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みんなの「直流電車」ブログ


SE: Legendary

2017/01/01 00:00
冬晴れの日、小田原北部の足柄平野に足を運んだ。箱根から連なる山々の向こうに、雪化粧した富士山が朝日を浴びている。右側から酒匂川を通過する車両の規則正しいジョイント音が聞こえてきた。しばらく後にバーミリオンオレンジの車体が宅地の向こうから飛びだし、平野を突っ切っていく。小田急ロマンスカーLSE 7000形。小田急現役特急最古参の展望席つき連接車は現在も2編成が在籍し、新宿〜箱根湯本間を往復している。

デハ7003 小田急

デハ7003

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2016-11
  • D500, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO125

SE車(Super Express) 3000形の後継車として、1980年に登場したLSE。LはLuxuryの意で、NSE車 3100形のイメージと編成定員を引き継いだ上で車内をグレードアップ、人気の展望席は10席から14席に増加した。
前頭部は横から見るとエッジが効いていて前方から見るとラウンド形状。塗装はSE車からのイメージを受け継ぐオレンジバーミリオン・白とグレーのスリートーン、腰のグレーを貫く白い細帯はNSEの3本から2本となっている。第24回鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞したLSEは全4編成が製造され、1987年のHiSE(10000形) 登場まで同社のイメージリーダーをつとめた。
回転クロスシートはリクライニングが追加されたが、背もたれを倒すか戻すかの二択しかない「簡易リクライニング」である。当時の国鉄特急ではまだまだリクライニングなし回転クロスが多く、近くを走る185系も転換クロスシートだったから、それでも上等なほうだった。客用乗降扉はようやく(?)自動ドア化され、デッキ・客室間も仕切られた。乗車口を限定したホームでの特急券改札はその後も続けられたので、乗降口の折戸は手で開け閉めもできるようになっている (引戸式のEXEやMSEには個別ドアスイッチが取り付けられている)。
1995年からのバリアフリー対応工事を含む大規模更新の際に外装もHiSE同様のワインレッド基調にイメージチェンジされ、NSEの引退でオレンジ色のロマンスカーはいったん消えた。2007年にSE車登場から50周年を記念して1編成が登場時の塗装にリバイバル(ただし展望席窓のガラス枠が黒だった)。2012年には別の1編成も旧塗装へ復帰し、保安装置更新の際に展望席窓も銀枠というほぼオリジナルの姿に戻った。

デハ7003 小田急

デハ7003

  • 小田急小田原線 開成←栢山 2008-10
  • D700, AF-S Nikkor 70-300mm F4.5-5.6G ED VR, ISO200

〔さがみ〕〔えのしま〕といった脇役に回されていた晩期のNSEと違い、LSEはいまでもVSEと肩を並べて箱根まで走っているから、たまに乗るのも一般席ばかりだ。登場時はぜいたくな仕様だった客室も、シートピッチや座席背もたれ高さ、照明の使い方など、今の車両に比べると質素に感じるのは事実。座面に腰を下ろすと、さすがにくたびれ感は隠せない。
後継車にもかかわらずバリアフリー対策の見地から先に引退せざるを得なかったハイデッキ式のHiSEとRSE(20000形) の後も引き継ぎ、現在に至るまで主軸を任されてきたLSE。同社唯一の抵抗制御車両であり、車齢も高くなっていたので去就が気になるところだったが、昨年11月に新型ロマンスカー70000形の製造と2018年のデビューが発表されたことで区切りが見えてきた。VSEの連接車ではなく通常のボギー車となり、RSE以来の7両編成となる70000形(愛称未定)の車体カラーはバーミリオンオレンジ。伝統と伝説は受け継がれていく。

開成駅の東口には「ロンちゃん」がいる。1999年まで活躍したNSE 3100形の先頭車として静態保存された車両の愛称だ。当初移動式のテントで車内公開時以外は覆われていたが現在は撤去され、本線を通過するLSEと一瞬の競演もみることができる。
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秒速2635センチメートル

2016/03/16 00:00
すこし古びた駅のホームを緩やかに離れて田園地帯に出た115系電車は、MT54形モーターの唸りも高らかに北関東の平原を駆け抜けていく。足下からは、最近ではなかなか聞く機会のなくなった定尺レールのジョイント音が、軽快な三連符を奏でている。
時計の秒針を見ながら、その音を数えていく。1, 2, 3… 9秒間でおよそ9回、18秒で19回だから、速度は約95km/hというところか。運転席の速度計をのぞき見ると、針は確かに90と100のほぼ中間を指していた。

クハ115-1097

クハ115-1097

  • 両毛線 岩舟←大平下 2016-3
  • D7200, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO200

東北本線小山から上越線新前橋までを結ぶ両毛線は、文字通り上野(こうずけ:←上毛野) と下野(しもつけ:←下毛野) にまたがる地域「両毛」を走る。線籍は東北本線の支線でありながら、高崎・上越線との結びつきのほうが強いためか、営業上は小山方面ゆきを下りと案内している。
東北本線(宇都宮線) から115系が撤退してもう随分経つが、両毛線はじめ高崎地区ではいまだ健在、どころか全車とも緑にオレンジの国鉄湘南色をまとい、カーブや勾配の少ない線路をのびのびと走る姿がいまだ日常のものである。東京近郊区間の外周部にあたることから、手軽に旅行気分を味わうことのできる路線だ (107系や211系運転の列車もあるのでご注意)。

ところで18秒で19回から速度が95km/hだと、どうしてすぐわかるのか? 両毛線の運転速度は最高95km/hだが、当然ながらそういう根拠ではない。ということでその計算方法をひもといてみよう。
9秒間に8回 (ボギー台車2軸の通過を1回と扱う) のジョイント音が聞こえたとする。定尺レールの長さは25m。まれに20mのレールだったり、左右レールのジョイントを互い違いに配置する区間もあるけれど、基本的に8回聞こえたら25×8=200m進んだことになる。いっぽう、9秒は1時間 (60×60=3600秒) の400分の1であるから、その長さを1時間分に引き延ばすと200×400=80,000mとなり、時速80kmとなる。そして自明だが80は8の10倍だ。
10回聞こえたら9秒間に250m進むから、1時間で250×400=100,000mで100km/h、そして100=10×10。18秒で19回なら9秒では9.5回、9.5×10で95km/h…という具合に、9秒間に聞こえたジョイント音の数 n がわかれば、列車が約(n×10)km/hで走っているとわかるわけだ。9秒が1時間の400分の1で、25mが1kmの40分の1という比率の比がこの速算の肝になっている。(数理的解法の例)
ならば90秒間で何回聞こえたか数えれば、1の位まで出せるのでは…と思う向きもあろう。しかし高速域での微妙な加速や惰行、途中に挿入される短いレールなどを考慮すると、1分半かけて数えたところで大した精度になりはしない。9秒か、せいぜい倍の18秒にとどめておいたほうが無難である。

クモハ115-1029

クモハ115-1029

  • 上越線 後閑←沼田 2015-11
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO100

小山から4駅目の岩舟は、アニメ映画「秒速5センチメートル」の舞台になった。残り少ない運転となった〔カシオペア〕の帰着からつぎの出発までに、両毛線の115系を見に行こうと思いたった理由は、つい先日この作品を観たからにほかならない。緻密に描写された作品の世界をたどっていくと、逆に現実が作品の写し絵であるかのようにも感じられる。物語の主人公・貴樹が転校していった幼なじみの明里に再会しようと向かった岩舟駅は、その由来となった岩船山の麓にある。石材の採掘で削られ異様な姿となった山肌は、作品で描写されていた形とすこし違うのだが、山体の一部が2011年3月に崩落したためという。
雪のために宇都宮線が遅れ、貴樹がようやく乗れた小山20:15発の列車は大雪でさらに遅れを増し、岩舟までの19.3km (営業キロ) に2時間も要することになった。平均秒速 268センチメートル。
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風が吹いている

2015/07/07 00:00
高城町を出た仙石線の電車はトンネルを抜けると、水田を見下ろす築堤に出る。ほどよい高さにある線路と付近の景色は、103系を狙ったころと変わっていないようだ。
冷たい風が吹く中、いつものように線路に並行して構え、電車がやってくるのを待つ。右から205系のカラフルな電車があらわれた。「マンガッタンライナーII」だ。萬画の街、石巻は石ノ森章太郎の出身地で、氏の生み出したキャラクターを1両ごとにあしらったラッピング車両である。
仙台に戻ると、発車案内に〔スーパーひたち〕上野ゆきの文字が。夕方にもまだ早く、浜通りをたどる4時間の道のりにもすこし誘惑されたけれど、以前にも乗っているし…とあっさり東北新幹線に切り替えて2時間で東京に戻った。2011年2月のことだった。

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クハ204-3102

  • 仙石線 高城町→手樽 2011-2
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

震災で大きな被害を受けた仙石線が2015年5月30日、ついによみがえった。休止中だった高城町〜陸前小野間の運転を再開、あわせて東北本線と仙石線を連絡線で結んだ「仙石東北ライン」も正式に開業した (書類上はダイヤ改正日の3月14日に開業)。これは東北本線の松島駅近くで仙石線が近接する場所にわたり線を設けたもので、従来から保線用に線路がつながっていた (ただし向きが逆) のを活用、拡張して営業路線とした。分岐点は松島駅構内扱いで松島〜高城町間に0.3kmの営業キロが設定されるが、旅客は両駅を直接行き来することはできない。
連絡線を挟んで前者は交流電化、後者は直流電化だから交直セクションが設置……とはならず、渡り線は非電化のままで、通過する営業車両は同ライン開業に向け登場したハイブリッド気動車HB-E210系となる。キハE200HB-E300につづき回生電力吸収用バッテリを搭載した電気式気動車で、JR東日本ではすでに手堅い構成といってもいいかもしれない。同社は今後キハ40系列の置き換えとして純粋な電気式気動車の新製を計画している。
車両はE721・SAT721系と同様の3ドア式。しかし同系のような低床構造とはならず、新潟地区に投入されたE129系と似た車体で、屋上もバッテリなどがあるため残りは客室内に機器室として置かれている。山側に偏っているのは、塩害対策に海側の眺望・採光も意図したものだろう。気動車列車扱いなので列車番号は「D」、車内放送で「この電車…列車は、仙石東北ライン…」と言い直すのが印象に残った。

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HB-E212-4

  • 仙石線 高城町→手樽 2015-5
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO125

すこし高い位置にある線路のロケーションは幸いにも不変だった。風が吹き続ける中、電車や気動車の撮影に立った道路は海岸から最短約300mで、記録によればすぐ後ろまで浸水したらしい。ひととおり撮影して手樽に戻り、やってきた石巻ゆきは「マンガッタンライナー」初代編成である。以前は土休日の一部快速列車に固定されていたが、5月改正以降の快速は仙石東北ライン直通のみに設定され、電車はすべて各駅停車となった。ただ高城町から仙石東北→仙台方面へはあまり接続が良くないので、松島観光なら従来通り仙石線が速くて便利だ。
陸前富山から海岸線にさしかかると防波堤がかさ上げされ海は見えにくくなったが、つぎの陸前大塚からは景色が広がった。移設区間にある東名(とうな)、野蒜(のびる) 両駅の周囲はまだ区画のみ整備された状態で、丘の切れ目から見える海岸方向はまだ時が止まっているかのようだ。
吉田・鳴瀬川橋梁の手前で旧線と合流、この橋は2000年に河岸整備の一環および強風による運行支障で移設されていたものである。国鉄時代から仙石線の線路改良は、石巻線と別駅舎だった石巻駅の移転統合 (1990年)、仙台市中心部の地下化とあおば通延伸 (2000年)、多賀城付近の連続立体交差 (2012年完成)、と細かに行われてきた。

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クハ204-3108

  • 仙石線 高城町←手樽 2015-5
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO200

ひさしぶりに電車のマンガッタンライナーを迎えた石巻駅はにぎわっていた。不通区間の代行バス (松島海岸〜矢本間) とは別に三陸自動車道経由の直通路線バスが走り、都市間連絡を担っていたが、仙石線の全線再開により便数を減らすこととなった。またマンガッタンライナーは暫定的に石巻線キハ40へのラッピング車として運転していたが、こちらも本家にバトンを渡し、同線はキハ110系に車両置き換えとなっている。
駅移設により一足早く再開した石巻線の女川まで、そのキハ110で往復してから再び仙石線へ。仙石東北ライン快速は2両だとさすがに混雑していた。鳴瀬川の土手に上がると、移設区間の丘陵地から降りてくる電車・気動車が、陸前小野までずっと眺められる。河口に目をやると、海岸には松がまばらに並んでいる。風は変わらず吹き続けていた。
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MとSと

2015/06/16 00:00
「こんどの○番線の電車は、□時□分発、各駅停車△△ゆきです」
「こんどの○番線の列車は、□時□分発、普通△△ゆきです」

JR東日本、首都圏の駅で聞かれる自動放送の案内。前者は国電由来の運転区間で4ドアの通勤形車両が使われる路線、後者は近郊形とよばれる3ドアの車両が主に使われる路線でのものになる。E231・E233系が増殖して通勤路線と近郊路線の違いがほとんどなくなっている中で、この自動放送と電光掲示「電車/列車がきます」はいまだに旧来の区別が残されている。

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クハE217-43

  • 総武本線 佐倉←物井 2009-10
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

青とクリーム帯で走る横須賀線は「電車」と案内されるが、事実電車運転は1930年から運転され、近郊路線のはしりといえる。ロングシートとボックスシートを組み合わせた「セミクロスシート」を備える3扉の電車が「近郊形」とされ、国鉄の新性能電車では系列十位を"1"と規定した。先代の113系は近郊形電車の代表であり、E217系は近郊形でありながら初の4扉車として注目された。ほかの「電車」と異なり「普通」と呼ばれるのは、東京〜横浜間で停まらない(ホームそのものがない)駅があるからだろう。
ステンレス車の多くは地色との対比から鋼製車より明るめの色にするのが通例となっている。E217系はめずらしく同色調の帯としていたが、機器更新の際に藍に近い青15号から明るめの青に変更されている(上は更新前、下は更新後) 旧帯はどういうわけか青のかすれた車両をよく見かけたものだが、新帯では見なくなった気がする。

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サロE217-34

  • 総武本線 佐倉←物井 2009-10
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

路線としての横須賀線は大船〜久里浜間だが、系統としては大船から東海道線へ乗り入れている。以前は線路も東海道線と共用し、東京駅では湘南電車とならんで発着していたが、輸送力増強のため「SM分離」という線増事業が行われた。ここで"S"は横須賀線電車につく列車番号の記号、"M"は東海道線の記号のことをいう(一般的な電車列車の記号でもある)。
線増は東海道貨物線を活用して行われ、品川〜鶴見は東海道本線の支線の一つ「品鶴線」を、鶴見から大船までは本線に腹付の貨物線を転用した。いっぽう貨物列車には鶴見から東戸塚付近まで横浜羽沢を経由するバイパス路線が建設されている。東京〜品川間は地下線となり、錦糸町からおなじく地下で入ってきた総武本線と接続して相互直通しているが、貨物線の移転が遅れたため暫定で総武線が品川まで乗り入れていた(1976年〜)。一時的によく見られた「品川」ゆきの表示は、常磐線の車両でふたたびおなじみの姿となっている。

1980年に「列車」から分離して「電車」だけが来るようになった横須賀線の各駅だが、2001年湘南新宿ラインの運転開始で状況が変わった。接続する東海道・宇都宮・高崎線にあわせてか、湘南新宿ラインは横須賀線直通もふくめ「列車」と案内されるため、横須賀線電車との共用区間では案内が混在している。
武蔵小杉などのホームに立つと、横須賀線に対し「電車」と呼ぶ箇所すべてが湘南新宿ラインで「列車」に置き換わっていて、まじめに聞くほどおかしく思えてくるところだ。それで車内に入れば、湘南新宿ラインも「電車」であったりするのだが。湘南新宿ラインの定期列車に電車以外の車両があてられたことは、これまで一度もないはずだ。

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クハE233-3522

  • 東北本線 蓮田←東大宮 2014-6
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

「列車」扱いのまま残る東海道線も2015年改正で大きく変わった。上野東京ラインを通過する列車の記号は、特急列車と常磐線乗り入れが"M"になるほかは"E"である。Eはそれまで湘南新宿ラインの北行が使っていた記号で、南行は"Y"、上下を示す1の位はどちらも"0"という特殊な付番になっていた。今改正で湘南新宿ラインは両方向"Y"になり、南行きを奇数とするようになっている。
宇都宮・高崎線方面からは上野折り返し(地上ホーム)が若干残っているものの、東海道線からの普通列車はほとんどが上野へ直通するようになったため、"東京"ゆきと"M"の記号を目にする機会はかなり減っている。私自身も東京縦断するときのルートは上野東京ラインにシフト、それまで北方面から帰るのに利用していた湘南新宿ラインをまったく使わなくなってしまった。
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幻走

2015/04/01 00:00
2015年3月14日、上野東京ラインの開業が首都圏JR線の運行に大きな変化と影響を与えたのはご存じの通り。つづいて山手線では特徴的な顔面が話題をさらったE235系の先行製造車も登場。その山手線ではホームドアの整備が着実に進められているし、新駅開業を見据えた田町車両センター跡地の整備もはっきり確認できる。東京の鉄道風景は、これからさらに変化を遂げていくのだ。

サハE230-31

サハE230-31

  • 中央本線 飯田橋←市ヶ谷 2009-12
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO400

混雑を極めた東京首部の電車で、乗降のスムーズ化を狙って投入されたのが6扉車。一時はかなりの路線に浸透したものの、元祖の山手線はホームドア整備のため104両ものサハE230を総取り替え、京浜東北線はE233系の車体拡幅にくわえ上野東京ラインで混雑度が下がると見込まれて6扉車は設定されなかった。山手線からスライドしてきた埼京線も、やはりE233系に6扉は作られず、10連に最大3両の6扉車を連結する東急田園都市線でも、ホーム安全柵の整備を名目として6ドア車両の全廃が発表された。
現在、JR線で6扉が日常的に見られるのは中央・総武緩行線である。E231系0番台に各編成1両が組み込まれていたが、上野東京ラインの常磐線 (取手快速) を増強するため三鷹車両センターから松戸セに3編成を移籍させ、かわりにE231系500番台が10両転属(1両はE235系に改造編入)してきた。E235系の量産が本格化した場合は、さらなる転入で6ドアが押し出されそうな気配で、4扉車は転用するとしても、かつての切り札は幻の車両と消えゆく運命なのだろうか。

……という車両の写真がヘンなのは、撮影地の区間を見れば気づくかもしれないところだが、今年ははやくも満開を迎えた外堀のソメイヨシノ並木道からのショットである。花盛りを終えた木々は、すぐ葉がしげって「抜け」を悪くするから、こういったシーンを見られるのは冬場限定 (それだって毎年変わる枝振りによっては……) だし、下の水面もすこし風が吹いただけで波が立って鏡にならなくなるから、意外に難しい条件だったりする。

クハ200-129

クハ200-129

  • 中央本線 飯田橋←市ヶ谷 2009-12
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO400

快速線には、この時点ですっかり少数派になっていた201系の姿もあった。2段サッシの「田窓」や4ドア両脇の戸袋窓も、首都中心では幻になった車両要素のひとつ。そういえば戸袋窓の広告ステッカーの裏がJR西日本で青くなったのは、「グリーン車と間違う」と言われたからだという話もあったようななかったような (大阪近郊で普通列車グリーン車など、もう数十年連結されていないのだが?) 飯田橋駅も急カーブ上のホームを解消するためこの付近に構内が移設されることになっており、こんな光景が撮れるのもそう長くはなさそうだ。
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超快速! スノーラビット

2015/01/31 00:00
「特急列車と行き違いいたします……」
モーター音も高らかに単線トンネルの闇をひた走った直江津ゆき普通電車がスピードを落とし、複線になったところで脇にそれ停止した。北越急行ほくほく線の薬師峠信号場。前方遠くには外の明かりが漏れている。
後方で緑を灯す信号機にもうひとつ緑が加わると、前方には三つのヘッドライト。と、車内の気圧が一気に高まった。強烈な耳ツンと不気味な風切り音がピークに達した次の瞬間、窓の外を681系が高速で駆け抜けていった。
こうした普通電車と〔はくたか〕の離合が、ほくほく線では毎日頻繁に行われている。

HK100-6ーHK100-4 北越急行

HK100-6ーHK100-4

  • 北越急行 くびき→犀潟 2014-11
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO400

3月13日、北陸新幹線の金沢開業により、1997年以来東京〜北陸のメインルートに君臨してきた在来線最速の特急〔はくたか〕は、その名前を新幹線に託して使命を終える。160km/h運転を支えるGG現示(高速進行) 信号や縦6灯の中継信号、135km/hという速度制限標識(制限!) も、まもなく見納めになるだろう。
特急が消えた後のほくほく線新ダイヤは、普通列車がスピードアップされる。もともと走りの良い車両で交換待ちが減れば、所要時間が全体的に短くなるのは当然のこと。そして越後湯沢〜直江津間に1往復設定されるのが、「超快速」列車だ。従来も線内の快速列車は存在したが、途中停車を十日町のみと特急なみに絞った列車として、さらに上位の区分が与えられた。鉄道としては最初のはずだが、路線バスでは熊本と天草地区を結ぶ九州産交バスの速達便に、この種別が採用されている (1998年に廃止され2010年に復活)。
列車名は公募で〔スノーラビット〕に決まった。北越急行所有の681・683系につけられた愛称「SRE: スノーラビットエクスプレス」が受け継がれる。

JR西日本車と共通仕様の特急車に対し、普通列車に使用されるHK100形は同線オリジナル。両運転台車を基本的に2両連結して運転している。特急の運行を邪魔しないことと、単線トンネル内の空気抵抗に打ち勝つ必然性から、380kW/両の高出力で加減速度3.0km/h/s・最高速110km/hという、地方鉄道としては異例の高性能車だ。トンネル離合などでの安全面から窓は全固定である。
一般車はロング+ボックスのセミクロスシートで、イベント対応などに使用される4両 (8, 9, 101, 102) は転換クロスシート車両「ゆめぞら」。天井投影式のプロジェクターを装備しており、長大トンネルの中で映像と音楽を流すイベントが行われる。それ以外の普通列車にもイベントなしで使用されるので乗り得といえる。「ゆめぞら」のカラーリングはご覧の通り特急車に準じたもので、設備的にも超快速にこれら4両が充当されるのだろう。

HK100-102−HK100-101 北越急行

HK100-102−HK100-101

  • 北越急行 犀潟→くびき 2014-11
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO400

人家もまばらな山の中にあるモグラ駅、美佐島(みさしま)。同駅の特急通過は動画サイトなどでもよく知られるところになったが、自動放送に「絶対にホームに出ないでください」と言われるまでもなく、待合室の先は分厚い扉で完全に封鎖されていて、普通電車が到着し運転士がリモコン操作をしないとホームに出ることができない。しかもそのとき外へ通じる階段との扉はロックされるから、電車到着までに待合室に入っていないと乗り遅れるので注意が必要だ。特急通過はなくなるけれど、快速と超快速は残るので、この厳重な設備は引き続き活用される。
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レアコレ!

2014/08/24 00:00
首都圏のJR線におなじみの顔となったE233系。今年初めから投入してきた横浜線(6000番台)が205系の置き換えを完了、つづいて南武線8000番台も落成し10月から営業開始することになっている。
一気呵成の集中増備という点はE231系と同じ様相だが、E233系の車号は投入線区ごとで番台区分され、編成内でもきれいに下2桁が揃えられている。路線ごとに1000番飛びの車号を使っていく中で4000だけが空欄となっており、E231系500番台の投入から償却期間の13年が経ち世代交代も視野に入る山手線が使用するのかとも思われた。しかし同線にはシステムとデザインをさらに刷新したE235系の投入 (新造10両とサハE231-4600から改造1両) が決定し、E233系の増備は現時点では合計3,172両で打ち止め、総製造数は惜しくも103系に届かないことになった。

同一形式同一番台で100両を超えるものは1つもないが、規模が規模だけに各区分の在籍数も自然と多くなる (最大は京浜東北線の83)。そんな大所帯の中にも「レアもの」と呼ぶべき少数在籍車が混じっていたりするのは興味深いところ。先日このE233系を全番台区分撮ったのだが (その数横浜線までで82種!)、となると在籍の少ない番台をどう集めるかが課題といえた。ここではその「E233これくしょん」から、希少車トップ3をながめてみたい。

クハE233-5503

クハE233-5503

  • 外房線 長者町→太東 2014-5
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G VR ED, ISO160

第3位は京葉線5000番台。クハE233・E232形5500番台、モハE233・232形5600番台がそれぞれ4両ずつである。
東京〜蘇我間を運転する赤帯の電車は、朝夕の通勤快速として内房線・外房線へ直通、昼間に外房線へ快速が直通 (蘇我〜上総一ノ宮間は各駅停車) する。なかでも朝と夜に1本ずつ、大網(おおあみ) から東金(とうがね) 線を通って総武本線の成東(なるとう) まで乗り入れる列車は4両編成で、外房線の6両と分割併合運転するのが特徴。この東金運用は京葉線の全通から設定され、かつての103系や201系に6-4分割編成が残っていたのはこれに充当するためだった。したがってE233系化の際にも24編成中4編成が分割対応で製造されている。10両にした時の両端クハと6連のモハは10連からの連番。

モハE233-5603

モハE233-5603

  • 東金線 大網←福俵 2014-5
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G VR ED, ISO160


ふだんは10連といっしょに京葉線で動いてはいるものの、同区間は高架ばかりで撮影に適さない。実質撮れるのは朝の東京ゆき1本が京葉線に入るまでしかなく、圏央道を通って早朝の外房へ。ここで勝浦を始発とする6両編成を狙ってから、東金線へ向かう。外房線と東金線の接続する大網はホームの位置が離れているため、分割併合はふたつ東京寄りの誉田(ほんだ) で行われる。
外房線編成は上総一ノ宮で長めに停車しているから、その間に東金線側へまわりこめると踏んで九十九里浜をショートカットしたが、タイミング的にはぎりぎり。果たして撮影ポイントに到着したと思う間もなく電車が通過した。早暁にこっちのロケハンをしておいたのが功を奏したが、あとで調べなおせば東京ゆきになる前に大網発成東ゆきが運転されていることに気づいたり。

第2位は東海道線、湘南帯の3000番台に。同番台は近郊タイプということで唯一編成内にトイレを装備するが、レア車はそれに関係してできたものだ。
国鉄末期から活躍した211系電車の普通車トイレは、田町区(電車区)→田町セ(車両センター) 配置車では1・11号車クハ210と10号車クハ211に、新前橋区→高崎セ配置車は5両編成の上野方クハ210 (1・6・11号車相当) に設置された。このトイレ位置はE231系 (小山セと国府津セに配置) でも踏襲され、湘南新宿ラインと宇都宮・高崎線では国府津車・小山車が混在するので、列車によってトイレの場所が違うという状況になっていた。

モハE232-3201

モハE232-3201

  • 国府津車両センター→国府津 2008-4
  • D200, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO100

E233系3000番台自体は、いったん国府津セへ転属してきたE217系3編成が機器更新の都合で2編成鎌倉セに戻るので、代替として製造された2編成が最初である。これは他の東海道線車とおなじく普通車トイレを1・10号車に設けたが、その後211系置き換えで再度増備を開始したとき、6・10号車の両方にトイレを設置することになった。
もともと6号車に連結されていたのはモハE232-3000で、サービス電源用の静止型インバータ(SIV) と空気圧縮機(CP) が床下に搭載されている。ここにトイレ用の水タンクを追加するスペースがないので、新編成ではこれを8号車へと移動し、6号車にはCPとトイレ設備を搭載した新区分の3800番台を挿入した。このとき車号を揃えるため3801, 3802は欠番となり、あわせて予備パンタを屋上に置くモハE233-3000の連結位置も、7号車から3号車へ変更されている。これら組み換えの結果、もともと8号車に連結されていた3200番台(CPのみ搭載) が押し出されてしまい、同区分が2両にとどまることになった。

モハE232-3828

モハE232-3828

  • 高崎線 熊谷(タ)←籠原 2013-5
  • D7100, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO160

第1位は、2位が2両だから当然かもしれないが、たった1両、しかもいちばんの大所帯である1000番台に……。ただしこの車両は番台区分ではない。
JR東日本では、総合検測車 East i-E(E491系)と -D(キヤE193系)の2編成が管轄在来線のほぼすべてを巡回し、軌道や電気設備のチェックを定期的に行っている。この測定の一部を営業列車に搭載すれば日常的に軌道の測定が可能になるとして、2013年から京浜東北線車両の1両に「線路設備モニタリング装置」が搭載され、営業運転士ながら実測を行っている。

サハE233-1255

サハE233-1255

  • 東海道本線 新子安→東神奈川 2014-5
  • D700, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO400

線路設備モニタリング装置とは、軌道材料モニタリング装置と軌道変位検測装置を組み合わせた装置で、営業列車で走行中に軌道のデータを採取記録する。測定中はLEDライトとレーザ光で軌道を照射するので、荒天時には床下で怪しげな光を放つ姿が見られるとか。
で、その1両というのがサハE233-1209、浦和セ所属 ウラ109編成の9号車 (大宮方から2両目)に連結されている。先に記したが京浜東北線の車両は83編成、よそへは行かないといっても大船〜大宮間は81kmもあるわけで、これを押さえるには運用を念入りに調べるか早朝から沿線に張り付いてくるのを待つしかなさそうだが……
そんな車両をとらえられたのは、横浜線6000番台と一緒に東神奈川付近で撮影している時に、たまたま北上する109編成を見つけたからだった。電車は赤羽ゆき、これなら確実に戻ってくるはず (南浦和行きだと入庫される可能性も)。駅にいったん戻り、小休止してから再度捕獲地点へ。しかしこの場所、横須賀線(湘南新宿ライン)、東海道線、京浜東北線北行、横浜線という線路配置の向こうにようやく京浜東北線南行という場所だから、どれかひとつでも電車が来ればアウトである。

サハE233-1209

サハE233-1209

  • 東海道本線 新子安→東神奈川 2014-5
  • D700, AF Nikkor 50mm F1.4D, ISO400

頻繁にさえぎる列車群の間隙を縫って通過した南行電車の9号車は、見比べればたしかに機器の配置が異なる。といってもホーム上をはじめふだん見る範囲ではほかの号車、残りの編成とまったく変わりがない。いまでは「ドクターイエロー」とか「イーストアイ」の名を知る人の数も相当増えたとは思うが、同車にたまたま乗った人は床下でそれに似たような動きをしているとは、まず思わないだろう。
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Asu Narow as Narrow

2014/06/21 00:00
観光特急〔しまかぜ〕を筆頭に一日中特急列車が行き交う近鉄名古屋線の中核駅、近鉄四日市。敷設当初国鉄(JR)四日市駅に立ち寄っていた線路を敷きなおして開設された同駅は、いまでは三重県を代表する中心駅になっている。
その線路の下、高架駅改札から少し離れた場所にもうひとつの近鉄四日市駅、内部・八王子線のりばがある。内部(うつべ) までの内部線と、2つ先の日永(ひなが) から分岐して西日野(にしひの) に至る八王子線は、三重軌道による敷設で軌間は762mm。名古屋線の標準軌1,435mmの約半分しかない線路を走る電車はやはりミニサイズ。軽便とかナロー(ゲージ) と呼ばれる特殊狭軌で現在旅客営業するのは、同2線と三岐鉄道北勢線 (2007年3月まで近鉄) そして黒部峡谷鉄道のみだ。

ク161 近鉄

ク161

  • 近鉄八王子線 西日野←日永 2013-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

同駅から分岐する湯の山線は内部・八王子線と直通するナロー路線であったが1964年に標準軌化され、北勢線も三岐に譲渡されたので、近鉄ナローは内部・八王子線だけになっていた。しかし近年になって両路線の存廃問題が浮上、2012年には近鉄から鉄道を廃止して路盤をBRT(バス高速輸送) 軌道に転用する方針が示された。赤字が続いていたことと、軌道はじめ車体や機器類がすべて特殊構造であるためのコスト問題、車両 (非冷房) や施設の更新時期が迫ってきていたことが理由とされる。
地元では鉄道存続の要請が強かったが近鉄の姿勢が変化せず、タイムリミットが近づいていたが、最終的に四日市市が車両と施設を譲り受け (第三種鉄道事業)、近鉄と自治体等が出資する新会社「四日市あすなろう鉄道」が第二種鉄道事業として2015年春から営業することになった。これで近鉄鉄道線の軌間は2種に減り、いっぽう新会社は筑豊電気鉄道(福岡) から「つりかけ駆動電車のみが走る鉄道」の称号を譲り受ける (筑鉄は新型低床車導入が予定されている)。

モ261 近鉄

モ261

  • 近鉄八王子線 西日野→日永 2013-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

八王子線は日永から一駅で終点西日野に着いてしまうのだが、その駅間にやや開けた水田を見つけた。待つことしばし、3両をパステル調3色に塗り分けた電車がやってきた。小型車体―といっても全長15mは軽便としては破格の大きさ―にはパンタグラフがいっそう大きく見えるが、踏切を横断する自動車の車両高さに配慮すると、パンタグラフは一般の鉄道よりも高く上げる必要がある。
四日市側 (画面右手) が動力車モ260、反対側がク160またはク110のペアで、室内は運転台方向に一人がけシートが並ぶ路線バスの雰囲気。3両編成は中間にさらに小型のサ120形が加わる (ク110とサはロングシート)。往時は各地の軽便がそうであったように、動力車1両が小さなトレーラー(客車) 数両を牽引し、折返し駅で「機回し」を行っていた。
現在真ん中に挟まっているサ120も、かつては動力車モニ220として客車を引っ張る役だった。カラーブックス「日本の私鉄 近鉄」には、単行で走る改造前(モニ227) の写真が載っている。前後不均衡な扉は写真右側に荷物室を置いていたためで、かつて地方私鉄でも荷物輸送が行われていた名残を示す。窓上下のリブ、ウィンドウシルとヘッダーのある古典的な車体は、いまや地方の私鉄でさえもほとんど見ることのない貴重品になった。同形の1両モニ226は、北勢線阿下喜駅に移送され復元保存されている。

サ121 近鉄

サ121

  • 近鉄八王子線 西日野←日永 2013-6
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

たった一駅だけの路線が八王子を名乗っているのは、この路線は以前その先の伊勢八王子まで伸びていたことに由来する。内部線より敷設は早かったのだが、1974年の水害によって休止、1976年に西日野駅を日永寄りに移設し運行再開したのと同時に廃止された。
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電車がきます

2014/06/07 00:00
宇都宮から東北本線で2駅、宝積寺(ほうしゃくじ) から分岐し烏山(からすやま) まで走る烏山線は、関東でも残り少ない非電化路線。宝積寺や大金(おおがね) といった縁起の良い駅名もあり、線内7駅と同線を走るキハ40 1000番台(8両)には七尊のシンボルマークが掲げられている。
これまで全列車の番号が気動車を示す"D"だった同線に、今般2014年3月改正では"M"の列車番号が登場した。"M"は電車を示す列車番号のひとつ、架線のない路線に電車は来るのか? その答えは、同線でデビューした新型車両“ACCUM(アキュム)”にある。

電車もときには自走できない区間へ乗り入れる。山陽時代の151系〔つばめ〕がEF30・ED73牽引で交流電化の九州へ足を延ばしたのは有名だし、80系電車の準急〔草津〕は当時非電化だった長野原線(→吾妻線) へC11あるいはC58の牽引で乗り入れていた。必要になる照明・空調の電源は、連結器の違いを吸収する控(ひかえ)車などから供給される。485系和式電車「リゾートエクスプレスゆう」は俗に「ゆうマニ」と呼ばれるマニ50を連結して水郡線などに乗り入れ、また同系カーペット車両「NO・DO・KA」やE655系ハイグレード車両「和(なごみ)」は編成内にディーゼル発電機を装備し、直接機関車に牽引される。いずれも当該区間では「客車列車」扱いとなる。
ACCUM最大の特徴は、架線なしでも自走可能なことだ。電化区間では架線電力で走行と同時に床下のバッテリーを充電し、非電化区間では電池を使用、終点の駅でふたたび充電する。このように最小限の電気設備でローカル線の「電化」が可能となることが、蓄電池方式の利点といえる。
構内入換や鉱山などでバッテリーロコを使用する例はあるものの、動力とサービス電源を長時間供給するには相当な容量の電池が必要になる。小型軽量で大容量、急速充電可能で高効率のリチウムイオン充電池の進化によって、はじめて本格的な蓄電池車の運用が可能となったのだ。なおACCUMの愛称は、蓄えるという意味の英単語 accumulate から取られたものである。

キハ40 1007−キハ40

キハ40 1007−キハ40 1004

  • 烏山線 下野花岡←宝積寺 2014-4
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

烏山線の列車は、大半が東北本線に乗り入れ宇都宮まで直通する。電化・非電化区間とも適当な距離があることから蓄電池車のテスト路線に選ばれ、烏山駅構内に配電設備を建設して試験車両クモヤE995-1「スマート電池くん」による実地試験が行われた。ちなみに同車はディーゼルハイブリッド試験車として登場し、いったん除籍後燃料電池駆動試験車にもなっていた。
この結果を基に実用車両第一弾として登場したACCUMの正式名称はEV-E301系、EVはクルマではElectric VehicleであるがこちらはEnergy storage Vehicle (車体ロゴはEnergy Accumulating Vehicle)。EV-E301, E300の両形式とも片方の台車にモーターを架装し、国鉄式の標記では「クモハ」にあたる。現在は2両編成1本だが、将来は烏山線の全列車を同系に置き換える計画という。

ACCUMの運転は一日3往復 (1往復は線内折り返し)、時刻表では前述の通り列車番号の"M"で判別可能だ。まずは乗ってみようと、上越線からE7系(これも試乗)→E5系のリレーで宇都宮へ。LED式発車案内にも「ACCUM」の文字が表示されていた。
待つことしばし、宝積寺方からACCUMが到着。架線下でパンタをかざした車両は何の変哲もないローカル電車である。ACCUMは総合車両製作所(J-TREC) が製造する新型ステンレス車体“sustina(サスティナ) ”第二弾だ。第一弾である東急サハ5576のようなアルミ合金製車体そっくりのフラット外板でなく、外見はこれまでのステンレス車と変わっていない。車内の雰囲気はいまどきのJR東日本車に共通のもので、3扉ロングシートでトイレはない。
やがて時刻となり、おもむろに起動したACCUMは宝積寺まで架線集電で走る。烏山線のりばへ転線すると、運転台に「強化架線区間に入ります。」と自動音声が流れた。同駅では烏山線内折り返し列車が急速充電を行うため、ACCUMが停車する位置だけパンタと触れる架線 (トロリ線) を太くして、電流容量を増加させているのだ (パンタ2基を使うのも充電電流確保のためである)。いっぽう終点の烏山では、地下鉄などでよく使われる鋼体架線が急速充電をサポートする。
停車すると運転士は電源を架線からバッテリーに切り替えるが、客室内でそれがわかるのは車端部に設置されているエネルギーモニタの表示内容くらい。続いてパンタグラフを降下させ、2分停車ののち発車。右にカーブを切り東北本線と別れると「稲妻マーク」架線終端標識を通り抜け、電車は青空の下を走りだした。
検査時にはキハ40で代走することになるため運転速度は変わっておらず、ACCUMはゆったりとジョイント音を刻んでゆく。ワンマン運転となり、途中駅では運転台直後しか内側から開かないので戸惑う地元客もいるが、それで発車が少し遅れてもすぐ取り返せそうだ。上りと交換する大金の手前、鴻野山(こうのやま) で試乗を終え、首都圏色 (キハ40 1004: 大黒天) と旧標準色 (1007: 寿老人) のペアで来た道を戻る。

EV-E301-1−EV-E300-1

EV-E301-1−EV-E300-1

  • 烏山線 下野花岡→宝積寺 2014-4
  • D7100, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

宝積寺から徒歩20分、築堤にかかる直線区間にカメラを据える。春の西日が線路北側へ回り込んできた。さきほどのキハ40が烏山へ向かうのを撮ってさらに待つこと40分、左手からACCUMが現れた。
屋上パンタグラフ・スリ板のホーンや床下のリチウムイオン蓄電池のプレートを含め、緑色を基調とする車両の中で両開き扉の中央が黄色く目立つ。最近の車両は視覚バリアフリーの目的で扉内側に黄色いテープを貼っているが、ACCUMでは戸当てゴム自体を黄色くしているのだった。屋上のパンタグラフが降りているのに何食わぬ顔で走っていく電車はどこかヘンだが、ローカル線の新たな近代化策として、やがてふだんの風景になるのだろうか。
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Chop!

2014/04/26 00:00
ある日の夕方、京王相模原線。到着した東京都交通局 (都営地下鉄)新宿線10-300R形 (←10-000形) のパンタグラフがついた中間車に乗り込むと、ドアが閉まりブレーキの緩む音ののち、床下から「ブィー」という音が聞こえ出した。サイリスタチョッパ制御器の作動する音がいまや懐かしい。都内ではチョッパ制御で走る電車もすっかり少なくなった。

10-311 東京都交通局

10-311

  • 京王相模原線 京王永山←若葉台 2009-3
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO500

チョッパ(chopper) とは原語chopの「切り刻む」という意味の通り、直流電流を超高速 (400〜2000Hz程度) で切り刻む装置で、サイリスタやパワートランジスタ等の半導体で構成される。直流電動機の回転をサイリスタチョッパ装置で制御する車両がチョッパ制御車で、電機子(回転部)に流す電圧電流を調整し、おもに始動時に作用する「電機子チョッパ」と、界磁(回転部の周りを囲む磁界)電流を調整し高速域で効力のある「界磁チョッパ」に大別される。
前者の代表が帝都高速度交通営団(営団地下鉄: 現東京メトロ)千代田線の6000系、後者は東急8000系を筆頭に大手私鉄で採用例が多く見られたが、動作音も特徴的な前者が通常チョッパ車と称される。国鉄では電機子チョッパを201系・203系電車とEF67に採用した。

8108 東京メトロ

8108

  • 東武伊勢崎線 久喜←和戸 2009-3
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO200

乾電池とつなげばすぐ最高速で回転する小型モーターと違い、電車のような大出力電動機にいきなり高圧・大電流をかけることはできない。一般に電動機の起動には、許容される電流を越えないようにモーターにかかる電圧を上げていく必要がある。
抵抗制御は架線からとりこんだ電圧を直列につないだ抵抗器に負担させることで、電動機電流を許容電流以下にする方式である。単純明快だが、抵抗器が消費した電力は熱になって消える。これに対しチョッパ制御は電流の取り込み自体をスイッチでこまかく入・切し、必要な電力だけを取り込むことが可能だ。機械的なスイッチやリレーを数百Hzで動かすことは無理な注文で、電子的に瞬時にオン・オフが可能な半導体あってこその制御方式である。
6000系以降営団は電機子チョッパ制御を標準とし、界磁電流も制御できるAVFチョッパを有楽町線7000系、半蔵門線8000系に、界磁チョッパと統合した高周波分巻チョッパを銀座線01系で採用。一時は在籍車両の大半がチョッパ車であった。
学校の遠足で東急田園都市線の電車に乗ったある日、来たのが営団8000系だったわけだが、たまたまチョッパ制御器の近くにいたらしく、「ぷぅー」という妙な音がするだけでするする加速し「ぷぅー」と一定音で減速もする電車にはカルチャーショックを受けたものだ。それ以前に乗る鉄道といえば福岡市地下鉄直通前(非電化時代)の筑肥線ディーゼルカー、たまに西鉄電車か国鉄423系だったから。

8408 東京メトロ

8408

  • 東武伊勢崎線 久喜←和戸 2009-3
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO200

チョッパ制御の目的は、抵抗器をなくすことにより保守の省力化が可能なこと、電流を連続的に制御できることから粘着性能が高いこと(EF67はこのメリットを見込んだ)、そして抵抗器からの熱放散を抑えることにある。
抵抗制御車はブレーキをかけるときにモーターを発電機として利用し、その抵抗をブレーキ力として使用する発電ブレーキが主流である。しかしこのときせっかく作った電力も、抵抗器を通したら熱になるだけだ。とくに狭いトンネルで加減速を頻繁に行う地下鉄で、この発電ブレーキ抵抗熱による蓄熱が深刻になっていた。日照がなく地下水もあってほんらい涼しいはずの地下が、地下水位の低下や増発・増結でトンネルの自然冷却が全く追いつかなくなっていた。
電機子チョッパ車はブレーキ時に発生する電力もチョッパに通し、架線供給電圧より高くして電力を架線側に戻す「電力回生ブレーキ」を使用できる (界磁チョッパの回生制御は方法が異なる)。電力効率の良さはもちろん、抵抗で熱になっていたエネルギーをほかで加速中の車両に再利用できることが「省エネ車両」とよばれるゆえんだ (国鉄201系の試作車は「省エネ電車」と宣伝された)。
営団がチョッパ制御の6000系試作車を製造したのが1968年のこと、ただし国内で最初にチョッパ制御車を就役させたのは同年に登場した阪神7001形、これは加速のみにチョッパ制御を用いた試作車だった。試作車の試験を経て営団は6000系の量産を1971年に開始、以降 電機子チョッパ制御は地方都市でも建設が進んだ地下鉄での主流となっていった。

01-111 東京メトロ

01-111

  • 東京メトロ銀座線 渋谷←表参道 2011-8
  • D700, AF-S VR-Nikkor ED 70-300mm F4.5-5.6G, ISO250

1980年代に入るとVVVFインバータ制御の実用化がはじまる。半導体制御の進化系であるがモーターも無接点駆動の交流になった。大型直流モーターに必須の保守部品、整流ブラシが不要という点は保守コストの面でも大いにメリットがある (コストとは関連しないが、2011年3月に発生したJR西日本の電車間引き騒動は、ブラシ製造拠点の震災被害で供給が停止し、備品が底をつくおそれが生じたことによる)。このため大手私鉄は一気にVVVFへシフト、国鉄も界磁添加励磁制御から民営化後順番にVVVFを採用していく。
最後までチョッパにこだわった営団も南北線9000系でついにVVVFに転向、現在東京メトロでは経年の進んだ6000・7000系の廃車と並行して継続使用車のVVVF化を進めている。同じくこだわったトンネル冷房も直通区間つまり地上路線でサービスが大きく見劣りするため、地下鉄から抵抗制御車が一掃されたこともあって車両冷房式に切り替えられた。
チョッパ制御で製造された最後の車両は京都市交通局10系(京都市地下鉄烏丸線) と、この都営新宿線10-000系の最終増備車である。後者は軽量ステンレスの採用と前面デザインのマイナーチェンジを受けて印象も変わった。なお一番上、右に見える車両の形が異なるのは先頭車だけ後継10-300形デザインの車両で置き換えたためである。

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タイトル 日 時
関西鉄優競演
関西鉄優競演 SL急行〔かわね路〕蒸気機関車の動態保存で知られる大井川鐵道だが、一般の旅客列車も各地の私鉄から譲り受けた雑多な車両が走る「動く鉄道博物館」の元祖といえるものだ。かつては金谷駅構内で東海道本線とレールがつながり、国鉄111・113系電車が乗り入れたこともあるし、かなり特殊な例では小田急SE車(SSE)を運行したこともある。 現在の電車は南海からの21001系、近鉄からの16000系、そして京阪からの3000系で (いずれも原番号)、紅葉などハイシーズンに臨時急行電車が運転されるほかは普通(各駅... ...続きを見る

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2014/02/08 00:00
つどい2014
つどい2014 謹んで新年のご挨拶を申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いします。 ...続きを見る

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2014/01/01 00:00
たそがれて
たそがれて 冬も近いある晴れた午後、田園都市線から長津田で2両編成の電車に乗り換える。電車は発車すぐに急カーブを曲がって、こどもの国へ向かう。傾いた日の光にステンレスの車体は黄金色に光り出した。 横浜市北部の丘陵地にひろがる自然公園、こどもの国。1965年に開園した同園の前身は旧日本軍の弾薬庫(戦後米軍接収)で、国鉄長津田駅から引き込み線が伸びていた。東急こどもの国線はその引込線を一部転用し、アクセス路線として1967年に開業した。路線は同園を運営する特殊法人(→社会福祉法人) こどもの国協会が施設を保有... ...続きを見る

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2013/12/28 09:00
田窓:ウィンドウズ
田窓:ウィンドウズ 富士急行の看板列車である2000系「フジサン特急」。奇想天外なデザインで知られる車両のうち1編成が、11月末に種車「パノラマエクスプレス・アルプス(PEA)」塗装になった。これは同社が小田急電鉄から2013年に引退した〔あさぎり〕20000形RSE1編成を譲り受け、新特急車として来夏デビューさせるのに伴い、2000系の1編成が2月に引退することを受けてのリバイバルである。 カウントダウンではあるものの、撮る機会のなかったカラーの復活。撮影場所では展望車(もとクロ165)が右向きになるのが引っか... ...続きを見る

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2013/12/21 00:00
スラッシュ&ストライプ
スラッシュ&ストライプ 1982年ごろ。東京から乗った山手線電車を新橋で降り、東海道線のホームに向かった。東海道本線・田町〜品川間には、東京機関区・品川客車区そして田町電車区を擁する広大な敷地がひろがる。国電はその西側を行くのだが、東海道新幹線と東海道線下り列車のみが東側を通る。いつも利用は国電ばかりだったから、一度は反対側から基地を眺めてみたかったのだと思う。 到着を待っていると駅員が、「こんどの普通列車○○ゆきは10両編成でまいります……」えっ、10両? いま10両など珍しくもないが、113系時代の「湘南電車」は... ...続きを見る

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2013/09/28 00:00
ななつくし
ななつくし いま「7」のつく話題の車両といえば、北陸新幹線延伸にむけ製造中のE7・W7系、そしてつい先日全貌があらわになった「ななつ星in九州」JR九州DF200-7000と77形客車だろうか。この時代に「イ」(旧一等車の称号)が出てくるとは思わなかったが、同社のこの列車にかける意気込みも垣間見えるものだ。それらは営業を開始してからということで、ここでは近場の「7」に着目してみたい。 7000系は京王線(1,372mm軌間路線の総称)における旧型車の置き換えを目的に、5両編成で登場した各駅停車向けの車両だ... ...続きを見る

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2013/09/17 00:00
開店! おぃしい広島
開店! おぃしい広島 2011年10月、「うどん県」という衝撃的な広告で世間の注目を集めた香川県。ことでんも「ぞぞー」と応援しているが、これに対抗して(?) 翌年3月、「おしい! 広島県」という一見自虐とも取れるキャッチフレーズでアピールをはじめたのが広島県だ。一部の名勝を除くとなかなか知られていない広島の隠れた名産・魅力をアピールする狙いだが、「おしいはおいしいの一歩手前」という意味も込められているという。 それが功を奏したかどうか、2013年夏季のデスティネーションキャンペーン(DC)は広島である。「せとうち広... ...続きを見る

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2013/08/31 00:00
ぞぞーとすするはなし
ぞぞーとすするはなし 岡山を発車した快速〔マリンライナー〕は1時間弱で終着「さぬき高松うどん駅」(高松)へ。うどん県の玄関口を出ると正面に玉藻(たまも) 城とも呼ばれる高松城址があり、その堀 端にある高松築港駅から「ことでん」高松琴平電気鉄道の電車が出発する。高松築港〜琴電琴平の琴平線、瓦町〜長尾の長尾線、瓦町〜琴電志度(しど) の志度線という3路線を営業し、15〜30分間隔で走る電車は地域の気軽な足となっている。 ...続きを見る

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2013/08/10 00:00
山スカ・浜スカ
山スカ・浜スカ 富士山と並んで世界文化遺産への推薦・登録を目指すも、最終的に推薦を断念することになってしまった鎌倉。しかし古都の魅力に変わりがあるわけではなく、となりの江ノ島も含めて首都近郊の気軽な観光地として行楽客を集めている。 その鎌倉には、古くから臨時・団体列車が多数設定されてきた。正月の鶴岡八幡宮初詣向け団体列車は成田山・高尾山と並び初詣臨として広く知られるが、春〜秋にもレジャー列車が関東各地から乗り込んでくる。そのひとつが南越谷〜鎌倉間の〔ホリデー快速鎌倉〕。ふだん旅客列車の走らない武蔵野貨物線を通... ...続きを見る

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2013/07/21 00:00
ハチロクとロクハチ
ハチロクとロクハチ 「ハチロク」……といったら、鉄道的には蒸気機関車58654号機の形式8620、クルマ的にはトヨタ自動車が富士重工と共同開発したスポーツカー(86/BRZ) と、その礎とされるモデル(AE86) だろうが、コンピュータ的にはインテル8086プロセッサも連想されるところ。「はちまるはちろく? ナニソレ!?」と頭に疑問符をつけたあなたの目の前にあるパソコンにも、ハチロクは入っているのです (タブレットの場合は違うことがあります)。「インテル入ってる。」なWindowsパソコン、そして現在のiMacやM... ...続きを見る

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2013/07/13 00:00
抹茶とカフェオレ
抹茶とカフェオレ 単一塗色化がすすむJR西日本の国鉄形車両。岡山・広島支社の濃黄色は範囲の広さもあって、どこまで行っても変わりばえのしない光景になりつつある。いっぽう京都支社 (京都・滋賀地区) の統一色は緑、通称「抹茶色」。抹茶といえば宇治、その宇治は奈良線が通っているのだが、ここの103系は「うぐいす色」(黄緑)を保つ、というところがなんとも……。 ...続きを見る

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2013/06/26 00:00
EDO MURASAKI EXPRESS
EDO MURASAKI EXPRESS 東京スカイツリーのオープンからまもなく1年。展望台と足下の東京ソラマチをあわせたスカイツリータウンは、すっかり東京の新名所として定着した感がある。本来の(?)目的である電波塔機能についても、東京タワーからの地上デジタル放送送信移管に向けた試験放送を実施中。地デジ整備がかなり遅かった自宅だが、スカイツリーの受信に問題はなさそうだ。 ...続きを見る

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2013/05/19 00:00
10000000000
10000000000 「この世には10種類の人間しかいない。二進数を理解する人間と理解しない人間だ」……およそコンピューターというものは0と1の組み合わせ、つまり二進法(binary: バイナリー)で動いており、それを私たちが容易に理解できる文字や数字、音楽・画像・映像へ、これまた二進法の計算で変換しているのだ。この0と1で表せるデータ量をビット(bit)と呼び、1ビット増えるごとに区別できる数はそれまでの2倍に増え、つまりnビットは2のn乗 (2n)を数えられる。 ...続きを見る

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2013/05/12 00:00
富嶽電景
富嶽電景 日本の最高峰にして象徴でもある富士山。その富士山と周辺地域が、ユネスコ世界文化遺産へ登録されることが確実になった。(追記: 6月22日に登録が決定) 孤高の山としてどこから見ても秀峰に見える富岳だが、鉄道と合わせた風景の代表格はなんといっても表富士側の東海道新幹線であろう。いっぽう富士登山の拠点として古くから栄えた山梨県側の吉田口は、裾にひろがる富士五湖とあわせて観光地を形成している。 富士急行線は中央本線の大月から河口湖までを結ぶ路線で、大月線と河口湖線が一体で運転され、馬車鉄道も起源とす... ...続きを見る

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2013/05/04 00:00
みすずかる
みすずかる 信濃国を代表する山の一つ、浅間山の麓にひろがる避暑地・スキー場、今ではショッピングモールでも知られる軽井沢。麓の横川から急勾配で一気に登ってきた信越本線の碓氷峠、通称「ヨコカル」が廃止されてから15年になる。その理由は整備新幹線として建設された北陸新幹線(長野新幹線) の開業による並行在来線の経営分離で、軽井沢〜篠ノ井間は第三セクターの しなの鉄道に引き継がれた。 電車はJR東日本から近郊形115系1000番台と急行形169系を譲り受け、車号もそのままに軽井沢〜長野間で運用されている。JRの1... ...続きを見る

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2013/04/27 00:00
外濠春色
外濠春色 お堀端に「スーパーあずさ」が帰ってきた。〔スーパーあずさ〕は現在E257系で運転する〔あずさ〕の速達版として、専用車E351系で新宿〜松本間を運転する。一時中断していた東京乗り入れだが、2013年3月改正で〔スーパーあずさ10号〕がふたたび東京まで顔を出すようになった。2008年から〔中央ライナー〕の下り1本がE351系になったので車両自体の乗り入れは復活していたが、夜間帯の運転では走行撮影は無理だった。 ...続きを見る

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2013/04/08 00:00
くるまがまるく
くるまがまるく 3月のダイヤ改正では、北近畿地区の特急〔こうのとり〕等で運用されてきたJR西日本の特急電車「183系」が引退となる。カッコつきで書いたのは、この183系(800番台)と本来の183(189)系は違う系列で、西日本のそれは485系から交直変換機器を撤去し直流専用車へ改造したものだ。 同地区では2011年から新型電車287系が登場し、それまでの183系を順次置き換えつつある。では今回いよいよ新型に統一かというと実はそうでなく、置き換え車両は日根野から転属する381系振子電車によって行われる。183... ...続きを見る

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2013/01/28 00:00
あしたの街へ
あしたの街へ 放射冷却の進んだ翌朝に都市部でも見られる、澄み切ったあけぼのの空。夜明けにつれて空は天頂の深い蒼から、地平線の茜色へとなだらかな階調を描く。「東の野にかぎろひの立つ見えて…」万葉集にも詠まれたこの時間の空は、かつてエル特急〔はつかり〕のイラストマークにも描かれたグラデーションだ。 その色がオレンジ色に変わると、まもなく日の出の時刻を迎える。日の出時刻は6時50分台。複々線で多摩川を渡る小田急小田原線は、冬至前後のこの時期に朝日を背景にしたシルエットになる。 窓越しの朝焼けが得られる時間だが、... ...続きを見る

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2012/12/30 00:00
City Lights
City Lights きょう12月21日は冬至。明るい時間の短いこの前後、陽が傾いたな……と思うまもなく撮影画像がブルーに染まっているのもしばしば。列車1本ごとにシャッタースピードを1/3段遅く、そして次は感度を1/3段上げていくことになる。 多摩川を渡る京急線は立派なワーレントラス橋。薄暮の時間にトラスの間を駆け抜ける車両を、並行する国道1号六郷橋から狙ってみた。 ...続きを見る

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2012/12/21 08:00
のだ線なのだ
のだ線なのだ 2012年5月にオープンした東京スカイツリー。その足下を走る東武鉄道伊勢崎線は、スカイツリー建設事業主会社の筆頭株主で (建設地はもともと東武の貨物駅→電留線だったのだ)、オープンにあわせ電車も「スカイツリー」色を前面に押し出している。東武特急「スペーシア」をライトアップの「粋」「雅」カラーに塗り替え、先だって3月には浅草〜東武動物公園間を愛称「東武スカイツリーライン」とし、業平橋(なりひらばし) 駅を「とうきょうスカイツリー」へ改称したのだ。 この愛称づけや改称・イメージチェンジについては賛... ...続きを見る

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2012/11/27 00:00
汽車から電車へ
汽車から電車へ かつての国鉄や、民営化直後のJR、その列車・電車を「汽車」と呼ぶ人の数は当時少なくなかった。機関車の牽引する列車のみを指すのではない。いまでも地方においてはそうなのだが、各家庭に配られた駅の発車時刻表 (駅前食堂・旅館によく貼られている) を確認した上で発車時刻に合わせ駅へ赴く、そんな「汽車ダイヤ」で運転されていた時代の名残だったろうか。対して民営鉄道は「電車」とよばれ、国鉄と並行する路線ではそれより駅数が多く、本数も頻繁だった。「電車」は短距離、「汽車」は長距離の移動という棲み分けが自然に存在... ...続きを見る

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2012/10/29 00:00
グリーン・グリーン
グリーン・グリーン 「グリーン車」という名称は、1969年に国鉄の運賃体系が等級制 (1・2等) からモノクラス化したときに登場した。それまでの旧1等車がつけていた緑色(淡緑6号) の腰帯と切符の地色などを基にしたとされる。 グリーン車には四つ葉のクローバーを模したグリーンマーク(黄緑7号) と、旧1等の腰帯が引き続きつけられていた (特急形電車・気動車を除く)。合造車では 一・二等→1等→グリーン客室部だけに帯がついていたので、たとえば四国で登場したキロハ28は帯が車両の途中で終わっていた。 現在のグリーン車... ...続きを見る

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2012/09/30 00:00
上下と左右 -その2-
上下と左右 -その2- 輸送単位の小さいJR四国では、2〜3両編成の特急もめずらしくない。その中でグリーン車を1両も取れないので、現在の旅客列車グリーン席は普通車との合造になっている。 列車本数が少なく長編成だった昔はグリーン車を1両使っていた。特急列車はキロ180、予讃・土讃本線の急行列車にはキロ28。徳島方面の急行は普通車のみだったが、グリーン車を連結することになって、需要と普通席とのバランスを考慮してキロ28の室内半分を普通席 (ボックスシート) としたキロハ28が1両だけ登場した。 その後、四国のキロ28・... ...続きを見る

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2012/09/17 00:00
ナツいアツ
ナツいアツ 暑中お見舞い申し上げます。 ...続きを見る

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2012/08/04 00:00
K-BEN!
K-BEN! 日本の鉄道で現在よく使われている軌間(ゲージ) は、新幹線や関西私鉄に多い標準軌の 1,435mm (4ft 8.5in)とJR在来線・私鉄に多い 1,067mm (3ft 6in)。それよりも狭い軌間として、762mm (2ft 6in) に代表される特殊狭軌、俗にいうナローゲージがある。「軽便(けいべん) 鉄道」と呼ばれ親しまれたミニ鉄道は、かつては地域の小規模交通、山間部では木材輸送 (森林鉄道) として全国に路線網を広げていたが、モータリゼーションとともに役目を終えてほとんどが廃止されて... ...続きを見る

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2012/07/28 00:00
サインはV
サインはV 首都圏の近郊区間電車に連結される二階建てグリーン車。平日ラッシュ時はもとより、土休日でも快速〔アクティー〕や湘南新宿ラインなど、始発駅から乗車を待つ列ができることはめずらしくない。車内整備が終わってドアが開くと、待ちかねた乗客はこぞって二階席を目指す。私自身も二階席に乗ることがいちばん多い。 国内の鉄道でもっとも多くの二階建て車両を走らせているのはそのJR東日本だが、諸外国のものがそうであるように主目的は座席定員の増加である。たとえばE215系とか新幹線"Max" 自由席二階の横3-3配列など... ...続きを見る

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2012/07/21 00:00
増殖
増殖 10月に復原工事が完成する東京駅丸の内口赤れんが駅舎。壁面を覆う仮囲いが外されたというので、日曜夜に東京へ帰着したついでに見てみることに。半世紀近く慣れ親しんだ南北の直線屋根がドームに変わってどうなるかと思ったが、暗闇に浮かび上がるその姿は威風堂々という言葉がふさわしい。 その一方で、後ろのプラットホームに出入りする列車はすっかり様変わりした。旅情を誘うブルートレインの姿はすでになく、通勤・近郊電車もステンレス車のみ。3月改正でJR東海373系の乗り入れが終了し、6月ごろまでには唯一の3ドア・... ...続きを見る

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2012/04/14 00:00
デンは急げ?
デンは急げ? 「あの……電話かけられます?」「ないんですよ、この列車には。電報は打てます。ライシンシをお持ちしましょうネ」 鉄道ジャーナル「ドキュメント列車追跡 日本海に羽ばたく」(1973年1・2月号 文: 竹島紀元) にある、特急〔白鳥〕(大阪→青森: 米原経由) の乗客と専務車掌とのやりとりだ。列車無線も整備される前の話だから、車内から何か発信するには電報を使うよりなかった。それも直接ではなく、カナ書きの通信用紙 (頼信紙: らいしんし) を停車駅で駅員に渡し、緊急の場合は通信筒を通過駅に落として連絡... ...続きを見る

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2012/03/24 00:00
ロマンスをもう一度
ロマンスをもう一度 1987年12月23日、赤と白の鮮烈なロマンスカー小田急10000形 "HiSE" がデビューした。平日だったはずだが新宿駅と登戸付近へ見に行った記憶がある (注: まだ「昭和」だったときの話です)。それから四半世紀。 小田急ではJRグループと同日の3月17日に全線ダイヤ改正を行う。この改正では通勤車5000形とHiSE (11両連接)×1とRSE×2 の3編成が引退するほか、LSE, HiSEも1本ずつがすでに廃車となっている。代替に製造したMSEは4両+6両の実質1編成なので、特急ロマンス... ...続きを見る

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2012/03/10 00:00
シモトリにマエパン
シモトリにマエパン 2006年3月、カウントダウンになっていた寝台特急〔出雲〕の撮影と、北近畿タンゴ鉄道 (KTR) の走破を目的に天橋立へ向かった。JR線のりつぶしはその前年に稚内で果たし、残る民営・公営鉄道の走破も進めていた時期だ。日本三景のうち松島と宮島は訪問済みだったから、残りひとつも眺めておきたいし、そこにケーブルカー (丹後海陸交通) があれば乗らないわけには……。 ...続きを見る

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2012/03/03 00:00
芙蓉を仰いで
芙蓉を仰いで 「青春18きっぷ」がまだ5枚つづりだったころは、大学生協で1〜2枚買って日帰り旅行するのが好きだった。とあるよく晴れた冬の朝に、東京から113系電車に乗って国府津へ、115系にのりかえ御殿場線へ。その先ふたたび東海道線→身延線→中央線と富士山を車窓右手に巡る旅は、御殿場が近づく頃に第一回のハイライトを迎える。 御殿場線は、もともと東海道線の一部として建設された。輸送の大動脈であるため早期に複線化されたが、急勾配の続く難所であった。丹那トンネルが開通したことで支線に格下げされ、戦時中には金属供出... ...続きを見る

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2012/02/25 01:00
蒼の時間
蒼の時間 東京メトロ千代田線。常磐線から直通して都心へ向かい、大手町・日比谷・霞ヶ関そして国会議事堂前と、文字通り千代田区主要部を貫く基幹路線のひとつ。終点の代々木上原では小田急小田原線に接続し、一部電車は多摩急行として小田急と相互直通運転を行う。 その小田急といえばすぐ連想されるのが「ロマンスカー」。箱根への観光特急として広く知られるが、じつは通勤列車としての役割も担っている。1967年に夕刻の新原町田 (現・町田) 停車を開始し、特急券を買えば定期乗車券でも利用できるようにしたのがはしりだった。現在... ...続きを見る

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2012/02/18 00:00
1×2は……
1×2は…… 豊橋から飯田線電車で5分、下地(しもじ) という小さな駅に降りる。同駅と隣の船町は普通列車でも半数が通過し、両駅に停車するのも初めてだった。ホームの先端は隣を走る東海道本線、とくに上り列車の撮影地としてよく知られているが、今回は背を向けて豊橋方の豊川鉄橋に向かった。 ...続きを見る

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2012/02/11 00:00
ちかてつ?
ちかてつ? 新幹線〔あさま〕で東京から約1時間半、長野駅在来線ホームは信越本線および直通する篠ノ井線・飯山線・しなの鉄道の車両が出入りし、車両形式も115系から189系、383系、キハ110系そしてHB-E300系と豊富だ。 長野電鉄の始発駅でもあるのだが、駅前に出ても電車の姿は見えない。長電長野駅を含む市街中心部は、地方都市では珍しい「地下鉄」区間なのだ。1981年に長野〜善光寺下間が道路下へ移設されたもので、実態は長いトンネル扱いである。狭義の地下鉄では必須の前面非常扉は不要だが車両自体の難燃化が求め... ...続きを見る

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2012/01/28 21:00
四国のワン・ツー・ワン
四国のワン・ツー・ワン JR旅客6社のうち路線規模・保有車両とも最小の会社であるJR四国。母体となった四国の国鉄路線は、本州とは宇高航路・仁堀航路 (1981年廃止) で連絡された独立網で、末期まで電化区間もなかった。1988年4月、北海道に続き本州と線路が直接つながったものの、島内JR線を走る車両は現在でも独自の味付けが濃いものとなっている。 JR四国はグループ各社のなかでは独自性が強く、まず1988年に予讃本線・土讃本線などの「本線」呼称を廃止。1989年に試作した制御付振子気動車TSEを2000系と命名、その後... ...続きを見る

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2012/01/21 00:00
ミルクとチョコレート
ミルクとチョコレート JR京都線 (東海道本線) の下り電車で高槻(たかつき) を出発すると、しばらくして車窓右手に大きな茶色の壁が出現する。その正体はことし2月、同場所にある明治製菓大阪工場の壁面へ設置された巨大チョコレート、その名も「ビッグミルチ」。 明治チョコレートといえば、1編成をチョコレート色に装った「山手線命名100周年」E231系が記憶にまだ新しいが (しかしあのとき撮ったサハE230-503,504はもう北長野へ旅立ってしまった)、この巨大看板も見てみたい、なんとか画面に取り入れられないかと思ってい... ...続きを見る

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2011/12/10 00:00
前向きで行こう
前向きで行こう 鉄道の旅客車がほかの交通機関と決定的に違うのは、前後どちらの向きにも等しく走ることにある (ごく一部例外はあるが…)。そのため、クロスシートの配置は前後向きを均等にして結果的にボックス席を形成するのが普通。優等列車では進行方向に合わせられる転換式・回転式腰掛が積極的に採用され、路線どうしまたは自家用車との競合が激しい地区では快速・普通列車にも転換クロスシートが普及した。新幹線や特急列車は始発駅で座席をきれいに揃えて乗客を迎え、〔スーパーカムイ〕〜〔エアポート〕とか〔しらさぎ〕のように途中で進行方... ...続きを見る

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2011/12/03 00:00
潮騒が聞こえる
潮騒が聞こえる 9月連休の最終日はひさしぶりに銚子へ行こうと思い、昼前に現着できるようなのりつぎ時刻を前夜調べておいた。JR総武本線の終点・銚子から出発する銚子電気鉄道は関東最東端の鉄道路線で、犬吠埼たもとの漁港・外川(とかわ) まで走る延長 6.4kmのミニ私鉄。銚子はNHK連続テレビ小説「澪つくし」の舞台でもあり、同社の車両もたびたび画面に登場した。 ...続きを見る

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2011/10/07 00:00
上州の風に吹かれて
上州の風に吹かれて 「ググッとぐんま」デスティネーションキャンペーン(DC) 開催中の群馬県、9月は「群馬鉄道月間」と銘打って県内の私鉄も参加したイベントが実施されている。県内を走る鉄道は、JR東日本と東武鉄道のほか、中小私鉄では上毛電気鉄道と上信電鉄、旧国鉄足尾線を受け継いだわたらせ渓谷鐡道。 ...続きを見る

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2011/09/15 00:00
ナンバーワンとオンリーワン
ナンバーワンとオンリーワン 偶然にせよ狙った結果にせよ、試作車やトップナンバーの車両または編成が撮影記録に加わると嬉しいものだ。後続する量産車と姿形が違うこともしばしばだし、そうでなくても「1」という数字がついているだけで独特の存在感が放たれ、他車と別格に見えてくる。そんなこともあってか、それらの動向については注目されることが多い。 ...続きを見る

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2011/06/25 00:00
風といっしょ
現在京阪神間随一の高速運転で多くの利用客を運ぶ新快速電車。1970年に京阪・阪急・阪神の各私鉄特急への対抗として運転を開始した。当初113系での運転は、1972年から新幹線の延伸開業で余った急行電車153系となり、ライトグレーの地色にスカイブルーの帯を締めて「ブルーライナー」の愛称がついた。当時は都市間の直行輸送に的を絞り、新幹線停車駅の新大阪や西明石 (姫路発着に限る) も通過するダイヤが組まれたほどである。 ...続きを見る

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2011/06/17 00:00
みんなで半分こ
「電車」の英語略記として日本でよく知られるのは EC (Electric Car) だが、ほかに EMU (Electric Multiple Unit) という呼び方もある。複数の電動車ユニットをまとめた編成という意味で、動力分散方式が発達した日本の電車にふさわしい言い方といえる。 かつての電車は1両単位の電動車 (運転台つき) を需要に応じて連結してきたが、それが長い編成で固定されるようになると付随車の数が増えだした。車両の価格・重量・消費電力・保守点検の手間などを考えると、電動車とか運転... ...続きを見る

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2011/05/30 00:00
ベネシャン・ブラインドの謎
車両撮影をしていて、これは撮っておきたいと願いつつ叶わなかった系列・形式は山ほどあるけれど、そのひとつに国鉄381系がある。……と書くと、381系なら今でも撮れるだろうとツッコミが予想されるところだが、撮りたかったのはその窓、正確には窓の中にあるモノだった。 ...続きを見る

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2011/05/12 00:00
さくら
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震、改めて被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。 ...続きを見る

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2011/03/28 00:00
ロク・マル・マル
京浜急行本線・品川〜北品川間の八ツ山S字にある踏切脇で望遠ズームを構え、南下する電車の顔に向けた。品川から南へ向かって次駅が北品川とは奇妙だが、もともと東海道の品川宿はいまの北品川駅付近にあり、日本最初の鉄道が仮開業したとき (1872年6月) 高輪に設けた駅を品川としたことによる。目黒駅が品川区に、品川駅が港区にあるのは、いまではよく知られたトリビアか。 今回のねらいは600形電車。赤い車体に白い帯、そこに大胆なスリット文字で"600"と主張するこの正面を撮らない手は……と、顔の一部を切り取... ...続きを見る

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2011/02/25 06:00
雪にカナリア
底冷えのする広島の夜にちらちら舞い始めた雪は、翌朝になると山肌を薄白く染めていた。温暖な気候と思われる瀬戸内海周辺、しかし中国地方西部では日本海側気候の影響が及んでくる。冬季によくある東海道・山陽新幹線の遅れは関ヶ原付近の降雪だけが原因と思われがちだが、山口県内で雪による減速運転のためというケースもそれほどめずらしくない。 未明の可部線(横川〜可部) 電車はドアが自動、なので駅に着くたび車内が一気に冷えてしまう。線内随一の撮影名所である太田川の築堤ちかくはわずかに積雪も残る。そこへ白2両と黄色... ...続きを見る

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2011/02/10 00:00
ニノ国電
国鉄改革・分割民営化の過程で消滅したものはいくつかあるが、そのひとつが鉄道荷物輸送。形式称号「ニ」「ユ」の存在が示すとおり、郵便輸送とならんで鉄道の黎明期から歴史を刻んできた。 鉄道手荷物輸送 (チッキ。旅客荷物の受託輸送) と小荷物輸送は、昭和中期まで郵便小包とならぶ小口輸送の主役だった。小荷物輸送では差出人が荷造りした荷物を発駅に持ち込み、宛先人が到着日に着駅窓口で受け取るのが基本。幹線では専用列車 (時刻表にも旅客列車の後に掲載されていた)、ローカル区間では旅客列車に併結した荷物車または... ...続きを見る

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2011/02/05 00:00
ミチをアルクマ
甲府盆地の温泉郷・石和温泉(いさわおんせん) 駅で「信州デスティネーションキャンペーン」PR車の特急〔かいじ〕を降りた私は、一脚とカメラバッグを肩にかけて、はじめての道を歩きだした。撮影地の見当は地図や列車内からするけれど、そこが安全かつ確実に撮れる場所かを確認するには、やはり現地を訪れるのが一番。中央東線区間で遠くからきれいに抜ける場所というのは意外に少なく、引き出しの数を増やしておくに越したことはない。 ここはフルーツ王国、甲州。果樹園をながめながら小道を進んでいくと、赤茶色に染まったぶど... ...続きを見る

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2011/01/08 00:00
残照
九州唯一の大手私鉄、西日本鉄道(西鉄) の主要路線である天神大牟田線。特急の登場は1959年で、鹿児島本線の急行や特急〔有明〕と長年覇を競いあってきた。来年3月の九州新幹線全通で早朝・深夜以外の鹿児島線特急が全廃となるため、今後県南の都市・大牟田へのアクセスは新幹線と西鉄特急が牽引することになるだろう。 西鉄の初代特急車1000形 (1957〜2001) は当時の標準色だったクリーム・茶のツートンでデビュー。1959年の特急運転開始を機にブルーの車体に黄色い帯という専用色に装いを改めた。その後... ...続きを見る

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2010/12/28 00:00
イマイチ、ですが…
ニッコウを見ずしてケッコウと言うなかれ……東照宮、いろは坂、華厳ノ滝、中禅寺湖に霧降高原などを擁する日光。近隣の鬼怒川温泉をあわせて戦前から国内外の旅行客を集め、現在も日本を代表する国際観光地のひとつだ。その日光へ、東北本線の宇都宮から分岐して向かうJR日光線は、本線とも国有化される前の日本鉄道により敷設された歴史ある路線で、この8月に開業120周年を迎えている。 日光には東武鉄道も浅草からストレートに路線を伸ばしており、戦後の高度経済成長期には国鉄・東武ふたつの日光線が競合関係にあった。19... ...続きを見る

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2010/12/11 00:00
秋色に翔ぶ
東海道本線・山崎駅近辺は、通過列車のバリエーションもあって撮影者の絶えない場所だ。駅脇の通称「サントリーカープ」―残念ながらフェンスが立って撮影のハードルも高くなったが―をはじめ、名所とされる場所も多い。そのなかで気になる存在が、長岡京との中間にあるビール工場脇の水田で秋に咲くコスモスだった。 ことしもその時期を迎え、しかも来年春には485系〔雷鳥〕がなくなる見込みなので、この秋がふたつを収められるラストチャンスであった。そのコスモスが見ごろを迎えているという知らせを、いつもコメント下さるさく... ...続きを見る

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2010/10/30 00:00
新特急の憂鬱
2010年12月4日のJR東日本・北海道ダイヤ改正の内容が、先日両社から発表された。最大トピックスはもちろん、東北新幹線の新青森開業。八戸〜青森間が経営分離される東北本線に代わって、新幹線が史上初めて国内鉄道最長距離路線の座につくことになる。 いっぽう関東地区では、高速道路との競合で不振が目立つ在来線特急が大幅に削減される。高崎〜上越・宇都宮線を走る、もと「新特急」も整理の対象となった。 ...続きを見る

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2010/10/09 00:30
新風凛々
7月17日に開業した京成電鉄成田空港線、愛称「成田スカイアクセス」。同区間を走る「スカイライナー」新AE形の最高160km/h運転で、都心と成田空港が最短36分で結ばれることになった。 先立ってJR東日本で〔成田エクスプレス〕(N'EX)の車両取替えが完了したことはすでに述べた通り。都心〜成田の所要時間ではかなわないものの、路線ネットワークを活かし都心と近郊の多地点から空港へ直結することを前面に押し出している。「成田はもう、東京だと思う。」というどこかで聞いたようなフレーズは、そのあらわれだろ... ...続きを見る

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2010/07/26 23:36
アコモ・こもごも
アコモ……って何? というファンの方々も多くなったのでは。モーターとは関係がない。金融関係でもないし、もちろん藻でもない。 ……正確にはアコモデーション (accommodation) と称する。いくつか意味があるが、ここでは座席や寝台など接客設備を指す。国鉄時代は客室設備をアコモと称することが多く、座席のちょっとしたグレードアップでも「アコモ改善」と表現してきた。JR東日本が承継し、新幹線0・200系発生の簡易リクライニングシートを配置した、もと修学旅行用167系が愛称「アコモ」。なんとも直... ...続きを見る

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2010/07/15 01:13
原点回帰
当ブログは名前の示すとおり車両 (おもに1両) を扱う、ということは各所で紹介した裏側にはそれこそ大量の撮影結果が控えているわけだ。ではここで、これまで車両写真をどれほど撮ってきたのか数えてみ…る気にもならないので、かわりに最初に撮ったのはどの時期だったか? と記憶をたどっていくと、あるダイヤ改正に行き着く。 JRグループ初の全国ダイヤ改正となる1988年3月13日改正は、青函トンネル開業と続く4月の瀬戸大橋線開業で全国の線路が文字通り一続きとなった記念すべきもの。そこでJRグループは同改正の... ...続きを見る

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2010/07/04 00:00
世代交代二態
2010年もすでに半分まで来てしまったが、ことし前半の車両のうごきも結構活発だ。最近のトピックスとしてはEF510-500番台がいよいよ営業運転開始、京急(旧)1000形が引退といったところか。 新型車両が華々しく登場する陰には表舞台を去りゆく車両があるというもの、〔成田エクスプレス〕253系もそのひとつだ。1991年の列車登場から続いた同系の営業運転はこの6月30日で終了し、7月1日からすべて新型車両E259系による運転となる。E259系がデビューしたのが昨年10月、それからわずか9ヶ月での... ...続きを見る

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2010/06/30 00:00
624 → 416
山手線を走るE231系500番台。全104両の6扉車サハE230形500番台が連結されていたことは以前紹介し……とここで過去形になっているのは、すでに運用を離脱した車両が現れているからだ。登場からまだ10年も経っていない車両の置き換えは驚くべきことだろう。償却の13年を過ぎて取り替えられることになった京浜東北線209系が、大多数は機器更新を受けて延命されているのに。 これは乗客転落防止を目的として山手線 (電車区間) 全駅に導入するプラットホーム可動柵 (ホームドア) 設置計画の一環で、6扉車... ...続きを見る

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2010/06/10 00:40
四角四面
新宿をターミナルに八王子や相模原、ミシュランで高評価の高尾山方面へ路線を延ばす京王電鉄。京王と略される鉄道の正式社名は1998年まで京王帝都電鉄だった。「帝都」という響きはいまでは古風だが、この名前は京王と帝都が合体したもので、帝都電鉄は現在の 井の頭線(渋谷〜吉祥寺) のこと。同線はもともと小田原急行電鉄 (現・小田急電鉄) の傘下にあった。 京王線の前身である京王電気軌道・玉南電気鉄道も、戦時統制で東京急行電鉄へ合併させられたが、戦後の分離時に井の頭線は京王側に移動してきた。このため京王線... ...続きを見る

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2010/05/01 10:00
スイスイ・スゴニモ・ハヤカケン
3月13日から、JR東日本の「Suica」と福岡地区のIC乗車券・電子マネー相互利用がはじまった。SuicaグループはJR東日本と東京モノレール, 東京臨海高速鉄道 (りんかい線), 埼玉新都市交通 (ニューシャトル), 仙台空港鉄道, 伊豆急行 (同日より)。福岡地区はSUGOCA (JR九州), nimoca (西日本鉄道: 電車・バス), はやかけん (福岡市交通局: 市営地下鉄) の三社局。福岡では3つのICカードが相次いでサービスインしたものの互いに使えない不便があったが、ようやく解消... ...続きを見る

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2010/03/19 23:00
消エル特急
JR駅に特急が到着するとき、「トクベツキューコーレッシャ」とアナウンスされた経験をお持ちの方も多いと思う。特急の正式名称は特別急行(列車) で、JRの旅客取扱規定上は急行列車に位置づけられる。 戦後〜1960年代までは1日1〜数本というそれこそ特別な存在であったのだが、新幹線とともに特急網が整備される過程で、幹線はしだいに「特急街道」になっていく。国鉄は1972年、特別急行の中で多本数が設定され、始発駅を決まった時分に発車し、自由席を設けた列車に「エル特急」という種別を設定した。当初は東北常磐... ...続きを見る

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2010/03/12 00:00
梅香のころ
2月も中旬になれば東京でも梅の花が開き、紅白の花びらにメジロやヒヨドリたちが集まってくる。この後にはサクラにナシ・アンズ・モモなど、春らしい淡色の光景が広がっていく。車両主体の写真であっても周囲の彩りはやはり気になるところで、たとえば桜並木を後方に流すなんていいだろうなあと思いはするけれど、そうそううまくは撮らせてくれません。 ...続きを見る

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2010/03/05 00:00
雷鳥の詩
富山を起点に立山と宇奈月温泉へ伸びる富山地方鉄道は、戦時中に県下の私設鉄軌道・バス会社を合併して設立されたもので、現在もなお中小私鉄有数の路線規模を持つ。昨年末の富山都心線開業で一時期下回っていた営業キロ100kmを回復したが、これはいくつかの大手私鉄を凌ぎ、京成電鉄 (約102km) とほぼ同じ総延長。立山黒部アルペンルートや黒部のトロッコ電車 (黒部峡谷鉄道) へのアクセスとして重要な鉄道路線でもある。 ...続きを見る

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2010/01/22 23:55
TETSUJIN DASH!!
泉州沖に1994年開港した国内初の海上空港、関西国際空港。成田と同じくハネだハブかマングースといろいろ取り沙汰されている同港も、24時間貨客運用可能な (これも国内初) 国際空港 "KIX" として当時は注目を浴びたものだ。また空港アクセスとして鉄道も一体整備されており、先立って開業した成田同様、それまで単にライバルと見られていた鉄道と航空の関係が見直されるきっかけにもなった。 関西空港への鉄道アクセスは、JR西日本と南海電気鉄道が担当している。JR西日本は特急〔はるか〕と関空快速、南海は特急... ...続きを見る

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2010/01/08 00:28
Next N'EX
謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年もどうぞよろしくお付き合いください。 ということで、気分も新たに次の時代へ……新型車両からスタート。 ...続きを見る

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2010/01/01 00:10
624 DOOOOOORS!
2009年は「山手線命名100周年」。開業とか全通でなく、命名を基準に周年を祝うというのも珍しい話だが、同線が私設の日本鉄道が敷設した (1885年) 路線だった関係もあるだろう。 山手線 (赤羽〜品川・池袋〜田端) という名前が最初に使われたのは1906年の国有化前 (1901年) で、現在に続く電車運転 (1909年12月) や環状運転の開始 (1925年)、「まあるい緑の山手線」を定着させた103系投入 (1963年)、戦後「やまて」とされた読みを本来の「やまのてせん」で公式に設定 (1... ...続きを見る

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2009/12/21 06:24
つながり
151系〔こだま〕に始まる赤とクリームの国鉄特急色。485系やキハ80によってその色は全国に広がり、地方の主要都市は都会と列車一本でつながっていた。画一的な表情だけれど、新幹線によって結ばれている現在とは違った何かしらの信頼が、そこにはあったのだと思う。 1980年代の上野駅は、そんな国鉄特急色の電車が頻繁に出入りして華やかだった。新幹線開業で大半が消えた後も、信越線の特急〔あさま〕は上野発着で残り、直流特急形189系電車で運用されていた。 189系は183系電車の兄弟車。1974年の房総地... ...続きを見る

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2009/12/10 23:00
マルーンの旋風
大阪梅田を基点に京阪神へ路線を広げる阪急電鉄。箕面有馬電気軌道から関西私鉄の代表格にのぼり詰めた同社は、宅地開発や娯楽施設とセットした路線の開拓など見本的な経営手法で知られ、同じような路線を展開した東京急行電鉄と並び「西の阪急、東の東急」と称される。 その特徴をひとことで言えば「上質」に尽きる。「阪急マルーン」と呼ばれる艶やかな栗色の車体にアルミの窓枠が光り、最近まで日よけに「よろい戸」を常用していたことも見逃せない。その塗装は肩にアイボリーを追加した以外は一貫し、室内の落ち着いた雰囲気もあっ... ...続きを見る

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2009/11/18 23:45
1111
きょうは11月11日。鮭の日、チーズの日、ピーナッツの日、きりたんぽの日、もやしの日、電池の日、配線器具の日、靴下の日 (ペアーズデー・恋人たちの日)、下駄の日、ライターの日、サッカーの日、折り紙の日、宝石の日 (ジュエリーデー)、煙突の日、磁気の日、介護の日、コピーライターの日、西陣の日、そしてポッキー&プリッツの日……ということで強引に、プリッツをかじりながらゾロ目について取り上げてみたい。 ...続きを見る

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2009/11/11 00:11
おけいはんのはんなり特急
京都・大阪両府境には天王山が立ちはだかり、京阪間の交通は淀川沿岸の狭い地域に集中、並走するライバルの姿を互いに見ることもよくある。ここを通過する鉄道は東海道本線、阪急京都線、東海道新幹線、そして一本だけ淀川の反対側を走る路線が京阪電車――京阪電気鉄道京阪本線だ。 京阪線は歴史としては古いが、旧街道沿いを結ぶ路線の成り立ちからカーブが多い。優等列車の所要時分も国鉄・阪急京都線に対し不利な状況だった。そこで京阪は1954年に特急車両1810系を登場させたとき、当時はじまったばかりのテレビジョン放送... ...続きを見る

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2009/11/05 23:30
wideviews
JR東海の在来線車両は、ステンレスまたは白地塗装にコーポレートカラーのオレンジないし湘南色の帯という姿で全社的に統一され、東海道新幹線の青、駅名票などの国鉄書体とならんで同社を印象づける。2008年度中に機関車・客貨車を事実上全廃したJR東海では、このあと313系を増備して電車からも国鉄形を一掃し、新幹線を含む在籍電車のほとんどがJR生まれとなる予定だ。 同社が在来線特急としてはじめて製造したのが1989年登場のキハ85系。動力機器に米カミンズ社の強力ディーゼルエンジンを採用し、従来キハ82系... ...続きを見る

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2009/10/30 22:30
国電残影
国鉄103系通勤形電車。1964年〜1984年にわたり製造された「国電」を代表する系列は、日本の高度成長期を支えたまさに屋台骨であり、新製・編入あわせ約3,500両の陣容は、長い間国鉄〜JR電車の最多両数に君臨した車両だった。 ...続きを見る

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2009/10/25 22:00
影落ち
秋の日はつるべ落とし…とはよく言ったもので、秋分をはさむ時期は日の入りが毎日1分半のペースで早まり、夕方以降の列車撮影は急速に難しくなってくる。いっぽう車両写真はというと、夏の間は伸び放題の雑草に隠れるとか (しかし今年は意外にも邪魔が少なかった)、陽炎の影響も受けやすいのでシーズンオフ、ここにきてようやく足回りがすっきりするころだ。日照の角度もあからさまに低くなり、床下機器のディテールを描写しやすくなる一方で、遠くから影が落ちてくることも考えなければならなくなる。 ...続きを見る

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2009/10/21 22:30
モハかモハネかモハネハか
一両にふたつ以上の接客または荷扱い設備を持つものを、合造車(ごうぞうしゃ) と呼ぶ。 現代JRにおいて代表的なのは「クロハ」――グリーン・普通合造の制御車だ。背景には特急の短編成化にしたがって、グリーン車に1両まるまる取りにくくなったことがある。その一方で地方路線では「フルムーン」などの需要もあって、そう簡単にグリーン車の連結をやめられないのだろう。そんなことで国鉄時代から「ロハ」はあったが、それより当時は荷物や郵便を扱っていたため荷物・郵便合造車キハユニ26、クモハユニ64などのほうが一般的... ...続きを見る

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2009/09/05 22:00
線路をまもる
毎日私たちが通勤で利用する鉄道が、時刻どおりに運転されることを前提にできるのは、車両が定期的に検査を受けて故障を未然に防ぐ努力が続けられているためだ。それは線路施設についても同じことが言え、定期的に深夜 (需要の少ないところでは昼間) の保線作業が行われる。 そのために必要なデータを実際に走行しながら集めるのが、検測車とよばれる車両だ。新幹線総合検測車「ドクターイエロー」「East-i」はいまや一般にも広く知られた存在で、在来線向けでは高速軌道検測車マヤ34が長年活躍してきた(1959〜)。こ... ...続きを見る

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2009/08/30 00:31
雨がえる一匹
まもなく新幹線を迎える肥後五十万石の城下町、熊本。城を眺めて走る市電(熊本市交通局)が有名だが、もうひとつ市内に乗り入れている鉄道がある。熊本電気鉄道で、鹿児島本線の上熊本を起点に御代志(1986年まで菊池)へ伸びる菊池線、途中の北熊本から藤崎宮前へ分岐する藤崎線の2路線。現在電車は藤崎宮前〜御代志で直通し、国鉄線とつながっていた上熊本〜北熊本のほうが支線的な扱いだ。もっとも藤崎宮前駅も繁華街から離れており、マイナーな印象はぬぐえないところだが。 上熊本への短区間を往復する緑色の5000系電車... ...続きを見る

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2009/08/25 23:45
深夜飛脚
2004年に登場した世界初の高速貨物電車 M250系「スーパーレールカーゴ」(SRC)。その源流は、かつての東海道新線構想 (のちに新幹線となる) の中で貨物輸送のイメージとして描かれた、コンテナ貨物電車のイラストにあった。実用化の意図があったか疑わしいところだけれど、その時点で貨物にも動力分散方式の可能性を探っていたように見えて興味深い。電車王国の日本にあっても具体化が難しかった車両のひとつだが、40年を経て得た最新技術で、M250系はイラストそっくりのスタイルで登場してきた。 特貨電51・... ...続きを見る

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2009/08/20 23:14
TAMADEN
わかやま電鉄貴志川線の貴志駅で勤務するスーパー駅長たま。ICHIGO-EC (いちご電車)、OMODEN (おもちゃ電車)に続くイベント電車第三弾として、たまをモデルにしたTAMADENこと「たま電車」がことしの春に登場した。前二者に続き同社デザイン顧問を務める水戸岡鋭治氏が監修、「たまんが」(こたすぎ2氏画)のさまざまなポーズ(全部で101匹) が並ぶ外装も、木をふんだんに用いた車内も猫づくし、の「ネコノミー」な電車である。 猫駅長就任をはじめさまざまな施策の効果も手伝って発足以降乗降客数は... ...続きを見る

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2009/08/11 01:01
痛勤・楽勤
夜行旅客列車の消えた東海道本線でひとり奮闘する特急貨物電車「スーパーレールカーゴ(SRC)」M250系。その姿をとらえたい! と思ったのはいいがこの車両、日本一撮りにくいといっても過言ではない。SRCで走る特貨電51・50列車、東京貨物ターミナル〜安治川口(大阪市)の所要は6時間強。両駅の発車が23時台、翌朝到着が5時台前半という早さ! 〔能登〕〔北陸〕がかわいく思えるほどで、旅客駅に停車することのない同車を捉えられるのは、夏至前後の極めて限られた期間しかない。 これを撮影できそうな場所をいろ... ...続きを見る

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2009/07/22 23:50
風のむこう側
1999年7月16日の特別運転を最後に、小田急ロマンスカーの一形式が引退した。3100形「NSE」。もう10年になるのか……約2年間、NSEの姿を追いかけ、毎週のように通い詰めたことが懐かしく思い出される。 1963年登場のNSEは、1957年に登場し一世を風靡したSuper Express(SE) 3000形の後継・増備車で、言うまでもなくNはNew。名鉄パノラマカー(1961年)や新幹線0系(1964年)と同世代の車両である。SEの連接構造(当時8連)を進化させた11両連接で、最大の特徴は... ...続きを見る

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2009/07/16 23:45
Double deckers
私がサイドビューアングルに異常なほど執着している傾向は、「湘南新宿ライン」が雑誌で特集され、その特徴の一つである普通列車のグリーン車が紹介されたあたりから顕著になったと思う。このスタイルでの撮影はずっと前から続けていたけれど、デジタル化の波にちょうど乗っかって撮影・収集枚数が一気に増えだした。 往時は高価なリバーサル(スライド用)フィルムの浪費などできず、デジタル初期もRAWの連続撮影枚数がわずか3枚だったから撮影対象も限定せざるを得なかったが、そのぶんしっかりイメージを描いて撮影に臨んだよう... ...続きを見る

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2009/07/04 23:50
赤い電車―3つの1000
大手私鉄というものは一部の有料特急を除けばとかく興味の対象から外れがちだが、そのなかで京急電車のファンは以前から数多く、根強い人気を保っているように思う。 京浜急行電鉄の起源は路面電車であり、華やかな観光特急とも無縁だけれど、現在の赤い電車は最上位の快特から普通まで、とにかく走りっぷりがすごい。新幹線と同じ標準軌(1,435mm軌間)と18m級のすこし小ぶりな車体が、とくに京浜間では軒先をかすめるように高速で通過する。子安付近のカーブで東海道線をアウト側からかわす快特、待避線からの発車時に分岐... ...続きを見る

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2009/06/26 22:00
丸窓之夢
長野新幹線・しなの鉄道(もと信越本線)の上田駅から「信州の鎌倉」別所温泉へ向かう上田電鉄。20分ほど走ると広がる田園風景は、秋には黄金色に染まる米どころ。下之郷(しものごう)駅近くで線路は90度のカーブを切っていて、同駅に進入する上下列車を一画面に収めることも可能だ。春まだ浅い3月に当地を訪れたのは、期間限定だった しなの鉄道国鉄色169系の記録にあわせ、実りの時期だとかえって隠れやすい足回りを「抜く」目的もあった。 ...続きを見る

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2009/04/20 23:15
実車版・まさがいちがし
一見おなじように見える通勤電車にも、実は個性というか小さな特徴がある。試作車、あるいは先行製作車といった区分で番号分けされるものはもとより、製造時期によっても微妙な差異が生じることは決して珍しくなく、それはときに間違い探しの題材にもしたくなるくらいで。 ...続きを見る

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2009/04/06 23:00
踏切注意
黄色い菱形に、煙を吐く汽車のシルエット。前方に踏切があることを示す道路標識は、そのものの虎縞警報機・遮断機と並んで、踏切の情景には欠かせない存在だ。 蒸気機関車というものは鉄道のシンボルとして間違いのない存在だけれど、日本の鉄道路線から本当の意味での蒸機牽引列車が消えて久しく、なのに標識だけ汽車が走っているのはおかしい……と、電車をモチーフとした新しいデザインが1986年に制定された。 もっとも、違和感があるのは「汽車」に限った話ではない。道路標識に出てくる車をよく見ると、どれもクラシックカ... ...続きを見る

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2009/04/01 00:00
アイこそすべて
国鉄〜JRの旅客車両を観察すると、側面の左下隅に定員と並んで「東オク」とか「京キト」、「八ミツ」「海カキ」「米イモ」「大ナラ」といった標記を見ることができる。これらは、その車両(電車・気動車・客車)が所属する基地を示すもので、全国に車両を配置する国鉄ならではの標記だ。特急車両は一見わからないが、連結面に書いてある。 漢字一文字は、国鉄時代の管轄鉄道管理局(JR以降はおおむね各支社)を示す。カタカナ2文字(まれに3文字以上)は「電略」(電報略号)という、駅・運転区などを識別するコードである。管理... ...続きを見る

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2009/03/06 23:45
ドアフル!
一部では「JR最強」とも称される埼京(さいきょう)線。正式には赤羽線(池袋〜赤羽)+東北本線支線(赤羽〜大宮)。赤羽以北は、東北新幹線大宮〜東京のルート選定にあたり、騒音等を懸念して建設反対運動が起きた沿線への見返りという形で、新幹線に腹付けで建設された。カーブの制限もあり最高110km/hの新幹線よりも、当時走っていた103系のほうが明らかにうるさかったけれど……。 そんな路線もいざ開業(1985年)すると、「鉄道空白地」だった県南部はもとより大宮・川越周辺の需要を一気に取り込み、首都圏屈指... ...続きを見る

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2009/02/25 23:45
変転
209系にはじまりE233系に至る、JR東日本通勤車両の低コスト化と大量産体制は、最近の景気や輸送情勢の変化もあって、大手私鉄の車両ラインナップに少なからず影響を与えた。ここ数年で関東の各社が導入する車両は、日本鉄道車両工業会が2003年に制定した「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」に基づくもので、とくにステンレス車の外観はE231系(通勤タイプ)に近い設計思想を感じ取れる。 つまり、もとが個性的であるほどその変化もはげしくなるわけで、なかでも関東圏ではついにステンレス車を導入した京浜急行... ...続きを見る

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2009/02/05 00:00
送 〜2008年を振り返る一字
2008年・今年の漢字は「変」であった。変革であり、変化であり、変動であり、そしてなんか「ヘン」な世の中であったと皆が感じたのだろう。 いっぽう、私が選ぶ今年の漢字は「送」だ。それは「変」のなす結果でもあるように思う。現在は鉄道ブームとされるが、それにもかかわらず変動の大きい一年であったことは、鉄道があくまで「交通」という社会の一端を担っていることと無縁ではないような気がする。 ...続きを見る

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2008/12/25 20:08
どっちが前?
ほとんどの鉄道車両がほかの交通機関と大きく異なる点のひとつは、どちら向きにも同じ性能で走れることだが、車両としてはどちらかが前で反対側が後であるわけで。通勤電車など、左右対称に見えるものも多いけれど、ちゃんと前後の、もちろん左右も区別がある。 どちらが前か? の答えは、「図面で左に描かれたほう」なのだが、その決め方にも原則があって、たとえば電車や気動車は運転台のあるほうが「前位」すなわち前側、客車のときはブレーキ弁のある乗務員室が後位、などなど (その他いろいろ決め事があるけど省略)。先刻特集... ...続きを見る

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2008/12/05 23:30
sonoko
そういえば、まだJR東海の車両を取り上げていなかった。ブルトレ車両は持っていないから致し方ないところだが、いつまでも放っておくのもなんなので、無理やりにでも入れてやる……というのは半ば冗談ですが。 ...続きを見る

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2008/11/20 00:10
オモローないんか!
羽田空港の第2ターミナルを離れたANA関西空港ゆきは、なぜか第1ターミナル側A滑走路の南端に向かって走り出す。あっ、これがそのスジには有名な「ハミングバード・デパーチャー」か。滑走路34Lから離陸したボーイング767型機はエンジン出力を絞りながら左旋回、めったに通らない大田区の上空を通過して西へ向かう。 去る10月19日に京阪中之島線が開業した。鉄道全路線完乗記録を保持する観点からも、日曜に大阪にいることだけは決定していた。でも前日をどうするか……。直前まであれこれ唸りながら考えた末、和歌山に... ...続きを見る

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2008/11/10 00:15
ズルいやつら
仙石線はその名の通り仙台から塩釜・松島を経由して石巻を結ぶ鉄道。宮城電気鉄道が戦時買収で国有化されたという経緯から、現在も他線とはまったく独立した運転系統で、東北本線ほかの交流電化に対し同線のみ直流電化されている。 松島駅(東北本線)近くの歩道橋から、ちょうど鉄橋を渡る仙石線電車が撮れそうなので待機していると、一羽のカラスが何かをくわえて電線にとまった。もう一度見ると口には何もない。クルミを車道に落としたようだ。何をするのかはおよそ見当がつくから、カメラは列車用に構えつつ、そのまましばらく眺め... ...続きを見る

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2008/10/25 00:30
走る喫茶室
以前は新しいレンズとかフィルムを導入すると、まず小田急線の開成付近で試してみることが多かったけれど、最近は「新兵器」を投入しても試写する間もなく実戦……という形が多くなってしまった。ほんとうは安定した天気の下で試写し、性能や性格をはっきりさせておきたいところなのだが、やりたいことが多すぎてなかなか叶わない。 このさき狭い場所や暗い場所での撮影が多くなると踏んで導入した新しいカメラも、デビューは曇り空の久留里線だった(久留里線については後ほど…)。性能は折り紙つきだったので何も心配していなかった... ...続きを見る

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2008/10/20 23:00
驟雨
思い立って松山へ、国鉄形気動車を撮りに出かけてしまった。引退近いオリジナルスタイルのキハ65を記録しておきたかったのだ。 前日だったらよかったんだけど、当日朝は曇りのち雨。しかしその日の運転(わずか1往復)は国鉄色。ということで予定した大洲へ向かうと、ときどき晴れ間はのぞくものの雨はしきりに降っているし、列車が接近すると急にひどくなる。「近くに雨男でもいるんじゃないのかー?」なんて思ったりしたが、なんとお目当ての列車が近づくまさに直前に小止みになった! ...続きを見る

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2008/10/09 00:10
遠くなった庭
私が本格的に鉄道撮影に取り組みはじめた時期は、ちょうど小田急ロマンスカーNSE(3100形)の最終期にあたり、毎週のように沿線に出ていた。足柄平野を走る開成付近は新しいフィルムやカメラ・レンズなどを試写する場としてもよく使っており、「庭」というかホームグラウンドみたいなものだった。 そんな「庭」にも最近はとんとご無沙汰。ほかに撮りたいもの、撮るべきものが増えすぎてなかなかケアできないこともあるが、撮影自体がやりづらくなっているという事情も無視できない。田畑が残る開成〜富水付近でも沿線開発が進み... ...続きを見る

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2008/09/29 22:30
欲張りと妥協
以前(はじめの方)サイドビューを成立させるための条件を書いたけれど、実際に撮るとなればさらに欲を出すのは当然の仕様であり……。 ...続きを見る

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2008/09/25 22:30
夏休みの自由課題(1) -長野の「ロマンスカー」
残暑お見舞い申し上げます。というわけで夏休みを取って間が空いたついでにすこし息抜きを。長野県へ行ってきた。 ...続きを見る

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2008/08/11 22:00
窮屈……
お目当ての車両が前回のように開けた場所を走ってくれれば何の問題ないわけだが、すべてがそうであるはずもない。街中しか走らない通勤電車ではことに厳しい。山手線・京浜東北線もそのひとつだ。 2007年度の新区分番台であるE233系1000番台。この車両を狙おうと考えたとき、ひとつ思いつく場所はあった。上野駅、ひときわ北に伸びる9・10番線のホーム。そこから山手線と京浜東北線北行を狙う。 実際にそこで撮影したことがあるし、たまたまデビュー当日(2007年12月)に川口付近で目撃、「そういえば今日だっ... ...続きを見る

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2008/07/13 00:08

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復活国鉄形蒸機!一刀両面 (鉄道ファン連載)

国内で活躍する動態保存国鉄蒸気機関車、16両(2014年10月現在)各機を両側からとらえたサイドビュー写真と、宮田寛之名誉編集長のみどころ解説でお送りするシリーズ。

2015年8月号では「番外編」と題し、このたび鉄道博物館に収蔵展示されたEF55形1号機を取り上げます。復活後は「ムーミン」とも呼ばれた、電機としては異例の前後非対称・流線形のボディを振り返ってみました。



当ブログの「蒸気機関車」各エントリもご覧ください。


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