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みんなの「大井川鐵道」ブログ


絵本の世界へ

2016/01/01 00:00
謹んで新年のご挨拶を申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

大井川鐵道ではこのところ、夏頃に不思議なことが起きている。1台の蒸気機関車が姿を消し、入れ替わりにちょっと変わった機関車が登場しているのだ。2012年と13年は、同社のSLキャラクター「SLくん」が青色の出で立ちで登場、そして2014年と15年には、イギリスのソドー島から1台の有名な蒸気機関車と仲間たちがやってきて、同線で夏休みを過ごした。ソドー島からの来訪者とは、そう「きかんしゃトーマスとなかまたち」の主人公であるタンク機関車のトーマスだ。
本来は入換や小運転むけの機関車であるためすこし荷が重いらしく、電気機関車のアシストを受けての運転とはなったが、緑濃い山里を絵本の世界そのままにはしる機関車の姿が評判をよび、2015年夏もひきつづきソドー島から大井川鐵道にやってきたのだった。終点の千頭には、日本からソドー島へ渡った「ヒロ」が里帰りし、2015年には小型タンクの「パーシー」も加わった。

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1 (Thomas)

  • 大井川鐵道大井川本線 崎平←千頭, 2015-7
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160

日本にやってきたトーマスは、姿を消したC11 227号機のボディにそっくりな形と大きさになっている。デフレクタが取り払われて表情をつくる顔が取り付けられ、水色の3つの動輪に前デッキ(ランボード)に置かれた前照灯も絵本の雰囲気そのままだ。トーマスはC形(0-6-0)であるが大井川に来た際に従輪が3軸増えて1C2形(2-6-4)に見えるのだが、それらは目立たなくされている。牽引するオレンジの客車に掲出された種別板は「特急」となり、SL急行料金よりすこし高い「トーマス料金」の適用を受けた。
2015年の夏はもう1台、赤い「ジェームス」もトーマスにすこし遅れて到着し、7月から運転を開始。こちらはやはりどこかへ行ってしまったC56 44号機とおなじモーガル(1C/2-6-0)形テンダ機関車である。ジェームスの出番はトーマスと入れ替わりで平日中心であったが、最初の週末だけはトーマスと同日運転ということで、その日を狙って千頭まで足を伸ばし大井川の岸に構えた。先行するのはジェームス率いるお座敷展望列車。赤いボイラが緑の風景でいっそう引き立って見えた。

路線・観光バスの運行に関する規制の強化を発端として大鐡のSL列車は苦境に立たされ、普通列車の大幅減便といった地元には厳しい状況となっていた中、2014年に大鐡がトーマス列車の運行を発表するや大いに注目を集め、連日ほぼ満席で運行された。2015年12月にはリスマスイベントと絵本の出版70周年を記念して再度の来訪、夏には試乗会のみで行われたふたりの重連も行われ、好評のうちにシーズンを締めくくった。2016年もまたトーマスたちが夏休みにやってくるそうで、さらに新たなキャラクターの来訪も発表されている。

画像

5 (James)

  • 大井川鐵道大井川本線 崎平→千頭, 2015-7
  • D810, AF-S NIKKOR 70-200mm F4G ED VR, ISO160


帰りは通常形態のSL〔かわね路2号〕に乗車した。牽引機は大鐡2台の留守とトーマスたちを預かる2台のうちC11 190号機の牽引だった。お召し列車牽引の装飾で復元されている同機は一時期個人所有であったことも関係するのか、それ以外の装飾や形態変化はほとんど受けていなかったが、同社SLの40周年を記念して変形デフの代表格である小倉工場式デフレクタ、通称「門鉄デフ」(門デフとも) に取り替えた姿で1月〜3月まで運転される。

© 2015 Gullane (Thomas) Limited.
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関西鉄優競演

2014/02/08 00:00
SL急行〔かわね路〕蒸気機関車の動態保存で知られる大井川鐵道だが、一般の旅客列車も各地の私鉄から譲り受けた雑多な車両が走る「動く鉄道博物館」の元祖といえるものだ。かつては金谷駅構内で東海道本線とレールがつながり、国鉄111・113系電車が乗り入れたこともあるし、かなり特殊な例では小田急SE車(SSE)を運行したこともある。
現在の電車は南海からの21001系、近鉄からの16000系、そして京阪からの3000系で (いずれも原番号)、紅葉などハイシーズンに臨時急行電車が運転されるほかは普通(各駅停車) 2両編成のワンマン列車である。塗色は古巣のものを保持しており、大阪では互いに顔を合わせることがなかった三者の競演が見られるのも特徴だったが、このたびもと京阪の3000系が引退を迎えることになった。

21003 大井川鐵道

21003

  • 大井川鐵道 崎平←千頭 2012-8
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

よもぎ色の車体に濃緑の細帯は南海電車の旧塗色である。同社から移籍した21001系は通称「ズームカー」、大阪・なんば から高野山への直通 (電車は極楽橋まで、同駅からケーブルカーのりかえ) に開発、1958年に投入された。
ズームという単語はカメラレンズの可変焦点距離 (焦点距離による合焦点変動のないもの) を指すほか、おもに戦闘機の急上昇を示す意味もある。平坦線での高速走行と山岳急勾配線の登坂性能を兼ね備えたこの車両を、南海では「ズームカー」と称した。高野線の橋本〜極楽橋は急曲線が連続、さらに高野下から先は最大50‰という急勾配区間が連続するため、大出力電動機と連続降坂に備えた発電ブレーキを装備するほか、車体も一回り小さい17m級となっている。
前面は非貫通の2枚窓という国鉄80系「湘南形」を受け継ぐ、数少ない現役車両となった。中央部が転換クロスシートで車端はロングシート。窓の直上に補助照明の蛍光灯を配置するのは南海優等列車の伝統だった。
1961年には特急〔こうや〕用デラックスズームカー20001系が登場したが1編成のみの在籍で、冬季あるいは検査の際には21001系のクロスシート車が充当されたほか、ハイシーズンは臨時特急としても活用された。21001系の一部は島根県の私鉄・一畑電車(一畑電気鉄道)にも譲渡されている。のちに増備された「通勤ズーム」こと22001系の一部は支線に転じ、貴志川線へ移った車両2270系はそのまま和歌山電鐵の所属となっている。

16103 大井川鐵道

16103

  • 大井川鐵道 川根温泉笹間渡←抜里 2012-3
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

近鉄16000系は南大阪・吉野線 (大阪阿部野橋〜橿原神宮前〜吉野) むけ特急用で、大阪線の「エースカー」に準じた性能・外観の車両である。1997年に2編成が入線、2002年に1編成が追加された。車両全長20.5mは大鐵の車両ではもっとも長い。
オレンジと藍色のツートンは、いまも名阪京伊を駆け回る近鉄特急のカラースキムだ。固定窓の客室は近鉄特急時代の回転クロスシートが並んでいる。ボックスシートのようにセットされているが回転は自由であり、さらに16003-16103の座席はリクライニングも可能だ。座席から見上げれば編み紐の「網棚」、いまや実態はパイプや棚板ばかりで、車掌放送での表現にのみ残るアイテムだ。
出入口は客室と仕切られないデッキレス構造なのが有料特急車両としてはめずらしいが、ワンマン改造で撤去されたのではない。これもかつての近鉄特急の標準仕様だった。

3008 大井川鐵道

3008

  • 大井川鐵道 崎平←千頭 2011-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO250

そして京阪3000系。「京阪特急テレビカー」として1971年から活躍し、1989年から8000系の投入で置き換えられた車両のうち3008-3507の1編成2両が導入された。京阪は標準軌のため、台車はもと営団5000系のものに履き替えている。
オレンジと赤はもちろん京阪特急伝統のカラーで、京阪からの引退にあわせ千頭方3507の前面に「鳩マーク」特急サインが復活した。また当地での引退を迎え、金谷方も鳩マークを掲げ、3507に「テレビカー」の文字 (装飾のみ) が復活している。京阪テレビカーは最終期では編成中央・ダブルデッカーの隣だったが、3000系ではもともと三条方先頭車に設置されていた。
SL急行を撮りに行くときに乗る電車はいつも21000系か16000系で、3000系は新金谷で寝ている姿の見ることが多かった。1編成のみの存在であったことが、経年引退の遠因にもなったように思える。なお3000系の異端車でもあるダブルデッカー車は2013年の京阪引退後富山地方鉄道へ譲渡、1990年から入線していた10030系の京阪復刻塗装車に組み込まれ、2013年10月から「ダブルデッカーエキスプレス」の運行を開始している。
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ポニーが行く

2014/01/11 00:00
2014のトップは“2014”がつとめることになったわけだが、やはり午年なので馬に由来する (そういえばあちらさんはソリを引っ張っている時期だろうか) 車両を取り上げることにしよう。C56形蒸気機関車、シゴロクとならぶ愛称は「ポニー」。

ポニーという愛称は、言うまでもなくウマの分類 (肩高さ147cm以下) から来ている。小さな身体で数両の客貨車を牽引する姿が愛らしく、1970年代SLブームのさなか小海線で企画された復活運行が「高原のポニー」と称されたのが、愛称に定着することになった。
C56形は同線のような「簡易線」とも呼ばれる線区向けの小型テンダ式機関車。入れ替えや簡易線などでの短区間運転に開発された形式としてタンク式C12形があるが、より長距離での運用に向けて同形をベースにテンダ式とした。エンジン(機関車本体) に軸配置1C (2-6-0/Mogul: モーガル。8620と同じ) を採用した最後の形式でもある。

C56 160

C56 160

  • 北陸本線 河毛←虎姫 2010-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

エンジンのシルエットはC12とほぼ同じで、その水タンクとコールバンカ(炭庫) を独立させテンダ式にしたものといえる。C12で省略した除煙板は標準装備となった。テンダの脇をななめにカットしているのは、転車台が整備されていない路線でのバック運転に配慮したもの。ただしエンジンに従輪、つまり後進時に先輪となるものが存在しないため、高速運転は不可とされている。

国内の動態保存車両は2機、JR西日本の160と大井川鐵道の44。鉄道省→国鉄むけは1935〜39年に160両 (ほか私鉄1, 樺太4) 製造され、つまり160はその最終機である。最終配置の上諏訪機関区から梅小路へ転属してそのまま動態保存機となり、あまり調子のよくなかったC58 1号機にかわりC57 1号機の補佐およびローカル線のSL復活運転をつとめた。JR西日本に承継された後も、千葉などJR東日本管内で運行されたことがある。
同機のホームグラウンドは北陸本線〔SL北びわこ〕(米原→木ノ本) 下り片道2本のみ牽引である。以前は往復とも牽引していたが、前述したバック運転の制約がダイヤに影響するという理由から、復路はEF65 (敦賀直流化までDD51) 牽引により編成そのまま回送される形になった。大井川もいまは往復前向きなので、C56のバック牽引は見られなくなった。とはいえ下りは12系客車5両を補機なしで牽引しており、湖北の直線区間を驀進する姿が見られるのも同列車の魅力といえるだろう。

C56 44 大井川鐵道

C56 44

  • 大井川鐵道 川根温泉笹間渡−抜里 2012-4
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

大井川鐵道の44号機は「出征機関車」である。走行路線の制約が少ないことから、C56はいわゆる外地の開拓鉄道に適当な機関車と当時の軍部に目をつけられ、1941年に各機関区から集められた1〜90までの90両が、タイとビルマ(現ミャンマー) へ赴任していった。蒸機各形式のトップナンバーが集まる梅小路保存機でC56がラストナンバーになったのも、そういう事情があったからだ。
同様に供出されたC12ともども、現地の劣悪な路線環境や戦火の中で失われた機体も多かったが、生き残った機関車はタイ国鉄で700形機関車として使用された。その725,735号機 (C56 31,44) が、1979年に帰国を果たす。原番に復帰した735は大井川鉄道で復活整備後1980年から運行を開始、725も31号機にもどって靖国神社遊就館で静態保存・展示されている。
同機最大の特徴はキャブの屋根頭頂が平たいことだ。これは現地での車両限界が日本より小さかったことへの対処とされる。大鐵の現役4機中もっとも小出力な (ただし車両はいちばん長い) 機関車だが、C10/C11とおなじく最長7両 (+EL補機)〔かわね路〕の先頭に立ち、勇壮な汽笛を大井川に響かせている。

蒸機にとって石炭などの燃料が欠かせないのは当然のことだが、その生命線を握るのはじつは水のほうで、炭水車に積む水は重量換算で石炭の倍くらいとなる。C56の場合、炭庫5tに対し水タンク容量は10m3 (約10t)、C12では石炭1.5tに水5.5m3だ。
それだけ積載の差があっても水はすぐ足りなくなるもので、多くの現行SL列車が折返し駅では水だけ補給し、もっとも行路の長い〔SLばんえつ物語〕は途中の津川でも給水する。現役時代も石炭の供給が機関区に集約されていたのに対し、給水設備は拠点駅、山越え区間では途中駅にも設けられ、ボイラ効率や長期的な保守も左右する水質は重視されたという。かつて鉄路を陰で支えた給水塔も、現代の鉄道運行にはまず不要なためほとんど残っておらず、一時的な復活運転での途中駅補給は消防署(消防団) のポンプ車を借りてきて給水することが多い。
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錦秋を行く

2011/11/26 00:00
大井川本線の終点 千頭からさらに先、井川(いかわ) までの25.5kmを走る大井川鐵道井川線、愛称「南アルプスあぷとライン」。大井川は電源開発などのため多数のダムが建設されてきたが、井川線は同水系最大の井川ダム建設に向け敷設された、762mm軌間の専用鉄道が発祥である。現在では軌間1,067mm になっているが車体寸法はきわめて小さく、国内にわずかに残る762mm軌間の「軽便」車両よりも小ぶりなほど。また旅客列車はすべてディーゼル機関車での客車牽引・推進なので、大井川鐵道は非電化区間を持ちながら気動車が1両も在籍しない珍しい会社である。
列車は大井川とその支流に沿ってゆっくりと走る。他の交通機関では接近できない深山の渓谷、いきなり正面にあらわれる長島ダムの威容、その人造湖・接岨(せっそ) 湖を渡る奥大井レインボーブリッジ、現役鉄道路線では日本最高度 (川底から100m)の 関の沢橋梁、と1時間50分間の車窓は飽きるところがない。さらに10〜11月にかけての紅葉シーズンは、SL列車とあわせ多くの観光客を集めている。

井川線は大井川本線にも増して沿線地形が険しく、災害による影響を何度も受けてきたが、最大の岐路は長島ダムによる線路の水没だった。ダム建設に伴って線路を敷きなおした例は全国に散見されるが、輸送形式が特殊な閑散線区であった同線には存廃にもかかわる問題となった。結局、アプト式ラックレール (レール中間に敷く桟型の特殊なレール) と歯車を持つ機関車の力を借りてダム脇を一気に上る方法が取られ、1990年から新線 (アプトいちしろ〜長島ダム〜接岨峡温泉) での営業を開始した。アプト式新線の敷設とした決め手は、工期が最も短くなるからという単純な理由だそうで、しかし結果として観光路線としての同線の価値をさらに高めることになった。

ED901-ED902他 大井川鐵道

ED901-ED902-DD204

  • 大井川鐡道井川線 アプトいちしろ←長島ダム 2011-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

この区間は営業キロ1.5kmに対して標高差は89mある。ラック区間の勾配は90‰に達し、普通鉄道つまり鉄輪で自走する方式としては日本最急勾配となった。道路の表記にすれば "9%" で、鉄道よりはずっと勾配に強い自動車道路でも警戒標識が立つほどの相当な斜度だ。このため列車は動力車を麓となる千頭側に連結し、さらに当区間では専用補機が上り勾配の後押しと下り勾配のブレーキ役を果たしている。
補機のED90形電気機関車は3両の在籍。もちろん国内の鉄道事業では唯一のラック式動力車だ。4軸機として"ED"を名乗ってはいるが、歯車駆動のモーターが2基搭載されている (しかも軌道動輪より出力が大きい) ため、実質はF形電機と言ってよい。

ED901-ED902 大井川鐵道

ED901-ED902

  • 大井川鐡道井川線 アプトいちしろ←長島ダム 2011-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

となりに連結されている通し運転用のDD20形や客車群と比べると、背の高さがまるきり違う。さまざまな運転・保安機器を限られた車幅におさめるため、このような形になった。井川線はこの区間だけが電化されているのでED90は区間外で運転することはないし、そもそも前後区間のトンネルはじめ建築限界は従来どおりとなっているため、物理的にも出ることができない。同形の整備は、アプトいちしろ駅に隣接した検修工場で行われている。
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けむりのある風景

2011/11/19 00:00
静岡県の代表的な河川のひとつ、大井川に沿って北上する大井川鐵道。東海道本線の金谷(かなや) から分岐し、千頭(せんず) までの約40kmを走る大井川本線は直流電化されている。昔は奥大井・南アルプスに向かう登山者で賑わい、下り「大垣夜行」(現〔ムーンライトながら〕)が臨時停車し早朝の大井川本線臨時列車に接続したこともあったし、静岡・浜松方面から国鉄電車が乗り入れたこともある。
同社の名が全国に知れ渡っている理由の筆頭は、ことし35周年を迎えたSL列車の運転であろう。国鉄が蒸機牽引列車を全廃した直後の1976年に開始した、動態保存のパイオニアだ。他の路線が特別イベントの数日〜数週、定期的なものでも春〜秋の週末に限定した運行なのに対し、全5両 (1両は休車) を擁する同社では、SL急行〔かわね路号〕を年間通してほぼ毎日運行していることも特筆される。その陰に隠れがちだが、普通列車も近鉄・南海・京阪の特急電車がオリジナル塗色で運行されており、かつては全国各地から中古車を集めて走らせていた、いわば「動く博物館」だった。

茶畑の間を旧客牽引のSLが走り抜ける……という光景が日常的なものになっているから、ふだん撮影者の数はそれほど多くなく、点在する撮影地ものんびりした空気が漂っている。それでも先日開催されたイベント (重連運転が行われた) の時は名所にファンが集まり、近くの道路にクルマがずらっと並んだ……と通りかかった近所の方は話してくれた。
紅葉シーズン最盛期を迎えた週末の〔かわね路号〕は3往復運転され、1本目は順光、2本目は逆光で狙ってみる。この日1本目はC10形8号機、2本目はC11形190号機。C11 190は個人が静態保存していたのを譲り受けたもので、2003年から営業運転を開始。過去にお召し列車を牽引したこともある同機は各所に銀さし (ステンレス板貼り付け) が行われ、シルエット風にしても鈍く輝きを残す。

画像

C11 190

  • 大井川鐵道大井川本線 抜里←家山 2011-11
  • D700, AF-S Nikkor ED 80-200mm F2.8D, ISO200

転車台(ターンテーブル) は千頭駅に設置されている。運行拠点の新金谷にもあったが撤去されてしまい、長らく往路千頭ゆきを正向きにすると、復路金谷ゆきは逆向きでの運転を強いられていた。このたび島田市の整備により新金谷駅の転車台が復活し、10月7日から復路も正向きで運転できるようになった。ひきかえに新金谷〜金谷間は9月末で廃止されている。
機関車はC10・C11・C56とすべて小型機である。C56はJR西日本にも在籍 (160号機) しているが、最近は〔SL北びわこ〕も片道運転になっているため、炭水車を先頭にしたバック運転が見られるのはここの44号機だけになっていた。撮っておけばよかったかな、と今さらながら思う。
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復活国鉄形蒸機!一刀両面 (鉄道ファン連載)

国内で活躍する動態保存国鉄蒸気機関車、16両(2014年10月現在)各機を両側からとらえたサイドビュー写真と、宮田寛之名誉編集長のみどころ解説でお送りするシリーズ。

2015年8月号では「番外編」と題し、このたび鉄道博物館に収蔵展示されたEF55形1号機を取り上げます。復活後は「ムーミン」とも呼ばれた、電機としては異例の前後非対称・流線形のボディを振り返ってみました。



当ブログの「蒸気機関車」各エントリもご覧ください。


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