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みんなの「国鉄色」ブログ


秒速2635センチメートル

2016/03/16 00:00
すこし古びた駅のホームを緩やかに離れて田園地帯に出た115系電車は、MT54形モーターの唸りも高らかに北関東の平原を駆け抜けていく。足下からは、最近ではなかなか聞く機会のなくなった定尺レールのジョイント音が、軽快な三連符を奏でている。
時計の秒針を見ながら、その音を数えていく。1, 2, 3… 9秒間でおよそ9回、18秒で19回だから、速度は約95km/hというところか。運転席の速度計をのぞき見ると、針は確かに90と100のほぼ中間を指していた。

クハ115-1097

クハ115-1097

  • 両毛線 岩舟←大平下 2016-3
  • D7200, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO200

東北本線小山から上越線新前橋までを結ぶ両毛線は、文字通り上野(こうずけ:←上毛野) と下野(しもつけ:←下毛野) にまたがる地域「両毛」を走る。線籍は東北本線の支線でありながら、高崎・上越線との結びつきのほうが強いためか、営業上は小山方面ゆきを下りと案内している。
東北本線(宇都宮線) から115系が撤退してもう随分経つが、両毛線はじめ高崎地区ではいまだ健在、どころか全車とも緑にオレンジの国鉄湘南色をまとい、カーブや勾配の少ない線路をのびのびと走る姿がいまだ日常のものである。東京近郊区間の外周部にあたることから、手軽に旅行気分を味わうことのできる路線だ (107系や211系運転の列車もあるのでご注意)。

ところで18秒で19回から速度が95km/hだと、どうしてすぐわかるのか? 両毛線の運転速度は最高95km/hだが、当然ながらそういう根拠ではない。ということでその計算方法をひもといてみよう。
9秒間に8回 (ボギー台車2軸の通過を1回と扱う) のジョイント音が聞こえたとする。定尺レールの長さは25m。まれに20mのレールだったり、左右レールのジョイントを互い違いに配置する区間もあるけれど、基本的に8回聞こえたら25×8=200m進んだことになる。いっぽう、9秒は1時間 (60×60=3600秒) の400分の1であるから、その長さを1時間分に引き延ばすと200×400=80,000mとなり、時速80kmとなる。そして自明だが80は8の10倍だ。
10回聞こえたら9秒間に250m進むから、1時間で250×400=100,000mで100km/h、そして100=10×10。18秒で19回なら9秒では9.5回、9.5×10で95km/h…という具合に、9秒間に聞こえたジョイント音の数 n がわかれば、列車が約(n×10)km/hで走っているとわかるわけだ。9秒が1時間の400分の1で、25mが1kmの40分の1という比率の比がこの速算の肝になっている。(数理的解法の例)
ならば90秒間で何回聞こえたか数えれば、1の位まで出せるのでは…と思う向きもあろう。しかし高速域での微妙な加速や惰行、途中に挿入される短いレールなどを考慮すると、1分半かけて数えたところで大した精度になりはしない。9秒か、せいぜい倍の18秒にとどめておいたほうが無難である。

クモハ115-1029

クモハ115-1029

  • 上越線 後閑←沼田 2015-11
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO100

小山から4駅目の岩舟は、アニメ映画「秒速5センチメートル」の舞台になった。残り少ない運転となった〔カシオペア〕の帰着からつぎの出発までに、両毛線の115系を見に行こうと思いたった理由は、つい先日この作品を観たからにほかならない。緻密に描写された作品の世界をたどっていくと、逆に現実が作品の写し絵であるかのようにも感じられる。物語の主人公・貴樹が転校していった幼なじみの明里に再会しようと向かった岩舟駅は、その由来となった岩船山の麓にある。石材の採掘で削られ異様な姿となった山肌は、作品で描写されていた形とすこし違うのだが、山体の一部が2011年3月に崩落したためという。
雪のために宇都宮線が遅れ、貴樹がようやく乗れた小山20:15発の列車は大雪でさらに遅れを増し、岩舟までの19.3km (営業キロ) に2時間も要することになった。平均秒速 268センチメートル。
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TSUBAME-2014

2014/04/01 00:00
毎年のように勢力を減らしつつある国鉄形・国鉄色。代わりにJR・私鉄限らずステンレスやアルミの無地な装いの車両が増えてきた一方で、往時の車両塗装をイメージしたリバイバル車両が各地で登場してきいる。それは鉄道に並ぶ公共交通機関の代表、バスについても同じ流れのようである。

2013年12月、東京発着の高速路線バスを多数運行するJRバス関東は、東京駅八重洲口再開発事業のひとつ「グランルーフ」の完成およびJRハイウェイバスターミナルの新装を記念して、「青いつばめ」と「赤いつばめ」2種類の復刻デザイン車両を登場させた。かつての国鉄高速バスのデザイン、および高速車両試験車の塗装をイメージしたものである。前者で採用されたカラーはのちに一般路線 (特急・急行) にも適用されたが、後者は試験車に使用されたのみで「幻の塗装」であった。
鉄道省が日本国有鉄道に改組した際、管理下の自動車線も国鉄バスとして設立、このとき公募で動輪とツバメを組み合わせたシンボルマークが設定された。東京湾岸線 (東京駅〜東京ディズニーランド) の新設を機に導入された現行塗色には動輪から独立した大きなツバメのイラストで飾られ、以来「つばめマーク」は国鉄バスを承継したJRバスのシンボルとして、西日本JRバス(関西地区) の一般路線車を除くほぼすべての車両に掲げられている。

H654-08416 JRバス関東

H654-08416

  • JRバス関東 高速鹿島線 宇宙通信センター←鹿嶋市役所 2014-1
  • D700, AF Nikkor 35mm F2D, ISO200

バスの走行撮影は鉄道より、いや路面電車よりも難しい。高速道路はまず不適だし、一般道路にしても街路樹・歩道・ガードレール等邪魔ものだらけ。しかし地図と路線を調べていくうち、茨城県鹿嶋市付近でもしかすると可能かも? という場所を見つけた。ならば鹿島神宮に参拝してみようという名目(?)で 東京駅八重洲口、JRハイウェイバスターミナルから鹿島神宮ゆきに乗り込んだ。東京−鹿島線〔かしま号〕は水郷潮来バスターミナル(潮来IC)〜鹿島コンビナートを経由して鹿島神宮駅までを結び、朝は10分、昼間も20分間隔で運行される人気路線。鹿島神宮は鹿島線の終点駅 (厳密には鹿島サッカースタジアムまで) だが、都心連絡に関して同線は完全に蚊帳の外となった。

この「青いつばめ」のふるさとは福島県にある。
東北本線の白河と水郡線の磐城棚倉(いわきたなくら) の間は、かつて白棚線(はくほうせん) という鉄道で結ばれていた。私設鉄道の買収国有化路線だったが戦時中に不要不急線と休止されて戦後も復活できず、最終的に路盤を専用道路化し国鉄自動車線として歩むことになった。廃止された鉄道・軌道の代替あるいは災害の仮復旧として、線路敷を専用道路とするBRT: バス高速輸送システム (Bus Rapid Transit) がところどころ導入されているが、その先鞭ともいえるケースである。
1957年の転換当初は白棚高速線と称した。といっても日本の高速自動車道が開業する (首都高速=1962年 名神高速=1963年) 前のこと、いまの高速(路線)バスとは意味が異なる。線路敷地を完全舗装した国鉄バス専用道路を、まだ路面事情の悪かった一般道より速く走れることが由来とされる。東名高速線の開業(1969年) で名称から「高速」が取れた白棚線は、民営化でJR東日本、翌年JRバス関東へ承継され、現在も東北線と水郡線を連絡する路線として運行されている。

L527-99503 JRバス関東

L527-99503

  • JRバス関東 白棚線 温泉口←番沢 2014-2
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G VR ED, ISO200

そんなバスに新白河から乗ってみることにした。朝を除くと1時間おきの運行で、東京方面の〔やまびこ〕〔なすの〕からおよそ20〜30分での接続となる。駅前からしばらく直進し、右折する広い国道が線路跡地を拡幅利用したもので、中心部から離れるにつれ道幅は狭くなるが、長い直線に大らかなカーブ、緩い勾配は鉄道由来のものとわかる。やがてバスは国道から離れ、狭い一本道へ乗り入れた。ここから専用道区間である。もとが単線で道幅もバス1台分しかないが、ところどころ待避所が設けられてバス同士の離合はそこで行われる。閉塞はない。
小ぶりな築堤の道路を、バスは50〜60km/h程度で走る。舗装は凹凸もあるうえ、ガードレールや橋の欄干もほとんど設置されていない。重量のある、つまり慣性も大きい大型自動車をそのスピードで操るのは難度がかなり高そうに思える。専用軌道を維持するコストは道路にしても無くなるわけではなく、現代の道路整備を考えると専用道の速度的優位性はどうにも薄い。おなじように専用道を設定した各地の代替バスもいつしか並行道路に飲み込まれてしまい、白棚線も一般道編入や災害廃止(放棄) などで、現在の専用道は転換当時の1/3以下になってしまった。

そんな白棚線専用道も当時はほかにない条件の道路だったわけで、高速バス開発のモデル線に起用されたのだった。高速バスには高馬力と耐久性、高速域での連続走行とバスストップから短距離で本線に合流できるエンジン性能が要求され、国鉄とバスメーカーが共同で開発した車両をここで長期試験したのである。そうして実用化された車両は「国鉄専用型式」として、〔ドリーム号〕を筆頭とする国鉄高速バスに長年受け継がれてきた。
「赤いつばめ」車両のほうは東京〜館山・白浜間〔房総なのはな号〕の特定便に投入されていたが、現在は終了している。現時点での運用は現在公式に明らかとされていないが、「赤いつばめ」を白棚線専用道で走らせるイベントなどもそのうち行われそうな気がする。



◆4月1日特別企画「エイプリル・スペシャル」 バックナンバー
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力闘

2014/03/22 00:00
非電化区間での旅客・貨物輸送を担ってきたDD51形ディーゼル機関車。全国各地にその足跡を残し、四季折々の風景を背に被写体となってきた。
北海道では電化区間を含めDD51(鷲別機関区配置) が本線機関車として活躍してきたが、DF200の増備と輸送体系の縮小により急速に数を減らしている。眼を西に向けても紀勢本線「鵜殿貨物」が2013年改正で、山口・美祢線の「岡見貨物」 (山口線被災により2013年7月から運休中) も今改正で廃止され、非電化区間の王者と君臨したDD51の舞台は関西本線のみと、最終期に差し掛かっている。

鷲別DD51の仕業は、2013年改正から通称「石北貨物」の臨時列車のみとなっていた。北見駅の貨物扱いは北旭川駅までトラック代行輸送だが、タマネギを筆頭とする同地区の農産物輸送需要が高まる秋〜翌春にかけて臨時貨物列車が運転されてきた。国内最北の貨物列車である。
石北貨物最大の特徴は、DD51形2両を編成両端につないだ「プッシュプル」形式での運転である。コンテナ10〜11両編成に機関車を2両も必要とするのは、この区間の石北本線が北見峠・常紋峠というふたつのサミットを越える難所だからだ。石北本線はその歴史的経緯から遠軽(えんがる) でスイッチバックする配線で、同駅で本務機と後補機の役目が入れ替わる。人跡もない雪景色の常紋峠を牽引と後押しの2機体制でゆっくり上るその姿は、そもそもDD51自体の活躍が急激に減ってきたことも相まって、当地にたくさんのファンを集めてきた。
最盛期は3往復あった石北貨物も2011年期から1往復に減っており、走行の撮影は下り北見ゆきに限られる。基本的に片道輸送で荷積みは少ないはずだが、コンテナ回送を兼ねて満積載に近い編成の容姿は概ねよい。早朝、北見峠から降りてきた列車を遠軽の手前で待つと、前位は「赤影」と呼ばれるA更新後期色、後位が国鉄色。遠軽からは国鉄色が先頭に立つわけだ。

DD51 1184

DD51 1184

  • 石北本線 生田原←生野 2012-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D+TC-14E, ISO200

初期型を除くDD51は総括制御が可能で、重連の場合に次位機への乗務を省略できる。機関車間につながれたジャンパ連結器によって、次位機の力行も制御できるためだ。(総括制御不可の重連では、それぞれの乗務員が汽笛の合図等で制御する) しかし貨車・客車をはさんだ場合は「ノロッコ号」のような例外を除けば引通しできないから、運転士は二人以上要る。運転が難しくなることは言うまでもないし、有体にいえばコストもかかる。
それでもプッシュプルにしたのは、遠軽のほかにも新旭川で必要な「機回し」の手間を省くことと、勾配区間での空転(落ち葉などによるスリップ)による影響を抑える目的がある。万一勾配途中で停止しても、後位機の支えによって順次引出しが可能だ。重連総括が基本の時期でも、状況に応じてプッシュプルに変更するケースもあったという。

DD51 1165

DD51 1165

  • 石北本線 生田原←生野 2012-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D+TC-14E, ISO200

JR貨物は2011〜12年期で石北貨物の運行を取りやめる予定だった。背景にはDD51の老朽化、輸送量の偏り、並行道路(旭川紋別道など) の整備といった事情がある。しかし業界から反対の意見も強かったため、当面は運行を継続することとなった。昨年からDF200の入線試験が繰り返し行われているが、DD51による運行が来期継続されるのか、そもそも石北貨物自体の行方が不透明な状況である。
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シェルパはもみじ色

2014/03/08 00:00
広島駅から普通電車で東へ約20分、瀬野(せの) に着くころにはあたりの山腹も線路際まで迫ってくる。その斜面を切り拓いた住宅地「瀬野みどり坂」へは、ロープウェイと懸垂モノレールを合体させた交通システム「スカイレールサービス」が結んでいるが、その起点 みどり口駅など駅の北口は、1986年まで存在した瀬野機関区の跡地に位置する。
ここから八本松(はちほんまつ) までの山陽本線は大山峠―通称「セノハチ」を越える。急カーブも介在する連続22‰勾配区間は同線最大の難所で、その克服のため上り列車には後押しの補助機関車 (補機) を必要としていた。旅客列車は181系・165系電車およびEF60 500番台の投入以降補機不要となったが、貨物列車は現在でも上り列車最後部に補機を連結し、本務機と後補機が息を合わせて峠を登ってゆく。

瀬野区は山陽鉄道による敷設当初からセノハチ補機の拠点として整備され、戦後蒸機時代はD52など、電化後はEF59 (EF53・EF56改造) がその任務についていた。1977年からEF61形200番台が加わったが、これはEF60のうち増備車と機構の違う初期型を改修・改番してセノハチ補機へ転用したものだった。EF59と置き換える予定が試運転で重連の不具合が判明したため、同形は1,000t以下の列車へ単機で充当することとし (改造も途中で打ち切られた)、1,000t超の列車はEF59×2の使用が継続された。
しかしEF59の老朽化は一層深刻化しており、これを単機で置き換えるための機関車として1982年に登場したのがEF67形である。国鉄直流電機として最後の新規形式だが、当時の事情からまたも改造でまかなわれ、3両が瀬野区と広島機関区(3のみ) へ配置された。国鉄末期に同区が広島区と統合されて1・2も広島区へ移籍、機関区廃止後の補機連結は東広島貨物駅(→広島貨物ターミナル) となっている。

EF67 1

EF67 1

  • 山陽本線 西条←八本松 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

重い貨物列車を後方から支える後補機にとって、粘着性能つまり簡単に空転したりしないことは非常に大切である。EF67形もEF60改造で駆動系は種車流用だが、連続制御で粘着性能が高い電機子チョッパ制御を採用、6つのモーターを並列回路で駆動する。帰路 (下り) の単機あるいは重単にて回送時、中間台車を電力回生ブレーキ専用とするのも同形だけが持つ特徴だ。
連解結作業の便を図り、神戸方には外部デッキと貫通扉が設けられた。門司方が非貫通のままで、前後の顔つきがまるきり違うのも電機としては珍しい。列車によっては勾配を登りきった八本松駅付近で列車本体と補機の連結を外す「走行解放」が行われていたため、EF59,EF61 200にも装備した自動解結装置を踏襲する。これは運転台の操作で解放てこを押し上げ、自動連結器のナックル錠を外す機構である。
そういった特殊装備もさながら、なによりインパクトを与えるのがその色だろう。国鉄の塗色規定では新性能直流電機は青15号を標準とするが、EF67は異例の朱色 (赤10号) という目立つ姿になった。この色は広島県の県花モミジから取られたものである。

EF67 101

EF67 101

  • 山陽本線 西条→八本松 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

EF67は所定通り1,000t超列車のEF59仕業を置き換え、EF61 200とともにJR貨物へ承継。EF61の経年代替として1990年からEF65形0番台の改造で100番台が5両増備された。
すでに走行解放する列車が限られていたため、100番台では自動解結装置と貫通扉の追設を省略した。0番台が限定して充当された走行解放仕業も2002年に全廃され、以降貨物列車は西条駅に停車して補機を切り離す。大型緩衝器を備える連結器のぶんだけ神戸方が少し長いのと、窓上のひさし・パンタグラフそして塗色を除けば種車と外見の相違は少ない。当初0番台と同じ朱一色だったが、2003年からの更新工事を機に現行の塗装となり、後部標識灯の形状が変わった。

ここにきて0番台も老朽化が進んだため、置き換える形で「押し太郎」ことEF210-300番台が3両投入された。2013年春以降0番台の稼働機は1号機のみ、100番台または (牽引仕業にもついている) EF210の予備的な扱いとなっている。先日には吹田まで車輪削正に赴き、それ以来仕業につく日も増えているようだが、今般ダイヤ改正での扱いが注目されるところだ。
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アサのヒルネ

2014/01/25 00:00
ご存じのとおり3月15日のダイヤ改正で寝台特急〔あけぼの〕が定期運転を取りやめ、多客時の臨時列車となる。毎日運転の夜行列車は寝台特急〔北斗星〕〔サンライズ瀬戸・出雲〕、そして最後の急行〔はまなす〕のみに。いずれも列車名としてはJR世代であり、国鉄から継承された夜行旅客列車はついに全滅、「ブルートレイン」の歴史もいよいよ最終章を迎えることになった。
〔あけぼの〕編成は8両 (A個室×1, B個室×2, B寝台×3, ゴロンとシート×2)+電源車、多客時にはB寝台を最大3両増結するものの、週末を中心に発売同時の売り切れが続いているとのこと。例によって「その利用が普段から云々」という論調になりがちだが、もうひとつの理由に挙げられる「車両の老朽化」は、客車B寝台の後継車両が作られず個室化も改造で済ませていた事実から、いつかその日を迎えることは明らかであった。〔北斗星〕〔トワイライトエクスプレス〕についても、北海道新幹線の新函館開業と同時期に節目を迎えることは避けられない状況である。

オハネフ24 22

オハネフ24 22

  • 高崎線 熊谷(タ)←籠原 2009-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

「満席」つづきの〔あけぼの〕に乗るのはもう無理なのか? というと、じつは抜け道が存在する。それは「寝台車の(立席)特急券による座席利用」、通称「ヒルネ」だ。寝台列車への乗車は、たとえ「飛び乗り」でデッキに立っていても寝台料金が必要である。しかし下り〔あけぼの〕の一部車両は寝台券の発売を羽後本荘(6:01)までとしており、同駅から終点青森まで立席特急券で利用することが可能なのだ。秋田(6:42発)から青森(9:52着)まで、古き良き汽車旅を味わうには十分だろう (運転されていれば、の話ですが)。
「立席(りっせき)特急券」の立ち位置は大きく二つあり、ひとつは全車指定の特急列車が満席の場合に発売するもので、通常は券面指定号車のデッキ利用を指示される。もうひとつが「ヒルネ」で、寝台列車の寝台使用時間 (原則6時まで) 以降にその一部を区間利用客へ開放するもの。料金は当該列車の通常期指定席料金から510円引きで一般に自由席特急料金と同額だが、列車指定・枚数限定であることが自由席券と異なる。いまや自由席特急券つきのフリーきっぷも少なくなってしまったが、その代表といえるワイド周遊券・周遊きっぷでの利用には別途立席特急券が必要だった。

オハネフ25 121

オハネフ25 121

  • 奥羽本線 撫牛子→川部 2010-5
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

寝台列車における立席券の発売枚数は制限されなかったようで、まだ隆盛だったころの九州ブルトレ〔さくら〕など、立席客で通路まで満員になったという話も残る。「立席」の名目に反し空席への着席は認められていたこともあり (寝具の使用は禁止)、寝台客とヒルネ客との軋轢もたびたび問題になった。とはいえ寝台利用激減→列車削減と、九州では後発の電車特急に容赦なく抜かれ区間利用のメリットが低下したことで、火種は自然に消えていったように思える。上り列車については指定席とするケースが多く、〔あけぼの〕も青森→羽後本荘間で指定券を発売する。
私自身、2009年に廃止された〔富士・はやぶさ〕最後の乗車はA個室ではなく立席券の下関→小倉間 (発売区間は下り下松→熊本・大分、上り[指定席]大分→小倉、熊本→博多) であったが、車内を移動できるくらいとはいえ明らかに定員を上回る乗りようだった。

「ヒルネ」は〔北斗星〕でも行われていたことがある (下り函館〜伊達紋別→札幌)。豪華列車の先駆けともいえる列車にヒルネとは意外な取り合わせだが、これは道内での運転時刻が青函連絡船時代の乗り継ぎダイヤを踏襲したからだった。かつて青函航路の深夜便が青森・函館に到着する時刻は早暁4時半すぎで、それを受ける特急(道内は〔北斗1号〕、1986年11月改正までは「山線」経由〔北海〕も) の始発が4時50分という「早起き特急」でもあった。
ヒルネ開始時刻としても異例の扱いだった1号は道内利用客が予想以上に多く、一時ヒルネ専用車(スハフ/スハネフ14) を増結して対処するなどしたが、1990年には3号(当時)以外のヒルネを廃止、2008年の1往復化を機に全廃された。なおヒルネ扱いのあった列車の廃止後は昼行特急で代替することがよくあり、〔あけぼの〕も秋田〜青森間に特急〔つがる〕が設定される。
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スラッシュ&ストライプ

2013/09/28 00:00
1982年ごろ。東京から乗った山手線電車を新橋で降り、東海道線のホームに向かった。東海道本線・田町〜品川間には、東京機関区・品川客車区そして田町電車区を擁する広大な敷地がひろがる。国電はその西側を行くのだが、東海道新幹線と東海道線下り列車のみが東側を通る。いつも利用は国電ばかりだったから、一度は反対側から基地を眺めてみたかったのだと思う。
到着を待っていると駅員が、「こんどの普通列車○○ゆきは10両編成でまいります……」えっ、10両? いま10両など珍しくもないが、113系時代の「湘南電車」は基本11両・付属4両だった。はたして現れたのは白地に緑のストライプの電車、185系だった。153系や165系といった急行電車も間合い運用として普通列車に使われていたが、185系も登場後しばらくは昼間の普通列車に使われていたのだ。
それで肝心の「見物」は、デッキに立ってしたような気がするが、よく憶えていないというか混雑で見えていなかったかも……。のちにその線路はブルトレを含んで数え切れないほど通ることにはなったが、これら三区に品川の東海道新幹線東京第一運転所という、当時の国鉄を代表した車両基地がすべて消滅することになろうとは、そのときは想像もしなかった。

クハ185-2

クハ185-2

  • 伊豆箱根鉄道 原木→韮山 2012-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO320

幅広2扉、開く窓、普通席は転換クロスシートという設備もなにかと話題になった185系だが、最大のインパクトは田町車のななめストライプ塗装であろう。車体の中央に60度の角度で三本の緑帯が横切るという、特急電車としてだけでなく旅客車用としても前代未聞のデザインであった。
近郊形とおなじ歯数比(モーター歯車と車軸の歯車間の比率。大きいほど最高速は低くなるが加速が良くなる)で高速度110km/hという、性能面でも当時の国鉄特急電車として異例だらけの設計であるが、系列十位は8、先頭車の正面に逆三角の特急マスコットマーク、側面にはJNRマークも掲げられ、あくまでも特急形なのだった。

モハ185-4

モハ185-4

  • 伊豆箱根鉄道 原木→韮山 2012-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO320

民営化以降に各地で現れた地域色では斜め線もふつうに使われ、「踊り子ストライプ」はめずらしいものではなくなった。車内リニューアルを機に、田町車は新前橋車 新色(1995〜)にならった新塗色へ変更(1999〜)され消滅している。2011年に〔踊り子〕運転開始30周年を迎えたのを機に10両編成の1本(A7)が原色へ塗装変更され、つづいて付属5両編成も1本(C1)が国鉄色へ復帰、斜めストライプの15両という堂々たる復活カラーの姿も見ることができるようになった。
東海道・伊東線での撮影より場所の広い伊豆箱根鉄道(駿豆線)に入る修善寺〔踊り子〕への原色充当は願ってもない話で、充当列車が決まっているお披露目の日に、ひさしぶりに自身も駿豆線へ乗り入れてみた。撮影地最寄り駅に〔踊り子〕は停まらないが、三島から大場駅まで1本前の〔踊り子〕を利用した。駿豆線内の特急料金は不要で自由席車の空席に座れるし、三島はJR東海のホームに発着するので、伊豆箱根線のきっぷを持って連絡改札経由でJR構内へ行けるのである。JR〜駿豆線間のわたり線は1番線ホームの途中で分岐し、向きを変える車体の「当たり」を避けるためえぐり取られたホーム縁石が特徴。

クハ185-314

クハ185-314

  • 東海道本線 二宮←大磯 2012-3
  • D700, AF Nikkor 28-80mm F3.5-5.6D, ISO320

2011年にはOM03編成が「サロ帯」をつけた80系電車ふう「湘南色」に、2012年には157系〔あまぎ〕を模したOM08編成も登場した。「あまぎ色」の車号プレートの位置にも注目。ななめ帯の0番台は帯を避けて車号 (切り抜き文字) を左に寄せたが、200番台は横帯だったので通常通りほぼ真ん中に配置している。それにしてもここまでやっておいて、もと200番台標準色の緑色太帯が復活していないのは不可解だ。昨年は「東北・上越新幹線アニバーサリー」で上野〜大宮〔新幹線リレー号〕も運行されたのに……。なお湘南色OM03は2013年にサロを抜いた6両が「踊り子色」となったため、現在のカラーバージョンは計4種。〔踊り子〕はその全種が充当される。
いろいろ使い勝手の悪い185系の普通列車 (東海道本線のほか高崎・両毛・信越線にもあった) はすぐに減少し、最後まで残っていた1本 (東京→伊東)も2013年改正で熱海までE231系に変更されて東海道本線から消えた (熱海→伊東間は〔踊り子〕送り込みのため残存しているので、なくなったわけではない)。以前1年ほど通勤でこの列車に1駅間当たることがあったが、やはりお盆くらいしか座れなかった。

クハ185-113

クハ185-113

  • 伊豆箱根鉄道 原木←韮山 2012-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO320

高崎線特急や〔踊り子〕の減便、そして3月の大宮集約によって運用に余裕ができた185系は一部が波動用となり、これまで183・189系で行われてきた団臨・修学旅行(日光方面,鎌倉方面)の座についている。この過程で5連のみに連結されていたサハ185が1両、それからもと7連のサロ (湘南色含む) が余剰となり、サハは4月1日に除籍されている。1981年の製造開始からここまで1両の廃車も出さなかった系列がついに崩れた。
そして状況はさらに動きそうな気配。中央本線の〔スーパーあずさ〕〔あずさ〕に投入を発表していた新型車両だが現在のE351・E257系をすべて置き換え、E257系は〔踊り子〕方面での活用を検討とのこと。
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山スカ・浜スカ

2013/07/21 00:00
富士山と並んで世界文化遺産への推薦・登録を目指すも、最終的に推薦を断念することになってしまった鎌倉。しかし古都の魅力に変わりがあるわけではなく、となりの江ノ島も含めて首都近郊の気軽な観光地として行楽客を集めている。
その鎌倉には、古くから臨時・団体列車が多数設定されてきた。正月の鶴岡八幡宮初詣向け団体列車は成田山・高尾山と並び初詣臨として広く知られるが、春〜秋にもレジャー列車が関東各地から乗り込んでくる。そのひとつが南越谷〜鎌倉間の〔ホリデー快速鎌倉〕。ふだん旅客列車の走らない武蔵野貨物線を通り (大半はトンネルだが)、梶ヶ谷貨物ターミナルや新鶴見機関区を間近に眺められ、しかも乗車券のみで利用可能という、ある意味乗り得な列車だ。

クモハ115-318

クモハ115-318

  • 武蔵野線 東浦和→東川口 2012-4
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

この列車は豊田車両センターの115系M40編成により運転されてきた。2010年までは大宮発着 (〔ホリデー快速むさしの〕間合い)、2011年正月より南越谷発着、そして2012年秋から大宮総合セの183系に交代したのだが、今夏はまた豊田セ115系に戻された。
M40編成は豊田115系で唯一の6両編成である。中央本線 立川〜小淵沢間で運転する横須賀色の115系は基本的に3連を単位として運用され、6両固定のM40編成が入り込む余地がない。まれに長野車を含む代走として運用入りすることもあるが、基本的に2010年まで八王子・府中本町〜大宮間で運転された〔むさしの〕〔ホリデー快速むさしの〕の専属として使われていた。

モハ114-374

モハ114-374

  • 武蔵野線 東浦和→東川口 2012-4
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

モハ114-374はダブルパンタ車。霜取りとして増設されたが、現在のM40は山に行かないので上がった姿を見たことがない。豊田・長野115系のパンタはシングルアームに交換されているが、使用機会がないからかこの一基だけ菱形パンタで残されている。にしても、降ろされたパンタは屋根にへばりついているような平べったい姿である。これは中央線の狭小トンネルに対応したPS24形だ。
一般に車両で最も高い場所はクーラーの頂上だが、電車のパンタグラフはそれより高い位置にある。電化区間の車両限界は集電装置、スリ板のぶんを加味して拡大され、同時に建築限界も引っ込んでいる。ところが中央本線は断面の小さいトンネル (狭小トンネル) が多く、もともとトンネルで低くなる架線がさらに低い。従来の屋根に従来のパンタグラフを載せると、パンタを降ろした状態で万一の短絡 (ショート) を避けるための絶縁距離が確保できないため、その部分だけ車両屋根を低くしたり、あるいは車両全体の屋根を低くした車両が登場した。入線可能車を区別するため低屋根車には800台の車番が振られ、115系や165系のほか101系にまで該当車があった。
その後、通常の屋根でも狭小トンネルを通過できるよう折りたたみ高さを低くしたPS23形が開発され、115系300番台から搭載された (PS24は23系の改良版)。低屋根車でない狭小トンネル通過可能車は「◆」記号を車号の前に付記している (161→181系, 183・189系は低屋根車扱い)。ただし身延線はさらに架線高さが低く、PS23でも絶縁距離を確保できないので、屋根をわずかに低くしたモハ114-2600が投入されている。
かつての201系も大月乗り入れに際して一部編成のパンタグラフを交換、「◆」つきの編成が担当した。現在標準的なシングルアームパンタはいずれも折りたたみ高さが低く、E257系E233系はともかく中央線と縁のないE231系 (モハE231) にも全車「◆」が付記されている。

サハ115-319

サハ115-319

  • 武蔵野線 東浦和→東川口 2012-4
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

M40編成もうひとつの特徴はサハ115の連結だ。一見普通にいそうな車両だが、111・113系の付随車はサロ・サハとも全廃され、115系も先頭車化や経年廃車でほぼ消滅。系列全体でもすでに10両を切っており、300番台の残存車はこの319一両きりである。車両左側にある白い窓はトイレで、上部に換気用の内折れ窓がついている。1000番台にはトイレが設置されなかったので、これが国鉄近郊形電車最後のトイレつきサハだ。
かつてのトイレはこのように大きな窓を持っていた。採光は十分だが照明は電球のみの貧弱なもので、夜間やトンネル内ではとても暗くなる欠点もあった。その後トイレ内も蛍光灯として照度アップがはかられたが、同時に窓の小型化が進み、換気装置を設置するようになった1990年代以降は窓自体がなくなっている。上部の黒枠は行先表示器の設置場所だが、方向幕の盗難が頻発したため使用停止・撤去された車両が多い。
方向幕といえばこの編成には「南越谷」幕がいまだに用意されておらず、〔ホリデー快速鎌倉〕では行先票、通称サボ (サインボードの略) を使用する。「鎌倉[快速/武蔵野線経由]南越谷」という昔懐かしいサボつき列車も、いまや大都市圏ではめったに見られなくなった貴重品でもある。

「山スカ」と称される115系豊田車にあって、唯一定期運用を持たないM40編成。とはいえ結構忙しそうで、先日は全廃された113系スカ色のかわりに内房・外房線の団体臨時「青い海」「白い砂」に起用される (房総地区に設定された「夏ダイヤ」で館山・安房鴨川まで延長された総武快速列車の愛称である)など、地道に波動運用をこなしている。
国鉄車がまだまだ比重を占める中央本線も、長野総セに211系が投入されて運用を開始。豊田車も近々置き換えられることは確定しており、そろそろ動向が気になってくるころ。いったん183系「特急車」にグレードアップしたはずの〔ホリデー快速鎌倉〕に115系が復帰したのは予想外だったが、今後そうそう機会が残されているとも思えず、貴重な撮影機会を大切にしたい。
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みすずかる

2013/04/27 00:00
信濃国を代表する山の一つ、浅間山の麓にひろがる避暑地・スキー場、今ではショッピングモールでも知られる軽井沢。麓の横川から急勾配で一気に登ってきた信越本線の碓氷峠、通称「ヨコカル」が廃止されてから15年になる。その理由は整備新幹線として建設された北陸新幹線(長野新幹線) の開業による並行在来線の経営分離で、軽井沢〜篠ノ井間は第三セクターの しなの鉄道に引き継がれた。
電車はJR東日本から近郊形115系1000番台と急行形169系を譲り受け、車号もそのままに軽井沢〜長野間で運用されている。JRの115系と相互乗り入れし、「あさま色」189系が定員制通勤ライナーの〔しなのサンライズ・サンセット〕として乗り入れる。しな鉄の標準塗装は、ガンメタリックにリンゴをイメージした赤を添えたもの。

クハ115-1012 しなの鉄道

クハ115-1012

  • しなの鉄道 西上田←上田 2012-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO800

JR線からは「急行」という種別自体が消滅寸前だが、それは急行形車両にもおよんでいる。JR東日本の地区でも近郊形やJR新型、波動用としても183・189系によって淘汰され、残るは山梨県の富士急行としなの鉄道だけになった。富士急行のものは「フジサン特急」、もとジョイフルトレイン「パノラマエクスプレスアルプス」車両(165系)なので、オリジナル形はここが最後の砦であった。
そんな169系も老朽化を理由に3月改正で定期運用を終了、4月27〜29日の「ありがとう・さようなら169系」イベントの臨時・団体運行をもって引退となる。以前は〔しなのサンライズ・サンセット〕で長野まで乗り入れ、また長野県内のイベント列車にも駆り出されていたが、新型保安装置を搭載しないため2011年からJR線での運転ができなくなり、軽井沢〜小諸間の列車やイベント用としての運用にとどまっていた。

クハ169-19 しなの鉄道

クハ169-19

  • しなの鉄道 屋代←千曲 2009-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

東海道線の急行電車として登場した153系を、山岳線向けに出力増加と抑速ブレーキ・耐寒装備を搭載したのが165系。同時にモーター出力を増強した平坦線用の163系も計画されたがグリーン車サロ163しか製造されず、165系が直流区間の急行電車の決定版になった。この165系をベースに、専用補機EF63を要した碓氷峠を12両編成で通過できるよう、協調制御回路を追加したのが169系である。1966年に試作車が165系900番台として登場、翌年から信越急行向けに増備されている。
碓氷峠を通過する列車は電車でも無動力扱いとなり、EF63重連の強力な登坂性能と発電ブレーキに頼って急勾配を上り下りしていたが、厳しい重量制限から一列車8両が限界で、輸送力のネックだった。169系の結果から特急電車も協調対応することになり,489系と189系が登場した。協調対応車は系列一位を"9"に統一していたが"9"はそれ専用というわけではなく、それ以前から159系 (中京向け修学旅行専用電車) がいたし、後に119系419系が登場したのはご存じの通り。横川〜軽井沢間の運転操作はEF63の高崎方運転台で行われ、協調車もふくめ機関車から力行・ブレーキなどすべてが制御された。
1986年に信越本線の急行が廃止されると169系はサハ165を組み込んで4両編成となり、飯田・上諏訪〜松本〜長野間に新設した急行〔かもしか〕に転用、この際に座席を新幹線0系の廃車発生品に換装した。陳腐化が進む急行に新たな付加価値をつける試み (キハ54 527〜529による急行〔利尻〕もそのひとつ) だったが長続きせず、1988年には快速〔みすず〕に格下げ、そして1997〜98年に12両がしなの鉄道へ転身を遂げた。

クモハ169-6 しなの鉄道

クモハ169-6

  • しなの鉄道 西上田←上田 2012-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO800

115系同様の しな鉄標準塗装だった169系も国鉄色リバイバルの流れに乗り、2008年9月にS52編成が期間限定で湘南色に塗装変更された。近郊形より緑色の面積が多く、クモハ・クハ幕板の緑が緩やかに切れ上がっていく国鉄直流急行色が再現されており、ローズピンクとクリームの交直流急行形との違いにも注目したい。当然JRマークはつかないわけで、固定窓が黒Hゴムであることに目をつぶれば、それは急行全盛期の姿そのものだった。
2009年3月に予定通り しな鉄色に戻されたが2010年に国鉄色へ再復帰、さらにS51編成が坂城(さかき) 駅での静態保存決定を受けて国鉄色化、4月10日にはS52と組んで6両の国鉄急行が信濃路を快走した。27〜29日のラストランでも国鉄色6連、途中から しな鉄色のS53を併合した9連で花道を飾ることになる。

しなの鉄道の車両は各系列とも電動車ユニットが東京 (軽井沢) 寄りになっていて、高崎線へ持って行くと東北・上越線 (東海道線に合わせている) とは編成が逆向きになる。JR東日本長野総合車両センター車の編成向き (中央本線での向き) に合っているが、もともと碓氷峠の急勾配で非常ブレーキをかけた時の車両浮き上がりなどを防止するため、重い電動車を可能な限り麓側に置いた結果である。
高崎・吾妻線185系特急のグリーン車が渋川・前橋側に寄っていたのも同じ理由 (普通列車で碓氷峠を通過する運用があった) だが、今改正で田町車両センターの特急車が大宮に転属、7連が共通運用になることから〔踊り子〕と同じ編成中央に揃えられている。169系引退とあわせ、碓氷峠の面影がまた歴史の中へ移っていくことになった。
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くるまがまるく

2013/01/28 00:00
3月のダイヤ改正では、北近畿地区の特急〔こうのとり〕等で運用されてきたJR西日本の特急電車「183系」が引退となる。カッコつきで書いたのは、この183系(800番台)と本来の183(189)系は違う系列で、西日本のそれは485系から交直変換機器を撤去し直流専用車へ改造したものだ。
同地区では2011年から新型電車287系が登場し、それまでの183系を順次置き換えつつある。では今回いよいよ新型に統一かというと実はそうでなく、置き換え車両は日根野から転属する381系振子電車によって行われる。183が消えたと思ったら381だったというオチ(?) 一部はすでに置き換えが始まっていて、塗装は「くろしお」色から正調国鉄色へと復帰、関西で最後まで残る国鉄色となりそうだ。

〔こうのとり〕の名称は、但馬地方で自然復帰活動が進む国の特別天然記念物コウノトリを由来とする。同列車は国鉄末期に福知山線〜山陰本線 (福知山〜城崎) 電化で登場したエル特急〔北近畿〕を2011年3月改正で改称。当の〔北近畿〕は山陰初の特急だった〔まつかぜ〕の後継と急行〔丹波〕の格上げだった。愛称公募の際に「こうのとり」の名も挙がったそうだが当時は採用されず、イラストマークの図柄として飛翔するコウノトリが使われた。

クハ183-706

クハ183-706

  • 福知山線 三田→道場 2013-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

山陰本線 (京都〜福知山) の電化にあわせて再編された特急網は、京都と大阪からそれぞれ城崎温泉と天橋立へ直通するほか、福知山で相互乗り換えも可能(料金は直通列車と同額)とし、「北近畿ビッグXネットワーク」と宣伝していた。車両もJRだけでなく、北近畿タンゴ鉄道の「タンゴエクスプローラー」「タンゴディスカバリー」というリゾートタイプも投入され、JR特急の合間に走っていた。しかし2011年3月改正では福知山線特急を城崎向け〔こうのとり〕に集約し新大阪〜天橋立の〔文殊〕は廃止、「タンゴエクスプローラー」乗り入れも終了した。
〔北近畿〕にしても、一時期は〔雷鳥〕を外れた485系を183系化して投入したと思ったらわずか数ヶ月で廃車、その後も阪和・関西線での通勤ライナー廃止によって浮いた381系 (普通車のみ) が投入されるも287系の増備ですぐ廃車……と、コウノトリ「に」次々と新しい子を運んでいるように思えてならない。今回の車両はいわゆる「アコモ改善車」で、グリーン車も用意され普通車シートピッチも広く、ゆったり座れるという触れ込みだが。

クハ381-111

クハ381-111

  • 福知山線 三田→道場 2013-1
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

電化複線区間では架線・ケーブル類の影がときに気になるものだが、通勤・近郊形と特急形ではその落ち方も違って、往々にして練習ではわからなかったものが本番を撮影して初めて判明することも。一般車では側板がほぼ垂直なのに対し、特急形は上部を内傾させている車両が多いためだ。ことに振子車は車体を大きく振るため車体はさらに丸く、上下ともにその傾き(絞り込み) 具合も大きくなってくる。影を落とさないために日差しはきつくないほうが良い、とはいえ曇りは色の乗りが良くない……いつもながら悩ましい問題といえる。
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グリーン・グリーン

2012/09/30 00:00
「グリーン車」という名称は、1969年に国鉄の運賃体系が等級制 (1・2等) からモノクラス化したときに登場した。それまでの旧1等車がつけていた緑色(淡緑6号) の腰帯と切符の地色などを基にしたとされる。
グリーン車には四つ葉のクローバーを模したグリーンマーク(黄緑7号) と、旧1等の腰帯が引き続きつけられていた (特急形電車・気動車を除く)。合造車では 一・二等→1等→グリーン客室部だけに帯がついていたので、たとえば四国で登場したキロハ28は帯が車両の途中で終わっていた。
現在のグリーン車ないし合造車で外観から識別できるのはグリーンマークだけになっている。1978年の塗装規定改正でグリーン車の腰帯が廃止されたためだ。この前後には「タラコ色・首都圏色」ともいわれる朱一色の気動車、また身延線や飯田線で一色塗り+テープ貼り付けによる見かけ上の2色が登場しており、要は経費節減の一環だったわけだ。

サロ211-1001

サロ211-1001

  • 高崎線 籠原←熊谷(タ) 2011-8
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

近郊形113・115系の後継となるステンレス車体の211系電車は1985年の登場。東海道向け0・2000番台の基本編成には113系とおなじくグリーン車を2両連結したが、塗装規定改定の後であるからグリーン車の帯は最初からついておらず、湘南色のイメージを継承したオレンジと緑 (113系のそれよりすこし明るい) のラインは全車共通である。
リクライニングシートが970mmピッチで並ぶ客室は、桟のない窓が1列ずつ並ぶ軽快なスタイル。普通車は下降式の開閉窓であるが、グリーン車は一部を除き固定窓となる。サロ211には洗面所、サロ210には乗務員室を備えており、定員はどちらも64。

サロ213-1112

サロ213-1112

  • 東北本線 蓮田←東大宮 2010-2
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

民営化後に増備された211系には2階建てグリーン車 サロ213・212を組み込んで落成、それらと国鉄増備の平屋グリーン車を1両ずつ入れ替えて4号車を2階建て、5号車を平屋としていた (うち2編成は2両とも2階建て)。その後113系が東海道から撤退するにあたり、113系の一員として2階建てで製造されたサロ125・124が併結対応されて211系の仲間に入った (100番台)。同時期に東海道のグリーン車を全車2階建て (定員90/両) とするため平屋サロは高崎車両センターへ転属、耐寒装備の強化とドア開閉ボタンを受けてサロ213・212ともども1000番台 (113系編入車は1100番台) となっている。
東海道筋の211系は今春に撤退、9月から高崎セにも211系代替のE233系3000番台が投入されはじめている。国鉄最後の近郊形グリーン車の姿を見られるのもあとわずかだ。

1981年に登場した185系は、実態はともかく名目は特急形電車であり、こちらも塗装規定改正後ということでグリーン車サロ185も当初は斜めストライプ(0番台) または緑の腰帯(200番台) だった。2010年、特急〔草津〕が前身の準急〔草津〕登場から50周年になるのを記念して、大宮総合車両センター所属のOM03編成が、開始当初使用した80系電車を模した姿に変身、現在も同塗装を維持している。
おなじ非貫通形とはいえアクの強い顔立ちに「金太郎塗り」をほどこした前面は好みの分かれるところだが、側面はどうしてなかなかいい感じではないか。現在も開閉可能な側窓のアルミ銀枠が、湘南色の渋い色調とほどよく合っている。

サロ185-206

サロ185-206

  • 高崎線 籠原→熊谷(タ) 2011-8
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO400

80系は準急形として登場したから、リバイバルとなるこの編成のサロにもグリーン帯がつけられた。185系にとって、いや特急形電車としてはじめて「グリーン帯」を身にまとった車両と思われる。国鉄色リバイバル車両は各地に存在するものの、当時グリーン車だったものはもはや残っていない。正式な復刻とは少し違うけれど、急行電車の全盛期をしのばせてくれるという意味で貴重な1両である。
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タイトル 日 時
変わらぬ秋
変わらぬ秋 常磐線 E531系普通電車で茨城県のローカル私鉄、ひたちなか海浜鉄道へ向かう。あの日からほぼ半年が過ぎていた。県内の鉄道路線は津波被害こそ免れたものの路盤陥没や施設損壊などの被害が多発、もっとも早く復旧した常磐線も水戸・勝田まで運転再開したのは3月31日のことだ。 ひたちなか海浜鉄道湊線では金上(かねあげ)〜中根間の築堤脇にあった溜池が崩壊し、大規模な路盤流失が発生。ほかの区間も多数の線路損傷を受けて全線運転休止を余儀なくされた。再開のめどが立たないという深刻な話まで耳にしたが、関係者の尽力に... ...続きを見る

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2011/09/30 00:00
北の大地に思いを馳せ
北の大地に思いを馳せ 全国の電化区間をくまなく走った国鉄特急の一大勢力、485系。きわめて汎用的・国鉄らしい車両といえるが、その中でも特殊なグループが存在する。ひとつは横軽協調対応の489系、もうひとつは北海道向けの485系1500番台だ。 ...続きを見る

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2011/04/27 00:00
お届けものです。
お届けものです。 鉛色の冬空から時折雪が舞う京都・大阪府境は、色はなくなったが雑草が消えてすっきりした。ここでいつものように車両を撮影、狙いは向日町・京都総合運転所からの〔文殊1号〕〔雷鳥33号〕回送だ。 もうそろそろ通過する時刻……という頃合いに、左手からひょいとあらわれたのは朱色の凸型DL。ん? DD51牽引の貨物がここに? と一瞬思ったが、うしろに気動車1両がくっついているのを見て納得。配給輸送、網干総合車両所(兵庫県) へ入場する車両を届けに行くところだった。 ...続きを見る

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2011/03/05 00:00
思い出ほのかに
思い出ほのかに 毎年恒例の 鉄道ファン 特集「JR車両ファイル」。この一年間、JR車両にあったダイヤや車両の変化を振り返ろうと誌面を開けば、「えっ? そんなものまで?」と驚くような廃車や廃形式、運用離脱の報を見つけてしまう。とくに国鉄形の衰退が著しい昨今、一覧表に冷たく記された処遇に心が痛むこともある。 大糸線北部で活躍してきたキハ52も、そんな車両だ。昨年末に北陸へ寄ったとき、計画に組み入れるかどうか迷ったけれど、結局高山本線のキハ58系列を優先していた。今改正でキハ120に置き換わることが発表されており、... ...続きを見る

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2010/05/21 10:00
ふるさと発なつかし経由おもいで行き
ふるさと発なつかし経由おもいで行き またひとつ……いやふたつ、夜行列車の灯が消える。 2010年3月13日のJRグループダイヤ改正で、最後の14系ブルートレイン―寝台特急〔北陸〕と、最後のボンネット形特急電車489系を使用した急行〔能登〕両列車の廃止が発表された。代替として週末や学休期間に臨時夜行急行が運転予定とされるが、現行の車両はいずれも廃車と思われる。 夜行長距離列車の不振は今に始まったことではないし、いまから安くしても利用客が帰ってこないことはもう明らかだ。さらに廃止理由に「老朽化により」とまで付け加えられたのでは、引... ...続きを見る

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2009/12/27 20:09
みなとのにじいろトラム
みなとのにじいろトラム 国鉄時代の駅の面影を求めるなら、富山駅は外せない。 3階建ての駅ビル、その1階中央にはラッチがずらりと並んだ改札口。しかも自動改札ではない (金沢・福井駅も改札は有人のみで、北陸の改札自動化はとても遅れている)。改札口からそのまま続く1番線に特急〔しらさぎ〕が停車する姿は、鉄道が交通の主役だった時代をも思わせる。バス、タクシーのりばとこれもお決まりの設備がある駅前に、路面電車 (富山地方鉄道富山市内線) が走っているのもポイントが高い。 地方都市の中心駅として以前ならどこでも見られた平凡中庸... ...続きを見る

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2009/12/15 23:20
つながり
つながり 151系〔こだま〕に始まる赤とクリームの国鉄特急色。485系やキハ80によってその色は全国に広がり、地方の主要都市は都会と列車一本でつながっていた。画一的な表情だけれど、新幹線によって結ばれている現在とは違った何かしらの信頼が、そこにはあったのだと思う。 1980年代の上野駅は、そんな国鉄特急色の電車が頻繁に出入りして華やかだった。新幹線開業で大半が消えた後も、信越線の特急〔あさま〕は上野発着で残り、直流特急形189系電車で運用されていた。 189系は183系電車の兄弟車。1974年の房総地... ...続きを見る

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2009/12/10 23:00
北の大地に30年
北の大地に30年 国鉄色183系の引退興行と見られていた今回の道内一周、名目としては「183系特急形気動車登場30周年記念」だった。道中様々なトレインマークを掲出して走行し、途中駅での「幕回し実演」など見所も多かったようだ。同系登場を機に気動車特急のイラストマーク化がはじまったので、たしかに登場時にとても近い出で立ちであったといえる。 キハ183系は、酷寒地での運用で疲弊したキハ80系の後継車として開発された道内専用車で、1979年に試作車が登場。翌80年から10両編成〔おおぞら〕でデビューし、1981〜198... ...続きを見る

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2009/11/30 23:45
特急電車の横顔
特急電車の横顔 10月1日から、北陸本線の特急〔サンダーバード〕が683系4000番台の投入で増発される。4000番台自体は6月から営業運転を開始していたが、これは北周り〔はくたか〕の増発に681系を捻出する目的だった。このため485系〔雷鳥〕に動きは無かったのだが、10月以降はいよいよ影響が及んで、残る列車はパノラマグリーン車(クロ481-2000/2100)組み込み編成で運用されることになる。 ことし春ごろから北陸本線の撮影地は賑わいだしたようだ。撮影条件の都合上、大阪方の先頭車にどうしても注目が集まると... ...続きを見る

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2009/09/30 00:00
遠い日の光
遠い日の光 水戸から常磐線で一駅、勝田を起点に阿字ヶ浦(あじがうら)へ伸びる ひたちなか海浜鉄道湊(みなと)線。終点近くの海水浴場が賑わいを見せる夏季には、かつて上野からの直通列車も乗り入れていた。もとは茨城交通の鉄道線で、経営悪化から廃線の危機に直面したが (近隣の日立電鉄・鹿島鉄道は廃止されてしまった)、受け皿の第三セクター会社が設立されて2008年4月に再出発している。 同線では国鉄形キハ20・22系統の車両がいまなお現役であり、平日と日曜日を中心に懐かしい国鉄色塗装車が入れ替わりで登板する (週末... ...続きを見る

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2009/07/13 23:00
バクシュウ問題?!
バクシュウ問題?! 5月下旬から6月上旬にかけて、本州各地は麦の収穫時期「麦秋」を迎える。 地形図では水田となっている場所も、二毛作あるいは作付けの回転で、秋蒔きの麦が植えられているところも少なくない。秋の稲穂とはすこし違った濃いめの黄金色もお気に入りで、田植え前の数日間だけ撮れる「水鏡」―撮れない年もある―に続く、フィールドワークのお楽しみになってきている。 ...続きを見る

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2009/06/06 00:30
差し挟まれて候
差し挟まれて候 国鉄〜JR電車(四国・貨物を除く)における形式称号の冒頭には、「モ」「ク」「サ」のいずれかが来る。それぞれ電動車・制御車・付随車であり、とくに制御電動車は「クモ」を称する。 「モ」と「ク」の意味するところが「モーターのモ」と「駆動のク」であることに異論は少ないだろうが、「サ」の起源は諸説あって確定していなかった。主(あるじ)に仕える「さぶら(侍・候)うのサ」とか、英語で付随・従属を意味する「subordinate のサブ→サ」とか。その中で個人的に納得のいく説は、「差し挟むのサ」だった。どこで... ...続きを見る

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2009/03/30 00:45
色の記憶・音の記憶
色の記憶・音の記憶 正調・国鉄特急色を身にまとう電車は、もう残り少なくなった。特急として定期的に走るのは〔雷鳥〕―ついに683系への全面置き換えが決まった―、それに準じたもと485系の〔北近畿〕などだけ。それらと並んで奇跡的に生き残り、電車特急50年の歴史を今に伝えるボンネット形の先頭車、クハ489。かつて「碓氷のシェルパ」EF63と峠を越えた車両は、上野〜金沢間(長岡経由)を走る夜行急行〔能登〕で最後の活躍を見せている。いちど派手な「白山色」になってからの国鉄色復活という意味でも、奇跡的な車両だ。 昨年年明け早... ...続きを見る

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2009/03/25 22:00
つながる想い
つながる想い 九州ブルトレが大詰めを迎えた2月末。2011年3月に全線開業する九州新幹線の、山陽直通列車名が〔さくら〕に決まった。 〔さくら〕は長年のあいだ1列車として東京駅を発車した九州ブルトレの先鋒であり、〔富士〕と並ぶ日本初の列車名称という点でも極めて重みのある存在だった。九州内の貨客列車を牽引する交流機ED76も〔さくら〕との付き合いは長く、末期はハヤブサの後ろに赤い桜花を重ねた「併合ヘッドマーク」を掲げていた。 ...続きを見る

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2009/03/13 00:00
最後の日まで
最後の日まで 本ブログ内特集「ブルートレイン2008」の最終回でも記したが、一時期ボコボコな車体外板(塗装)の多かったブルトレ車両も、最近見るものはかなりきれいに感じる。〔富士・はやぶさ〕で使用される14系寝台車も同様だが、2007〜2008年度にかけて熊本車両センター所属の同系は相次ぎ全般検査(または重要部検査)を受けていた。 全般検査――略して全検は、8年ごと(電車・電機・客車の場合; 2009年現在)に受けることが義務付けられる、鉄道車両にとって最も大規模な検査。すべての部品を取り外し、点検・清掃、不... ...続きを見る

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2009/03/02 23:00
ふるさと
ふるさと 北海道から九州まで、非電化ローカル区間でひろく活躍したキハ20系気動車。キハ52形は、そのなかで勾配線区向けに2エンジンを搭載した車両である。 国鉄時代、一般的な気動車の駆動は1エンジンで車軸1つだった。すなわち1両で動力を伝えられるのは車輪1個に過ぎない。エンジンを2機載せて2軸駆動すればパワーも向上するという理屈だ(そのぶん重くなるが)。車長(連結面間)はキハ20の20.0mから21.3mとなり、外見では窓が1列増え、トイレの向かい側床上に水タンクを設置している。 ...続きを見る

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2009/02/10 22:30
急行列車のおもかげ
急行列車のおもかげ 車両両端のデッキから引き戸を開けると、グレーの床、クリーム基調の壁に、整然と並ぶ青いモケットのボックスシート。腰掛ければ窓側にも肘掛、窓框下のテーブル(センヌキつき)、JNRマークの灰皿。 国鉄形急行列車の一般的な設備だが、このスタイルを残す車両も急行の淘汰でほとんど消えてしまった。その中で今いちばんそれに近いのが、最近個人的におなじみ、JR東日本の12系客車だ。 ...続きを見る

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2009/01/25 23:45
エクストラ・ショット
エクストラ・ショット 車両サイドビューの撮影結果を見直していると、意外にもシャッタースピードは速い。だいたい1/100〜1/400sの範囲におさまっているようだ。 この撮影で重視しているのは、前背景を流すことよりもむしろ車体を完全な真横から捉えることのほうだ。そうしないと台形になって形が崩れるし、あまり遅いと車体の隅まで流れるから。(換算)焦点距離50mmより広角をほとんど使わないのはこのためでもある。 もうひとつ、対象は先頭車両だけとは限らない。となれば小刻みにアングルを振り直す必要があるわけで、スローシャッタ... ...続きを見る

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2008/12/20 12:15
走る変電所
走る変電所 いつごろからこの通称がついたのか定かでないが、モハ484という形式はまさに「走る変電所」と呼ぶにふさわしい。MM'ユニットのうち"484"という偶数形式で、3種類の電源(DC1,500V, AC20,000V60Hz, 50Hz)を取り入れて隣の奇数形式モハ485(主制御器を持つ。写真では左隣)に供給し、モーターはその制御器の支配下にある。つまりシステム的には隣のほうがエラいのだが、被写体としての魅力は圧倒的にこちらの方が上だと断言していい。主人を差し置いて鉄道博物館に収容展示されたのもこちらの... ...続きを見る

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2008/10/14 21:00
ブルートレイン2008[特別編]: 青い流れ星
ブルートレイン2008[特別編]: 青い流れ星 さて、「ブルートレイン2008」も数えると26回シリーズになっていた。いま走っているだけでこんなに種類があったのかと、でまたよく短期間で撮ったものだ、と思ったり思わなかったり……。 そんなわけでこのたび目次を作ることにした。ただブログ記事に書いていくのはいろいろ大変なので、(最近あまり更新できないが)本家のほうでまとめさせていただきます。 → ブルートレイン2008 -資料編- ...続きを見る

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2008/09/20 12:00
ブルートレイン2008: 富士・はやぶさ(2)
ブルートレイン2008: 富士・はやぶさ(2) 九州特急向け24系25形のA寝台として製作された1人用A個室寝台・オロネ25(0番台)は、国鉄〜JRを通しても数少ない新製の個室車。部屋数14は当時としては最も定員の少ない旅客車だった。両サイドとも窓配置がB寝台とまったく異なるため遠くからでもすぐ判別でき、14系に編入されオロネ15 3000番台となった現在も登場時とほぼ同じ外観を保っている。 〔富士・はやぶさ〕の車両撮影地に幸田を選んだのは、東上する列車を「山側」(東海道本線で富士山のある側)からとらえるのに必要な諸々の条件を満たしていたか... ...続きを見る

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2008/09/12 00:00
ブルートレイン2008: 富士・はやぶさ(1)
ブルートレイン2008: 富士・はやぶさ(1) 夜行列車の「これから」については、以前から何度も何度も趣味誌・専門誌・書籍等で取り上げられてきて、そこには大抵「廉価な座席車の連結で活性化を」というお決まりの文句が載っていた。しかしそれはもはや絵に描いた餅に過ぎない。「青春18きっぷ」御用達の夜行快速・普通列車も年を追うごとに減り続け、中でも代表格といえる〔ムーンライトながら〕でさえ、オフシーズンの乗客減が深刻になっていることがはっきりとわかったのだ。(2008/9/1 朝日新聞[asahi.com]報道による) それにしても臨時〔まりも〕が消... ...続きを見る

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2008/09/11 00:20
ブルートレイン2008: ★★★流れ星三つ(2)
ブルートレイン2008: ★★★流れ星三つ(2) 1972年に発生した北陸トンネル火災事故を受けて分散電源方式の安全性が問題となり、14系の製作は中止された。その後の増備では車体構造を流用しながら難燃対策を強化し、20系の「集中電源方式」を採用して登場した(1973年)。これが現代ブルトレを代表する系列、24系である。 当初は14系同様の三段寝台で、これは一度しか製造されなかった。しかしオハネフ24形は廃車や改造による減少が少なく、現在の在籍車数12両とブルトレ全形式(番台別)で最多となった。青森車両センターに集結した車両は、車掌室の窓構造改... ...続きを見る

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2008/09/07 23:00
ブルートレイン2008: あけぼの(2)
ブルートレイン2008: あけぼの(2) かつては奥羽特急の代表だった〔あけぼの〕、JR東日本の新幹線施策に翻弄されつづけて「羽越特急」になってしまったけれど、現在では首都圏と東北地方を結ぶ唯一の夜行列車である。 競合する交通機関の事情などから一定の需要を保っていた同列車もさすがに高速バス等との競合が厳しくなり、2002年に簡易寝台(座席扱い)の「ゴロンとシート」を登場させた(同年中に廃止されたが〔はくつる〕にも連結)。その後女性専用車「レディースゴロンとシート」も追加設定されている。 ...続きを見る

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2008/09/05 00:00
ブルートレイン2008: あけぼの(1)
ブルートレイン2008: あけぼの(1) 神保原で線路東側から〔あけぼの〕を狙う。まだ低めの太陽光線が、車体にばっちり当たるはずだ。 考えていた場所は一つあったのでそこに向かったが、構えると後ろの住宅跡がどうも気になる。いや、車両が来れば確実に隠れてしまうものなのだが、なんだか妙に引っかかるものがあった。 その気持ちが影響したのだろう。その日は途中ソロあたりからうまくシンクロできず流れてしまった。その時点ですでに〔北陸〕の再挑戦が確定していたから、この失敗はそれほど深刻には受け止めていなかった。 ...続きを見る

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2008/09/04 00:00
ブルートレイン2008: 北陸
ブルートレイン2008: 北陸 〔北陸〕はこの企画の勘所をはっきり押さえていた。意外に思う人も思わない人も多いと思うが。 まず第一に深夜出発〜早朝到着とあって、走行写真を撮ること自体5〜8月の間に限られる。それに、8両編成中で5種類の車両を一気に撮らなければならない。さらに寝台・個室が西側だから、あまり晴れていては困る(長岡で折り返すから、北陸本線では寝台が北西側)。高崎線での撮影を考えると、約30分後に〔あけぼの〕が寝台を東側に上って来るので、同一箇所か近くで両側から狙えることも必要。撮影地の選定にもっとも苦労した列車であ... ...続きを見る

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2008/09/03 07:30
ブルートレイン2008: オールソロ・メドレー(2)
ブルートレイン2008: オールソロ・メドレー(2) 「ソロ」の2種目は「2階建てin平屋」。前項「ハーフ・デュエット」と同時に〔北斗星3・4号〕向けオロハネ25 500番台(1988年)で登場。個室は完全2階建てのブロック構造になり、2ブロックの中間に上段出入用の外階段を設けた。 部屋の床はフラットだが、おなじみ「二階建てサロ」のように下段の床を切り下げているわけでないので、天井はかなり低い。 ...続きを見る

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2008/08/22 23:20
ブルートレイン2008: 日本海
ブルートレイン2008: 日本海 「日本海縦貫線」を40年間にわたって走り続けた寝台特急〔日本海〕。現在の時刻表には種別「A」「B」とだけ表記される一見地味なこの列車は、開放形A寝台のオロネ24が連結される最後の列車となった。牽引機がローズピンクのEF81、繁忙期には最大12両(+電源車+機関車)という長大編成になることでも貴重な存在である。帯が金白混合であることに目をつぶれば、その姿は古きよき国鉄時代の寝台特急に紛れもない。 減便の話を聞いてまず頭に浮かんだのが「オロネ撮らないといけない!」 〔銀河〕ともども開放A寝台の廃止... ...続きを見る

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2008/08/04 00:00
ブルートレイン2008: はまなす
ブルートレイン2008: はまなす ここで番外編的だが〔はまなす〕についても取り上げようと思う。寝座混合の急行列車であり、厳密な「ブルトレ」の定義からは外れているが、いまや貴重な「夜行」「急行」「客車」列車である。 〔はまなす〕を撮れそうな場所はいくつかあるが、この夏までとなる〔まりも〕も一緒に狙うとなると千歳線で張るしかない。〔北斗星〕の前に、早朝の島松付近へ寄った。水田が広がる光景は本州と同じだが、そこにキタキツネが顔を出すのは北海道ならではだろう。 ...続きを見る

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2008/08/02 23:00
ブルートレイン2008: 北斗星(6)
ブルートレイン2008: 北斗星(6) E655系「なごみ(和)」の写真がほしくて東北本線に出た時のこと。西側から撮った〔北斗星〕は逆光が強すぎて結果としてはだめだったが、そのときファインダーに入ってきたB寝台の一両に違和感を感じた。 あわてて追いかけてみたら、これがオハネフ24 500番台。臨時〔北斗星〕の設定ももはや期待できず、本州どころか道内でもなかなか走らないのではと思った車両の上京は意外だった。 調べてみると、オハネ25 560(オールデュエット)の代車のようだ。それで別の日に撮影を試みると、やはり代車に使われていた。2... ...続きを見る

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2008/08/02 01:00
ブルートレイン2008: 北斗星(2)
ブルートレイン2008: 北斗星(2) 1988年〔北斗星〕登場に際しては、定期2往復をそれぞれ担当するJR北海道・東日本が独自のインテリアを持つ車両を登場させ、北海道(1・2号)は「ロイヤル+デュエット」(オロハネ25 550)に「ソロ+半室ロビー」、東日本(5・6号)は「ロイヤル+ソロ」に「ロビーカー」、と異なる仕様になった。オロハネ25 500番台はJR東日本の車両でロイヤル部とソロ部が左右に分かれ、ソロは2階建て形式、窓が上下同位置に並ぶのが特徴。 ...続きを見る

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2008/07/25 22:20
ブルートレイン2008: 北斗星(1)
ブルートレイン2008: 北斗星(1) この「ブルトレ全車撮り」をやろうと思った理由は、ゴールデンウィークで〔北斗星〕の大半をこなすことができたからなのだが、そこには二度の転機と後悔が含まれていた。 まず2006年3月。青森駅工事の影響で本州内での編成が逆転し、寝台・個室が西側を向いてしまった。つまり朝の上りを順光側で撮っても、かわり映えのしない通路側になってしまったのだ。 夏場なら1号を撮れる……と思ってはいたのだが、結局行かずじまいであった。で、2008年3月。1号が廃止されてしまうと、下りの本州側はもう絶望的である。となれば... ...続きを見る

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2008/07/25 22:00
ブルートレイン2008
ブルートレイン2008 2008年3月改正後、日本国内の寝台特急は10名称8往復(4名称は併結運転)、うち客車列車は8名称、正調「ブルートレイン」は6名称5往復(2名称は併結)。ついに両手で数えられる存在になった青い流れ星は、この先どこへ向かうのだろうか。 ...続きを見る

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2008/07/24 23:00
トップナンバー
トップナンバー 鉄道写真とひとくちにいってもいろいろな撮り方があるものだが、そのなかで「車両」を題材にした写真には大きく二つに分けられる。ひとつは「形式写真」とよばれる、基本的には車両の左側面を前位側から撮った写真。もうひとつは走行中の車両を側面から流し撮りにした、いわゆる「サイドビュー」という写真。私が最近力を入れて集めていて、そしてこのコンテンツで扱うのはタイトルどおり鉄道車両のサイドビュー、なかでもより厳密に真横を静止させることを目標にしたサイドビュー写真である。 サイドビューについては、この界隈では広... ...続きを見る

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2008/07/04 00:01

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復活国鉄形蒸機!一刀両面 (鉄道ファン連載)

国内で活躍する動態保存国鉄蒸気機関車、16両(2014年10月現在)各機を両側からとらえたサイドビュー写真と、宮田寛之名誉編集長のみどころ解説でお送りするシリーズ。

2015年8月号では「番外編」と題し、このたび鉄道博物館に収蔵展示されたEF55形1号機を取り上げます。復活後は「ムーミン」とも呼ばれた、電機としては異例の前後非対称・流線形のボディを振り返ってみました。



当ブログの「蒸気機関車」各エントリもご覧ください。


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