運行システムに切り替わると、これまでの在来線電車や機関車は自走で乗り入れることができなくなる。かわって登場するのが新たな赤い電機、EH800だ。

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EH800-6

  • 津軽線 津軽宮田←油川 2015-11
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO200

貨物列車と交互走行することになる北海道新幹線の青函トンネル区間は、新幹線が当面140km/hに速度を落とす一方、在来線側も架線電圧の交流25,000Vへの対応が必要となる。このため複電圧および新幹線運行システム (ATC, 列車無線など) に対応した電気機関車として開発されたのがEH800形である。形式の800番台はJR貨物の交流電化区間向け交流電動機機関車として確保されていたもので、1月末で試作車(901) と量産車15両の全16両が出そろった。現ダイヤではED79形50番台が牽引していた列車を中心に、東青森〜五稜郭間で足慣らしを続けている。
車体のサイズや基本デザインはEH500と同等で、外観で違うのは前尾灯がEH500-1,2とおなじ位置に下げられたこと、集電装置がシングルアームパンタになったこと、それから函館側 (2エンド) の車体裾部にふくらみができているところだ。この部分には新幹線のデジタル無線システムが使用するLCX (漏洩同軸ケーブル)用アンテナが収容されており、同形の特殊な機能を印象づける。細かいところでは運転台頭上に新幹線車両とおなじ形の検電アンテナが載っているのも見逃せない。赤い車体には本州と北海道を結ぶイメージの白ラインに、スピードを意識した銀のラインが回り込んでいる。愛称やマスコットはとくに設定されなかった。

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EH500-56

  • 津軽線 油川←津軽宮田 2012-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

北海道への鉄道物流に大きな役目を果たしたEH500にとって、今回の改正は大転機となるのだが、影響はそれだけではなさそうだ。遠く離れた黒磯駅では現在、地上での交直流電源切換を車上切換 (交直セクション方式) に変更する工事が進められているが、こんどのダイヤ改正で同駅での機関車交換が全廃されるという。
青函間が縮んだぶんEH500運用の範囲が首都圏側に伸ばされる形になるが、これによって宇都宮線区間での直流機運用、とくに国鉄形は激減することが予想される。EF510形500番台もほとんどJR東日本から離れているから、蓮田や栗橋のポイントで青い電機の姿をとらえる機会はかなり減りそうだ。

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コキ53352

  • 津軽線 油川←津軽宮田 2010-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

もうひとつ注目は赤い(正確にはとび色:赤茶) コンテナ貨車、コキ50000系。大半の列車は最高運転速度110km/h対応のコキ100系になっており (貨物時刻表によれば、東北線等を含む道内の列車最高速度は100km/h)、最新のコキ107も北海道まで乗り入れているが、11月時点でも一部列車は最高95km/hの同系での組成だった。
一部100km/h, 110km/hに改造された車両も先に廃番台になり、もともとの95km/h車だけが数を減らしながらもなお残っている状態なのだが、新幹線との速度差がわずかばかりだが大きくなるわけで、そもそも車齢もかなり高くなっていることもあり、この区間に限らず行方がすこし気になってくるところ。
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ふたつの星

2015/08/21 07:00
上野東京ラインの普通列車を降りて徒歩で20分あまり、水田の脇で線路へレンズを向けた。8時35分、汽笛とともに右側からあらわれたのは銀色のEF510「カシオペア」塗装機。そしてブルーに金帯の客車が連なって、目の前を軽やかに駆け抜けてゆく。
臨時寝台特急〔北斗星〕。終着まではあと1時間弱の道のりだ。

EF510-509

EF510-509

  • 東北本線 東鷲宮←栗橋 2015-4
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

2015年3月改正で定期運行を終了した寝台特急〔北斗星〕は、半月後の4月から臨時列車として運行を再開。〔カシオペア〕のダイヤに載せて同列車と交互する形で8月まで運転されてきた。2008年の1往復化以降、JR北海道(1〜6号車)+JR東日本(7〜11号車+電源車)の混成だった編成はJR東日本車だけの組成となり、B個室群のかわりに8〜10号車のA個室三点セットが2〜4号車へ組み込まれ、「史上空前の豪華編成」と評する向きもあったが、2004年からのオフシーズンには当時の3・4号が同様の編成で運転したことがある。
その編成中央に連結されているのが「ロビーカー」オハ25 500番台(503)。とくに目立ったロゴやエンブレムなどがなかったJR東日本車両のなかで、流れ星のワンポイントが光る。登場当初は5・6号むけ、のちに定期昇格した3・4号にも連結されるようになり、JR北海道もこれを折半で運転することから550番台(551) を投入。こちらにはJR北車共通の「539エンブレム」を掲げていた。

オハ25 503

オハ25 503

  • 東北本線 東鷲宮←栗橋 2015-4
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

ロゴ部にはシャワー室がある。往時の1・2号と北東混成の編成に連結されたスハネ25 500は形式の通りB個室ソロ車両でもあったため共有スペースは狭く、時刻表の注釈は「ロビーがあります」。臨時運転の案内は時刻表で「ロビーカー連結」の付記があったので、運転開始を前にオハの登板を確信したのだった。

減便でロビーカー連結が中止された2008年以降、1両だけ除籍されず尾久車両センターに長期間留置されることになったオハ25 503だが、その姿を見る機会は意外に多かったりする。というのも、東北本線(宇都宮線) で時折運転される乗務員訓練を目的とした試運転(通称黒磯訓練) に、同車はよく連結されていたからだ。客車であればなんでもいいという感じで何両かをつないだだけなので組成も一定せず、連結面の車端ダンパはもとより幌も接続しない姿ではあったが、いつかの復活を期待させて走る姿は貴重だった。2006年に向きを変えられた車両群は2012年にふたたび反転、保留車も含め寝台を東側に向けている。
もう1両レア車両として、3・4号定期化でJR北車に仕様を合わせた「ロイヤル+ソロ」オロハネ24 501が入る可能性もあったが、私はここで見る機会がなかった。営業運転でたまたま連結されていたのを撮れたのは奇跡に近い。

オハ25 503

オハ25 503

  • 東北本線 東大宮←蓮田 2010-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

定期時代は基本的に日曜朝の「カシトセイセット」でいただくことが多かったからか、なかなか土曜日の朝に起き抜けで行く気になれず、しかも連休になると新幹線設備試検のあおりで運休。そのうちそのうちと思っているうちに終焉を迎えるといういつものパターンになった気がする。
クルーズトレインに夢を託して、元祖豪華寝台列車〔北斗星〕四半世紀の歴史はまもなく幕が下りる。21日夕方に発つ上野駅へ23日の定刻に戻り、有終を飾ることを願いたい。
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さよならブルートレイン

2014/12/28 00:00
2015年3月JRグループダイヤ改正で、寝台特急〔北斗星〕の定期運行が終了する。毎日運転の寝台特急は〔サンライズ出雲・瀬戸〕と同列車のみになっており、〔北斗星〕は最後の定期ブルートレインでもあった。JR西日本〔トワイライトエクスプレス〕の運転終了も春に発表されていた (同列車は臨時扱いのため、ダイヤ改正の発表資料には掲載されない) から、青函トンネルを象徴する2列車が同時にその歴史を閉じることとなった。〔トワイライト〕は北陸新幹線開業に伴う並行在来線経営分離の関係で、改正2日前の3月12日発が最終となる。
もともと臨時の〔カシオペア〕と、最後の急行になってしまった〔はまなす〕は継続されるが、それも最長で北海道新幹線開業までとなるだろう。〔北斗星〕は臨時列車として8月頃まで設定の方向とされているから、それ以降は残存2列車の設定にもかなりの影響がありそうだ。
トンネルを含む海峡線は新幹線を通す規格で建設されていたから、いずれの列車も新幹線に次を託して使命を全うしたのだともいえるし、見た目にも疲労の色濃い車両の姿に先の長くないことも感じていたが、廃止が現実のものとなればやはり寂しい。3度ほど上りを乗り通し、B個室とシャワー、夜の喫茶と朝食を体験できたのが幸いだった。

EF510-512

EF510-512

  • 東北本線 蒲須坂←片岡 2014-12
  • D810, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

国鉄〜JRのブルートレインは、1958年に運転開始した20系が始祖となる。深みのある青15号の車体にクリーム色1号の帯を3本流し、牽引する機関車も客車と同じ高さに細帯を通した「特急色」が設定され、EF60(500)、EF65(500,1000) そしてEF66と受け継がれた。
2代目ブルトレ・14系および12系では地色がすこし明るい青20号、帯は白2本に変更された。帯はさらに2段B寝台の24系25形以降ステンレス板貼り付けとなったが、昨今は銀テープまたは塗装、車両によっては白帯になっている。先日リバイバルされた寝台特急〔富士〕は白帯車で揃えるという演出がなされたが、電源車カニ24はもともと25形と同時増備なので本来は銀帯だった。なお〔富士〕は24系25形での運転が最も長かった(1976〜2005年)が、その直前1年間はEF65P+24形で運転した実績がある。

オハネフ25 8

オハネフ25 8

  • 東北本線 蒲須坂←片岡 2014-12
  • D810, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

現在の〔北斗星〕はご覧の通り「金帯」である。これは国鉄分割民営化を前に〔あさかぜ〕の車内リニューアルが行われ、オハネ・オハネフ25形に「グレードアップ車」の意味を込めて装飾したのが最初。幕板にも20系以来となる3本目の帯をつけ、B個室のさきがけ「デュエット」(シャワー室付き)を連結した〔あさかぜ1・4号〕は、堂々たる姿で新会社発足に花を添えたのだった。
発足翌年に開通する青函トンネル経由の本州〜北海道直通列車は、当初〔ゆうづる〕客車に食堂車と2人A個室「ツインDX」を追加する形で構想されていたが、さらなる魅力向上を図って上級個室の「ロイヤル」B個室「ソロ・デュエット」も設定。ふたを開ければ個室人気が急騰し、当初臨時の3・4号の定期化とあわせて個室車を増結することになった。
JR北海道は当時担当した〔北斗星1・2号〕の大半を個室車に入れ替え、1往復化でJR東日本と折半する現編成には「デュエット」「ソロ」がエンブレムつきで残っている。エンブレム中央上部に「539」の刻印があるのは、青函トンネルの総延長約53.9kmから津軽海峡線を「ゾーン539」と称したことによる。

オハネ25 565

オハネ25 565

  • 東北本線 蒲須坂←片岡 2014-12
  • D810, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

ブルトレ直流牽引機はその後も青15号で通したが、〔カシオペア〕〔北斗星〕本州区間牽引をEF81から引き継いだEF510-500は、同列車にあわせて青20号に金帯となり、足下の形態とも合わせ軽快さが感じられる。
旅客仕業数からは過剰なほどの15機が新造されたが、これは田端EF81が常磐線関連の貨物列車牽引をJR貨物から受託していたためで、〔カシオペア〕塗装の銀釜2機 (509, 510) も人気の「安中貨物」を含む貨物仕業をこなした。他方でブルトレ牽引は東北専門、災害で東北本線〜北上線へ迂回した〔あけぼの〕を牽引したことはあるが定期の牽引機置き換えとはならず、〔北斗星〕〔カシオペア〕の上越線迂回時はEF64とEF81が登板したので出番はなかった。
貨物牽引受託は2013年改正で解消(EH500に置き換え)、余剰となった同形は銀釜を飛ばして501〜508,511の計9両がJR貨物へ譲渡された。貨物牽引機をベースとした設計は、当初からそれを見越していたと言える。流れ星を撤去し日本海縦貫線に身を転じた青い機関車は、最終的には「レッドサンダー」スタイルへ統一されるそうである。

EF510-503

EF510-503

  • 信越本線 押切→見附 2014-6
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

「ブルートレイン2008」で紹介した列車のほとんどは、記憶の彼方へ去って行った。すでに臨時の〔あけぼの〕の動向は年明け以降の「春の臨時列車」発表を見ないとわからないけれど、正直厳しいだろう。車種を数え上げればまだ当時の半分程度となるが、それは〔北斗星〕〔トワイライト〕が編成内に多彩な個室車を組み入れているからである。当時でもかなり減っていたとはいえ、それから6年でほんとうに全滅とは……と嘆息もするし、逆にあれからよく6年持ちこたえたなあ、という感慨も……。そもそも列車内で夜を過ごすという旅行自体、もう経験できないのではという気がしてきたほどだ。

〔カシオペア〕と〔北斗星〕は、上野駅地平ホームの一番奥、高架ホームがかぶさる13番線から発車する。尾久車両センターから推進回送され、客車を頭にゆっくりと入線してくる独特の雰囲気もまもなく見納めになる。地平ホーム自体、こんどの「上野東京ライン」開通による直通化で使用頻度が極度に低下するはずで、この空間が特急ホームを含めどのように扱われるのかも気になるところだ。
かわって次世代を担う新幹線。H5系が本州に顔を出し、W7系も東京への試運転を開始した。N700系は3月改正で東海道区間の285km/h運転を開始、いっぽう500系は「プラレールカー」の運転が来夏まで延長されるとのことで、根強い人気を保つ同系ももうすこし活躍が見られそうだ。名実ともに、日本の鉄道の主役は新幹線になっていく。
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シェルパはもみじ色

2014/03/08 00:00
広島駅から普通電車で東へ約20分、瀬野(せの) に着くころにはあたりの山腹も線路際まで迫ってくる。その斜面を切り拓いた住宅地「瀬野みどり坂」へは、ロープウェイと懸垂モノレールを合体させた交通システム「スカイレールサービス」が結んでいるが、その起点 みどり口駅など駅の北口は、1986年まで存在した瀬野機関区の跡地に位置する。
ここから八本松(はちほんまつ) までの山陽本線は大山峠―通称「セノハチ」を越える。急カーブも介在する連続22‰勾配区間は同線最大の難所で、その克服のため上り列車には後押しの補助機関車 (補機) を必要としていた。旅客列車は181系・165系電車およびEF60 500番台の投入以降補機不要となったが、貨物列車は現在でも上り列車最後部に補機を連結し、本務機と後補機が息を合わせて峠を登ってゆく。

瀬野区は山陽鉄道による敷設当初からセノハチ補機の拠点として整備され、戦後蒸機時代はD52など、電化後はEF59 (EF53・EF56改造) がその任務についていた。1977年からEF61形200番台が加わったが、これはEF60のうち増備車と機構の違う初期型を改修・改番してセノハチ補機へ転用したものだった。EF59と置き換える予定が試運転で重連の不具合が判明したため、同形は1,000t以下の列車へ単機で充当することとし (改造も途中で打ち切られた)、1,000t超の列車はEF59×2の使用が継続された。
しかしEF59の老朽化は一層深刻化しており、これを単機で置き換えるための機関車として1982年に登場したのがEF67形である。国鉄直流電機として最後の新規形式だが、当時の事情からまたも改造でまかなわれ、3両が瀬野区と広島機関区(3のみ) へ配置された。国鉄末期に同区が広島区と統合されて1・2も広島区へ移籍、機関区廃止後の補機連結は東広島貨物駅(→広島貨物ターミナル) となっている。

EF67 1

EF67 1

  • 山陽本線 西条←八本松 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

重い貨物列車を後方から支える後補機にとって、粘着性能つまり簡単に空転したりしないことは非常に大切である。EF67形もEF60改造で駆動系は種車流用だが、連続制御で粘着性能が高い電機子チョッパ制御を採用、6つのモーターを並列回路で駆動する。帰路 (下り) の単機あるいは重単にて回送時、中間台車を電力回生ブレーキ専用とするのも同形だけが持つ特徴だ。
連解結作業の便を図り、神戸方には外部デッキと貫通扉が設けられた。門司方が非貫通のままで、前後の顔つきがまるきり違うのも電機としては珍しい。列車によっては勾配を登りきった八本松駅付近で列車本体と補機の連結を外す「走行解放」が行われていたため、EF59,EF61 200にも装備した自動解結装置を踏襲する。これは運転台の操作で解放てこを押し上げ、自動連結器のナックル錠を外す機構である。
そういった特殊装備もさながら、なによりインパクトを与えるのがその色だろう。国鉄の塗色規定では新性能直流電機は青15号を標準とするが、EF67は異例の朱色 (赤10号) という目立つ姿になった。この色は広島県の県花モミジから取られたものである。

EF67 101

EF67 101

  • 山陽本線 西条→八本松 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

EF67は所定通り1,000t超列車のEF59仕業を置き換え、EF61 200とともにJR貨物へ承継。EF61の経年代替として1990年からEF65形0番台の改造で100番台が5両増備された。
すでに走行解放する列車が限られていたため、100番台では自動解結装置と貫通扉の追設を省略した。0番台が限定して充当された走行解放仕業も2002年に全廃され、以降貨物列車は西条駅に停車して補機を切り離す。大型緩衝器を備える連結器のぶんだけ神戸方が少し長いのと、窓上のひさし・パンタグラフそして塗色を除けば種車と外見の相違は少ない。当初0番台と同じ朱一色だったが、2003年からの更新工事を機に現行の塗装となり、後部標識灯の形状が変わった。

ここにきて0番台も老朽化が進んだため、置き換える形で「押し太郎」ことEF210-300番台が3両投入された。2013年春以降0番台の稼働機は1号機のみ、100番台または (牽引仕業にもついている) EF210の予備的な扱いとなっている。先日には吹田まで車輪削正に赴き、それ以来仕業につく日も増えているようだが、今般ダイヤ改正での扱いが注目されるところだ。
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おしたり、ひいたり

2013/10/05 06:00
東海道本線・静岡〜豊橋付近の普通列車に乗っていると、昼間でもひんぱんに貨物列車とすれ違う。先頭車で見ていると、遠くに見える2つのライトは近づくにつれおでこの青が目立つのが大半。「ECO-POWER桃太郎」ことEF210形電気機関車だ。
JR初期に華々しく登場したハイテクパワーロコEF200は性能過大のきらいもあって21両で量産は終了、コストを勘案した新型直流機関車の開発が進められた。主用途と想定する東海道・山陽本線での急勾配は、関ヶ原越え(下り大垣→関ヶ原) とセノハチ(上り瀬野→八本松) に限定されることから、機関車としてはじめて30分定格の概念を取り入れ、1時間定格出力が3,390kWであるものの30分定格を3,540kWとして、EF66なみの使用ができる設計となっている。交流電動機を使用した直流区間用電機として、EF210の形式名が与えられた。

EF210-5

EF210-5

  • 東海道本線 野洲←篠原 2013-6
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO800

試作機901号機(1996年) の成果を取り入れ、1998年から量産を開始した同形はすでに100両目をうかがうほどにまで勢力を拡大、東海道・山陽本線のほか、東北・高崎線(黒磯・高崎操まで)に鹿島線、四国にも乗り入れる汎用機である。EF66と共通性能といいつつ、現在では110km/h運転列車の大半が同形での牽引となっている (SRCにつづく貸切高速列車「福山レールエクスプレス」53〜52列車は、2013年3月ダイヤではEF66の牽引とされているが、実際にはEF210牽引がほとんど)。
EF210は、正確には「桃太郎」ではない試作機901号、下枠交差式パンタの0番台(1〜18)、そして100番台に区分される。インバータ装置と制御の変更を行った100番台でも下枠交差式(101〜108)、パンタグラフをシングルアームに変更(109〜)、GPSアンテナ撤去(156〜)と、細かい差異が見られるのも、長期にわたった増備が続く形式特有のものだろう。なお「桃太郎」の名は、同形がまず岡山機関区に配備されたことにちなみ公募で決定したもので、以降のJRFロコに愛称がつけられる先例となった。0番台ではひかえめだったロゴは100番台で一気に大きくなっている。

EF210-106

EF210-106

  • 山陽本線 西条←八本松 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

山陽本線瀬野〜八本松間は現在でも補機による貨物列車の後方押し上げが行われており、朱色に塗られたEF67形(EF60,EF65からの改造) が専用補機としてその任を担ってきたが、とくにEF60から改造された0番台の経年が進行しているため、その代替として後補機使用のEF210が開発された。
列車後方からの押上げでは重量貨物列車の荷重が連結部に加わるため、セノハチ補機には特殊な緩衝器を備えた連結器を神戸方に配置する。EF210-300も新型シリコン緩衝器つき連結器を装備するほか、補機だけでなく列車を牽引する本務機としても使用できる設計とした。このため車両全長は100番台より長くなっているのだが、開発発表のイラストなどではどこが長くなるのかがよくわからなかった。実際に登場した頃の写真を見ると運転台付近が伸びていそうな気がしたが、実際には運転台部分はまったく変わっていないのだ。延長されているのは台枠より下(グレーに塗られた部分)で、片側で200mm伸びている。「ハコ」が伸びているように見えたのは、塗装境界線の違いからくる一種の錯覚といえるかもしれない。スカート部分は台枠・連結器にあわせ延長され、アゴをつきだした横顔である。

EF210-301

EF210-301

  • 山陽本線 西条←八本松 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO160

機関車後部にも注目したい。これまでの補機はセノハチ専用であったため、緩衝器は神戸方に装着していたが、本務機としても使用した場合は行路途上で機関車の向きが変わることもあるため、EF210-300の緩衝器は機関車両側に装備された。したがって全体では100番台より400mm長くなっている。

「押し桃」「押太郎」などとも呼ばれる300番台は、3両が広島車両所に投入され、3月改正から順次EF67との共通補機運用に入っている。ところが最近になって301号機が吹田機関区に移動し (転属扱い)、吹田〜広島間で列車牽引を行っているようだ。本務機としての実用試験か、あるいは最近吹田機関区で慢性化していた機関車不足への対策もあるだろうか。
いっぽう300番台の投入と入れ替わるようにEF67の0番台が任務を解かれたが、1号機だけはひきつづき広島車両所で運転整備されており、ごくまれに補機運用に入ることもある。
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魅惑の機関車

2013/05/27 00:00
ここ数年、3月のJRグループダイヤ改正にあわせて大型時刻表(JTB)、コンパス時刻表・東京時刻表(交通新聞社)、それにJR貨物時刻表(鉄道貨物協会)を購入している。貨物時刻表は本来鉄道貨物の顧客向けに発行されているものの、貨物輸送と直接関係の無い人にも人気の「隠れたベストセラー」なのだが、その目的がふつうの時刻表には載らない貨物列車運転時刻、それに機関車運用表であることは間違いない。
私自身もそうだが、趣味向けの購入者が毎回気にしているところは国鉄形機関車の消長だろう。数もさながら、各地に配置されていた機関車も配置集約(書類上) が済んでおり、在籍数も毎号のように減少する。撮影可能時間帯の牽引機変更も一喜一憂するところか。

EF66 9

EF66 9

  • 東海道本線 野洲←篠原 2009-7
  • D700, Nikkor 105mm F2.5, ISO500

国鉄形機関車の中でも「ロクロク」EF66形0番台は注目の的。2009年に旅客列車の定期運用が消滅し、誕生時同様の貨物専業となった同形だが、その後も増備が続くEF210に押されて運用数は徐々に減少している。JR貨物になってから増備された100番台はもうしばらく残るだろうが、製造後すでに40年を超えている0番台の今後はそう長くはない。
EF66形の母体であるEF90形 (→EF66 901)は、最高運転速度100km/hで長崎から汐留・梅田へ直行した鮮魚列車〔とびうお〕〔ぎんりん〕向け冷蔵車(レサ10000系)、「貨物のブルートレイン」と呼ばれた高速コンテナ貨車(コキ10000系)などの特急貨物列車を牽引するために開発された。高速運転に備えた高運転台はともかく、鼻筋のはっきりした一種の流線型は貨物機としては異例のスタイルであり、第12回鉄道友の会ブルーリボン賞を獲得、ブルートレイン牽引を長く期待されていた。1980年代に入っての貨物輸送量減少と、当時は旺盛だった東京〜九州間ブルトレの輸送力増強に応えるため、1985年にEF65PFの文字通り「後ガマ」として旅客列車牽引に抜擢されたのだった。

EF66 35

EF66 35

  • 東北本線 白岡→新白岡 2010-2
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO200

現在稼働中の0番台は運転室上に大きな箱が載っている。これは運転室用のクーラーで、100番台では新製時から助士席部に設置されている。頭に弁当箱を載せたような形態はオリジナルの流麗さをスポイルしていることは否定できないが、乗務員室の環境改善としてやむを得ない。そもそも現在はそんなことを言っていられないほど貴重な車両になった。
ほかに前面で目立つのが、特急マークを模したナンバープレート周囲のエンブレムと、下部の飾り帯が撤去されたところ。塗装ははじめ100番台同様のスリートーンとしていたが、のちに国鉄特急色をアレンジしたものに変更された。前面装飾撤去と側面帯位置の違いのため、厳密には国鉄色ではない。

稼働機、いや国鉄機の中で一番人気を誇るのが27号機である。他機同様に延命措置を受けた更新機なのだが、最終施工機となった同機は塗色を国鉄特急色のままとした。
ここでJR西日本に在籍していた53号機と並べ、旅客会社機と貨物会社機の違いを比較してみよう (こちらに掲載したモノクロ画像をカラーで再掲)。なお53号機は左側面 (左から1-2位)、27号機は右側面 (2-1位) となる。正面中央、鼻筋からの陰影で表情をつけやすいことで知られるロクロク0番台だが、側面からでもその表情をとらえられる角度だということがわかるだろう。

EF66 27

EF66 27

  • 武蔵野線 東浦和←東川口 2009-1
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO250

すぐにわかる違いは運転室頭上のクーラーということになるが、そのほかにも屋根色が雨樋・前面ひさしの高さまでグレーに塗られているのが目につく。もともとの塗装も屋根天面は黒またはグレーである。27号機の中央右にあるおわん型 (マカロン?) の物体は、GPSアンテナ。機関車の位置情報を把握するためJR貨物の新製機に設置、従来機にも追設されていったが、その後位置検出システムが変更されたため最近の増備機には搭載されていない。
側板はEF65と同様に台枠を覆っていたが、更新機は運転台間の台枠を露出させ、EF81のように裾部の段がついている。新更新色はクリームのラインがかかっているので見えにくいが、27号機はその位置が違うので結果として目立つところだ。これにあわせメーカーズプレート(製造社銘板) が上側に移設されたため、27号機ではクリーム帯が途切れている。ちなみにこの帯の位置はブルトレ客車20形の三本帯中央に相当し、ブルーも含めて色も20系客車と同じ。14系・24系では車体の青が強く、帯も白色そしてステンレス板に変わったが、高さと太さはそのまま継続された。
なお同形と、登場までのつなぎで10000系貨車を重連牽引したEF65F形は、専用の空気管つき密着式自動連結器を装備していた。ナックルまわりに4本のツノ (ブレーキ制御空気管連結器) がついたものものしい姿だったが、10000系貨車が廃止されたあとは無用となったため (客車は使用しない)、後年取り外された。100番台は他形式と同じ並形自動連結器とした。

改正時点での0番台稼働機はわずか3機であった。27号機も人気機ながら機関車需給のためか長い間休車状態となっていたが、先刻整備を受けて本線に復帰しふたたび注目を集めている。くわえて35号機も運用復帰しており、現在は5機まで復調している。先行きの不透明さが変わっているわけではないが、一日も長くその姿を魅せてほしいと思う。


■EF66 53: 山陽本線 本由良←嘉川 2008-8. D200, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO100
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「デ」と「ヲ」

2012/10/06 00:00
秩父鉄道の電車に乗って熊谷・寄居から三峰口へ向かうと、秩父駅に近づくとともに斜面を大きくえぐり取られた山が進行正面にそびえ立つのが見えてくる。武甲(ぶこう) 山といい、石灰岩の大鉱床を持つ山である。このため古くから しっくい・セメント等の原料となる石灰石の採掘が行われ、ふもとの影森・武州原谷(貨物駅)から三ヶ尻(貨物線) へ石灰石を輸送する貨物列車が走っている。C58 363牽引〔SLパレオエクスプレス〕がファミリーや団体客には人気だが、いまや貴重品となった車扱貨物列車の運転も秩父鉄道のひとつの顔である。

夏の盛りに入った7月、高崎・信越線での撮影後、秩父鉄道へ寄る。この日はクルマなので、いつもと違った場所で〔パレオ〕を撮ろうかと、検討していたポイントへ赴いた。
まずは練習と普通電車を待っていると、近くの踏切警報機が鳴り出した。こんな時間に来る電車はないはず……と思っていたら、左の方から野太いつり掛け駆動音を響かせ、青い車体が近づいてきた。デキだ!

画像

デキ105

  • 秩父鉄道 小前田→永田 2012-8
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

「デキ」の形式呼称が電気機関車からきていることは間違いないだろう。国鉄電機ならEDと呼ぶ4軸駆動機で、前面デッキを持つ古典的な姿だ。三岐鉄道・大井川鐵道 (SL補機) でも同じ形態の電機が活躍しているほか、羽生で接続する東武伊勢崎線にも2003年まで電機牽引 (重連) の貨物列車が走っていた。西武鉄道も西武秩父線〜池袋線を使用した石灰石製品 (セメント) 輸送が1996年まで行われ、こちらにはEF65を元に設計された私鉄最大のF級電機E851がその牽引に当たっていた。
貨物列車運転のため、秩父線の構内有効長はローカル私鉄ながら比較的長い。この余裕は、線路がつながっていない東武鉄道の伊勢崎線 (羽生) と東上線 (寄居) の間で車両を輸送するときにも役立っていて、ときおりデキが10両編成の電車を牽引する光景が展開される。
貨物列車は20両でも単機牽引だが、重量のかさむ積車 (上り: 影森→三ヶ尻) は勾配に関してはほぼ下りなので、牽引力に余裕はあるのだろう。同線の最急勾配は意外なことに上り列車の浦山口→影森で、この区間に貨物列車は走っていない。

ヲキフ132−ヲキ196 秩父鉄道

ヲキフ132−ヲキ196

  • 秩父鉄道 小前田→永田 2012-8
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

デキに続く20両の貨車はヲキ100・ヲキフ100。「ヲ」の称号を持つ鉱石車は一部私鉄のみに使われ、現役なのはここだけだ。由来については、「鉱石」(コヲセキ) あるいは英語の "ore (オール)" からきているといわれる。
国鉄・JRの形式ではホッパ車「ホキ」にあたる車両だが、そのシルエットと黒い車体はかつて筑豊で走っていた二軸石炭車「セム・セラ」を彷彿とさせる。荷積みは上から、荷下ろしは車体底部(レール間)から行う。左側ヲキフは緩急車で、積載部の下に車掌室を設けてあるが、現在はJR線と同じく車掌乗務は省略され、編成端に赤丸反射板を取り付けている。
貨車において「キ」は荷重25t以上を示す記号 (ヲキ・ヲキフは35t積) だから、同じ文字を使っていてもデキとヲキで意味はまったく異なる。ちなみに秩父鉄道にはかつて「テキ100」という車両 (テ=鉄側有蓋車) も在籍していた (三峰口で静態保存中)。

デキ201 秩父鉄道

デキ201

  • 秩父鉄道 明戸←大麻生 2011-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

全盛期に比べれば取扱品目やその量は減っており、稼動数も減少している秩父鉄道のデキ。そんなデキのもうひとつの役目は〔パレオ〕回送列車の牽引だ。秩父線旅客車の車庫・広瀬川原車両基地 (ひろせ野鳥の森〜大麻生間) とSLの起終点である熊谷間を、C58を最後尾に連結したまま走行する。デキ201号はその専任として、専用客車の12系にあわせてダークグリーンに金帯を締めている。ただし12系のほうは今期SL25周年記念として赤茶色へ変更した。
デキはSL故障の際の代替機となるほか、ときおりイベントとしてプッシュプル〜4重連で12系客車を牽引してきた。昨年秋はC58が全般検査に入るため運転終了日が繰り上がり、11月にはEL重連またはプッシュプルで〔ELちちぶ〕〔ELみつみね〕を運転。上の写真はそのとき熊谷方に連結されたデキ201で、同機の強烈な個性である台車のL型軸梁が見て取れる。

大宮総セでリフレッシュしてきたC58だが、撮影後の8月に広瀬基地構内で脱線事故を起こしてしまい、ふたたび長期休暇となってしまった。このため秩父鉄道では代替としてデキ牽引の〔ELパレオエクスプレス〕を運転、10月7日には5重連 (パンタグラフ10連続!) で熊谷〜秩父間を運転する予定となっている。
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錦秋を行く

2011/11/26 00:00
大井川本線の終点 千頭からさらに先、井川(いかわ) までの25.5kmを走る大井川鐵道井川線、愛称「南アルプスあぷとライン」。大井川は電源開発などのため多数のダムが建設されてきたが、井川線は同水系最大の井川ダム建設に向け敷設された、762mm軌間の専用鉄道が発祥である。現在では軌間1,067mm になっているが車体寸法はきわめて小さく、国内にわずかに残る762mm軌間の「軽便」車両よりも小ぶりなほど。また旅客列車はすべてディーゼル機関車での客車牽引・推進なので、大井川鐵道は非電化区間を持ちながら気動車が1両も在籍しない珍しい会社である。
列車は大井川とその支流に沿ってゆっくりと走る。他の交通機関では接近できない深山の渓谷、いきなり正面にあらわれる長島ダムの威容、その人造湖・接岨(せっそ) 湖を渡る奥大井レインボーブリッジ、現役鉄道路線では日本最高度 (川底から100m)の 関の沢橋梁、と1時間50分間の車窓は飽きるところがない。さらに10〜11月にかけての紅葉シーズンは、SL列車とあわせ多くの観光客を集めている。

井川線は大井川本線にも増して沿線地形が険しく、災害による影響を何度も受けてきたが、最大の岐路は長島ダムによる線路の水没だった。ダム建設に伴って線路を敷きなおした例は全国に散見されるが、輸送形式が特殊な閑散線区であった同線には存廃にもかかわる問題となった。結局、アプト式ラックレール (レール中間に敷く桟型の特殊なレール) と歯車を持つ機関車の力を借りてダム脇を一気に上る方法が取られ、1990年から新線 (アプトいちしろ〜長島ダム〜接岨峡温泉) での営業を開始した。アプト式新線の敷設とした決め手は、工期が最も短くなるからという単純な理由だそうで、しかし結果として観光路線としての同線の価値をさらに高めることになった。

ED901-ED902他 大井川鐵道

ED901-ED902-DD204

  • 大井川鐡道井川線 アプトいちしろ←長島ダム 2011-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

この区間は営業キロ1.5kmに対して標高差は89mある。ラック区間の勾配は90‰に達し、普通鉄道つまり鉄輪で自走する方式としては日本最急勾配となった。道路の表記にすれば "9%" で、鉄道よりはずっと勾配に強い自動車道路でも警戒標識が立つほどの相当な斜度だ。このため列車は動力車を麓となる千頭側に連結し、さらに当区間では専用補機が上り勾配の後押しと下り勾配のブレーキ役を果たしている。
補機のED90形電気機関車は3両の在籍。もちろん国内の鉄道事業では唯一のラック式動力車だ。4軸機として"ED"を名乗ってはいるが、歯車駆動のモーターが2基搭載されている (しかも軌道動輪より出力が大きい) ため、実質はF形電機と言ってよい。

ED901-ED902 大井川鐵道

ED901-ED902

  • 大井川鐡道井川線 アプトいちしろ←長島ダム 2011-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

となりに連結されている通し運転用のDD20形や客車群と比べると、背の高さがまるきり違う。さまざまな運転・保安機器を限られた車幅におさめるため、このような形になった。井川線はこの区間だけが電化されているのでED90は区間外で運転することはないし、そもそも前後区間のトンネルはじめ建築限界は従来どおりとなっているため、物理的にも出ることができない。同形の整備は、アプトいちしろ駅に隣接した検修工場で行われている。
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青い雷神

2011/09/10 00:00
駅からそう遠くなく、しかし商業地でもない自宅周辺。この夏は節電につき夜は窓を開けてしのいできたが、ささやかに風が通り周囲も比較的静かなのが幸い。午後11時ごろ、その静寂を切り裂くように大きな風切り音が響いてくる。音の正体は、南武線から中央東線に向かう石油専貨を牽引するEH200形電気機関車だ。

いまでは通勤専業に見える南武線(本線) だが、もともと多摩川下流で採取した砂利や、氷川(→奥多摩) ・五日市で採掘される石灰石を川崎地区へ輸送する目的で敷設された。実際1998年までは奥多摩からEF64 1000番台牽引の赤いホッパ車が昼夜走っていたし、現在も立川〜府中本町間は新鶴見信号場への中継ルートに利用される。それ以南は武蔵野線に貨物輸送を任せているが、貨物時刻表を開くと南武線経由の貨物列車も残っているのがわかる。
EH200形直流電気機関車、愛称「ECO-POWER ブルーサンダー (Blue Thunder)」。急勾配が連続する山岳路線向け電気機関車EF64、とくに基本番台(0番台)の取替えを目的に開発された。定格出力 4,520kW (30分定格 5,120kW) と1C1M制御によって、EF64が重連で牽引していた列車を単独牽引できる性能を持つ。試作機901号が2001年に登場、2003年から量産のはじまった同形はEF64基本番台に加え1000番台も順次置き換えていて、目的どおり中央東・西線〜篠ノ井線、上越線で運用されている。

EH200-10

EH200-10

  • 上越線 後閑←沼田 2010-11
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO320

EH500につづき2車体式を採用したのは、JR貨物が旅客各社に支払う線路使用料の算定方法にあるとされる。ED75やEF64の重連だと2両通過となるところ、EH500や本形式は1両とカウントされるからだという。EH500と似た寸法と構成ではあるが、本形式の世代はひとつ新しくEF510 (レッドサンダー) が姉妹機にあたる。
EF200以来、形式ごとに異なるシルエットを持つJRFロコ。EH200も25度傾斜した くさび形の前頭部と、角々にスジがしっかり入った直線的な車体が特徴である。中央・篠ノ井線は石油輸送がメインだからか、それともスタイルの対比からなのか、同形はコンテナよりもタンク車牽引のほうが似合っている気がする。
寒冷地の峠を越える機関車は旧来から運転席窓上にヒサシがつき、彫りが深い表情が「山男」らしい。もちろんこれは単なる雰囲気づくりではなく、冬季にトンネル天井から垂れ下がるツララが窓に直接当たることを防ぐもの。国鉄時代はさらに窓全体を保護枠で覆い、いかめしい顔つきになっていた。そんな中、後ろ傾斜の平板一枚窓で上越線に投入しても大丈夫なのか……と心配する向きもあったようだが、いまのところ姿に変化はない。

道路の舗装工事かと勘違いしそうになる音は機器冷却用のブロアーファンが発生源で、その存在はよろい戸にホコリが円を描いていることで見た目もはっきり認識できる。EH500でも騒音が大きかったことから本形式は低騒音型を採用したといわれるが、それでもなお200〜300m離れた位置から現物を見ずに接近のわかる車両なのだった。
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パワフル・ロコの軌跡

2011/08/01 00:00
暑中お見舞い申し上げます。
本エントリで当ブログも200回を数えることとなりました。いつもご覧いただきありがとうございます。



JR発足時は昭和末期〜平成初期にかけての景気拡大期で、機関車を多く抱えるJR貨物でもさらなる輸送力増強に迫られる。国鉄形のマイナーチェンジ増備 (EF66, EF81, ED79) や、国鉄清算事業団保有車の車籍復帰まで行われたが、並行して次世代大出力機関車の開発が急がれていた。そして1990年、直流形EF200と交直流形EF500 それぞれ901号機 (試作車) が登場。JR貨物初の新形式車両で、国内の機関車では初のVVVFインバータ制御車両である。
両者の特徴としてまず挙がるのは、パワーエレクトロニクスの進化で得た圧倒的な大出力だ。定格出力 1,000kW (1時間定格; 以下同等) という超弩級のモーター (かご形三相誘導電動機) を搭載し、車両出力は 6,000kWを誇る。これは最大 1,600t積載の貨物列車牽引と、幹線旅客電車のダイヤを妨げない高加速度の両立を狙ったものだった。出力は機関車の性能をあらわす指標のひとつに過ぎないが、2車体8軸機であるEH500の定格出力 4,000kW、EH200の 4,520kWと比べると、いかにこの機関車が強力であるかがわかる。

EF200-16

EF200-16

  • 山陽本線 魚住→大久保 2009-4
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

制御方式から運転台に至るまで、数々の新機軸を搭載したEF200。しかしなによりインパクトの強かったのは、それまでの国内電機とまったく異なるその外観だった。
「く」の字形をした高運転台の前頭、ライトグレーとコンテナブルー (登場時) の車体塗色。足回りは簡潔なボルスタレス台車、屋上に載ったシンプルなZ形 (シングルアーム) パンタグラフ。巨体であり、最大軸重までの余裕重量を構体強度向上に費やしたという強靭な車体なのに、どこかスマートでヨーロッパ各国の電機を想わせるのは、実際にそれらを意識したデザインという。機器室内は片側通路で、通風よろい戸が片側にしかないデザインも珍しい。車体側面には"INVERTER HI-TECH LOCO"のロゴが貼られ、新世代機関車の登場をアピールした。
EF500とともに各種試験を経たEF200形は1992年から量産車が20両製造され、1993年には鉄道友の会ローレル賞を受賞している。運用区間は東海道・山陽本線で、大量増備のはじまったコキ100系重量級高速貨物列車の先頭に立った。

EF200-18

EF200-18

  • 東海道本線 長岡京←山崎 2011-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

しかし本形式のあまりに大きな出力は、電力不足という壁に突き当たる。所定の能力を発揮するには変電所の容量増強が必要だったが、線路を持つ旅客会社との折り合いがつかず、そのうち景気後退で貨物輸送量が減少していった。
結局1,600t牽引計画が中止となった同形はEF66形 (定格出力 3,900kW) 相当の出力制限を受け、製造・運用コストの問題からその後の増備は定格3,390kW (ただし30分定格として3,540kW) のEF210形「ECO-POWER 桃太郎」に取って代わられた。EF500に至っては使用線区 (日本海縦貫線) に対し性能が過大すぎる等の理由で量産化も見送られ、試作機は早々に運用を停止したのち2002年に除籍されている。
後継の「桃太郎」がどんどん増備されて嫌でも目に入る一方、EF200牽引の列車は東京口にいる時間が偏っており、なかなか目にする機会がない。淡い色調は汚れが目立ちやすく、側面のロゴも色あせてうらぶれた感じがしなくもなかったが、2005〜2009年にかけての塗装変更でEF210同等の色調となり、重量感が増した。

性能が突出しすぎて現在では中途半端な存在ともいえるEF200だが、同形で採用された新機構はのちのJRFロコにしっかり受け継がれている。JR新形式の区分として100, 400台 (直流電動機駆動の直流, 交直流機) が定義されたものの実際には登場せず、EF200はJR貨物の重要な転機に位置したことは間違いない。最大1,300tのコンテナ列車を牽引する日本随一のパワーロコとして、今後の活躍にも期待したい。
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タイトル 日 時
白魔
白魔 北へ突き進む〔はやて〕の暗い車窓に雪が舞う。東京を出て3時間あまり、しんしんと雪の降りつづく深夜の八戸駅に着いた。 2010年12月4日、東北新幹線全線開業。国内鉄道路線の完乗記録をいちおう保っている私としては、まず乗車記録をつくらなければならない。開業当日に記録を保持するのが理想だっだが、遅くとも年内には……と年の瀬も近い北東北へ向かう。「乗り鉄」モードでは、新規開業はもちろん経営移管された区間もあらためて乗り直す必要があるので、あえて新青森ゆきから途中下車したのだった。 ...続きを見る

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2011/01/21 00:00
新・流星伝説
新・流星伝説 2008年12月、JR東日本は寝台特急〔カシオペア〕〔北斗星〕を牽引するEF81形 (田端運転所) の老朽置き換えにEF510形の新製を決定、翌2009年12月に1号機 (501) が登場した。国鉄の分割民営化以降、旅客会社による機関車の製造はこれが初めてのこと。といっても新規設計ではなく、形式からもわかるとおり JR貨物が増備するEF510形を旅客列車牽引向けにアレンジしたものだ。 新区分の500番台は、日本海縦貫線で活躍する「レッドサンダー」0番台と基本的には同じ仕様。保安装置 (ATS,... ...続きを見る

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2010/08/14 00:00
金太郎が行く!
金太郎が行く! 東北各県を縦貫し、その先は北海道へ連絡する東北本線。黒磯までは「宇都宮線」と通称され、E231系などが多数走る都市近郊路線だが、それより北の交流電化区間は仙台都市圏を除けば電車本数もぐっと減り、新幹線開業以降は首都圏と北海道を結ぶ物流の動脈としての役割が大きい。 この区間は赤い交流電機ED75形の牙城だった。福島県・岩手県の急勾配区間を通過する高速貨物 (コンテナ) 列車を重連で牽引し、青森で同形改造のED79形重連へ交換していた。しかし新製からかなり年数が経ち、ED79は使用環境の厳しさも加... ...続きを見る

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2010/04/20 23:40
いぶし銀の輝き
いぶし銀の輝き 昨年末、ひさしぶりに武蔵野線へ足を運んでみた。「ホリデーシーズン」真っ盛りで舞浜臨が多数設定された日だが、主目的はタイムリミットが迫る北陸からの489系、到着後の折り返し回送がきれいに撮れると踏んだ。同じルートで回送する新潟からの485系はすでに通過していたけれど (調査不足…)、とりあえずこちらは撮れて一安心。 そのあとは秋田から583系国鉄色……のはずだったが、風雪の影響でまだ大宮にも達していなかったらしい。この日以降は上越線でも降雪が激しくなり、同夜帰路につく予定だった489系も運転取り... ...続きを見る

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2010/02/21 22:00
車両を「運ぶ」
車両を「運ぶ」 車両メーカーで製造された鉄道車両は、使用する各社の車両基地までなんらかの手段で輸送する必要がある。自動車(トレーラー)や船(台船・はしけ)も使われるが、多数両を遠くまで運ぶには全国に広がるJRグループの路線網を使うのが効率よく、そこでJR貨物の機関車が旅客車両を牽引する光景が時折見られる。これが「甲種輸送」だ。 鉄道車両がその車輪で機関車などに牽引され輸送されることを「甲種鉄道車両輸送」と呼び、国鉄分割民営化後はJR貨物がその任務を請け負う。趣味者間や現場では「甲種輸送」とか「甲種」でも通用す... ...続きを見る

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2009/07/27 23:40
歴戦の証明
歴戦の証明 朝から晩まで働くJR貨物の機関車は、下回りから車体まで鉄粉などで汚れていることが多い。一日一本くらいの決まった仕業に終始する現在の旅客用機と比べるのは酷というものだが、とくに日本海縦貫線はその長距離と厳しい気象条件のため、車体の汚れや傷みが目立つ。しかしそこには、痛々しさというより歴戦を経た戦士の逞しさを感じたりもする。 ...続きを見る

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2009/06/10 23:00
光と影
光と影 日本を代表する鉄道写真家のひとり、真島満秀(ましま・みつひで)氏が急逝された。 最初に知ったのは、最近よく訪れるようになった「鉄道ホビダス」のブログ 編集長敬白 である。その経緯についてはここでは割愛させていただくが、その報を見た瞬間に私も言葉を失ってしまった。愛弟子である中井精也氏の「1日1鉄!」でもそのことが触れられており、心中を察するに余りある。 ...続きを見る

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2009/03/20 00:00
つながる想い
つながる想い 九州ブルトレが大詰めを迎えた2月末。2011年3月に全線開業する九州新幹線の、山陽直通列車名が〔さくら〕に決まった。 〔さくら〕は長年のあいだ1列車として東京駅を発車した九州ブルトレの先鋒であり、〔富士〕と並ぶ日本初の列車名称という点でも極めて重みのある存在だった。九州内の貨客列車を牽引する交流機ED76も〔さくら〕との付き合いは長く、末期はハヤブサの後ろに赤い桜花を重ねた「併合ヘッドマーク」を掲げていた。 ...続きを見る

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2009/03/13 00:00
陽はまた昇る
陽はまた昇る EF64 1000番台・直流電気機関車は、高崎・上越線のEF58、貨物および補機を担当したEF15・16の置き換え用として投入された。信越線の貨物縮小に伴うEF62の代替機でもある。 中央本線方面で活躍する0番台とは様相がまったく異なる。長くなった車体の側面は国鉄機としては異例の前後非対称で、EF60のような明かり取り窓と「雪切り」を兼ねた巨大なルーバーが同居する。それで正面はきわめて堅実な「国鉄顔」で、ツララ切りのついたライトと窓上ヒサシ、ものものしいジャンパ線類も魅力的だ。一般色の地味な塗... ...続きを見る

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2009/01/30 23:10
ムーミン谷の冬
ムーミン谷の冬 EF55形直流電気機関車。昭和初期にブームとなった流線形を取り入れた車両のひとつで、2009年頭の時点でJRに在籍する数少ない旧型電機でもある。 1号機(準鉄道記念物)は1936年の新製、1964年の廃車から1986年に車籍復帰し、「奇跡の復活」といわれた。民営化前後を中心にイベント列車牽引機として活躍したが、最近は稼動実績も少なく、とくに2007年の故障以来高崎車両センター高崎支所で眠る日々が続いた。けっきょく部品調達や整備の難から一線を退くことになり、12月〜1月の土休日(18日まで)に住... ...続きを見る

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2009/01/12 00:55
赤い流れ星
赤い流れ星 終息期に向かう感も強い現在のJR寝台特急だが、2008年現在 すべての客車特急の先頭に立つ機関車がある。それがEF81形交直流電気機関車だ。 EF81は日本海縦貫線を走る長距離客貨列車のため製造された、「三電気」(直流,交流50/60Hz)方式の機関車。平たく言えばEF65に交流機器を積んだ、性能的にはきわめて平均をゆく機関車である。日本海側を走ることから、従来車両の経験を踏まえた塩害・寒冷対策を施してあり、いろんな意味で国鉄機関車の集大成とも言えるだろう。 ...続きを見る

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2008/12/15 00:10
稲妻から流星へ
稲妻から流星へ JR発足直後は好景気に支えられて貨物輸送も伸張、これに応える形でJR貨物から1990年に登場したのが出力6,000kWという国内最強の電気機関車EF200。開発が間に合わず、つなぎとしてEF66,EF81,ED79を追加製造したほどだった。 直流機EF200に対し交直流版のEF500も1両だけ試作された(1990年)が、輸送事情に見合わないなどの理由で量産化されず、2002年に廃形式になった。EF200も出力過剰や高コストという理由で増備を終了し、より経済的な汎用機EF210に移行。こちらは順... ...続きを見る

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2008/12/10 22:30
ブルートレイン2008[特別編]: 青い流れ星
ブルートレイン2008[特別編]: 青い流れ星 さて、「ブルートレイン2008」も数えると26回シリーズになっていた。いま走っているだけでこんなに種類があったのかと、でまたよく短期間で撮ったものだ、と思ったり思わなかったり……。 そんなわけでこのたび目次を作ることにした。ただブログ記事に書いていくのはいろいろ大変なので、(最近あまり更新できないが)本家のほうでまとめさせていただきます。 → ブルートレイン2008 -資料編- ...続きを見る

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2008/09/20 12:00
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トップナンバー 鉄道写真とひとくちにいってもいろいろな撮り方があるものだが、そのなかで「車両」を題材にした写真には大きく二つに分けられる。ひとつは「形式写真」とよばれる、基本的には車両の左側面を前位側から撮った写真。もうひとつは走行中の車両を側面から流し撮りにした、いわゆる「サイドビュー」という写真。私が最近力を入れて集めていて、そしてこのコンテンツで扱うのはタイトルどおり鉄道車両のサイドビュー、なかでもより厳密に真横を静止させることを目標にしたサイドビュー写真である。 サイドビューについては、この界隈では広... ...続きを見る

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2008/07/04 00:01

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復活国鉄形蒸機!一刀両面 (鉄道ファン連載)

国内で活躍する動態保存国鉄蒸気機関車、16両(2014年10月現在)各機を両側からとらえたサイドビュー写真と、宮田寛之名誉編集長のみどころ解説でお送りするシリーズ。

2015年8月号では「番外編」と題し、このたび鉄道博物館に収蔵展示されたEF55形1号機を取り上げます。復活後は「ムーミン」とも呼ばれた、電機としては異例の前後非対称・流線形のボディを振り返ってみました。



当ブログの「蒸気機関車」各エントリもご覧ください。


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